2020年8月29日(土)より「奇想天外映画祭 アンダーグラウンドコレクション 2020」、新宿K’s cinemaで開催
2019年6月、映画史に残る怪作・珍作・迷作・凡作・奇作を集めて実施された「奇想天外映画祭 アンダーグラウンドコレクション 2019」。
その第2弾が2020年夏に実施され、観客に大いなるショックとシュールな体験を与えています。
さて、今回の目玉ともいえる作品がロビン・ハーディ監督、怪奇スターのクリストファー・リーが出演した、伝説のカルト映画『ウィッカーマン』。
しかも従来の公開版に6分間の未使用フッテージを加えたfinal cut版が、今回日本初公開となりました。
異教を信仰する人々をテーマにした、新たなホラー映画として企画されたこの作品。しかし当時映画業界低迷期の厳しい状況に加え、制作会社が身売りされるなど、様々な困難を経て完成します。
身売り後の新たな会社の重役は、キリスト教の価値観に否定的で興行的に難しいそうな内容の本作を嫌いました。
その結果出来上がった120分フィルムは会社の指示で短くカット、エクステンデッド(ディレクターズカット)版と呼ばれるものが誕生します。
それがアメリカに送られると、B級映画の帝王、ロジャー・コーマンの手でさらにカットされ、88分版として公開されました。
不遇な扱いを受けた映画『ウィッカーマン』を、ロビン・ハーディ監督は何とか完全な形で公開しようと奮闘します。しかし編集前のネガを探したものの、既に紛失していました。
しかしロジャー・コーマンに送った、エクステンデッド版は健在でした。それを元に監督が再編集を加え、94分版が作られます。この40周年記念版と銘打たれ、監督がお墨付きを与えたバージョンこそ今回上映のfinal cut版です。
公開版、エクステンデッド版が存在する『ウィッカーマン』。そして決定版というべきfinal cut版が、奇想天外映画祭アンダーグラウンドコレクション2020」でついに全貌を現しました。
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CONTENTS
映画『ウィッカーマン final cut』の作品情報
【製作】
2013年(イギリス映画)
【原題】
The Wicker Man
【監督】
ロビン・ハーディ
【キャスト】
エドワード・ウッドワード、クリストファー・リー、ブリット・エクランド、ダイアン・シレント、イングリッド・ピット、リンゼイ・ケンプ
【作品概要】
1973年に製作された、伝説のカルト映画『ウィッカーマン』。その40周年記念版として2013年、ロビン・ハーディ監督が再編集を加え新たに送り出したバージョンです。
スタントマンや脇役として映画業界に入り、ハマー・フィルムのホラー映画でドラキュラ伯爵を演じて、一躍世界的怪奇スターになったクリストファー・リー。
しかしハマー・フィルム作品の低迷と共に、新たな活躍の場を模索します(ちなみに1974年の『007 黄金銃を持つ男』では、007ことジェームズ・ボンドの敵役、を演じています)。
そして本作の脚本を担当する、戯曲『探偵スルース』(1972年の映画の脚本も担当)の脚本家、アンソニー・シェーファーらと話し合い、異教の信仰をテーマとしたホラー映画として、制作が開始されました。
本作で自らが領主を務める島で古代宗教を復活させ、住民たちに信仰させるカリスマ的リーダー、サマーアイル卿を演じたクリストファー・リー。後に彼は、『ウィッカーマン』こそ自らの代表作であると語っています。
製作段階、そして公開時に不遇な扱いを受けた本作。映画をご覧になれば、誰もが嫌われた理由に気付くでしょう。
明るく大らかに、ミュージカル的に描かれた猥褻と狂信の姿。それがキリスト教的価値観と、真正面からぶつかり合うのです。
監督のロビン・ハーディもクリストファー・リー同様、この挑戦的な作品に深い思い入れを持っていました。
監督は2007年に『ウィッカーマン』を3部作化する構想を発表します。そして2011年に、第2部となる映画『The Wicker Tree(原題)』を監督しました。
