連載コラム『鬼滅の刃全集中の考察』第16回
大人気コミック『鬼滅の刃』の今後のアニメ化/映像化について様々な視点から考察・解説していく連載コラム「鬼滅の刃全集中の考察」。
今回は「兄妹の絆編」の名言/名シーンを紹介・解説していきます。
2019年のテレビアニメ1期の放送開始によって一気に人気が高まり、2020年公開の映画『鬼滅の刃 無限列車編』はメガヒットを記録・社会現象を巻き起こした『鬼滅の刃』。
そのすべての“はじまり”を描いた物語「兄妹の絆編」は、意外性のある斬新な展開はもちろん、人々の心に深く刺さる名言/名シーンの数々は多くのファンを魅了しています。
CONTENTS
「生殺与奪の権を他人に握らせるな!!」
禰豆子の助命を請い、跪く炭治郎を冨岡義勇が一喝した際に放った言葉です。
このセリフをきっかけに、本来“戦い”とは無関係であった心優しい少年・炭治郎は“戦い”に身を投じる事を決意し、彼の運命が動き始めた場面といっても過言ではありません。
本来、冨岡は感情の起伏が少なく口数が少ない青年である事から、この場面での彼は珍しく感情を高ぶらせていたことが分かります。その理由は、のちに描かれる彼自身の過去の出来事に関する回想にて明かされますが、少なくとも冨岡は炭治郎の“弱さ”にかつての自身、そして現在も過去を引きずる自身を重ねていたのでしょう。
またアニメ版での櫻井孝宏による無感情から突如激高する演技は、静かな水面が突如激しく波立つ様子を連想させる見事な表現といえます。
「禰豆子は違うんだ 人を喰ったりしない」
意識を失った炭治郎を守ろうとする禰豆子を見た冨岡の心中で反芻される、炭治郎の言葉です。
「鬼になってしまった者は自我を失い、肉親であっても喰い殺してしまう」……そんな現実を何度も見てきた冨岡にとって、“人間”の炭治郎を庇おうとする“鬼”の禰豆子の行動は衝撃的でした。
シリーズを通して「兄妹の絆」を描いている『鬼滅の刃』ですが、このセリフはこのテーマを最も象徴する言葉なのではないでしょうか。
「人に聞くな 自分の頭で考えられないのか」
お堂の鬼にとどめを刺そうとする炭治郎は、どこからともなく現れた鱗滝左近次に「持っている脇差では鬼を倒せない」と指摘されます。どうすればいいかと問う炭治郎に、鱗滝はこの言葉を返します。
炭治郎にとって師となる鱗滝との出会いの場面ですが、すでに鱗滝の教えは始まっているかのように感じられるセリフです。
この言葉には、戦いの中では誰も頼ることができない事を暗示させ、炭治郎の誰かに頼る“甘え”を断ち切ろうとしていたともいえます。以降の物語で数々の強敵と対峙する炭治郎は、窮地の中で光明を見出そうと何度も思案を巡らせる訳ですが、脳裏にはこの鱗滝の言葉があったのかもしれません。
「判断が遅い!」
こちらも鱗滝のセリフです。
「妹(禰豆子)が人を喰った時、お前はどうする」という問いに対し、咄嗟に答えられない炭治郎の頬を叩いた鱗滝は、この言葉で一喝します。
炭治郎にとって、「禰豆子は決して人を襲わない」と思っていたため、この問いかけは予想外だったのかもしれません。しかし、その想定と覚悟の甘さを正面から打ち砕くように間髪入れず叩かれる頬と、「妹を殺す」「お前は腹を切って死ぬ」という鱗滝の厳しい答えに驚いたファンも多かったのではないでしょうか。
後に大きな優しさを感じさせる鱗滝ですが、半面強い厳しさを持ち合わせており、その厳しさを象徴するセリフとして知られる名言となっています。
アニメ版にて鱗滝を演じた大塚芳忠の、決して声を荒げているわけではないにもかかわらず、胸中に響き、思わず背を正して聞き入ってしまう演技にも注目です。
「男が喚くな 見苦しい」/「どんな苦しみにも黙って耐えろ」/「進む以外の道などない!!」
炭治郎の前に現れた謎の少年・錆兎が言い放った言葉です。
鱗滝から与えられた巨大な岩を切る試練に日々挑む炭治郎ですが、来る日も来る日も進歩が見えず挫けそうなとき、自らを奮い立たせるため「頑張れ!」と叫びます。そこにどこからともなく現れた錆兎がこのセリフを投げかけ、手にした木刀で炭治郎に斬りかかります。
