15歳の少年と、21歳年上の女性とのひと夏の恋。
第二次世界大戦後のドイツ、「秘密」は思わぬ形で明かされる。
映画『愛を読むひと』は、第二次世界大戦後のドイツを舞台に、15歳の少年と21歳年上の女性との悲恋を描きます。
ベストセラー小説『朗読者』を、『リトル・ダンサー』(2000)や『めぐりあう時間たち』(2002)、『ものすごくうるさくて、ありえないほど近い』(2011)のスティーブン・ダルドリー監督が映画化。脚本は『めぐりあう時間たち』でもコンビを組んだデヴィッド・ヘアーが務めました。
21歳も年上の女性ハンナと激しい恋におちたマイケルは、いつしか彼女に本を朗読し、愛し合うことがふたりの儀式となっていきますが……ひと夏の恋は、マイケルの心を長年に渡りかき乱すことになります。
ミステリー的な要素を含めながら展開する悲恋は、マイケルの回想によりはじまり、ホロコーストの問題とともに愛の苦しみへと描き出していきます。複雑なラブストーリーに普遍的なテーマを織り交ぜた物語の魅力をネタバレありでご紹介いたします。
映画『愛を読むひと』の作品情報
【公開】
2008年(アメリカ・ドイツ合作映画)
【原題】
The Reader
【原作】
ベルンハルト・シュリンク『朗読者』(1995年出版)
【監督】
スティーブン・ダルドリー
【脚本】
デヴィッド・ヘアー
【キャスト】
ケイト・ウィンスレット、レイフ・ファインズ、ダフィット・クロス、レナ・オリン、ブルーノ・ガンツ、アレクサンドラ・マリア・ララ、カロリーネ・ヘルフルト
【作品概要】
1995年に出版されたベルンハルト・シュリンクのベストセラー小説『朗読者』を、スティーブン・ダルドリー監督が映画化。
21歳も年上の女性ハンナと激しい恋におちる青年期のマイケルは、ダフィット・クロス。中年期のマイケルには、レイフ・ファインズが扮します。誰にも打ち明けられない秘密を抱えながら、戦後のドイツを生き抜く女性ハンナを演じたのはケイト・ウィンスレット。
本作は、第81回アカデミー賞では作品賞、監督賞、脚本賞など主要5部門にノミネートされ、ケイト・ウィンスレットは第81回アカデミー賞主演女優賞を受賞しました。
映画『愛を読むひと』のあらすじとネタバレ
1995年、ドイツのベルリン。弁護士のマイケルは、一年間パリにいた娘のジュリアンと夜に会う約束をしていました。
一夜を共にした女性に朝食を準備しますが、女性は起きて来て「あなたの考えが読めるほど長く付き合う女がいる?」と言い、そっけなく帰ります。
マイケルは、誰もいなくなった部屋を見渡し、窓の外を走り去る列車に目を向けると、少年の頃の記憶を思い起こします。
1958年、西ドイツのノイシュタット。15才のマイケルは、学校からの帰りの列車で気分が悪くなり、列車を降りるとあるアパートの隅で嘔吐します。
その場でうずくまる彼を見知らぬ女性が助けて、家まで送ってくれました。どしゃ降りだった雨は、白い雪に変わり始めていました。
その後マイケルは、猩紅熱で3ヶ月も寝込みます。病気が回復したころ、母親に病気になった日に女の人が助けてくれたことを話し、お礼の花束を届けに行きます。
女性のアパートに行くと彼女は、家を出るところだから外で待っていてと言って、奥の部屋で着替えをします。
片足を上げ、つま先からストッキングを太腿までたぐりよせ、ガーターベルトに留める様子をマイケルは玄関の隙間から見ていました。視線を感じた女性と目が合ったマイケルは、逃げ去るようにアパートの階段を駆け下りていきます。
しばらくしてからマイケルはまた、彼女のアパートへ行き、留守だった彼女を戸口で待っていました。両手に石炭が入ったバケツを手にもって階段を上がってきた彼女は、マイケルを見ると「バケツにもう2杯石炭を運んで」と言います。
地下室で石炭を入れようとするマイケルがスコップですくうと、石炭の山が崩れ黒い埃が舞い上がりました。顔も真っ黒の煤だらけになったマイケルを見て、彼女はお風呂に入ることをすすめます。
マイケルは服を脱ぐのを躊躇いますが、彼女が平然と見つめてくるのが恥ずかしくそそくさと服を脱ぎ、湯船に潜ります。体を洗い終わると、彼女の姿が見えないほどの大きなバスタオルを両手で広げて待っている彼女に身を任せました。
マイケルの背中にぴったりと寄り添う彼女は、服を着ていませんでした。彼女のリードで初めて女性を知ったマイケルは、家族で囲む夕飯の席でも高揚感に浸り、まだ療養中でしたが明日から学校へ行くと宣言します。
学校が終わるとまっ先に彼女の家に行き、情事を重ねます。三度目の情事の後、マイケルは彼女の名前を尋ね、改めてお互いの名前を知りました。