しかし第3部を締めくくる作品『The Wrath of the Gods』を完成させることなく、2016年この世を去りました。
公開時に忌まわしい作品と扱われ、その一方で関係者に愛され、そして時の流れと共に世界中でファンを獲得していった、様々な謎を秘めた映画『ウィッカーマン』。心してご覧下さい。
映画『ウィッカーマン final cut』のあらすじとネタバレ
1973年4月29日、日曜日。敬虔なキリスト教徒である、スコットランドのウエストハイランド警察に勤める中年の巡査部長、ニール・ハウイー(エドワード・ウッドワード)は、教会の礼拝に参列していました。
彼は水上飛行機に乗り込むと、スコットランド西岸にあるヘブリディーズ諸島の孤島、サマーアイル島に向かいます。
突然港に現れた飛行艇を不審がる島の住人に、自分は行方不明になった島の子供を捜索に来た警官だと説明するハウイー。
住民の好奇の目に晒されるハウイーに、港の管理者は島の領主に事情を説明するべきと伝えます。
ハウイーは早速、島の住民に行方不明になったと訴えのあった、ローワン・モリソンという少女の写真を見せますが、迎え出た島の住人たちは口々に、この少女は見たことが無いと話しました。
住民たちの言葉にハウイーは不審を覚えます。彼らは少女を島の住民ではないと言いましたが、警察に送らた手紙には島の住人メイ・モリソンの娘、ローワンが何ヶ月も行方不明だと書いてあったからです。
彼が手紙を読み上げると、住民たちはメイなら郵便局に勤めていると話します。しかし写真の少女は彼女の娘ではない、と語る島の住民たち。
彼はよそ者を見つめる人々の視線を浴びながら、菓子屋を兼ねたメイ・モリソンの郵便局に向かいます。現れたメイに行方不明の娘について尋ねますが、彼女は笑って否定しました。
彼女は自分の娘、マートルの姿をハウイーに見せ、彼が示した写真の人物と別人だと説明します。
彼がマートルにも質問すると、ローワンとはウサギの名だと答えます。結局行方不明の少女に関する情報を得られないハウイー。
その夜彼が宿屋を兼ねた島のパブに現れると、客たちは口を閉ざし注目します。パブの主人アルダー(リンゼイ・ケンプ)に、ハウイーが部屋と夕食を求めると、アルダーは娘のウィロー(ブリット・エクランド)に応対させました。
するとパブの客たちは大らかな、卑猥な歌を大合唱して盛り上がります。その振る舞いに生真面目なハウイーは戸惑います。
客たちの歌を遮り、ハウイーは公務でここにいると告げ、行方不明の少女ローワン・モリソンに関する情報を求めます。しかし誰も語らず、手がかりすら掴めないハウイー。
パブには毎年島で行われる、5月祭の女王に選ばれた娘の写真が飾られていました。しかし彼は、去年の写真が無いと気づきます。
別室に案内され、ウィローが用意した食事をとるハウイー。彼は出された料理に、新鮮な作物が使われていないと気づきます。デザートに島の名産品のリンゴを望んでも出されません。
食事を終え、パブの外に出たハウイーは思わぬ光景を目にします。野外で人目を気にせず愛し合う男女、死別した伴侶の墓なのか、全裸で墓標に体を預けて泣く女。
それは慎み深いキリスト教徒のハウイーには、嫌悪と怒りすら覚える光景でした。動揺した彼は宿に戻り、自室に閉じこもります。
すると宿の外に、ある人物が若い男を引き連れて現れます。その人物はウィローに若い男を紹介し、一夜を共にするよう促します。彼女はそれを受け入れ、パブの客たちは2人の関係を応援するような歌を歌いました。
隣室でウィローと男が、激しく愛し合う声を聴かされるハウイー。
翌日彼が外に出ると、5月柱(欧州各地に伝統として残る、祭などで立てる柱。木々の霊魂の恩恵に預かり、豊作や多産を祈る自然崇拝から生まれた)が立てられています。
島は5月祭の準備に賑わっていました。ハウイーが学校を訪れると、教師のミス・ローズ(ダイアン・シレント)が女生徒たちに、5月柱がどのような意味を持っているのか尋ねました。
