その怪物を生んだのは、愛か…狂気か…。
フランス映画界の至宝イザベル・アジャーニの咆哮が響き渡る『ポゼッション』をご紹介します。
映画『ポゼッション』の作品情報
【公開】
1981年(フランス・西ドイツ合作)
【原題】
Possession
【監督】
アンジェイ・ズラウスキー
【キャスト】
サム・ニール、イザベル・アジャーニ、ハインツ・ベネント、マルギット・カルステンセン、ヨハンナ・ホーファー、カール・ドゥ―リング、ショーン・ロートン、ミシェル・ホーベン
【作品概要】
巨匠アンジェイ・ワイダの助監督としてキャリアをスタートさせたポーランド人映画監督アンジェイ・ズラウスキーがイザベル・アジャーニ、サム・ニールを起用し、世界を震撼させた問題作。
第34回カンヌ国際映画祭(1981年)主演女優賞(イザベル・アジャーニ)受賞、1981年セザール賞最優秀主演女優賞(イザベル・アジャーニ)受賞、1981年トリエステSFフィルムフェスティバル―ゴールデン・アステロイド賞(グランプリ)受賞、1981年サンパウロ国際映画祭批評家賞受賞作品。
映画『ポゼッション』のあらすじとネタバレ
西ドイツ、ベルリンの壁が聳え立つ郊外の町。長期の単身赴任終え、久々に自宅へと戻ってきたマルク。しかし、彼を迎えた妻アンナの態度はどこかよそよそしいものでした。
帰宅してすぐに揉める2人。久々のセックスもお互いにとって良いものとはなりませんでした。どんな夫婦にも起こることだとアンナは言います。せっかく帰ってきたのにと納得のいかないマルク。彼らの唯一の心の癒しは息子ボブの無邪気な姿だけでした。
翌日、仕事結果の報告へと向かうマルク。アンナとのいざこざを抱えていたマルクは、この状況を打開しようと仕事を辞める決意をしていました。優秀なマルクを引き留めようとする上司たちでしたが、彼の固い意思が揺らぐことはありませんでした。
その後マルクが家に戻ると、アンナもボブもいませんでした。仕方なくベッドで横になっていると、いつの間にかうとうとと眠ってしまいます。
しばらくして電話のベルに起こされたマルク。アンナからでした。一人になって考えたいから家を出たというのです。そのまま一方的に電話は切れます。
マルクは慌ててアンナの親友のマージに電話します。彼女によると詳しくは知らないが、どうやら他に男がいるようだとのことです。
マージから連絡がいったのか、直後にアンナから電話が来ます。男について問い詰めるマルク。いつからだというマルクの問いに、長い間と答えるアンナ。30分後にカフェで会おうと約束して電話を切ります。
カフェにて、慰謝料や養育費のことについて話していると、マルクがもうボブには今後一切会わないと切り出します。その言葉にたった一人の父親なのにと憤慨するアンナ。さらにまくしたてるように愛人の男を賞賛するような言葉を吐いた彼女に思わず怒り爆発させたマルク。カフェの中で大暴れする彼を従業員たちがなんとか抑え込みます。
その後、ホテルに一人閉じこもり酒に溺れるマルク。3週間程経ってようやく精神的に落ち着き、家へと戻ると、ボブが汚れた姿で一人座り込んでいました。どうやら彼をほったらかしにしてアンナは出掛けているよう。彼を風呂に入れてあげていると、アンナが買い物袋を抱えて帰ってきます。問い詰めるマルクに焦りながら言い訳をするアンナ。
こんな状態のアンナにボブは任せておけないと感じたマルクは、自分が面倒を見るからとアンナに出ていくよう促します。ここに戻ってきたいなら相手の男と別れろと迫るマルク。
その言葉に狂ったように暴れまわるアンナ。やがて2人共疲れて眠りに落ちてしまいます。マルクが目覚めるとアンナの姿は消えていました。
マージに電話すると、愛人の男の住所は知らないが電話番号は知っているとのこと。その番号に早速掛けてみると、出たのはどうやら男の母親のようでした。息子もアンナもここには何週間も来ていないとのこと。
翌朝、ボブを学校へと送ったマルクが担任の女性教師の姿に驚愕します。彼女の容姿はアンナそっくりなのです。違うのは髪と緑色の眼(アンナは青)だけ。アンナにからかわれているのか思ったほど似ていました。
家に戻ったマルクは電話帳で愛人の男ハインリッヒの住所を調べ、彼の下を訪れます。彼の自信たっぷりの態度に憤慨し、突然殴りかかったマルク。しかし、いとも簡単にねじ伏せられてしまいました。
殴られて鼻血を出しながらマルクが家に戻ると、アンナとボブが楽しそうに過ごしていました。どこに行っていたんだと問い詰めるマルク。
彼の詮索に怒りを露にしたアンナがマルクの顔に平手打ちを浴びせると、スイッチが入ったようにマルクがキレてしまいます。何発も何発もアンナを殴り、彼女の顔は血だらけに。
そうして出て行ったアンナをマルクはなおも追いかけます。すると、血反吐を吐きながら彼の手を振りほどいたアンナが、突然走行中のトラックの前に飛び出したのです。事故には至りませんでしたが、その時のアンナの表情はもはや狂気としか言いようのないものでした。
映画『ポゼッション』の感想と評価
これほど強大なエネルギーを持った映画がかつて存在していたのだろうかと思いたくなるほど、『ポゼッション』という作品から伝わってくるパワーには凄まじいものが感じられます。
アンジェイ・ズラウスキー監督の見事な手腕に加え、サム・ニールとイザベル・アジャーニという完璧なキャスティングに、少ないながらも効果的で印象深い音楽、カルロ・ランバルディによるSFXを使った巧みな映像魔術など、この作品には一切の隙がありません。
あえてこの作品の欠点を挙げるとするならば、万人受けを拒むそのあまりにも不条理な世界観にあるのかもしれません。
もし一般的なホラー映画を『13日の金曜日』(1980)や『エルム街の悪夢』(1984)などと定義するならば、このホラーという体裁の下に描かれた『ポゼッション』という作品はそういった一切の定義付けを拒むものなのです。
極端なまでに説明を排除していることで、もはやホラーなのかミステリーなのかラブ・ストーリーなのかも判別し難いこの物語は、一体何を描いたものなのでしょうか?
