映画『ロングショット』は第36回東京国際映画祭・コンペティション部門にて最優秀芸術貢献賞を受賞!
2023年10月23日〜11月1日に開催された第36回東京国際映画祭・コンペティション部門に正式出品され、同映画祭にてワールド・プレミア上映を迎えた映画『ロングショット』。
急激な経済成長を遂げる一方で、国営企業の民営化により工場の経営破綻が相次いだ1990年代半ばの中国の時代を反映した本作は、同映画祭にて最優秀芸術貢献賞を受賞しました。
『二重生活』(2012)の刑事役などで知られるズー・フォンが、元射撃選手で現在は工場の保安係として働く主人公グー・シュエビン役を好演。映画終盤で描かれる銃撃戦アクションも大きな見どころの一つです。
本記事では『ロングショット』の時代背景とともに、変貌する時代に置き去りにされた人々が“技術”によって時代に逆襲する意味、映画エンドクレジットで映し出された映像から垣間見えてくる「もう一つの“かつての時代”」を考察・解説していきます。
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CONTENTS
映画『ロングショット』の作品情報
【日本上映】
2023年(フランス映画)
【原題】
老枪(英題:A Long Shot)
【監督】
ガオ・ポン
【脚本】
ガオ・ポン、ワン・アン
【キャスト】
ズー・フォン、チン・ハイルー、ジョウ・ジェンジエ
【作品概要】
2007年に北京電影学院監督科卒業後に助監督を経て、テレビ広告のディレクターとして活躍しながらも、ホラー短編映画やネットワークTVシリーズの脚本・監督を手がけてきたガオ・ポン監督による初の長編監督作品。
『二重生活』の刑事役などで知られるズー・フォンが、元射撃選手で現在は工場の保安係として働く主人公グー・シュエビン役を演じた。
映画『ロングショット』のあらすじ
1995年、中国東北地方の大工場。経営難により給料未払いが長期化した工場では、従業員たちが工場内の資材を勝手に売却するという不正が横行していた。
工場の保安係のグー・シュエビンは、元は国際大会にも出場した射撃選手だったが、聴覚の障害のために引退し、今の仕事に就いていた。
ある日、グーは別れた妻との息子シャオジュンがケーブルを持ち出そうとしているのを見とがめる……。
映画『ロングショット』の感想と評価
「置き去りにされた人々」への回顧と再考
毛沢東による農作物や鉄鋼製品の増産政策「大躍進政策」や悪名高い「文化大革命」により疲弊した中国の国内経済に対し、近代化の一環としての“社会主義市場経済”への移行を目指すべく1978年より始まった「改革開放」。
鄧小平の手で始まった「改革開放」は1989年の天安門事件で一度は中断されるも、1992年以降から再び進められ、中国国内の経済成長が急加速したことは、のちに“世界の工場”と呼ばれるほどの経済大国へ変貌を遂げた中国を生み出す大きな要因となりました。
しかし「改革開放」が進む中で、都市部・農村部の経済格差とそれに伴う農村生活者の都市部への人口流入、国営企業改革による経営難と大規模な失業者の発生、官僚の汚職・腐敗などの問題を中国は常に抱え続けていました。
映画『ロングショット』はそうした時代を舞台に描かれた作品であり、本作を手がけたガオ・ポン監督は幼い頃、製紙工場に勤めていた母親が給料未払いの状態に一時陥っていた姿を目にした実体験が作品の着想の一つになっていると映画祭公式インタビューで語っています。
「“より豊かで、より良い社会”へと変貌する時代において、その時代に掬われることなく、置き去りにされてしまった人々は、何を感じながら生きていたのかを探る」「時代に置き去りにされた人々の記憶=かつての時代に触れる中で、その時代の矛盾と欺瞞や、それらの延長線上にある現在を生きる自分たちを再考する」……。
そんな本作の中心で描かれる過去の時代との対峙は、『ロングデイズ・ジャーニー この夜の涯てへ』(2018)のビー・ガン監督などの“中国第8世代”による作品群、そして「物語の設定がたとえ現在や未来であっても、撮影された映像は常に“過去”となる」という性質を持つ映画という芸術そのものの根底にあるテーマといえます。
置き去りにする時代への“逆襲”──培われた“人の業(わざ)”
一方で『ロングショット』は、過去の時代への回顧・再考のみならず、掬われず置き去りにされた人々による時代への“逆襲”も描き出しています。それを象徴するのが、元射撃選手の主人公グーが映画作中で発揮した“人の業(わざ)”です。
毎日毎日銃を構え続けることで、視覚や耳という聴覚器官がもたらす平衡感覚に依存せず、ただ構えるだけで標的に命中できる“姿勢”を練り上げる……グーの卓越した射撃技術は、多くの年月での絶え間ない鍛錬でしか生み出せないものであり、自らの存在そのものを“業”と一体化させた結果といえます。
「聴覚の障害」という変化により射撃選手の夢を挫折し、「新たな時代の到来」という変化により自身の人間としての尊厳をさらに虐げられてきたグー。
そんな彼が映画終盤、変化する時代で生き残るべく“他者の尊厳の冒涜”を選んだ者たちに対し「自身が“大切なもの”は奪われてはならない」という意志を貫けたのは、グーが身に付けた……彼の“魂”と一体となった射撃の“業”を、どんな人間も、どんな時代も奪えなかったためでした。
人々が積み重ねてきた時間を、容赦なく置き去りにしようとする時代。それに対し、人々が積み重ねてきた時間でしか培うことのできない、人間の“魂”そのものとなった“業(わざ)”が逆襲する姿を、本作は描いているのです。
まとめ
映画エンドクレジットでは、グーをはじめとする作中に登場した男たちが、廃墟と化した工場内の線路を楽しげに歩いていく様子が映し出されます。
その映像からは、グーの“逆襲”を経ても時代の変化が止むことはなく、彼らが生きていた“かつての時代”は失われたのだと想像できます。
また彼らが歩いていた線路のフォルムは、同じく“かつての時代”に用いられていた映画のフィルムを連想させることは言うまでもありません。
映画という“人の業”により、多くの人々の人生に欠かせない娯楽を生み出していた“かつての時代”を遥か昔に失った2023年現在、『ロングショット』が東京国際映画祭で上映され、最優秀芸術貢献賞を受賞した意味を考えざるを得ないでしょう。
そして本作の物語の舞台が「開店閉業中のの寂れた工場」であったのも、「1990年代半ばの中国」という時代設定の反映だけではなく、かつてハリウッドの映画製作スタジオや日本の撮影所が「夢の工場」と呼ばれていたことも関係があるのかもしれません。
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編集長:河合のびプロフィール
1995年生まれ、静岡県出身の詩人。
2019年に日本映画大学・理論コースを卒業後、映画情報サイト「Cinemarche」編集部へ加入。主にレビュー記事を執筆する一方で、草彅剛など多数の映画人へのインタビューも手がける(@youzo_kawai)。