連載コラム『増田健の映画屋ジョンと呼んでくれ!』第5回
この世には見るべき映画が無数にある。あなたが見なければ、誰がこの映画を見るのか。そんな映画が存在するという信念に従い、独断と偏見で様々な映画を紹介する『増田健の映画屋ジョンと呼んでくれ!』。
第5回で紹介するのは自身も世界も認める、”悪趣味映画の帝王””反吐のプリンス”、ジョン・ウォーターズが監督し、彼のミューズ(?)として活躍した伝説のドラァグ・クイーン、ディヴァイン主演のカルト映画『マルチプル・マニアックス』。
カルト映画史に残る名高い作品として、ファンに存在を知られながら日本未公開だった本作は、2022年1月1日(土)元日に、新宿K’s cinemaでついに劇場公開されました。
究極のキワモノ映画・バットテイストの極みであると同時に、当時のカウンターカルチャー(ヒッピーカルチャー)を体感させてくれる本作。今回ご覧になった方がお怒りになられた場合、いつも以上に保証いたしかねますので、ご覚悟下さい。
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CONTENTS
映画『マルチプル・マニアックス』の作品情報
【製作】
1970年(アメリカ映画)
【原題】
Multiple Maniacs
【監督・脚本・撮影・編集・製作】
ジョン・ウォーターズ
【出演】
ディヴァイン、デヴィッド・ローチャリー 、メアリー・ヴィヴィアン・ピアース、ミンク・ストール、クッキー・マーラー、ジョージ・フィッギス
【作品概要】
長らく日本未公開であった、ジョン・ウォーターズ2作目の長編映画。製作費5000ドル・16㎜フィルムで作られたモノクロ映画で、監督の故郷ボルチモアで撮影されました。
それまでのウォーターズ監督の自主製作映画同様に、ボルチモアのダウンタウン中心部の教会を借りて実施された、9回のプレミア上映は全て満員。観客の反応は大絶賛か、それとも反吐を吐くかのいずれかでした(監督談)。
このお騒がせ映画は話題となり、米国の都市部でミッドナイト・ムービーとして上映されました。この成功が監督に史上最低の悪趣味映画、究極のカルト映画と呼ばれる『ピンク・フラミンゴ』(1972)を製作させることになります。
主演は”悪趣味の女王”、ドラァグ・クイーンのディヴァイン。ジョン・ウォーターズ映画の常連出演者である仲間たち、”ドリームランダース”と共に作り上げた作品です。
伝説的存在のディヴァインに注目が集まりますが、共演のミンク・ストールはウォーターズ監督作だけでなく、デヴィッド・リンチ監督作『ロスト・ハイウェイ』(1997)など、数多くのアンダーグラウンド映画に出演しカルト的人気を持つ俳優です。
映画『マルチプル・マニアックス』のあらすじ
レディ・ディヴァイン(ディヴァイン)率いる、巡回見世物小屋の「変態一座」。地上最低の見世物と誇る彼らが見せるのは、ポルノ写真家とそのモデルとヤク中、脇フェチなど妙な性癖の連中に、ホモセクシャルにゲロ食い…何ともトンデモない内容でした。
怖いモノ見たさで見世物小屋に入り、お下劣行為を目撃し悲鳴をあげていた観客は、「変態一座」に捕らえられ身ぐるみはがされ、怒れるディヴァインに射殺されます。
自分こそシャロン・テート殺しの犯人と自称する、ディヴァインを恐れるパートナーのデヴィッド(デヴィッド・ローチャリー)は、彼女の横暴に耐えられず縁を切ろうと決めました。
そこで映画『早熟』(1968)…当時世界的に流行し、日本でも公開されたスウェーデン製青春エロ映画…、を見て知り合った浮気相手のボニー(メアリー・ヴィヴィアン・ピアース)と共に、ディヴァイン殺害を決意します。
デヴィッドの浮気を知らされ、2人をとっちめようとするディヴァイン。しかし彼女は白昼の町でシンナー遊びでラリった2人組に襲われました。
憐れにも2人により、酷い目に遭わされたディヴァイン。彼女は神の啓示を受けて教会に入り、イエス・キリスト(ジョージ・フィッギス)の受難を思い浮かべつつ、お祈りしようとします。
そこに自らを「宗教売女」と呼ぶレズビアン、ミンク(ミンク・ストール)が現れます。彼女に迫られ、絶体にヤってはいけない場所で、バチ当たりなモノを使用して、何ともダメで淫らな行為にふけるディヴァイン。
