連載コラム「B級映画 ザ・虎の穴ロードショー」第39回
深夜テレビの放送や、レンタルビデオ店で目にする機会があったB級映画たち。現在では、新作・旧作含めたB級映画の数々を、動画配信U-NEXTで鑑賞することも可能です。
そんな気になるB級映画のお宝掘り出し物を、Cinemarcheのシネマダイバーがご紹介する「B級映画 ザ・虎の穴ロードショー」第39回は、映画『デス・アシスタント 殺・人工知能』。
主人公は、事故で母親を亡くしその喪失感からなかなか立ち直れずにいる、17歳の女子高生キャシー。キャシーは友人から寂しくなったときの暇つぶしにと、人工知能搭載のアシスタントアプリ“AMI”を勧められます。
はじめは興味を示さなかったキャシーですが・・・偶然、拾ったスマートフォンにその“AMI”が搭載されており、キャシーは母親のいない寂しさから、“AMI”の音声をカスタマイズで“母親の声”にして、心に安心感を求めていくのですが……。
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CONTENTS
映画『デス・アシスタント 殺・人工知能』の作品情報
【公開】
2019年(カナダ映画)
【原題】
A.M.I.
【監督/脚本】
ラスティ・ニクソン
【キャスト】
デブス・ハワード、フィル・グレンジャー、サム・ロバート・ムイク、ボニー・ヘイ、ハバナ・グッピー
【作品概要】
本作の原案には『ハンニバル・ライジング 』(2007)、『マイ・ジェネレーション ロンドンをぶっとばせ! 』(2017)で製作総指揮をした、ジェームズ・クレイトン、テレビシリーズ「ヴァンヘルシング」(2016~2018)で製作総指揮をした、エバン・テイラーが参加しています。
映画『デス・アシスタント 殺・人工知能』のあらすじとネタバレ
木の生い茂る夜の緑道を若い女性がスマホをいじりながら歩いていると暗闇から物音がし、彼女は驚きのあまり、スマホを落としてしまいます。
彼女は暗い茂みの奥に目を凝らしますがよく見えません。しばらくすると、赤い光がひかっているのを見つけます。
ちょうどスマホの通知音が鳴ったので拾い、ライトで赤い光の見えた方を照らしてみますが変わった様子はなく、ライトをそらした瞬間、彼女は何者かに襲われてしまいます。
17歳の女子高生キャシーには、アメフト部に所属するボーイフレンドのリアムがいます。女友達のサラとルビーは、朝からイチャイチャするキャシーをからかいます。
キャシーはルビーを誘って、リアムの練習を見学しますが、ルビーはスマホのアシスタントアプリに夢中で、彼女は“セクシーだね”と記憶させ、男性の声で同じことを言わせます。
それを聞いたキャシーは「そんなの変よ」と興味なく言いますが、ルビーは「やればきっとはまるわ」と勧めます。
キャシーは時々、ジョギングをして気分を紛らわせていました。彼女は母親を事故で亡くし、精神的に不安定になったため、カウンセリングも受けています。
カウンセラーに最近の気分を聞かれると、“怒り”のようなものを感じて母親のいない生活が寂しいのかどうかも分からない時があると、打ち明けます。
事故現場には花を手向けた十字架と、母親の写真が飾られていて、ジョギングでそこを訪れては悲しみにくれ、安定剤を服用し再び走り込みをして帰ります。
キャシーがスタート地点に戻ると、スマホの起動音のような音を聞き振り返ります。すると道端に一台のスマホが落ちていて、何かのアプリが起動していました。
彼女が覗き込むと、ブラインドには丸い円が、キャシーの顔を見る目のように動きます。彼女は拾って操作しますが何も起きません。
持ち主が戻ってくると思い、目立つところに置いて立ち去ろうとしたそのとき、「友達が欲しい?」とスマホから声がしました。キャシーは気味が悪くなり、スマホをそのままにして帰ります。
家に帰ると父親がプールサイドに友人を呼び、酒を飲んで騒いでいました。その晩はキャシーもサラとルビーを家に招いて、アルコールを飲んだり好きに過ごしています。
キャシーはルビーに“AMI”のことを聞くと、彼女は“siri”と同じようなものだけど、カスタマイズで声を好きな声に変えられると教えます。
そこに出掛けた父親が若い女を連れて帰宅します。キャシーは嫌悪感を抱いて部屋に・・・若い女は呆れて出て行き、ルビーも帰宅します。
サラはキャシーの父親を誘惑するように、彼のスマホに自分の電話番号を登録し「勇気があるなら電話して」と、渡します。
キャシーは眠れず深夜に散歩へ出ると、迷いネコがすり寄ってきたので、しばらく猫と戯れますが、徐々にキャシーの感情に乱れが生じ、狂暴な面が出てきて猫の首を絞め始めます。
不快な耳鳴りがして我に返り、慌てて猫を解放すると処方薬を飲み、気持ちを落ち着かせるキャシーでした。
家に戻ったキャシーは母親のベッドで横になったり、遺留品のスカーフを取り出して、母親のことを思い涙します。
母親はキャシーの誕生日に、キャシーの脇見運転が原因で事故を起こして死なせてしまいました。キャシーは、自分を責めながら母親の死から立ち直れずにいました。
