高良健吾主演の衝撃作を、イ・ジフン主演×SABU監督が再映画化!
高良健吾主演で2019年に映画化された『アンダー・ユア・ベッド』。同作の大石圭による原作小説を、『砕け散るところを見せてあげる』(2021)のSABU監督が韓国製作陣のもと再映画化しました。
ドラマ『新米史官ク・ヘリョン』(2019)のイ・ジフンが、狂気の愛ゆえに一人の女性をストーキングし、それでも夫からDVを受ける彼女を救おうとする主人公ジフンを演じました。
大学の講義で自分の名前を呼んでくれたイェウンが忘れずにいた、誰からも忘れられていた孤独な男・ジフン。
ある日、エレベーターの中で記憶にあったイェウンと同じ香水の匂いをきっかけに、彼女のことを探すジフン。そこにいたのはあの頃の輝きを失い、変わり果てたイェウンでした。
なぜ彼女が変わってしまったのか。真相を知るべく監視カメラを仕掛け、盗聴し……その行動がエスカレートしていくジフン。しかしやがて、イェウンが夫からDVを受けていること知ります。
CONTENTS
映画『アンダー・ユア・ベッド(2024)』の作品情報
【日本公開】
2024年(韓国映画)
【原題】
Under Your Bed
【原作】
大石圭
【監督・脚本】
SABU
【キャスト】
イ・ジフン、イ・ユヌ、シン・スハン
【作品概要】
2019年に安里麻里監督・高良健吾主演で映画化された大石圭の小説『アンダー・ユア・ベッド』を、砕け散るところを見せてあげる』(2021)のSABU監督がドラマ『新米史官ク・ヘリョン』(2019)のイ・ジフンを主演に迎えて韓国で再映画化した作品。
主人公ジフンが執着する女性イェウンを演じたのは、ガールズグループ活動やプロキックボクサーなど様々な経歴を持つイ・ユヌ。イェウンにDVを繰り返す夫・ヒョンオを『オペレーション・クロマイト』(2016)のシン・スハンが演じました。
映画『アンダー・ユア・ベッド(2024)』のあらすじとネタバレ
家族からも忘れられた、孤独な男・ジフン。
兄がジフンを迎えに行く途中で事故を起こし亡くなったことで、両親はジフンの名前を呼ばなくなりました。父親は酒に溺れて亡くなり、母は別の男性と暮らしています。
そのような過去を持つために、人に忘れられることに慣れているジフン。学生時代、クラスメイトに名前すら覚えてもらえなかったものの、彼は気にしていませんでした。
しかし大学生の頃、フランス語の授業で突然講師に訳すように言われ戸惑ったジフンに、答えを見せてくれたのがイェウンでした。
イェウンは学科は違っていたけれど明るく、友人に囲まれ、ジフンにとって全てが眩しい存在でした。
「ジフンの奢りね」……答えを見せてくれたお礼にとお茶に誘ったジフンに、イェウンはそう答えたのでした。久しぶりに自分の名前を呼ばれたジフンは高揚感を覚えます。
うまく話せなかったジフンですが、自分が好きで飼っているグッピーの話をすると、イェウンも飼ってみたいと言います。
後日グッピーを渡す約束をしましたが、突然「グッピーを飼うことはできない」とイェウンは言い、それっきりジフンは彼女と関わりを持つことはありませんでした。
年月が経ったある日、ジフンはエレベーターに残っていた香水の香りでイェウンを思い出し、彼女を探します。
イェウンが住んでいる家の近くで偶然を装ってすれ違いましたが、イェウンはジフンに気づかないどころか、あの頃の輝きを失い別人のようになっていました。
気になったジフンはイェウンの住む街に引っ越し、熱帯魚の店を始めます。かつてイェウンとグッピーの話をしたジフンでしたが、そのグッピーがまたしても二人を近づけます。
そんな時、イェウンがジフンの店を訪ねてきます。しかし、グッピーを飼うための水槽などの値段を聞いたイェウンは動揺し「やっぱりやめます」と店を出ていこうとします。
そんなイェウンに「壊れかけの水槽があるから、タダで水槽とグッピーをあげる」とジフンは提案し、その代わりエサはこのお店で買ってほしいと言います。
イェウンは驚きながらも了承し、水槽の設置のためにジフンはイェウンの家を訪ねます。豪邸に夫と住んでいるのに、値段を聞いてためらった理由が知りたくなったジフンは、イェウンの家の暗証番号を暗記し、イェウンの家に侵入するように。
家のあらゆるところに監視カメラや盗聴器を設置し、イェウンの携帯電話にも盗聴器をつけ、24時間イェウンを感じるようになります。またグッピーの水槽の手入れのため、イェウンの家にも頻繁に侵入します。
ところが、監視を続けてしばらく経った頃、イェウンが夫のヒョンオからDVを受けていることを知ります。
映画『アンダー・ユア・ベッド(2024)』の感想と評価
孤独たちは共鳴する
日本版と韓国版で大きく異なるのは、ジフンとイェウンの夫ヒョンオ、さらにバイト先の女主人を殺した男の背景をきちんと描いている点でしょう。
ジフンは兄が亡くなり、両親からいない者として扱われるようになったと語っています。父は酒に溺れて亡くなり、母は別の男性と暮らし、家族は崩壊しています。
生きる意味もなく、人に存在も認知してもらえなかったジフンの名前を呼んでくれたのが、他でもないイェウンだったのです。