マイケルは時に学校を早退し彼女……ハンナのところに通い詰めました。何度目かの時、ハンナから学校での勉強を尋ねられます。
ドイツ語ではレッシングの書いた戯曲『エミリア・ギャロティ』を習っていると言うと、読んで聞かせてと頼まれ、ベッドの上で朗読します。ハンナから朗読が上手と褒められてのぼせ上り、マイケルは学校での時間さえも充実感に満たされた気分でした。
ある日、ハンナが仕事をする列車に乗りに行くと、ハンナは自分を避けて二両目に乗ったと怒りをあらわにし、口論になり冷たい態度をとります。
マイケルはそれでも、ハンナを想う気持ちを伝え、二両目に乗ればキスできるかもしれないと思ったからだと許しを乞います。
ハンナは、ベッドで待っているマイケルに向かって、本の読んでからセックスをしようと提案します。マイケルは、ホメロスの『オデュッセイア』を朗読します。それからというもの、マイケルはハンナに本を朗読し、愛し合うことが二人の儀式となりました。
ハンナは、時に本の登場人物に激しく感情移入し泣きじゃくったり、可笑しさに声を上げて笑いながら興味深く聞き入っていました。またある時は『チャタレイ夫人の恋人』を読むと、ハンナはわいせつだわ、恥を知らないと非難しました。
マイケルが1泊のサイクリング旅行を思い立った時は、ハンナも嬉しさを隠しきれない様子でした。旅行の最中、ハンナは訪れたレストランではマイケルにメニューの注文を頼み、旅の道順も任せたままで、地図さえも見ませんでした。教会では聖歌隊の歌声を聞いて感極まって涙を流します。
新年度がはじまりマイケルのクラスに女子生徒が新入し、席の隣りにゾフィーと名乗る女の子が座りました。
夏になると、マイケルはクラスメイトたちと海で遊泳する時間を過ごすようになりました。ハンナのところに行くのも遅くなりましたが、本を読んで、愛し合う儀式は変わらずに続けていました。チェーホフの『犬を連れた奥さん』など新しい本を朗読します。
そんな時ハンナは列車の所長から仕事ぶりを評価され、事務への昇進を伝えられます。
マイケルはゾフィーと仲が良くなり、桟橋で一緒の時間を過ごすようになります。また友だちがマイケルの誕生日パーティーも企画してくれましたが、ハンナとの約束を優先し彼女のところに向かいます。
そんなマイケルの気持ちを知らずに、不機嫌な様子のハンナに訳を聞こうとしますが、ほっといてほしいと突き放されます。
マイケルの誕生日だったことを知ったハンナは、マイケルの体を隅々まで入念に洗い、溺れるようなセックスの後、友だちのところに行きなさいと言います。
友だちがいる桟橋へマイケルがもどった間に、ハンナは荷物をまとめて家を出ていきました。マイケルは胸騒ぎがしてアパートへ行きますが、すでにハンナの姿はありませんでした。
思いつめたマイケルは時季外れの海に服を脱ぎ入ります。
そんな過去の記憶を回想するマイケル。パリから戻ってきた娘ジュリアンと久しぶりに再会したマイケルは、自分が誰に対しても打ち解けることがないと伝えます。
それを聞いたジュリアンは、いつも距離があって、自分のせいだと思っていたと言いました。
1966年、ハイデルベルグ大学法学部。同学部に入学したマイケルの所属するゼミでは、強制収容所をめぐる事件が取り上げられ、彼が少人数のゼミ仲間と教授とともに法廷を傍聴しに行くと、何人かいる被告人の中にハンナがいました。
ハンナ・シュミッツと名前を名乗り、続けて生年月日は1922年10月21日、出身はハーマンシュタット現在の年齢は43歳と読み上げられます。
ハンナは1943年にナチ親衛隊(SS)に入隊し、はじめはアウシュビッツ、その後はクラクフの収容所に移り、1944年まで看守として勤務。1944年の“死の行進”にも関与したというものでした。
愕然とするマイケルは、なんとか平静を装います。
教授は、「人は言う、社会を動かすものは“道徳”だと」「それは違う。社会を動かしているのは“法”だ」「アウシュビッツで働いていただけでは、罪にはならない。8千人が働いていたが有罪判決を受けた者は19人でそのうち殺人罪は6人、殺人罪は意図を立証せねばならない、それが法だ」「問題は“悪いことか?”ではなく、“合法だったか?”ということだ。それも現行の法ではなく、その時代の法が基準となる」と言います。
一人のゼミ生がそれが“法”なら狭いと反論すると、教授は「人を殺す時、人間は自分で“悪いこと”だと認識しているはずだ」と返しました。