ミンクとディヴァインは、殺そうと待ち構えるデヴィッドとボニーと対決します。それはディヴァインの娘クッキー(クッキー・マーラー)らを巻き込む、殺し合いの惨劇となりました。
ディヴァインの周りは死屍累々、錯乱したのか彼女は人として一線を越えたモノを食べてしまいます。おまけに突如出現した、”巨大ロブスター”にナニされてしまうディヴァイン。
何を書いているのかさっぱり理解できないでしょうが、これぞカルト映画ファンたちが熱愛する、本作一番の名(迷)シーンです。
もはや錯乱状態のディヴァインは、『ゴジラ・エビラ・モスラ 南海の大決闘』(1966)でエビラと一戦交えた後のゴジラの様に(?)、街に出て善良な市民たちを襲撃します。迫り来るドラァグ・クイーンの脅威に人々は逃げ惑い、ついに州兵が出動しました…。
映画『マルチプル・マニアックス』の感想と評価
やはりこの映画を、文字で説明することは不可能でした。本作が気になった方は、自分の目で確かめるしかありません。途中で呆然呆然とするでしょうが、最後には開いた口がふさがらない状態になる、とお約束しましょう。
ジョン・ウォーターズ本人が、本作を「セルロイド(映画フィルム)の残虐行為」だと語っています。
技術的にも未熟(オープニングクレジットには驚くでしょう)、彼の仲間”ドリームランダース”の出演者たちはセリフを忘れたりしますが、それでも本作を最も愛すべき作品、と紹介するウォーターズ。
彼の悪趣味は各方面に発揮されますが、劇中でディヴァインは『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』(2019)で描かれた、シャロン・テート殺害事件の犯人は自分だと主張します。
実は映画の撮影直前にこの事件は発生し、撮影中まだ犯人は捕まっていません。ならばディヴァインが犯人でもいいじゃないか。
ヒッピーカルチャーの申し子、ウォーターズたち”ドリームランダース”を犯人と思わせて、世間を怖がらせてもいいじゃないか。と良からぬ事を考えます。
ところが映画完成前に事件の犯人、マンソンファミリーは逮捕されます。そこでジョン・ウォーターズは内容を変更することにしました。
ジョン・ウォーターズは自伝、「悪趣味映画作法」で以上の様に経緯を紹介しています。もっとも虚実交えて人を驚かせて楽しむウォーターズだけに、もしかすると誇張やイタズラ心を交えた証言かもしれません。
本作はシャロン・テート殺害事件当時の雰囲気、保守的な風潮に反抗するヒッピーカルチゃーの挑戦と、過激なカルト集団の暴虐でその夢が破れ挫折する姿を、現在の観客に教えてくれるのです。
伝説のドラァグ・クイーン、ディヴァインを目撃せよ
本作の主人公で支離滅裂な怪物的キャラクター、レディ・ディヴァインを演じたディヴァイン。本名ハリス・グレン・ミルステッドはジョン・ウォーターズと同じくボルチモアで、1945年10月に誕生しました(ウォーターズは1946年4月生まれ)。
1人っ子だった彼は、両親や周囲の大人たちに溺愛されて育ちますが、少年時代は女性的な雰囲気と太った体形からか、周囲からいじめられていました。
1人家にこもることが多くなり、ストレスから過食に走りさらに太り、空想の世界に生きるようになったミルステッド。彼のアイドルはエリザベス・テイラーで、やがて園芸を学び始めますが、自分の才能に気付き美容師の道を目指します。
彼とウォーターズは高校生時代に出会います。すでにアングラ短編映画を撮っていたウォーターズは、彼こそが自分の映画のスターになると確信しました。
こうして2人の付き合いは始まり、ミルステッドは”ドリームランダース”の1員となりました。
この時期ウォーターズは彼らとは映画作りを楽しんでいただけ、と説明していますが、ミルステッドはボルチモアを抜け出すチャンスを掴む切符になるかも、と意識していたと回想しています。
ミルステッドに”ディヴァイン(崇高)”の芸名を与えたのは、ウォーターズでした。彼の作品で”スター女優”を演じ始めたディヴァインは、映画出演を通じてそのキャラクターを磨きます。
奇人変人の集まり、”ドリームランダース”の多くの仲間たちが楽しんで気楽に映画出演する中で、ディヴァインの存在は際立っていました。
ウォーターズが書いた長いセリフを読み上げ、どんな無茶ぶりにも挑む貧欲さと、素人じみた出演者の中で毅然とした姿を本作で見せたディヴァイン。
