デレク・ツァン監督の『ソウルメイト 七月と安生』(2021)を韓国・済州島を舞台にリメイク
個性的で自由なミソと、絵を描くことが好きで堅実なハウン。正反対の2人は、幼い頃から唯一無二で常に一緒にいました。
この生活がずっと続く、そう思っていた2人でしたが、ある人物の登場により、2人の関係性は少しずつ変化していきます。
そして、ミソはハウンと共に過ごした済州島を去り、ソウルに旅立ってしまいます。別々の道を歩き始めた2人の溝は広がっていくばかりで……。
ミソを演じるのは、ドラマ『梨泰院クラス』(2020)、映画『The Witch 魔女』(2017)のキム・ダミ。
ハウン役には、映画『チョ・ピロ 怒りの逆襲』(2019)や2024年に公開予定のドラマ『寄生獣 -ザ・グレイ-』で主演を務めるチョン・ソニが務めました。
映画『ソウルメイト』の作品情報
【日本公開】
2024年(韓国映画)
【原題】
Soulmate
【監督】
ミン・ヨングン
【キャスト】
キム・ダミ、チョン・ソニ、ピョン・ウソク
【作品概要】
香港のデレク・ツァン監督の長編デビュー作である『ソウルメイト 七月と安生』(2021)を、『短い記憶』(2010)などのミン・ヨングン監督がリメイク。
リメイクでは舞台を韓国の済州島にしています。オリジナルで安生が上海に行きますが、リメイクではミソがソウルに旅立ちます。
ミソは大都会ソウルで過酷な現実を前に生き延び、ハウンは大都会への憧れを抱きつつも、堅実な人生を送ることから抜け出せず、島から出られずにいます。
そのように次第にすれ違ってしまうミソとハウンの距離感を、済州島とソウルという韓国らしい対比で描き出します。そのように、オリジナルを踏襲しつつも韓国らしさも感じさせるリメイクになっています。
映画『ソウルメイト』のあらすじとネタバレ
絵画の公募で選ばれたある作品。そこに描かれていたのは、高校生の頃のミソ(キム・ダミ)でした。
「この絵画の作者の連絡先を知っていますか」学芸にそう聞かれたミソは、「幼い頃仲が良かっただけで、今は連絡をとっていなく、連絡先も知らない」と答えます。
そして学芸員は、とあるブログサイトをミソに見せます。ハウン(チョン・ソニ)が書いたと思われるそのブログには、ミソとハウンの出会いから2人ついてのことが綴られていました。
2人の出会いは1998年に遡ります。ある夏の日、ソウルから済州島に引っ越してきたミソは、転校初日に教室から飛び出してしまいます。
そんなミソの届けにきたハウンは、個性的で自由奔放なミソに惹かれ、2人は仲良しになります。
母子家庭で転校を繰り返していたミソは、ハウンと離れたくないとソウルに向かう母について行かず、ハウンの家で暮らすことを決めます。
常に共にいた2人でしたが、別々の高校に進学し、ミソはゲストハウスで住み込みのアルバイトを始めます。それでも親友同士でいた2人に、大きな変化が現れます。
それはハウンの恋でした。ハウンは、同じ高校のジヌ(ピョン・ウソク)に恋をします。「ジヌの顔を描いてみたい」と頬赤らめる今まで見たことのなかった表情を見せるハウン。
ハウンが、大事なミソはスクーターに乗ってハウンが気になっているジヌを探しにいきます。そして、今度ジヌのことを好きな子が現れる、本当にいい子だから悲しませるようなことをしないでほしいと忠告します。
ハウンは、ジヌに「あなたを描かせてほしい、描くことで自分の気持ちがわかる」と言います。そして、ジヌを描いたハウンは「あなたが好き」と告白します。
ハウンとジヌは付き合い始め、ハウンはジヌを連れてミソが働くバーにやってきます。ミソとジヌは初対面ではありませんが、ミソは初対面を装うようにとハウンのいないところでジヌに言います。
ミソとハウン、ジヌの3人で出かけることが増えてきたある時、ハウンとジヌの大学受験の祈願のため洞窟を訪れることにします。しかし、途中でハウンは靴擦れになり、歩くのが大変だから代わりにミソに行ってほしいと頼みます。
ミソは気を利かせて自分1人で行くから、ジヌはハウンの元にいるようにと言い、1人で洞窟に向かいます。そんなミソを心配したハウンは、ジヌに様子を見てきてほしいと頼みます。
ジヌは自由なミソに心が揺らぎ、キスをしようとします。ミソはハウンへの後ろめたい気持ちから、高校を中退してバーで知り合ったバンドの恋人と共にソウルに行くことを決意します。
「どうしても行くの」と涙ながらに訴えるハウンを言い聞かせてミソは、ソウルへと向かっていきます。ハウンはミソがジヌがいつも身につけていたお守りを首から下げているのを見て不安な気持ちになります。
映画『ソウルメイト』の感想と評価
オリジナルとは違う“韓国らしさ”
デレク・ツァン監督の『ソウルメイト 七月と安生』(2021)をリメイクした本作で、印象的なのは、舞台を韓国の済州島とソウルにしたことでしょう。
