石井裕也監督と尾野真千子がタッグを組み、コロナ禍の社会でもがく母と息子を描いた魂の物語!
尾野真千子の4年ぶりとなる主演映画『茜色に焼かれる』は、『舟を編む』、『映画 夜空はいつでも最高密度の青色だ』の石井裕也が監督、脚本を務め、尾野にとっても石井監督にとっても渾身の一作となりました。
コロナウイルスの感染拡大の中、感染予防対策に務めながら製作された本作は、まさに日本社会の今を捉え、尊厳を踏みにじられながら生きる社会的弱者の姿を一組の親子を通じて描いています。
映画『茜色に焼かれる』の作品情報
【公開】
2021年公開(日本映画)
【監督・脚本・編集】
石井裕也
【キャスト】
尾野真千子、和田庵、片山友希、オダギリジョー、永瀬正敏、大塚ヒロタ、芹澤興人、前田亜季、笠原秀幸、鶴見辰吾、嶋田久作、泉澤祐希
【作品概要】
『舟を編む』(2013)『映画 夜空はいつでも最高密度の青色だ』(2017)の石井裕也が監督、脚本を務めた尾野真千子4年ぶりの主演作品。
コロナ禍で撮影を敢行し、リアルタイムのコロナ禍映画を作り上げました。
尾野真千子の息子役をドラマ『隣の家族は青く見える』などの新鋭・和田庵が演じるほか、片山友希、オダギリジョー、永瀬正敏等が共演しています。
映画『茜色に焼かれる』あらすじとネタバレ
7年前、元政府高官の高齢者が車のブレーキとアクセルを踏み間違えたことにより、自転車に乗って横断歩道を渡っていた一人の男性が犠牲になりました。
男性の名前は田中陽一。車にはねられふっとばされた彼の身体は別の車のフロントガラスに激突。即死でした。
しかし、高齢者は当時、アルツハイマーを患っていたことを理由に、罪に問われることはありませんでした。
事故で夫を喪って以来、女手一つで息子の純平を育ててきた田中良子は、老人が長寿を全うして亡くなったと聞き、葬式に出席しようとしましたが、老人の息子や弁護士にけんもほろろに追い出されます。
良子は彼らが提示した賠償金を受け取るのを拒否していました。謝罪の言葉が一言もなかったからです。
息子の純平からどうして葬式に行ったのかと問われた良子は自分でもわからないと首をかしげながら、「事故の意味をずっと考えているの」と応えるのでした。
陽一は、生前、ロックバンドを組んでいて、様々なものに反抗し続けている人でした。新興宗教にはまり、持ち金を全て寄付してしまったこともあります。そんな夫でしたが、良子は彼のことを深く愛していました。
良子は、小さなカフェを一人で切り盛りしていましたが、新型コロナ感染拡大による不況をもろに受け、店を閉めざるを得なくなり、今は花屋と風俗店のバイトを掛け持ちしています。
息子と2人の生活費以外にも、養父の施設入居費、夫が浮気して別の女性の間に生まれた子どもの養育費まで良子が負担しており、経済的に厳しい毎日を送っていました。
良子は問題が生じるたびに、「まぁ、がんばりましょ」と言うのが口癖になっていました。
純平の同級生は、父親の事故で賠償金をたくさんもらったんだろうと絡み、母親が売春していると言って、いやがらせを繰り返していました。
いじめの事実を知り、学校へ文句を言いに行く良子ですが、教師の対応はあまりにも杜撰で呆れるばかりです。
花屋の雇われ店主は、上司から、お得意先の大学生の娘がコロナでバイトが激減して働く場所がなく、うちで雇ってくれと言われたことを告げられます。
気の弱い店主は散々、良子に悪態をつき、彼女に自ら辞させようとしますが、それが無理だと悟ると規則を守れないからという理不尽な理由で、突然解雇を言い渡しました。
我慢に我慢を重ねてきた良子の心の防波堤が決壊し、風俗店の同僚・ケイに、思わず溜まりに溜まったものを吐き出します。
加害者の老人の葬式が夫のときとは比べ物にならないほど盛大だったこと、夫が亡くなったとき、現場を見たわけではないのに、その時の「グシャ」という音がイメージされて耳から離れず、簡単に夫の命が奪われてしまったことを未だに受け入れられずにいるという良子の言葉に、ケイは真剣に耳を傾けていました。