そして本作の次に製作された『ピンク・フラミンゴ』の演技、その中のある物(ご存じの方も多いでしょうが…)を食べたシーンで、ディヴァインはカルト映画界のクイーンとなりました。
『ピンク・フラミンゴ』は賛否渦巻く大きな反響を引き起こしますが、ディヴァインは自分は話題の人物、”映画スター”になったのだと確信します。ウォーターズの映画への出演も続けますが、舞台やショーなど活躍の場を広げていきます。
ドラァグ・クイーンの先駆者の1人として活躍を続け、1980年代には歌手としても人気を獲得するディヴァイン。エンターティナーとして活躍の場を広げた彼は、今までとは違った役に挑み始めます。
ジョン・ウォーターズ監督の初のメジャー映画、X指定でなく家族で楽しめるPG指定の映画『ヘアスプレー』(1988)で、彼は主人公の女の子の母親(と、もう1役)を演じました。
『ヘアスプレー』で新たな境地を開いたディヴァイン。1988年2月26日にボルチモアで行われた凱旋上映に招かれ、かつて彼が苦い経験を味わった故郷に、輝けるクイーンとして帰還しました。
しかしその直後の3月7日、ディヴァインは42歳で急死します。ピープル誌は彼を世紀のドラァグ・クイーン、そして才能ある俳優と認めてもらう事を望み、ついにそれを獲得した人物だと紹介しました。
人種差別(そして肥満への偏見など)との対決を音楽とダンスを交え、明るくユーモラスに描いた『ヘアスプレー』は、ビデオ化されるとさらにファンを集めます。
2002年に『ヘアスプレー』はブロードウェイでミュージカル化されます。このミュージカルを映画化した『ヘアスプレー』(2007)も誕生、この作品ではディヴァインが演じた役を、ジョン・トラボルタが演じました。
現在ドラァグ・クイーンなど、様々なジェンダー表現で自らを表現し活躍する方々がいます。その偉大な先駆者には、悪趣味の女王から真のスターに登り詰めた人物、ディヴァインが存在するのです。
「奇妙な人たち」に寄り添うジョン・ウォーターズ
参考映像:ジョン・ウォーターズ監督ビデオメッセージ付き『マルチプル・マニアックス』『セシル・B ザ・シネマ・ウォーズ』予告編
伝説のカルト映画『マルチプル・マニアックス』ですが、現在の視点で見ると、ある種の限界が感じられるのも事実です。
文字にするとトンデモないシーンの数々ですが、エロチックシーンにトップレスの女性が登場するものの、絡みはいわゆるソフトコア描写で、生々しいハードコア描写はありません。
残虐シーンやお下劣シーンもモノクロ(白黒)映像で実に素朴です。この頃流行り出したスプラッター映画、次いでネット上に流れる残酷・悪趣味映像、それは現在SNSを通じ広く拡散しています…、そんな映像に慣れた方には、少々大人しく思えるでしょう。
そして同性愛に関する描写。当時はまだ同性愛や男装・女装といった行為が、精神疾患とされた時代です。その一方で『続・世界残酷物語』(1963)が紹介しているように、軽い気まぐれな行為とも思われていました。
まだ理解が深まっていない時代に作られた、『マルチプル・マニアックス』の同性愛の取り上げ方は、現在の視点では偏見に満ちたものに見えるかもしれません。
さらにシャロン・テート殺害事件の引用。これを悪趣味で不謹慎だと感じる方もいるでしょう。実はウォーターズ監督、実際の事件の裁判傍聴や、殺人犯が書いた絵を集めるのが趣味だと告白しています。
しかしその後テレビが、実際の殺人事件を追いかけて映像を流し、重大事件の裁判の経緯を事細かく報じるようになります。1970年当時監督が悪趣味と描いたものの多くは、後に世間一般の人々の娯楽に成り下がりました。
監督自身もこの時代の変化を認めています。しかし『マルチプル・マニアックス』を鑑賞した方で、本作を古く偏見に満ちた映画と考える人は少ないはずです。
なぜなら本作は多くの見世物映画のように、残虐シーンや不快なシーンを見せつける映画ではありません。むしろ奇妙な人々を見て顔をしかめる、見物人側の反応を描く作品であり、本作の観客からも同様の反応を引き出す映画と呼んで良いでしょう。
ジョン・ウォーターズ監督は、奇妙な人々を「見せ物にする」人物ではなく、奇妙な人々の側に立って「彼らと共に見せる」人物だと評すべきです。
同性愛や性的マイノリティーを揶揄するような描写も、偏見に満ちた姿勢で彼らを見つめる、「良識ある人々」の反応を引き出す手段に過ぎません。