オリジナルでも、上海という大都市に出ていく設定がありますが、ソウルと済州島との対比にしたことによって、ハウンの島から出ていけない姿がより印象的になっています。
ハウンは、ミソを待っていなくてはいけないという思いや、家族の期待もあり、飛び出していく勇気を持てずにいました。
ハウンにとって自分の殻を破って飛び出す勇気を与えてくれるのが、ミソの存在そのものだったのでしょう。一方で、ミソにとってハウンはセーフティネットのような存在であり、安らぎであったのかもしれません。
ミソは、ソウルで1人で生きていく中で孤独を深めていくうちに自分からハウンを遠ざけてしまった部分もあるでしょう。互いに正反対だからこそ仲良くなれたと同時に自分にないものを持っている相手への憎しみや妬みが大きくなってしまうのでしょう。
オリジナルにおいても、七月の両親はどちらかというと堅実さを求めていて、七月は街を出ていくためには、花婿に逃げられた花嫁になるしかないと、結婚式当日に来ないでほしいと頼みます。
しかし、リメイクではハウン自身が結婚式から逃亡し、島を出る決意をします。オリジナルとはまた違うハウンの意思がそこに色濃く出ているのです。
それだけでなく、ジヌとの将来に揺らぎ始める姿も繊細に描き出しています。ハウンは一度も自分の夢が教師だとは言ったことがないのに、ジヌはハウンは夢を叶えて堅実に生きていると思っていることが発言からうかがえます。
更に、「また絵を描き始めようかな」というハウンに、ジヌは「趣味でいいんじゃない、ハウンが持っているのは技術であって才能ではない」と言います。
ジヌの否定は、ハウンがジヌとの将来を不安視するには十分な決定打となったのではないでしょうか。両親やジヌが求める“安定した普通の幸せ”は果たして本当に幸せなのか、それで生きていると言えるのか、と悩むハウン。
まだまだキャリア設計における男女格差は韓国だけでなく、日本においても問題視されており、保守的な考え方を押し付ける人もいまだにいるのが現状です。
それに対し、それを受け入れることで自分を殺してしまう、そんな不安に駆られたことのある人もいるのではないでしょうか。
気づけば選択肢を奪われている上に、リミットが迫って焦りを感じている人々にとって、ハウンの選択肢は一種の希望として映るかもしれません。
自由を手にしたハウンは皮肉な運命によってこの世を去ってしまいますが、ハウンの自由な心はミソの中で生き続けているのです。
まとめ
大切な存在であったはずなのに、すれ違ってしまうミソとハウン。本作は2人の友情と恋を描いており、その中に、ミソとハウンそれぞれの生き方も映し出します。
ハウンは、自由への憧れがあるのに、親や周りが言う道を疑問抱きながらも歩み、最終的には飛び出していく姿を描いていました。
では、ミソはどうでしょうか。ミソは母親の都合で転校をお繰り返すことにうんざりしていました。そんな時にハウンと出会います。ミソはハウンに惹かれたと同時にハウンの家族に対しても安心感を覚えたのではないでしょうか。
居心地の良い居場所を知ったミソは、同時にそこから追い出されることを何より怖がっていたのではないでしょうか。ハウンを誰よりも大事だと思うからこそ、ハウンが自分から離れることに怯えていたのです。
そんなミソが、恋をして自分には向けない表情を浮かべるハウンを見て何を感じたのでしょうか。いずれハウンが自分から離れてしまうことを悟ったのかもしれません。
だからこそ、ジヌと微妙な関係になった際に、自らが去ることを選んだのです。嫌われる前に距離を置こうとしたけれど、ミソとハウンの絆はそんなもので切れたりはしません。
会いたい気持ちは消えず、成長するにつれ、自分とは違う生き方をするハウンに対し、引け目を感じ始めます。素直に自分の辛さを吐露することもできず、ハウンを傷つける言動をしてしまいます。
そんなミソに対し、ハウンもハウンで取り残されたと感じています。辛さを抱えるミソが自分を頼ってくれないことに寂しさも感じていたはずです。
互いに互いを必要としていて、違う道を選んだ後してもその絆は変わらないと言うことをミソもハウンも自信が持てずぶつかり合ってしまいます。
それだけでなく、ミソがハウンに嫌われることに対し、臆病になっていたのは母親の存在も大きいはずです。詳しくは描かれていませんが、ミソの母親は子供よりも恋人を優先するような母親だったのではないでしょうか。
ミソがハウンの元で生活するようになってから、ソウルに戻った母親から連絡が来ることはなく、連絡が来たのは母親が亡くなった時でした。
ハウンとハウンの両親のもとで育ったミソでしたが、どこかで自分は家族ではないという引け目もあったのでしょう。
そんなミソが、ハウンの子供を育てるということに本作の大きな意味があるように思います。