錆兎の容赦ない言葉と斬撃に炭治郎は完膚なきまでに叩きのめされますが、この事をきっかけに気持ちを新たに修練に励む事となり、錆兎との出会いは炭治郎にとって試練を突破する光明となりました。
時に人を励ますのは優しい言葉だけでなく、突き放つような厳しい言葉である事もあるというメッセージが込められているように感じられます。とりわけ以降の物語での炭治郎は、何度も厳しい局面に立たされ、時には挫折を味わいながらも何度も奮い立とうとしますが、鱗滝同様に錆兎のこれらの言葉も胸中にあったのかもしれません。
「炭治郎 お前は凄い子だ」
自らが与えた試練を突破した炭治郎に対し、鱗滝が語りかける言葉です。
岩を斬ることを条件に、鬼殺隊入隊に向けての最終選別への参加を約束していた鱗滝ですが、実は炭治郎が斬ることができないであろう岩を指定していました。
鱗滝は育手として多くの若者を指導し最終選別へ送り出してきましたが、その多くが命を落としてしまった事に心を痛めており、これまで送ってきた若者のように炭治郎を死なせたくなかったため、敢えて不可能な試練を与えていたのです。
しかしその予想を超え試練を見事突破した炭治郎に感嘆し、鱗滝はその実力を認め、最終選別へ送り出すことを決意します。
この言葉をかけられた炭治郎が、約2年間の辛い修行の日々の末に試練を突破し、厳しかった鱗滝に認められた事で思わず涙を流してしまう姿には涙が誘われます。
またこの場面での鱗滝は、これまでの厳しい態度と打って変わって穏やかで優しい一面を垣間見せ、アニメ版では静かながらも力強さを持った大塚芳忠の演技も相まって、彼の“師”としての魅力をより高めています。
「努力はどれだけしても足りないんだよ」
最終選別の最中、炭治郎が異形の鬼・手鬼と遭遇した同じ頃、真菰は錆兎に対して「炭治郎が手鬼に勝てるか」と尋ねます。錆兎は「分からない」と答えながら、この言葉を続けます。
のちの場面にて、錆兎と真菰はかつて最終選別に挑むも、手鬼に殺されてしまった鱗滝の弟子たちであった事が明かされます。
その無念と鱗滝への想いから、魂は狭霧山に残って“弟弟子”の炭治郎を導いたわけですが、それだけにこのセリフは意味深く、物悲しく感じられます。また炭治郎の実力をよく知る錆兎のこの言葉は、まもなく火ぶたが切って落とされる炭治郎と手鬼の戦いが壮絶なものになる事も予感させます。
現実に生きる私たちも少なからず、努力は必ずしも報われるものではない事を痛感しているからこそ、才能を持ち努力を怠らなかったものの、残念ながら命を落とした錆兎の言葉は胸にしみます。そして、アニメ版にて彼を演じた梶裕貴の抑揚がなくどこか淡々と語る演技は、この名言の無常さと真実味をより一層搔き立てています。
「年号がァ 年号が変わってる!!」
炭治郎が最終選別にて対峙した異形の鬼・手鬼が驚愕のあまり叫ぶセリフです。
最終選別が行われる藤襲山に長らく幽閉されていた手鬼は、炭治郎に「今は明治何年だ」と尋ねます。「大正」と答える炭治郎ですが、未だ「明治」だと思っていた手鬼は知らぬ間に年号が変わっていたことに驚き、叫びます。
奇しくもアニメ放送当時、現実でも「平成」から「令和」に改元された時期と重なった事でタイムリーな話題として取りあげられ、忙しい日常の中で「いつの間にか年号が変わっていた!」と感じた人々の心情に共感を得られたのか、このセリフは多くの反響を呼びました。
元々は若き日の鱗滝に捕まり、幽閉された手鬼が元号が変わるほどの長き年月が過ぎたことに驚くと同時に、鱗滝への恨みを爆発させた事で叫んだセリフであり、アニメ版では常にどこか夢現のように喋る手鬼が一変、狂ったように怒り狂う様を演じ分けた子安武人の演技力にも驚かされます。
まとめ
「兄妹の絆編」名言/名シーン集、いかがだったでしょうか。
あまりに残酷で過酷な現実の中で、かすかに見出した一筋の希望を手繰り、汗と血と泥、涙と共に運命に抗う事を炭治郎が決意する「兄妹の絆編」では、彼のそうした覚悟を支える人々との出会いと言葉たちが描かれています。
鱗滝をはじめとする人々の厳しくも想いの溢れる言葉に何かを気付かされ、心を奮い立たせ、時に勇気づけられたのは炭治郎だけでなく、多くのファンもまた同様なのではないでしょうか。