ブレンダン・フレイザーが奇跡のカムバックを果たし第95回アカデミー賞主演男優賞を受賞
劇作家サム・D・ハンターによる舞台劇を『ブラック・スワン』などのダーレン・アロノフスキー監督が映画化。
長らく表舞台から遠ざかっていたブレンダン・フレイザーが主役を務め、第79回ヴェネツィア国際映画祭では万雷の拍手で迎えられました。
フレイザーが演じたのは過食と引きこもり生活の末、健康を損ねてしまった体重272キロの男性。
長年、会うことが叶わなかった娘との絆を取り戻したいと願う主人公の最後の5日間を綴ったスリリングで感動的な室内劇です。
映画『ザ・ホエール』の作品情報
【日本公開】
2023年公開(アメリカ映画)
【原題】
The Whale
【監督】
ダーレン・アロノフスキー
【原作・脚本】
サム・D・ハンター
【キャスト】
ブレンダン・フレイザー、セイディー・シンク、ホン・チャウ、サマンサ・モートン、タイ・シンプキンス
【作品概要】
劇作家サミュエル・D・ハンターによる舞台劇を原作に、サミュエル・D・ハンター自身が脚本を書きダーレン・アロノフスキー監督が映画化。
同性の恋人と暮らすために家族を捨てた男が自らの死期を悟り、疎遠になっていた娘との絆を取り戻そうと試みる最期の日々を描いています。
主演のブレンダン・フレイザーは第95回アカデミー賞で主演男優賞を受賞。メイクアップ&ヘアスタイリング賞も受賞しました。
映画『ザ・ホエール』のあらすじとネタバレ
同性の恋人アランを亡くしたショックから現実逃避するように家に引きこもり、過食を繰り返し体重272キロの肥満症になったチャーリー。
大学のオンライン文章講座で生計を立てていますが、学生に自分の姿を見られないようにカメラが故障していることにしていました。
月曜日
ニューライフ教会の若い宣教師トーマスが部屋を訪れた時、ドアは開いていて、チャーリーが発作をおこしているところでした。
連絡をうけて訪問看護師のリズが駆けつけました。彼女はチャーリーにこれまで何度も通院、入院を勧めているのですが、保険証もなく、金もないと言ってチャーリーはそれを頑なに拒んでいました。
リズはトーマスがニューライフという新興宗教の宣教師だと知り、追い返します。彼女の父親もニューライフの信者だったと言う彼女はその宗教をひどく嫌っているようでした。
火曜日
昨日、リズから血圧が高く、うっ血性心不全だと言われたトーマスはネットで意味を調べてみました。ステージ3と記載されていたことから彼は自分の余命が幾ばくもないことを悟ります。
彼は長らく音信不通だった17歳の娘エリーを呼び寄せました。やって来た娘は彼への憎悪を隠しません。なぜなら彼は彼女が8歳の時に、アランと恋仲になり、妻と娘を捨てたからです。彼は娘に会いたいと切望していましたが、元妻は絶対にそれを許してくれませんでした。
帰ろうとする彼女に「金をやる」と声をかけて引き止めるチャーリー。自分の預金12万ドルはすべて彼女に譲ると約束します。
エリーは実習仲間の悪口を投稿して停学をくらっていました。彼女は学校でも家庭でも多くのトラブルを抱え、すっかり心がすさんでいました。
勉強を見てあげるというチャーリーの言葉に反応したエリーは、自分のレポートが良い成績が取れるように書き直してと、半ば命令のように言って、レポートを手渡してきました。
書き直すから君も私にエッセイを書いてくれとチャーリーは頼みますが、エリーはすぐに出ていってしまいます。
水曜日
今日もエリーはやってきましたが、まだ書き直していないと知るや、怒り出し、すぐに帰ってしまいました。
そこにトーマスがやってきます。彼は誰かを救いたいという使命感に燃えていて、なんとかチャーリーの役に立ちたいと考えていました。しかし看護にやってきたリズに追い出されてしまいます。
リズはトーマスにチャーリーの恋人だったのは自分の兄であったことを告げます。兄は元ニューライフの宣教師でしたが、チャーリーと出会い宣教師をやめたことで、父と教会にひどい仕打ちを受け、心を病み、非業の死を遂げたのです。
木曜日
「お金をためこんでいたならせめてママに送ってほしかった」というエリーに「送ったさ」と答えるチャーリー。元妻からはエリーに会うことは勿論、電話することすら許されませんでした。
エリーはチャーリーにサンドイッチを作りますが、実は彼女は睡眠薬を混入していました。すやすやと眠るチャーリー。
そこにトーマスがやって来ます。エリーは大麻を吸っていてトーマスにも吸うように促すと、意外なことに彼は吸い始めました。
トーマスもまた多くの事柄を背負っていました。故郷での布教活動はただパンフレットを配るだけ。そのことに疑問を持ったトーマスは教会に意見をぶつけますが相手にされず、金を盗んでここまで逃げて来たと言います。その金もそろそろつきようとしていました。
エリーはそんな彼を写真に撮り、彼の告白をこっそり録音していました。
そこにリズがエリーの母親でチャーリーの元妻のメアリーを連れてやってきました。エリーがチャーリーに睡眠薬を飲ませたことで激怒するリズ。しかし幸い、何事もなく、チャーリーは目を覚ましました。
エリーは悪態をつき出ていこうとしたので、チャーリーは彼女にレポートを渡しました。受け取ると彼女は出ていってしまいました。
メアリーとチャーリーは気まずさを隠せません。メアリーはエリーのことを「邪悪な子に育ってしまった」と嘆き、その姿を見せたくなかったからこれまで会わせなかったのだと告白します。チャーリーが自分を責めると思ったのです。
