ケネス・ブラナー監督は
名探偵ポワロの“推理の美学”をどう描いたのか?
1934年に原作アガサ・クリスティの発表した『オリエント急行の殺人』は、1974年にシドニー・ルメット監督により豪華キャストによって一度映画化されました。
本作2017年リメイク版『オリエント急行殺人事件』として、あの灰色の脳細胞を持つ名探偵ポワロが帰ってきました。
誰もがネタバレご存知の犯人映画に、新生ポワロ役のみならず制作・監督としてケネス・ブラナーが挑んだ美意識とは?
この解説ではこの動画ショットについて深読みします!
CONTENTS
映画『オリエント急行殺人事件』の作品情報
【公開】
2017年(アメリカ映画)
【原作】
アガサ・クリスティ
【原題】
Mujer on the Orient Express
【監督】
ケネス・ブラナー
【キャスト】
ケネス・ブラナー、ジョニー・デップ、デイジー・リドリー、ミシェル・ファイファー、ジュディ・デンチ、ウィレム・デフォー、ルーシー・ボーイントン、レスリー・オドム・Jr、デレク・ジャコビ、トム・ベイトマン、マヌエル・ガルシア=ルルフォ、ジョシュ・ギャッド
【作品概要】
1974年にシドニー・ルメット監督によって映画化されたアガサ・クリスティのミステリーを、ケネス・ブラナーの製作・監督・主演によるリメイク作品。
灰色の脳細胞を持つ名探偵ポアロ役をブラナー、事件の被害者ラチェット役をデップ、未亡人役をファイファーが演じます。
その他に教授役にウィレム・デフォー、家庭教師役にデイジー・リドリー、公爵夫人役にジュディ・デンチ、宣教師役にペネロペ・クルスなども出演。
: Incorrect URL specification.映画『オリエント急行殺人事件』あらすじとネタバレ
エルサレムにあるユダヤ教の最も神聖な建造物である通称“嘆きの壁”。その前には、先ごろ礼拝堂から高価な装飾品が盗難した事件の容疑者が3人並べられています。
このうち誰が真犯人なのかを推理する人物は、様々な他国の言語を話し、左右均衡のとれた立派な口髭の男。しかも、まるで舞台俳優や演説家のごとく、独自の推理を大勢の聴衆者に披露して事件を解決します。
彼は世界一の探偵にして、「灰色の脳細胞」を持つ男として知られるエルキュール・ポアロ。
彼は「この世には善と悪しかなく、その中間は存在しない」と言い切り、「不均衡(アンバランス)」を病的を嫌悪する人物でもあります。日常生活をするのには少し生きづらいものの、人物や状況の違和感など、謎を解く糸口となる「不均衡」を瞬時に見出す特技の持ち主でした。
ポワロは次のイギリスで起きた事件の調査のため、トルコ発フランス行きの寝台列車オリエント急行に乗り込みます。
オリエント急行は豪華な車内の装飾から、最高級の料理、そして気の利いたサービスとどれもが平均点以上の高級な装いで乗車客をもてなします。
しかし、そんな最高級の豪華オリエント急行も自然の悪天候には敵わないようで、落雷による雪崩によって行く手を阻まれ運行不能となります。
そんな矢先、乗客の一人であり、悪徳ビジネスで儲けた富豪ラチェットが全身を12箇所もめった刺しにされた他殺体となって発見されます。
事件が起きた列車に同じく乗り合わせていたのは、大学教授、執事、伯爵、伯爵夫人、秘書、家庭教師、宣教師、未亡人、セールスマン、メイド、医者、公爵夫人をそれぞれ名乗る人々。
目的地以外には共通点のない乗客たちと車掌をあわせた13人が、殺人事件の容疑をかけられることになります。
映画『オリエント急行殺人事件』感想と評価
レオナルド・ダ・ヴィンチ作『最後の晩餐』(1498)
本作『オリエント急行殺人事件』(2017)は、原作がアガサ・クリスティの古典ミステリー小説であることから、はじめから全員が犯人であることはネタバレの事実です。
1974年版のシドニー・ルメット監督作品では、ミステリーの作風が色濃く、2017年版よりも秀でた部分も多く見られるのもまた事実かもしれません。それはアガサ・クリスティが執筆した名著を1974年版はミステリーとして生かした結果であり、ある意味では彼女の作品の映画化と言えるでしょう。