一方、精神科医であるヒョンオは病的な完璧主義者で、仕事のストレスの捌け口としてイェウンに暴力を振るいます。しかしヒョンオも、子供の頃に親から完璧さを求められ、成績が悪いなどを理由に父から暴力を受け、それがトラウマになっている様子が描かれています。
また韓国版では、ジフンと殺人を犯した男の名前が同じという設定になっています。殺人を犯した動機は「名前を覚えていなかったから」だと供述しています。
名前を呼んでほしい、自分の存在を認知してほしいという切実な思いが、主人公と男の間で共鳴します。
ヒョンオに対しても、ジフンは妄想の中で、イェウンに強引な性行為をするヒョンオに自分を重ね「俺は兄になれない、何を期待していたのか」と叫びます。
親の期待がトラウマになっているヒョンオともジフンは共鳴しているといえます。プレッシャーに耐えきれず、イェウンをその捌け口とするヒョンオに、自分もそうなっていたかもしれないと思っているのでしょうか。
ヒョンオや殺人を犯した男の行動は、決して許されるものではありません。しかし、その二人の背景を描くことで、観客側もとって理解する余地のある登場人物となっています。
それはジフンにとっても言えることでしょう。生きている意味を感じられず、皆から忘れ去られたジフンの名前を呼んでくれたイェウン。しかしイェウンとはコーヒーを飲んだだけで、その後関わりを持つこともなかったはずでした。
ふとエレベーターで感じた香水の香りでイェウンを思い出したジフンは、イェウンを探し出します。「自分を覚えていてくれているかもしれない」「名前を呼んでくれるかもしれない」……そんな淡い期待は、すぐに裏切られてしまいます。
それによってイェウンに対し執着が芽生え、ストーキングするようになりますが、その行為によってイェウンがヒョンオからDVを受け、かつての輝きを失ってしまった理由の一端を知ります。
善悪で割り切れぬ「人の歪さ」
韓国版は日本版に比べて、ジフンのストーキング行為より、イェウンの日常を多く映し出しています。ジフンにとってイェウンが存在を認知してくれたのと同じように、ヒョンオにDVを受け、他者との関わりも制限された孤独なイェウンにとって、ジフンは「一人じゃない」と思わせてくれる存在になっていきます。
しかし大前提として、盗撮・盗聴という行為はそもそも犯罪。そこに本作が持つ歪さがあります。
また、ヒョンオのイェウンに対するDVも同様に許される行為ではありません。そんな矛盾を孕みながらも、本作は日本版よりもジフンのダークヒーローとしての要素が強くなっています。
変態的で狂気的な愛の要素は薄まって入るものの、その要素も継承しつつ、孤独の共鳴、一人じゃないと思えることを主軸に描いた背景には、韓国の映画事情も影響しているかもしれません。
日本版が制作・公開される以前から、韓国で大石圭の同名小説を映画化するのはどうかという話が出ていましたが、監督探しに難航したと言います。
センシティブな話題であるが故になかなか韓国人の監督が見つからず、最終的に日本人の監督であるSABU監督にオファーが届いたとプロデューサーは言います。
主軸となるテーマも主人公の歪んだ愛から、孤独であるが故の狂気や、トラウマを描きながらも一人ではない、誰かが見ていることを感じさせる、そのようなテーマになったことで、善悪で割り切れぬ歪さによる観客側の拒絶、受け入れ難さが和らいでいるといえます。
またヒョンオのキャラクターも、日本版では公務員でしたが、韓国版では精神科医に改変。完璧主義で富裕層という韓国映画らしさを感じるキャラクターに変わっています。
韓国版と日本版、同じ小説を原作としていながらも、テーマへのアプローチは異なります。しかし、どちらも簡単に割り切ることのできない歪さを観客に突きつける映画になっていると言えるでしょう。
まとめ
韓国版も日本版も、主人公の心情を中心に、主人公の視点で女性の姿が描かれていますが、女性側は主人公のことをどう思っているのでしょうか。
日本版では、以前から人の気配を感じていたり、見知らぬ人からの花束を楽しみにしていたりと千尋側の心情も語られています。夫によって他者との関係を絶たれ孤独な千尋にとって、見知らぬ誰かであっても自分を見てくれる存在がいることがうれしいのです。
韓国版でも、他者とのつながりを絶たれているイェウンですが、日常的な孤独よりも助けを求める相手がいないことが強く描かれている印象を受けます。
日本版では、自分の存在を語ることなく千尋の元から去りますが、韓国版では自分の正体を明かし、盗撮をしていたことも知られます。
イェウンは自分がストーキングされていたことを知った上で、「あなたのことを覚えていたらもっと違う人生になっていたかもしれない」と言います。
ストーカーと被害者という、ジフンとイェウンの間にあるはずの溝がなくなっていることは、夫から助けてくれた人とはいえ超えてはいえないラインだったようにも感じます。
ヒーローとして描きれない歪さをどう受け止めるべきか、人によって感じ方は異なるでしょう。
韓国版は日本版よりも様々な登場人物に対し、受け入れやすいと感じるような描き方になっていますが、そこには良い面も悪い面もあるといえます。