壮絶な過去を持つ2人の男女は、傷だらけの愛を貫けるか!
戦いに身を投じることに生き甲斐を感じるアジョが、伝統武術シラットを操る、イトゥンと出会ったことで始まる、壮絶なラブストーリーを描いた『復讐は私にまかせて』。
愛と嫉妬が入り混じる復讐劇がメインの本作は、さまざまな映画へのオマージュや、時代への風刺が込められた作品でもあります。
アジョとイトゥン、2人の愛の行き着く先を、中盤以降に登場する、ある人物の解釈を交えてご紹介します。
映画『復讐は私にまかせて』の作品情報
【公開】
2022年公開(インドネシア映画・シンガポール映画・ドイツ映画)
【原題】
Seperti Dendam Rindu Harus Dibayar Tuntas
【監督・脚本】
エドウィン
【原作・共同脚本】
エカ・クルニアワン
【撮影】
芦澤明子
【キャスト】
マルティーノ・リオ、ラディア・シェリル、ラトゥ・フェリーシャ、レザ・ラハディアン
【作品概要】『
インドネシアの作家、エカ・クルニアワンのベストセラー小説を、『空を飛びたい盲目のブタ』(2008)のエドウィンが映像化。
1989年のインドネシアを舞台に、血気盛んな若者のアジョと、アジョに恋するイトゥンの、傷だらけの愛を描いたラブストーリーで「第74回ロカルノ国際映画祭」の最高賞「金豹賞」を受賞しています。
映画『復讐は私にまかせて』のあらすじとネタバレ
1989年のインドネシア。血気盛んで、誰とでも戦いたがる青年のアジョは、周囲からも一目置かれる存在でした。
ですがアジョは、幼い頃のあるトラウマから、男性器が機能せず、EDに悩まされていました。
ある日、アジョは殺人とレイプを犯しながらも、のうのうと生きている、レべという男の話を聞きます。
レべが許せないアジョは、レべを成敗しに向かいます。ですが、レべはボディガードを雇っていました。
レべのボディガードである、女性のイトゥンは、伝統武術シラットの使い手です。
アジョはイトゥンとの、激しい戦いを繰り広げた後に勝利し、レべの片耳を切り落とします。
そして、切り落とした片耳を、イトゥンに渡すのでした。
イトゥンに恋をしたアジョは、その数日後に、ラジオでイトゥンがアジョに送ったメッセージを、偶然聞きます。
イトゥンに会いに行ったアジョは、その場で愛し合いますが、自身がEDであることを気付かれたくない気持ちから、逃げるようにその場を去ります。
それから、ラジオでイトゥンのメッセージを聞いても、アジョは反応することなく無視するようになります。
さらに、裏世界の大物であるゲンブルが、アジョの噂を聞きつけます。アジョはゲンブルから、マチャンという男を消すように依頼されます。
マチャンを探し続けるアジョですが、ある日、無視され続けたイトゥンが、直接アジョに会いに来ます。
アジョは自身がEDであることを打ち明けますが、イトゥンは何も気にせずに「私達、結婚するのよ!」と宣言します。
映画『復讐は私にまかせて』感想と評価
1989年のインドネシアを舞台に、それぞれ辛い過去を持つ、2人の男女の愛を描いたラブストーリー『復讐は私に任せて』。
本作はラブストーリーなのですが、かなり異色の内容で「暴力」がキーワードとなっています。
エドウィン監督はインタビューで語っていますが、、1989年のインドネシアは、スハルト元大統領が暴力で国を支配していた時代で、本作の登場人物も、その暴力的な時代背景が反映されています。
本作の主人公であるアジョは、やたらと誰かと戦いたがりますが、喧嘩レベルの話ではなく、会ったばかりのレべの耳を切り取るなど、かなり過激な行動に出ています。
アジョの危険さは、裏社会の大物、ゲンブルも一目置くほどです。
アジョは、幼少期のトラウマから、下半身に問題を抱えており、男としての象徴が機能しません。
男としての「強さ」を主張する為、行き過ぎた暴力に頼っていたのでしょう。
そのアジョと出会う女性、イトゥンも幼少期の経験が原因で、伝統武術シラットを体得し、暴力により身を守っていました。
理由は違えど、暴力で生きてきたアジョとイトゥンが出会い、恋に落ちます。
ただ、アジョの周囲には裏社会のゲンブルが、イトゥンの背後には小悪党のブディという厄介な人物がいることで、本作のテーマである「暴力的な時代、環境において、2人の愛は生き残れるのか?」という部分が、物語の主軸となっていきます。
それまで、やたらと戦いたがっていたアジョは、イトゥンという守るべき存在が出来たことで、戦いから身を引くようになります。
2人の生活は、このまま上手くいきそうでしたが、イトゥンがブディに抱かれてしまい、妊娠が発覚したことで、全ては崩れ去ります。
それまで穏やかだったアジョは、その反動のように暴力性が増し、一度は身を引いたゲンブルの仕事に手を染めてしまいます。
アジョを裏切ってしまったイトゥンは、強く後悔し、その罪滅ぼしの為に、アジョにトラウマを植え付け、EDの原因となった2人の男へ、代わりに復讐することを決意します。
アジョへの罪滅ぼしの方法として、イトゥンの取った行動は完全に間違っています。
ですが、幼少の頃から自身の身を守る為に、暴力の世界で生きてきたイトゥンは、このやり方しか知らないのです。
後半に進むにつれて、痛々しさが強調される2人のラブストーリーですが、ある女性の登場により、異質の展開へと進んでいきます。
その女性はジェリタという名前で、イトゥンの近くにいたと思ったら、アジョの前に姿を現すなど、その正体は完全に不明です。
HPなどには「復讐の女神」と紹介されていますが、間違いなく作中では、その正体は明かされていません。
本作の後半は、このジェリタにより、アジョはかき回されていきます。
そして、これまでアジョとイトゥンを見守っていたゲンブルは、ジェリタに殺されます。
ただ、ゲンブルはアジョとイトゥンを「自分の手駒」としか見ていなかった感じがしますし、イトゥンが罪を重ねたのは、ゲンブルが余計な情報を与えたからです。
ジェリタは、ゲンブルから2人を守る存在だったのかもしれません、そう考えると「女神」ですね。
とは言え、ゲンブルの後ろ盾を失ってしまったのは事実です。ラストで、イトゥンは2人の男を殺した罪で逮捕されてしまいます。
イトゥンは、心から愛したアジョの復讐を果たせたことで、後悔は無いでしょう。ですが、残されたアジョは、今後どのような気持ちで、どのような行動を取るのでしょうか?
2人のラブストーリーは痛々しく残酷ですが、かなり余韻の残るラストシーンとなっています。
まとめ
本作は、1989年のインドネシアが舞台ですが、この年代を選んだのは「暴力的な時代」という時代背景の他に「1980年代の映画へのオマージュ」も込められています。
イトゥンのビジュアルからも分かりますが、特に80年代の香港映画を強く意識しているようです。
また、幽霊のように登場するジェリタが、Jホラーのようにもなっており、さまざまなエンターテイメント作品の要素を持っているのが『復讐は私にまかせて』という作品です。
携帯電話が無い時代に、ラジオで自身の愛を伝え続けるイトゥンなど、最近のラブストーリー映画とは、ひと味違う演出も見どころとなってますよ。