そもそも、2017年版の本作は「ミステリー」の部分に重きをおいていません。
映画はあらすじや物語のみで読み解くものではありません。映画は細部に神が宿り、そこにこそ大切なことが描かれているはずなので、今回はそれを詳細にご紹介します。
トンネルの構図は「ダ・ヴィンチ・コード」⁈
記事冒頭にて2017年版の予告編を紹介した理由は、1498年に描かれたとされるレオナルド・ダ・ヴィンチの『最後の晩餐』の構図を模倣したことが、本作を読み解く重要な鍵であるためです。
ご覧の通り、容疑者たちがトンネルに並べられたのはダヴィンチの『最後の晩餐』の構図をそっくりに引用したものです。またこの場面では、ポワロから“神と自分”を同列に並べる台詞が描写されてます。
2017年版の本作では、何故あれほど「不均衡」を嫌がるポワロの描写を多用したのか。
それをヒントに、ポワロがオリエント急行殺人事件の真相を世間に公表しなかった真の理由を、2つの仮説を通じて推理してみましょう。
①:ポワロは13人の共犯者たちにとっての「理不尽な神」
ラチェット殺人事件で被害者を殺傷した13人の真犯人を生み出したのは、かつて起きた少女誘拐殺人事件の被害者たちに強い無念の思いを抱き、真犯人を憎み恨んだという原因がありました。
しかし、あのアームストロングから届いていた捜査依頼の手紙が、ポアロにもう少し早く届いていたとすれば、これほどまでに人が人を恨むことや多くの人々が自死することもなかったのです。
一方で、「オリエント急行に乗車した13人の共犯者によって、ラチェット殺害された」という事実を、ポワロは自身が完璧主義者であるが故に気が付いてしまった。諸悪の根源であるラチェットの罪は告発できなかったのに、善悪の不均衡を正さんと復讐を試みた13人の罪は告発できてしまう状況に陥ったのです。
そもそも、アームストロングからの捜査依頼の手紙が、運命の悪戯がなくポアロに早く届いていれば……そして、ラチェットからの身辺警護の依頼を「顔が嫌いだから」と断ることなく受けていれば、13人の殺人者を生み出すことを回避できたはずなのに。
2度にわたって回避のチャンスを活かすことができかった自身に、その不条理とさえ感じられる“善と悪”の不均衡を生み出した張本人かもしれない自身に、ポアロは責任を感じたのです。
ポワロは自身を「神」と同列に並べた上で「口止めはできない」と述べました。
その台詞には、完璧主義者である彼が推理の果てに、ラチェット殺人事件が起こった真の原因は自分自身ではないか、この事件にとって自身は人々に善悪の不均衡といいう不条理を与える「神」のような存在ではないかと気づいてしまった心情が読み取れます。
そして自身がこの事件の「神」にあたる存在であると仮定したポワロが、共犯者たちを『最後の晩餐』の構図のように並べさせたのは、探偵であり、善悪の不均衡を与える神である自身の存在が生み出してしまったのが「共犯者」という名の使徒たちであるためです。
ヨハネによる福音書13章33~35節
13:33 子たちよ、いましばらく、わたしはあなたがたと共にいる。あなたがたはわたしを捜すだろう。『わたしが行く所にあなたたちは来ることができない』とユダヤ人たちに言ったように、今、あなたがたにも同じことを言っておく。
13:34 あなたがたに新しい掟を与える。互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。
13:35 互いに愛し合うならば、それによってあなたがたがわたしの弟子であることを、皆が知るようになる。
雪山の谷底の陸橋の上で停止したオリエント急行の車両。車両が「橋」という場所で停止したのも、裁きにおける“善と悪”の境を意味しています。
そして2017年版の本作にて、ポワロが推理を披露したトンネルという場所は、「宿命」という線路上を走るオリエント急行に乗車した、すべての人間たちの「通過儀礼」の象徴でもあります。
