連載コラム「映画道シカミミ見聞録」第51回
こんにちは、森田です。
今回は9月11日(金)より全国ロードショー中の映画『喜劇 愛妻物語』を紹介いたします。
基本的には嘘がないという、足立紳監督の自伝的小説を自ら映画化した本作をとおして、夫婦愛が何度も復活する物語の秘訣を、すなわち究極の再婚=喜劇の実態を分析していきます。
映画『喜劇 愛妻物語』のあらすじ
結婚して10年になる豪太(濱田岳)とチカ(水川あさみ)。豪太は年収50万円以下の売れない脚本家で、家計はもっぱらチカのパートによって支えられています。
夫婦仲はすでに冷めきり、豪太があの手この手とご機嫌をとりつつチカを求めても拒絶されるばかり。その情けなさをなじる罵倒の言葉だけが返ってきます。
この距離を2ヶ月以上詰められずにいた折、旧知のプロデューサー・代々木に預けていたホラー映画の脚本の映画化が決まり、加えて別の企画も進めるよう豪太は依頼されます。
それは彼が以前代々木に持ちかけた「四国にいる高速でうどんを打つ女子高生」の話で、これを脚本化するためには彼女が住む香川に行って取材しなくてはいけません。
免許がない豪太はこれを口実に運転ができるチカを誘い、娘のアキ(新津ちせ)と一緒に5日間の四国旅行に連れ出すことに成功します。
“隙あれば”とチャンスをうかがう豪太。現状を打破するあらゆる期待に胸と股座を膨らませるひと夏の旅が始まりました。
性×喜劇=スクリューボール・コメディ
まず、このあらすじでわかるように、本作の喜劇性は“セックス・コメディ”の構造から生じています。(原作小説の続編はより明確に『それでも俺は、妻としたい』です。)
正確には、金と愛(セックス)をユーモラスに強調する筋立ては、1930年代から40年代にかけてハリウッドで流行した「スクリューボール・コメディ」と呼ばれますが、現代ではロマンティック・コメディ、あるいは“大人のラブコメ”とでもいえるでしょう。
足立監督はインタビューでこう答えています。
誰もが思い当たる節の話なのに、日本ではなぜかこの類いの映画がなかった。俳優の力だと思うが、思い描いていたものよりも面白い作品になった。夫婦で見てもらえるとうれしい。(岐阜新聞Web 2020年09月05日付より)
スクリューボール・コメディの特徴である「気の強い女性」はそのままチカの姿に重なり、「テンポの良い会話」も「速射砲のような罵詈雑言」に置き換えられます。
監督自身はあくまで実体験に即したという認識でいるでしょうが、映画的には換骨奪胎の妙と、洋から和へより親近感のもてる舞台(日常)に落としこんだ力量を感じさせます。
元祖『愛妻物語』
しかもおなじ日本の夫婦像においても、先行する新藤兼人監督の『愛妻物語』(1951年)とはまた一線を画しています。
この物語も、なかなか芽のでないシナリオライターと彼を支える妻という関係を自伝的に描いていますが、構造は別物です。
それをよく示しているのが作品ビジュアルで、新藤監督のほうは夫が妻を、足立監督の本作は妻が夫を背負う画になっているのがわかります。
これが性愛とあわせ、本作が「喜劇」を冠する所以です。
負け犬×道行き=ダメンズ・ウォーカー
実際に本作では、夫が早々に“お荷物”になってしまいます。
青春18きっぷを使い、鈍行電車に揺られながら高松に向かった3人。トルコの軍楽隊の劇伴とあいまって、旅行というより行軍の印象を与えます。
そして、度重なる苦労と諍いの末に対面したうどん打ちの女子高生は、すでに映画化とアニメ化の企画が進行しており、翌月にはクランクインする予定でした。
チカは彼女の両親に必死に食い下がりますが、豪太はそこまでの執念はみせません。日ごろ妻には猛アピールするくせに、仕事の押しは弱いのです。
これがまたチカの逆鱗に触れ、豪太にアキの世話を任せて、彼女は小豆島に住む大学の同級生・由美(夏帆)のもとに行ってしまいます。
映画の王道であるロードムービーも、この喜劇に浸せば“ダメンズ・ウォーカー”と化します。
それはなにも次々にダメ男と付き合うだけでなく、“一人の負け犬を引っ張って歩くこと”もあるのだと、この夫婦をみて気づかされるわけです。
原点『百円の恋』
しかしながら、足立作品に潜む愛をとらえるには、このルーザーへの視線が欠かせません。代表的なのはアカデミー賞最優秀脚本賞を受賞した『百円の恋』(2014年)でしょう。
百円ショップでバイトをする、どん底の生活を送っていた女性が、ボクシングを通じて変化する姿を映した本作は、リングに立たないかぎり、負け犬にさえなれないという現実を突きつけます。
そして負けを良しとするのではなく、“百円程度の女”に芽生えた「勝ちたかった」という偽りのない気持ちを、人生における大事な瞬間として切りとってみせるのです。
また足立紳が脚本を務め、第33回東京国際映画祭のオープニング作品に選出された『アンダードッグ』(2020年11月17日公開)もボクシングの“噛ませ犬”を意味しており、一貫したテーマがうかがえます。
つまり、自分は負け犬だと認めることよりもっと辛いのは、「ほんとは勝ちたい」という自分を知り、向き合うことです。
『喜劇 愛妻物語』にもその瞬間が訪れます。由美の仲立ちもあり、旅の終わりにはベッドで“目的”を果たした豪太とチカ。
女子高生の企画は流れたものの、ホラー映画のクランクインを控えて、気持ちを入れ替え頑張っていこうと寿司屋で景気づけをしていたところに、代々木から電話が入ります。
顔色を失う豪太。原作者が脚本に難色を示し、それも制作中止に。3人は静かに店をでて、川辺を歩きます。
泣くな、笑うな
豪太は「最後の勝負」に負けたことで、これまでごまかしつづけてきた自分のなかの強い意志に気づき、はじめて真剣に涙を浮かべます。
豪太を背負い、彼の代わりにずっと傷ついてきたチカならば、なおさらです。
チカはアキと号泣しながら路上にうずくまり、豪太がその輪に加わろうとすると「泣くな」と退けます。
それで所在無げに曖昧な笑みを浮かべていると、今度は「笑うな」とたたみかけます。
泣く資格もなければ、笑う資格もない。豪太の行いからすればもっともですが、喜劇とも悲劇ともつかないこの夫婦のかたちは、最終的に「泣き笑い」という一体化した感情のなかで昇華されます。
その背景に映り込む、ラブホテルかなにかの安っぽい自由の女神像がなんとも象徴的です。
究極の夫婦の愛
「笑って泣ける」ではなく、「泣くな笑うな」という呼びかけは、夫婦としても映画としても究極の境地を示しています。
“喜劇”がつかない新藤監督の愛妻物語は、やっと夫が認められたとき、妻は苦労が重なって、吐血してしまいます。
一方、認められないかぎり、死んでも死にきれない、というのが豪太とチカを結びつける愛でしょうか。
泣くなよ、笑うなよ、簡単にはドラマに収まらない代わりに、いつまでも終わらない物語を、夫婦一緒に最後まで演じてやるんだ。そんな覚悟さえ感じます。
このような夫婦愛を信じられるかと問われれば、実際の足立夫妻がひとつの答えになるでしょう。
原作者が映画化を許さないならば、今後、自分で小説を書けばいい。そうして見事、本作ができたのです。
この事実以上に、夫婦の真実を物語るものもないでしょう。