数字にとり憑かれた男の狂気と覚醒を描く脳内サイコ・スリラーがリバイバル上映
『ブラック・スワン』(2011)、『ザ・ホエール』(2023)のダーレン・アロノフスキー監督の長編デビュー作『π<パイ> デジタルリマスター』が、2024年3月14日(木)よりホワイトシネクイントほか全国順次ロードショーされます。
映画制作会社A24のデジタルリマスターで新たに蘇った、狂気が鮮烈に覚醒するカルト作の見どころをご紹介します。
CONTENTS
映画『π<パイ> デジタルリマスター』の作品情報
【日本公開】
1999年(アメリカ映画)※2024年にデジタルリマスター版上映
【原題】
π Pi
【監督・脚本】
ダーレン・アロノフスキー
【製作】
エリック・ワトソン
【製作総指揮】
ランディ・サイモン
【撮影】
マシュー・リバティーク
【編集】
オレン・サーチ
【キャスト】
ショーン・ガレット、マーク・マーゴリス、ベン・シェンクマン、スティーヴン・パールマン、サミア・ショアイブ、パメラ・ハート、アジャイ・ナイデゥ、ジョアン・ゴードン、エイブラハム・アロノフスキー
【作品概要】
『レスラー』(2009)、『ザ・ホエール』(2023)のダーレン・アロノフスキー監督が1998年に発表した長編デビュー作。数字にとり憑かれた男の狂気を先鋭的なモノクロ映像とデジタルサウンドで描き、サンダンス映画祭で最優秀監督賞、インディペンデント・スピリット賞で新人監督賞を受賞するなど高く評価されました。
サウンドトラックにはマッシブ・アタック、エイフェックス・ツイン、ロニ・サイズら豪華アーティストが参加。
日本では99年に初公開され、2024年3月にはA24によるデジタルリマスター版がリバイバル公開されます。
映画『π<パイ> デジタルリマスター』のあらすじ
マンハッタンのチャイナタウンに暮らす、天才的IQと数学能力を持つ男マックス・コーエン。
宗教真理からウォール街の株価予測まで、世界はすべて数式で説明できると確信する彼は、自作コンピューターで日々数字の法則探しにのめり込んでいました。
そして、ついに法則の核心に触れると思った瞬間、彼は謎の組織から付け狙われるように。そして脳内には異常な変化が起こり始めるのでした――。
映画『π<パイ> デジタルリマスター』の感想と評価
A24によって蘇るカルト・ムービー
1989年、ハーバード大学で社会倫理学を学んでいたダーレン・アロノフスキーは、ルームメイトでアニメーターのダン・シュレッカーの影響により映画制作に興味を持つように。大学卒業制作に撮った短編『Supermarket sweep(原題)』が91年学生アカデミー賞の最終候補に残る評価を得た後、本格的に映画制作を学びます。
97年、これまで目にしてきたさまざまなSFドラマやアニメの進歩的コンセプトと、ファウスト伝説やギリシャ神話に見られる時代を超えた道徳的ニュアンスを融合した作品を作りたいと考え、高校卒業後に訪れたイスラエルで触れたヘブライ語に秘められた数字的意味と、多くの幼なじみが株式ブローカーに就いていたことに想を得た脚本を執筆。
製作費6万ドルを工面し、共同プロデューサーの父がブルックリンに所有していた照明工場をメイン撮影地として利用し、共に制作会社を設立したシュレッカーがタイトル・シークエンスを担当。キャストとして父のエイブラハムが参加すれば、母のシャーロットがケータリングを担当するなど、何から何までハンドメイドで制作。
「創造性のある芸術ってのは、ある程度の制限がある中で生まれるものなんだ。例えば、製作費が少ないなら、それを弱点にせず強みにするんだよ。つまりは工夫をするということ。必ず、そこから何かが生まれるものさ」(「キネマ旬報」1999年7月下旬号)