法廷では、イラーナ・マーサーという生き残った元囚人は自身の著書内で囚人の“選別プロセス”に言及し、それは毎月労働期間が終わると60人の囚人が選別されて、周辺各地の収容所からアウシュビッツへと送り返されたというものだったと触れていました。
裁判長はハンナに、他の被告たちはその選別に無関係だったと証言したが、あなたは関与したのかと問います。ハンナは、その選別の基準は看守6人が担っていたため、毎月1人が10人選んだと関与を認めました。
裁判長は「言い換えれば収容場所をつくるために、あなたとあなたは死ねと選別したのか」と皮肉な言い方をします。ハンナは困惑顔で「あなたならどうされます?」と投げかけましたが、裁判長からの返答は得られませんでした。
マーサー本人も、本に書いた選別プロセスについて証言します。看守は人数を選ぶだけだったが、ハンナにはお気に入りとされる若い女性たちがいて、彼女たちに食べ物とベッドを与え、夜には自分の部屋に呼んで本を読ませていたと言います。
続けて、当初はハンナが知的で人間味があり、親切で病人や弱った囚人を選んで、彼らを守っているように思えていたが、むしろそうした人々を優先してアウシュビッツ行きの囚人として選んでいたと証言。その間ハンナは、悲痛な表情で真直に聞いていました。
そしてマーサーの母からも、“死の行進”で起こったある事件の話を聞くことになります。
当時、ある村の教会で囚人たちは寝るようにとハンナを含む看守たちに言われましたが、夜中に空襲が起こって教会が爆撃を受けました。しかし外から鍵がかけられ、誰も助けに来なかったことでマーサー母子以外の囚人300人は全員焼け死んでしまったのです。
大学のゼミでは、今回の裁判のことを議論します。ゼミ生の一人からハンナのことを見続けていたことを気になったと言われますが、マイケルは取り合おうとしません。
それからマイケルは一人で収容所の跡地を訪れます。法廷では、裁判長が当時のSSの報告書を読み上げてから、ハンナになぜ教会の鍵を開けなかったのかと聞きます。
裁判長から煽られたハンナは、看守である責任があり、囚人を外に放つことなどできなかったと感情的に言い放ちます。そこにつけ込むかのように裁判長は、状況を理解した上で、囚人を逃がすより死なせる方がよいと判断したのですねと言いくるめます。
さらに、他の被告たちもハンナが責任者だと言いだし、報告書を書いたのもハンナだと言われます。ハンナは否定しますが受け入れてもらえず、裁判長は筆跡鑑定を求めました。
ハンナは、打ちひしがれるように目の前に置かれた紙とペンを見つめます。
傍聴席にいたマイケルはかつての記憶……彼女自身は朗読することを拒んだ理由、文章の読み書きが必要な事務職への昇進を拒んだ理由を改めて考えた中で、ハンナは文字を読むことも書くこともできない非識字者であること、それを隠していることに気づきました。
ハンナは、報告書を書いたことを認めてしまいました。
マイケルは教授に被告の一人と関係のある重要な事実を知っているが、被告はその事実を羞恥心から明かされたくないろ思っていると相談します。教授は「感情に左右されずどういう行動に出るかだ」と答えました。
映画『愛を読むひと』の感想と評価
「ハンナとはどんな女性か?」を観客に問う理由
映画の序盤、『オデュッセイア』の講義中に「西欧文学の核となるのは、“秘密性”だ」「登場人物がどういう人間か、作者はある時意地悪く、ある時は深い目的のために情報を明かさない」「読者は行間を読み取って登場人物をイメージせねばならない」と語っています。
この語りは観客にも投げかけられ、ハンナという人物を解き明かしてごらんというスティーブン・ダルドリー監督からの問いかけにも感じられます。
マイケルの朗読を聞いている時のハンナは、本の登場人物に自分を重ねるかのように、時に涙し、訝しげ、驚き、笑い転げととても豊かな表情を見せます。またサイクリング旅行で立ち寄った教会では、聖歌隊の歌声を聞いて感涙します。そんな感受性豊かな一面が垣間見れます。
また、マイケルがハンナの働く列車に乗っているのを見ただけで、動揺し怒りをあらわにしたり、事務の昇進を伝えられた後はマイケルへ苛立った態度をとります。突っぱねたところがあるけれど、それは秘密を隠していることへの不安の表れなのでしょう。
『チャタレイ夫人の恋人』を聞いた時のハンナは、わいせつだわ、恥を知らないと非難します。これは、ハンナのモラルに対しての表れとも見て取れます。当の本人は、バスタブでマイケルと一緒に入浴しているという場面なのですが、それは彼女なりのモラルというものがあると示してるのではないでしょうか。