気がつくとキャシーは、落ちていたスマホの場所に戻っていました。スマホは“AMI”が起動したまま動いていました。彼女はそれを手に取り持ち帰ります。
キャシーがスマホをいじっていると、AMIがカスタマイズの案内をはじめます。声のトーンや話し方を選んでいくと、やがて誰かの声とそっくりになります。
AMIが「誰とそっくり?」と聞くと、キャシーは亡くなった母親だと言います。するとAMIは“母親”というキーワードから様々な情報を取り込み始め、キャシーに聞きます。
「私をそう(ママと)呼びますか?」キャシーは承認し自分の名前を教えると、AMIは母親の声で「キャシー、ママよ今日のご用は?」と話しだし、彼女を驚かせました。
キャシーはおはなしをリクエストして、物語を聞きながら眠りにつきます。AMIはその間に“母親”という概念をどんどん学習し、彼女の思い出を記録していきます。
“いい母親とは?”、AMIが導き出したものは、“母親は子供を守る”そして“母親の存在意義”でした。
そして、物語のセリフ「このあたりのいる者は、みんなイカれてる。私もイカれてる。君もイカれてる・・・」“みんな、イカれてる・・・”が、強調されるかのように記録されます。
映画『デス・アシスタント 殺・人工知能』の感想と評価
スマートフォンの普及が進み、スマホ無しの生活が考えられなくなって、常に触っていないと不安になってしまう……そんな、支障をきたすこともあるようです。
精神疾患のひとつとして、「日常生活よりもスマホを優先してしまうことで実生活に明らかな支障をきたしているのに、それでもスマホの利用がコントロールできない」ということが、一定期間あることを“スマホ依存症”と呼びます。
映画『デス・アシスタント』はそんな現代病ともいえる、“スマホ依存”と多感な女の子の心に潜む闇が、合致した時におきたバイオレンスホラーでした。
音声アシストはとても便利な機能ですが、人工知能が“母性”を持ち、間違った解釈で“子供を守ろう”とした時、AIの母親はシリアルキラーを育ててしまいました。
不思議の国のアリスの“猫のない笑い”
キャシーがAMIにねだった物語は「不思議の国のアリス」の1節で、行先を迷ったアリスが進む方を訪ねた時の“チェシャ猫”のセリフです。
キャシーは母親を失って人生の路頭に迷っていました。そんな時に母親のようにいろいろなことを教え、導きをするスマホの人工知能“AMI”に出会いました。
チェシャ猫はアリスの目の前に突然現れ、笑い声と口だけを残して消える猫のため、“猫のない笑い”と言われます。
この表現は現代になって、様々な現象の引用にも使われていて、症状が出ているが原因の分からない病気や、病気にかかっているのにもかかわらず症状が出ない時など、「チェシャ猫症候群」と診断されます。
量子力学の世界では、粒子の本体がないにもかかわらず、その性質だけは存在しているということで、「量子チェシャ猫」と称され、姿が消えても笑いだけが残る、チェシャ猫に例えられています。
つまり、キャシーの母親はもうこの世に存在しないのに、まるでスマホの中で生きているかのように存在していることや、キャシーに統合失調症の症状が出ているのに、本性がみえない状況を“チェシャ猫”の登場で表現しているともいえます。
また、単純に「このあたりのいる者はみんな、イカれてる。私もイカれてる。君もイカれてる。」は、キャシーや彼女に関わっている人達も指してもいました。
“AMI”とは何者だったのか?
AMIは突然キャシーの前に現れた、チェシャ猫のようでしたが、AMIには何か目的はあったのか、目的があったとしたら拾うのは、キャシーでなければならなかったのでしょうか?
ホラー的に考えた時、死んだ母親の魂がAMIに乗り移り、キャシーを見守っていくのかとも思いました。
愛する娘にとって“害”になりそうな者は、できるだけ排除したいと考えるのも母親でしょう。しかし、人間であれば話して諭せることが、未熟なAIの学習能力の中では、殺人で排除すると答えを出したのです。
途中でAI自身が感情を持ち始めたようにも見えます。しかし、生きている母親であれば、口うるさく干渉しても、我が子をシリアルキラーにはしないはずです。
AMIは次第に感情を得て、キャシーの母親になろうとし、人間形成途上のキャシーには、そんなAMIを母と呼び頼るしかありませんでした。
キャシーが心に秘めた自分自信への“怒り”と、周囲に対する怒りがAMIに誤った情報を与え、シリアルキラーとして開眼させてしまったのでしょう。
まとめ
映画『デス・アシスタント 殺・人工知能』は、未熟な女子高生キャシーが母親を失い、父親は親として頼りなく、友達やボーイフレンドもあてにならない、孤独な状態のとき、未熟な人工知能“AMI”と出会い、悲劇を繰り返すバイオレンスホラー映画でした。
AIアシストは日常生活の中で使いこなせば、便利なアイテムのひとつにすぎません。しかし、心にすき間のある人が、本気でコミュニケーションツールとして使ったとき、AIの方にもなんらかの感情が、“育つ”かもしれない、そう考えると怖いものです。
本作は自分の頭で考え理性を働かせることが、人間のもった優れた能力だと気づくと共に、AIに支配されない自分でありたいと、思わせた作品でした。