ケイは、父親に性的虐待を受けてきた過去がありました。今は父親とは離れて生活していますが、幼い頃から糖尿病を患っており、その薬代や生活費を稼ぐため、風俗店勤めをしていました。
ケイと良子の間には友情が芽生え、酔い潰れた母親を迎えに来た純平は、ケイから電話番号を教えてもらい、ほのかな恋心を芽生えさせます。
ある日、担任から呼び出された良子は意外な言葉を聞きます。塾にも行かず、家でもたいして勉強していないと思っていた純平の成績がとても優秀だというのです。
「トップのトップを目指す」と純平が言っていたことを担任から告げられた良子は思わず頬を緩めます。それはロックバンドをやっていた陽一の口癖だったからです。
生きていく上でルールを守ることの必要性を説いてきた良子は、純平に「もう一つルールを作ろう」と切り出し、「お金のことは心配しないこと。行けるところまで行きなさい。その代わり体だけは大切にして。危ないこともしないように」と約束させました。
そんな中、良子は偶然、昔の同級生・熊木と再会し、度々会うようになりました。熊木は妻と離婚したのは、年をとって、互いに恋愛感情が失くなってしまったからだと語りました。
高級レストランに入ろうとする彼に「そんなお金はない」と言うと、彼は「馬鹿だな。僕が君たちを支えるよ」と応え、良子を驚かせます。
熊木を真剣に愛するようになった良子は風俗店を辞めることにしました。風俗店の店長は「風俗店に勤めていたことを言えないような男なんだろう? 大丈夫か?」と心配したように尋ねました。
良子は熊木に、風俗に勤めていたことを告白し、正直に打ち明けたのは、自分のことで、熊木が悩んだりしてほしくないからだと語りました。
そして、本当に彼のことが好きだと告げますが、熊木は「もっと気楽な関係でいようよ。風俗に勤めていたのならうまいんでしょ」と言い、挙げ句に妻も子もいると口走ります。離婚したというのは嘘だったのです。
良子はケイと会い、話しを聞いてもらっていましたが、ケイの告白に驚くこととなります。
ヒモのような乱暴な男と同居しており、妊娠したが堕ろさせられたこと、その際、子宮頸がんを患っていることがわかり、それも初期段階ではないことを彼女は淡々と語りました。
「そんなことある?ということがいつもわたしの人生には起こる」とケイはつぶやきました。
良子は昔、カフェを営業していたことを語り、「また開くよ。そのときはケイちゃんにも手伝ってもらう」と言いました。ケイは「嬉しい」と微笑みました。
良子が家に戻ると、自宅のベランダが燃え、救急車が来ていました。純平の同級生の仕業によるものでした。
幸い、純平の命に別状はありませんでしたが、親子は周りの住民に迷惑をかける可能性があるということで、公営団地を出ていかなければならなくなりました。
映画『茜色に焼かれる』感想と評価
尾野真千子演じる良子の夫を死に至らしめた自動車事故は、2019年4月に起こった「東池袋自動車暴走死傷事故」を想起させます。元官僚であった高齢者の運転する乗用車が暴走し、母子2人が死亡、9人が重軽傷を負った事件です。
本作に登場する加害者、その息子、その弁護士は、事故の謝罪すらしようとせず、そのことに納得いかない良子は賠償金を受け取るのを拒否し、事故から7年が過ぎ去っていました。
提示された賠償金の金額は機械的に計算されたもので、そのプロセスに、人間らしい感情は何一つとして流れていません。受け取りを拒否する書類にサインをしたあとも、その冷たい仕打ちが良子の心をざわつかせ続けていました。
コロナ禍で誰もが苦しい中でも、最も割のあわない苦しみを受けるのは、特別な地位にあるわけでもなく、大きな後ろ盾もない人々です。
とりわけ、シングルマザーでパートタイマーという社会的弱者である良子のような人々は「ただのバカな主婦」と値踏みされ、人間の尊厳すら踏みにじられることもしばしばです。
映画の後半、良子が「私たちはなめられたのよ」と叫ぶシーンがありますが、まっとうに真面目に生きてきた人間が、見下され、搾取され、欲望の餌食にされる様子が赤裸々に描かれています。今の日本社会への痛烈な怒りが全編を貫いています。