2人の会話の中で、リズはチャーリーに莫大な預金があることを知り、愕然とします。そんなお金があるのなら、保険にも入れて通院も入院も出来て、きちんと治療することが出来たのにと嘆く彼女。
しかしチャーリーは自分のことよりも娘に金を残したかったのです。「あなたはお金、私は子育て。ベストを尽くしたわ」と元妻は言いました。
皆が帰ったあと、チャーリーは冷蔵庫に入っていたものを貪るように食べ始めました。
そこにトーマスがやってきました。彼が言うには、エリーが彼の写真と音声を教会と両親のもとに送ったのだそうです。
悪意でしたのか、善意だったのかはわかりませんが、家族も教会も盗みはたいしたことではない、帰ってきなさいと言ってくれたと伝える彼はとても嬉しそうでした。
彼は自分がチャーリーの力になると信じていましたが、彼のアランに対する解釈はチャーリーを傷つけてしまいます。チャーリーは彼に家族のもとに帰るように告げました。
映画『ザ・ホエール』の解説と評価
恋人を失ったことにより家に閉じこもるようになり、重度の肥満症となった主人公チャーリー(ブレンダン・フレイザー)が発作を起こすところから映画は始まります。
彼は通院や入院を進められても頑なに拒み、部屋に閉じこもったきりです。健康を考えて食事を改善することもなく、カロリーの高いジャンクフードのようなものばかり選んで食べ続け、自分に罰を与えるかのように体を痛めつけてきました。
彼が覚えた喪失感と罪悪感の底しれぬ深さがひしひしと伝わってきますが、とうとう、その痛め続けた体はうっ血性心不全という症状として表れて、死に直面していることがわかります。
彼は死ぬ前に娘エリー(セイディー・シンク)に会いたいと考え、元妻(サマンサ・モートン)との約束を破り、エリーを呼び出します。現れた娘は後に元妻(であり娘の母)が「あの娘は邪悪」でお手上げだと語るように荒み切っていました。学校では停学をくらい、友人もいない娘は、自分を捨てて同性の恋人に走ったチャーリーに憎悪をぶつけ続けます。
しかし、悪態をつく姿とは裏腹に、心は父からの愛を求めていました。わずかに残された時間内で父が娘に如何に彼女の可能性を伝えられるかが物語のひとつの大きなテーマになっています。
夫が別の相手に走り、妻と子供を捨てて出ていき、子供が大きな傷を抱えているという点では、フローリアン・ゼレール監督、ヒュー・ジャックマン主演の映画『The Son/息子』(2023)を思い出さずにはいられません。
子どもたちは自身が「捨てられた」という思いから逃れることが出来ず、心を病んでしまっており、自分自身でもコントロールがつかなくなってしまっています。
『The Son/息子』(2023)のゼン・マクグラス演じる息子ピーターは鬱を患っており、両親は対応を誤りますが、本作のエリーもまた、メンタルケアの必要性を感じさせます。
そういう意味では、チャーリー自身も精神的な医療のケアが必要だったと思われますが、彼の場合はわかっていてそれを拒否し、娘に残すために金を貯蓄し続けていました。
そんな愛情がありながら、娘に長年そのことが伝わっていなかったことは、本当に人間関係の難しさ、人生の困難さを痛感せずにはいられません。
どうしたらいいのかという明確な答えなどなく、苦しみ、失敗し、贖罪したいと願いながら生き続け、最後には死んでしまうのが人の一生なのでしょうか。
そういう意味で、本作に「ニューライフ」という宗教が絡められているのは実に巧みです。終末論を唱えるカルト宗教。“このひどい世界は一度滅びるがその後に新しい美しい世界が現れる”というある意味わかりやすく単純な教えを信じている若い男性が布教のため、チャーリーのもとを訪ねます。
信仰とは何か、宗教は人を救えるのかという問題を内包しつつ、本作はさらに文学的な表現にも及び、ハーマン・メルヴィルの『白鯨』を題材に、言葉や表現の持つ力を問うています。
チャーリーは娘が十代半ばで書いた『白鯨』論を繰り返し読み、生きる糧としてきましたが、それは娘に書く力があり、その文章に娘の持つ知性と誠実さを読み取ったからです。
だから彼は娘を信じ、彼女が若き宣教師に対して行ったことも「善」だと信じられるのです。
数人の人物が出入りするだけの室内劇は不思議と狭さを感じさせません。『ザ・ホエール』というタイトル通り、むしろ壮大なものを想起させます。それは広い世界や人々のそれぞれの人生といった事柄です。
また例外的に、チャーリーの家の前の廊下でチャーリーの家を訪れた人同士が話をする場面があります。そこはアパートの二階の何の変哲もないスペースに過ぎませんが、まるで西部劇のバルコニーのような雰囲気を漂わせています。ここでのトーマスとリズの会話はちょっとした対決の雰囲気があります。
まとめ
ブレンダン・フレイザーは、毎日メーキャップに4時間を費やし、45キロのファットスーツを着用して40日間の撮影に臨みました。
自分自身を痛みつけるように追い込み続ける姿を演じながらも、時折、チャーリーのもともとの気質だと思える前向きな側面を垣間見せるなど、ひとりの人間の多面性を渾身のパフォーマンスで表現しています。
NETFLIXの人気ドラマ『ストレンジャー・シングス 未知の世界』のセイディー・シンクが娘のエリーを演じ、『ジュラシック・ワールド』のタイ・シンプキンスが宣教師のトーマスを演じています。
少ない出番ながらもサマーサ・モートンがチャーリーの元妻に扮し、強い印象を残します。
また、看護師のリズを演じたホン・チャウが素晴らしく『ザ・メニュー』とはまったく違った雰囲気を見せていて驚かされます。
たった5人の登場人物のアンサンブルの見事さに、すっかり引き込まれてしまいます。