そもそもサム・ニール演じるマルクがどんな仕事をしているのかも分かりません。会話からどうやら秘密諜報員のような任務に就いていたということは推測できるものの、具体的には何も提示されないのです。
観客はただ彼らの表情や映し出される情景を注意深く観て、推測するしかありません。ただ、その抽象的な芸術ともいえる世界観に一歩足を踏み入れると、現実の世界とはあまりにもかけ離れた不条理な出来事もすんなり受け入れてしまうのだから不思議なものです。
そうしてこの作品を注意深く観察するとあることに気付くはずです。それは、ヘレンという存在の謎。
アンナに瓜二つの女性として描かれている教師のヘレンですが、実はそう見えていたのはマルクただ一人だけだったのではないでしょうか。
アンナもボブも彼女の姿を見ているのに、誰もそのことを指摘していないのです。ましてやハインリッヒにおいては、アンナを探してマルクの家まで来たのにも関わらず、ヘレンの姿を見ても何の反応も示しませんでした。
ここにマルクがヘレンに見出していたものが表れています。それは、アンナの理想像です。
長い間アンナと会うことなく過ごしたことでマルクの中で膨らみ切った彼の理想は、帰宅した初日にことごとく打ち破られてしまいました。
一方のアンナは、マルクが長い間家を空けていた寂しさを埋めるために愛人を作っていました。そうしてやっと帰ってきたマルクの姿はあまりにも理想とかけ離れていたのです。
マルクとアンナ。理想と現実のギャップに苦しんでいた2人。マルクがヘレンに理想を見出したのと同様に、アンナはグロテスクな怪物から理想のマルク像を創り上げたのではないでしょうか。ヘレンも完成された怪物もどちらも同じ色の眼(緑色)をしていたことにもそのことが表れています。
しかし、それによって生み出されたのは壁で分断されたベルリンの町同様の2つに別れた心だったのです。やがて、善と悪という対立構造が打ち破られ、悪が2人を“Possession(占拠するの意)”した時、思い描いた理想だけが現実に残されることになりました。
こうして見ていくと、この物語は異形のラブ・ストーリーなのかもしれません。狂気にも似た“愛”という感情が“現実”という一線を越えた時、“理想”という怪物を生み出す男女の悲哀がここには込められているのです。
まとめ
イザベル・アジャーニという存在抜きに『ポゼッション』という作品を語ることはおそらく困難を極めるでしょう。もちろん、サム・ニールの何を考えているのか分からない不気味な表情も魅力的なのですが、彼女がいなければこの作品がどれほど凡庸なものになっていたかと空恐ろしい思いにかられるほどです。
正気と狂気の狭間を平均台を歩くようにふらふらと彷徨うその危うい表情に加え、本当に狂ってしまったのかと見紛うがごとき圧倒的な演技力を備えたイザベル・アジャーニ。
彼女の最も象徴的なシーンは地下道のシーンでしょう。血まみれの姿で一人狂ったように叫び、口からは何やら得体の知れない液体を吐き、踊っているのか何をしているのか判別できないような激しい動きを延々とするというこのシーン。
一つ間違えば茶番に終わってしまいそうなこのシーンを、一体他のどんな女優に演じられるというのでしょうか。
またこのシーンでの監督アンジェイ・ズラウスキーの長回し(ほぼ1カット)で延々撮り続ける演出も見事です。途切れることがないからこそ、一瞬たりとも目が離せないと観客も釘付けになるのです。
さらに、作り物っぽさをを感じさせない特殊効果の妙もあり、このシーンこそ『ポゼッション』の魅力の全てが凝縮されたものと言って過言ではありません。
さて、監督アンジェイ・ズラウスキーはこの後も『私生活のない女』(1984)、『狂気の愛』(1985)とエキセントリックな作品を作り続けます。
『狂気の愛』の主演のソフィー・マルソーはこれ以降ズラウスキー作品の常連になる訳ですが(ズラウスキーとは事実婚状態ということもあってか)、彼女の顔はどことなくイザベル・アジャーニを彷彿とさせるもの。無意識化で彼女の幻影を追い続けてきたのかもしれませんね。