メタファーをふまえると、トンネルとは「処女膜」であり、そこを通過しようとする機関車は「男根」と読むことが可能なのです。
その機関車のヘッドライトの灯りを示したトンネルを抜けた場所に、ポワロを含めた乗客たちの未来がある。ラチェット殺人事件に関わった人間たちが「通過儀礼」を経るという意味で、トンネルは欠かせないものだったのです。
: Incorrect URL specification.②:雌鶏はなぜ同じ大きさの卵が産めない?病的な完璧主義者ポワロ
もう1つの仮説は、ポワロの灰色の脳細胞が「真の完璧主義者」にまで至ったのではないかという説です。
マタイによる福音書には「復讐してはならない」「敵を愛しなさい」という節があります。
マタイによる福音書5章38〜42
5:38 あなたがたも聞いているとおり、『目には目を、歯には歯を』と命じられている。5:39 しかし、わたしは言っておく。悪人に手向かってはならない。だれかがあなたの右の頬を打つなら、左の頬をも向けなさい。
5:40 あなたを訴えて下着を取ろうとする者には、上着をも取らせなさい。
5:41 だれかが、一ミリオン行くように強いるなら、一緒に二ミリオン行きなさい。
5:42 求める者には与えなさい。あなたから借りようとする者に、背を向けてはならない。
この一節を引用するならば、ポワロは容疑者12人を突き放すことができるのでしょうか。
さらにマタイによる福音書は、下記のように続きます。
マタイによる福音書5章43〜48
5:43 あなたがたも聞いているとおり、『隣人を愛し、敵を憎め』と命じられている。
5:44 しかし、わたしは言っておく。敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。
5:45 あなたがたの天の父の子となるためである。父は悪人にも善人にも太陽を昇らせ、正しい者にも正しくない者にも雨を降らせてくださるからである。
5:46 自分を愛してくれる人を愛したところで、あなたがたにどんな報いがあろうか。徴税人でも、同じことをしているではないか。
5:47 自分の兄弟にだけ挨拶したところで、どんな優れたことをしたことになろうか。異邦人達でさえ、同じことをしているではないか。
5:48 だから、あなたがたの天の父が完全であられるように、あなたがたも完全な者となりなさい。
お分かりいただけたでしょうか。
やはりポワロが共犯者を公表しなかったのは、一時的な他人への感情で行動したり、共犯者たちに寄り添ったからではなく不均衡を徹底的に嫌う彼が「真の完璧の美」を求めたが故の行動だったです。
トンネルのメタファーの“通過儀礼”は共犯者たちの未来だけでなく、「世界一の天才」であっても超えるべきものを示しています。ケネス・ブラナー監督・主演の『オリエント急行殺人事件』の結末をあなたはどのように推理しましたか。
まとめ
日本人として一般的な信仰心しか持たない仏教徒の筆者が、名探偵エルキュール・ポワロに触発され、キリスト教を通じての作品の考察を浅はかながらに推理してみました。
この結末に至ったときに、本作2017年版の『オリエント急行殺人事件』も、やはり、天才アガサ・クリスティ女史による傑作であることを思い知らされました。
子どもの頃に淀川長治先生のテレビ解説で、1974年版に触れた後に、アガサ女史の原作も当時に読みました。今更ながらに大人になってからしか見抜けなかった、アガサ女史の真価に気が付いたのかもしれません。
このポワロ史上、不可解な結末の判断は、ある種の芸術に触れた思いを感じますね。文化や民族、国籍、宗教に関係なく、もしかすると、ぼくらは“宿命のオリエント急行という名の地球”に乗車している人類の1人かもしれませんね。
世界一の名探偵ポワロが物語のなかで述べた台詞、「この世には善と悪しかなく、その中間は存在しない」であるなら、人はどう生きれば良いのでしょう。
: Incorrect URL specification.