それは、裁判の場面でも表れてきます。ハンナは、正しく振舞おうとします。裁判長の問いに実直に答えようとし、生き残った囚人の母と娘の証言を真摯に聞いています。ハンナにはハンナの考えるモラルと秩序があったのではないかと。
読み書きができないことで社会から弾き出される(非難)されることを心底恐れ、非識字者であることをひた隠しに生きてきたハンナにとって、品行方正さを保つことが彼女の決めた生きていくための術だったのかもしれません。
そして、刑務所で読み書きを覚え、罪の意識とはじめて対峙していくのです。今まで保っていた彼女なりのモラルもまた変化していきます。
釈放前にマイケルと会った時に感じたマイケルとの距離が、もう何に変えても埋まることがないことを悟ったハンナは、自分なりの責任の取り方を選びます。遺言にハンナがマイケルへ「I set hello」と残したメッセージ。さようならではく、挨拶だけを残したハンナの想いは、ふたりが出会ったころのことを物語っているようでした。
ハンナという女性の多面性を描くことは、観る側の捉え方次第でハンナという女性の印象が違うかもしれません。
それこそが、スティーブン・ダルドリー監督が観客へ投げかけた、人間の奥深さやモラルを問うメッセージではないでしょうか。
マイケルも抱えていた「秘密」性
非識字者であること、収容所の看守をしていたことを隠していたハンナに対して、マイケルは彼女と激しい恋に落ちながら、家族や友人など誰にもハンナとの関係を話さず隠し続けていました。
21歳も年上の女性との逢引きは、15歳という年齢が受容するにはあまりにも早すぎて、恋の中には羞恥心も潜んでいたのかもしれません。
そして、ハンナを失ってから、どれだけ彼女の存在が体と心に棲みついていたのかを知ります。突然の失踪は、深い喪失感によりマイケルのすべてを変えてしまうものだったのでしょう。
ひと夏の恋は、ただの肉体関係の甘美な記憶だけでなく、本という物語がふたりの世界を豊かに広げ、その世界を共に共有した濃密な時間であり、何にも代えがたいものになっていたのです。
自殺をも考えて海に入った時、その心をかきむしるほどの痛手を海の底に沈ませたのかもしれません。そして、大学に進んだ頃のマイケルは、何にも揺るがない傲慢さを身に着けて、ハンナとの記憶そのものを封印していたように見て取れます。
そして、かつて自分が愛したハンナが戦犯であることを知ります。彼女と面会するべく留置場のゲートをくぐりますが、そこには始めて出会った時を思い起こさせる白い雪が舞い、ハンナに会うことをやめてしまいました。マイケルは、愛の記憶の中で動けずにいたのかもしれません。
しかし、その時に彼女に会っていれば、刑を軽くしてあげることができたかもしれないとのちに後悔と罪の意識に蝕まれます。
時が経ち、再びふたりの思い出の物語(本)が、マイケルに親しみと癒しを与えることになります。その行為は、一方的なものでハンナからの返答を期待してはいませんでした。
客観的に自分の心や過去を捉えられる人などそういないように、マイケルは長い年月をかけ、ためらいながらも、自分と交わったハンナという女性の数奇な人生が及ぼしたことと向き合っていったのではないでしょうか。
そして、そのためらいが丹念に描かれることで、観る者の中にあるヒューマニズムが触発され心を揺さぶられるのでしょう。
まとめ
映画の中でマイケルが恋に浮かれる心模様が初々しく映し出されます。特にサイクリング旅行に出かける時のマイケルを、フリードリヒ・シラーの戯曲『たくらみと恋』の朗読と共に映されるのが印象的です。
何も怖くない 何も
苦しみが増せば 愛も増す
危険は愛を一層強め
感覚を磨ぎ 人を寛容にする
私はあなたの天使
生の時より美しく
この世を去り
天国は あなたを見て言うだろう
人間を完全にするもの
それこそが愛だと
ハンナとマイケルのふたりの悲劇を暗示しながらも、恋の輝きは色褪せることがないと思わせる美しい場面です。
こういった物語の中で過去の出来事が鮮明に映し出されたりと、時間が行ったり来たりする構成は、スティーブン・ダルドリー監督の『めぐりあう時間たち』同様に、人生の中で交わる他者がどのような影響を及ぼしているのかという人生観を浮き彫りにさせます。
そして、深く交わったハンナとの記憶を娘に告白するという原作にはない展開もまた、人生が他者と多大なる影響のもとに生かされていることを感じるラストとして描かれています。
本作は、スティーブン・ダルドリー監督と脚本デヴィッド・ヘアーの巧みな世界観に引き込まれることはさることながら、ハンナという多面性を見事に体現したケイト・ウィンスレットにも魅了されることでしょう。