良子は常に怒りをほとばしらせているわけではなく、むしろ、ひょうひょうとしていて、なにかあるたびに「まぁ、がんばりましょ」という言葉を吐くのが癖になっているような人物として描かれますが、時折、見せる貧乏ゆすりといった仕草や、息子が無言で肩を震わせる姿が、確実に彼らの内面を伝える振動となって、観る者にせまってきます。
ぶんぶんとスピードを出して車が通り過ぎる横手を歩いてくる良子とカメラがすれ違ったり、鉄塔のてっぺんからカメラがふいっと降りてきて、良子を捉えたり、目の悪い純平がメガネを取った途端、周りの景色も彼の裸眼が捉えたぼやけた光景へと変わったり、また、ぴたりと良子や純平に寄り添うように接近したり、様々な動きを見せるカメラワークが、彼らの内面の混乱と不安を映しとっています。
一つ、また一つとエピソードが積み重ねられるごとに、観る者の心に沸々と怒りの気持ちを湧き上がらせます。
出てくる人物の多くが胸糞悪い人物で、まさに不幸のオンパレードのような趣も見られますが、しかし、映画はただの不幸な羅列には終わりません。どんなに辛くても、たくましく生き抜こうとする人間の姿が描かれているからです。
人間を力づけるのは、例えば、良子にとっては、芝居。失くなった夫にとっては音楽。老いた義父にとっては息子の嫁や孫の姿や声、息子の純平には父が残した本の数々といったように、それぞれにとって、その力はバカにできない甚大なものを持っているように感じられます。
ラスト、どのような芝居を良子が行うのだろうと思いきや、純平は、混乱して呆れるばかり。
さすがかつてアングラの女王と呼ばれていただけはあるということでしょうか。わかりやすいメッセージできれいに終わるのではなく、カオスな展開へとたたみかける様はユーモラスで、そこから母と息子の大きな愛の形が浮かび上がってきます。
また、良子の芝居を懸命にカメラで撮影している永瀬正敏演じる風俗店の店長が、実にいい味を出しています。
この店長のピカレスクな活躍も胸がすく思いがして、無頼派を主人公にしたジャンル映画の良さをふと思い出させます。
それらに描かれたのは「任侠の世界」でした。この男の存在は、冷たく弱者を見下し、蹴落とすばかりの思い上がった現代の「持てる者」に対するアンチテーゼでもあるのでしょう。
まとめ
『映画 夜空はいつでも最高密度の青色だ』で、石井裕也監督は東京で一人暮らしをしている男性(池松壮亮)が、家賃や電気代やガス代の請求書を手にして困惑している姿を描いていました。
成瀬巳喜男作品は、登場人物がしばしば細かいお金の話しをしていますが、誰もが、日々のやりくりに頭を悩ませているにもかかわらず、現代の作家で、こうした姿を描く例をあまり観ることはありません。
本作でも石井監督は、ヒロインが支払った諸経費を字幕にして表しています。『映画 夜空はいつでも最高密度の青色だ』でガールズバーでの料金が18,000円したように、本作でも飲み代が他の支出と比べて、極めて高いのが哀切を感じさせます。
尾野真千子はある意味、掴みどころのないキャラクターにも見える主人公を切々と、しかし堂々と演じ、観る者は次第に彼女と感情を共にしていくこととなります。
純平を演じた和田庵の、純粋で懸命な演技も見逃せません。そして、ケイを演じた片山友希には今回も圧倒されました。
彼女が演じたケイは、不幸という不幸を背負ったキャラクターで、見ようによっては、映画の趣旨を際立たせるための犠牲的キャラクターにも見えます。
いくら映画が創作だといっても、ここまで人を不幸にしてもいいのかという倫理的な問題と直面するぎりぎりの人物とも言えます。
しかし、片山友希は、ケイという人物をただ物語のために不幸を背負わせられている人物ではなく、血の通った愛すべき人物像へと導いています。
『君が世界の始まり』(2020)で、息が詰まりそうなほどの焦燥感に囚われる高校生を演じ、強い印象を残しましたが、本作でも忘れがたい魅力を輝かせています。