そして完成した『π<パイ>』は、サンダンス映画祭にて最優秀監督賞、インディペンデント・スピリット賞で新人監督賞と、若手フィルムメーカーの登竜門となる映画賞を次々と獲得。一般公開されると瞬く間にその難解なストーリーと映像センスが注目され、カルト・ムービーと評されるようになりました。
今では新作を発表する度に話題をさらい、『ブラック・スワン』(2011)でナタリー・ポートマンを、そして『ザ・ホエール』(2023)でブレンダン・フレイザーをオスカー俳優へと導いた異能の監督アロノフスキー。そんな彼の長編デビュー作が、『ザ・ホエール』(2023)を手がけたA24によるデジタルリマスター版としてリバイバル公開されます。
信念を貫き、妄想に取り込まれる者
天才的な数学能力を持ち、“ユークリッド”と名付けた自作コンピューターで数字の研究を続けるマックス。人付き合いが極度に苦手で、片頭痛を抑える鎮痛剤が欠かせない彼はある時、世の中のすべての物事は一つの数式によって解析でき、株式市場の予想も容易になるのではないか、という信念に到達。
顔見知りとなったユダヤ教のカバラ主義者レニーから、モーセ五書が「神から送られた数の暗号」であると知らされ、より研究に没頭。かつて「π」の研究をしていた友人のソルから自制するようにとのアドバイスも聞き入れないマックスでしたが、次第に片頭痛はひどくなり、さらには謎の組織に追われる身となります。
『レクイエム・フォー・ドリーム』の麻薬とダイエットに溺れるカップル、『ファウンテン 永遠につづく愛』(2006)の病妻のために不死の泉を探す夫、『ブラック・スワン』の完璧な踊りを求めて黒鳥と同化していくバレリーナ、『ノア 約束の舟』(2014)の世界滅亡から逃れる方舟作りに没頭する男…自らの信念を貫くうちに、その信念が妄想となって取り込まれていく人間を主人公にしてきたアロノフスキーですが、本作のマックスもまさに同様です。
信念が肥大化し、精神的に追い詰められていくマックスを映す、陰影が際立ったモノクロ映像とカット数の多さも特徴の本作。
「従来のモノクロ映像は嫌だった。ネガフィルムを使うと、どうしても画面に灰色の部分が残ってしまう。でもポジフィルムを使えば、びっくりするぐらいコントラストのある映像が出来るんだ。黒か白しかない、灰色のない映像がね」(「キネマ旬報」1999年7月下旬号)
マックスの不穏な心情を観る者にも追体験してもらう狙いで、さまざまな視点でセットアップしたカメラで撮影したカットを多用したのは、「音楽のヒップホップみたいな捉え方で映像を表現しようとした」と語ります。
さらには、塚本信也作品の影響も見て取れます。初来日時に塚本との面会を希望したほどのファンだったアロノフスキーは、モノクロ映像や観る者の耳を尖鋭的に襲うサウンドは、金属に侵蝕されていく男を描く『鉄男』(1989)のオマージュを込めたといえます。
まとめ
永遠に割り切れないとされる円周率=「π」をタイトルに付けた理由について、アロノフスキーは語ります。「まだストーリーが固まる前にひらめいた。この記号を観たら誰だって“なんだこれは?”って思うはず。それが狙いだし、映画の内容までも言い表している」
一度観ただけでは、“なんだこれは?”と理解できないかもしれないでしょう。しかし、その難解さが病みつきとなり、カルト・ムービーと評された所以でもあります。
「デビュー作にはクリエイターのすべてが詰まっている」とはよく云われますが、『π<パイ>』にもまた、ダーレン・アロノフスキーのすべてが詰まっています。
『マザー!』(2017)、『ザ・ホエール』は観ていたけれど、本作は観逃していたという方は、アロノフスキーの原点をスクリーンで追うことができる、またとない機会です。
『π<パイ> デジタルリマスター』は、2024年3月14日(木)よりホワイトシネクイントほか全国順次ロードショー。