この姿勢があるからこそ、彼の悪趣味映画からは奇妙な登場人物に対する、一方的な偏見や傲慢な態度が感じられません。むしろ彼らに対する愛情が、ひねくれたユーモアと共に感じられるでしょう。
ボルチモアの敬虔なカトリックの家庭で育ち、幼い頃から暴力的なものは大好きだが、スポーツに参加するのは大嫌い。道徳や規範を押し付ける学校や教会を死ぬほど憎んだ、と少年時代を回想するジョン・ウォーターズ。
彼はマリファナやドラッグを覚え、大学の映画学科から放校され、ヒッピーのような仲間たち”ドリームランダース”の男女とつるみます。しかし彼は常にアングラ映画、アート映画の大ファンでした。
やがて自分をクィア(LGBTどれにもにあてはまらない性的マイノリティー)と自覚した彼は、ボルチモアで映画を作り始め、悪趣味カルト映画を生み出します。
彼の『マルチプル・マニアックス』や『ピンク・フラミンゴ』が大好きな人の中には、『セシル・B ザ・シネマ・ウォーズ』(2000)を物足りなく思う方がいるかもしれません。
しかし『セシル・B ザ・シネマ・ウォーズ』もまた、最愛の映画と語るウォーターズ。彼の映画への熱い愛…シネコンより場末の映画館、大作映画よりポルノ映画やカンフー映画を愛する、と彼が告白する作品だけに当然です。
まとめ
伝説のカルト映画『マルチプル・マニアックス』を観ました?観たくなりました?私もマイクが握れるものなら、「変態一座」の呼び込みよろしく、本作を大いに宣伝しましょう。
現在の視点から見ると物足りなく見える部分もある、と紹介しましたが、逆に今見ても過激に思えるのがシャロン・テート殺害事件の引用と、教会やキリスト教を挑発(冒涜?)するかのようなシーン。
アメリカでは現在、保守勢力とされる宗教右派が大きな勢力になりました。本作の過激シーンは公開された1970年より、現在の方が攻撃されると感じました。
ジョン・ウォーターズ監督は当時「良識ある人々」を怒らせ、反吐を吐かせるつもりで本作を完成させました。
しかし公民権運動が盛んな当時には、この作品を上映させてくれる教会(半分監督に騙されて認めたようなものですが)が存在していました。
またトンデモ映画の撮影中に逮捕され、ウォーターズと”ドリームランダース”は起訴されますが、判事は注意をした上で公訴棄却にします(判事はウォーターズが差し出した、自作映画の招待券の受け取りは断りました)。
現代は性的マイノリティーに理解の広まった、進歩した世界のはずですが、当時の方が自分と異なる意見に寛容であったように思われます。
現代は異なる意見や、異なる立場の人間に不寛容となり、自分が正しいと信じる者ほど、異なる意見の持ち主に攻撃的に振る舞う世の中になった様です。
もし現在アメリカで『マルチプル・マニアックス』が誕生したら、信仰厚い「良識ある人々」によって激しく炎上したでしょう。他の多くの国でも同じかもしれません。
ディヴァインのようなドラァグ・クイーンが活躍できる国が増えた一方で、例えば2021年秋以降、中国では芸能界・インフルエンサーへの取り締まりが徐々に強まります。
不法行為やモラルに欠ける行為を厳しく取り締まると称し、男性タレントの女装や中性的衣装の着用もまた、規制の対象になりました。
このような動きは中国以外の国にも見受けられます。寛容よりも正しさの追求が望まれ、「間違った側」を攻撃することが歓迎される世界になった、という事でしょう。
映画の表現には、どうか可能な限り寛容であって欲しいものです。少なくともウォーターズ監督は、ビデオメッセージを見ると『マルチプル・マニアックス』を大スクリーンで上映した、悪趣味映画に優しい国・日本にお喜びですよ。
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増田健(映画屋のジョン)プロフィール
1968年生まれ、高校時代は8mmフィルムで映画を制作。大阪芸術大学を卒業後、映画興行会社に就職。多様な劇場に勤務し、念願のマイナー映画の上映にも関わる。
今は映画ライターとして活躍中。タルコフスキーと石井輝男を人生の師と仰ぎ、「B級・ジャンル映画なんでも来い!」「珍作・迷作大歓迎!」がモットーに様々な視点で愛情をもって映画を紹介。(@eigayajohn)