口々にそれが男根を示すシンボルだと答える女生徒たち。それは私たちが信じる宗教では、自然の生命力を象徴するものだと説くローズ。ハウイーは彼女が生徒に教えた内容に色を失います。
彼はミス・ローズに島に来てから、文明が退化したかのような、猥褻と堕落に溢れた光景を目撃したと告げます。その原因はあなたが教える内容にある、と厳しく指摘したハウイー。
それに対し、警察が教育に口出しする権限があるのかとローズに言われると、彼は口を閉ざすしかありません。教室に入るとハウイーは本題に入ります。
彼は自分は警官だと名乗ると、女生徒たちに同じ年頃の行方不明の少女、ローワン・モリソンの写真を見せ、彼女を知っているか尋ねます。しかし生徒たちは何も知らないと答えました。
ハウイーは1つ机が空席になっていると指摘しますが、ローズも彼女の存在を否定します。
その机を開けると、中には打ち込まれた釘に糸で縛られた甲虫がいました。その虫は釘の周りをぐるぐる回っています。虫が同じ所を回り続けると糸が釘に巻きつき、やがて囚われ動けなくなると言う隣の席の女の子。
協力を求めるハウイーに、ローズは島の権力者、サマーアイル卿の許可が必要だと抵抗します。しかし彼が目を通したクラスの名簿には、ローワン・モリソンの名が記されていました。
全員が嘘をついていると厳しく追及しても、誰も何も答えません。するとミス・ローズが彼を教室の外に連れ出します。
ローワンが存在していれば答えた、とローズは説明します。それは彼女の死を意味するのかと聞くと、たとえ人生が終わっても、彼女は別の形の命になり、我々の元に戻っていると語るミス・ローズ。
その輪廻転生の考え方は、ハウイーには理解し難いものでした。ローワンの遺体はどこに埋葬したと追及しても、ローズはキリスト教的な死者の扱いそのものを否定します。
この島の人々はキリスト教とは異なる、何かを信仰していると気付かされたハウイー。墓地を訪れると、キリスト教に倣った墓石は見当たらず、中には冒涜的とも思える言葉が刻まれた墓標もありました。
思わず怒りを露わにして、木片で十字架を作り墓地に供えるハウイー。
墓地には墓石のない墓がありました。ハウイーが墓の管理人に尋ねると、墓標の代わりにナナカマドの木が植えられたその場所こそ、ローワン・モリソンの墓だと言うのです。管理人は彼女は6~7ヶ月前に埋葬されたと話しました。
確認すべくローワンの母、メイ・モリソンを訪ねたハウイー。彼女は娘マートルの喉の痛みを和らげようと、カエルを口に含ませていました。
メイとの会話はかみ合わず、彼女はローワンの死を認めません。迷信深い彼女や島の住民は、人の死を認めないのかとハウイーは苛立ちます。
彼は行方不明のローワンの死の記録を確認すべく、島の記録を管理する司書(イングリッド・ピット)の前に現れます。しかし彼が警察と名乗っても、サマーアイル卿の許可が必要と協力を拒む司書。
ハウイーは逮捕を匂わせると、ようやく彼女は死亡記録を見せました。そこにローワン・モリソンの名はありません。
続いてハウイーは、写真屋のレノックスを訪ねます。薬剤師でもある彼の店には、奇妙な標本が並んでいました。
レノックスに5月祭の女王に選ばれた娘の写真があるか聞くハウイー。彼はパブに飾られていなかった、去年の写真を探していました。しかし写真のコピーは無いと告げ、ローワンの写真を見せても要領を得ない回答に終始するレノックス。
馬車でサマーアイル卿の屋敷を目指すハウイーは、島の特産品であるリンゴの花を受粉させる娘たちの姿を、そして儀式なのか、全裸で輪になって踊る娘たちの姿を目撃します。
古い邸宅に到着したハウイーは一室に案内されます。その窓からは儀式に興じる娘たちの姿が見えました。そして現れたサマーアイル卿(クリストファー・リー)こそ、宿屋の娘ウィローの元に若い男を導いた人物でした。
歓迎するサマーアイル卿に、自分は行方不明の少女を探しに来たと説明し、殺人の嫌疑により埋葬された、ローワン・モリソンの遺体を掘り出すと告げるハウイー巡査部長。
サマーアイル卿は信心深い島の住民は、殺人など犯さないと説明します。それを聞いたハウイーは、住人が信仰するのは間違った宗教や考え方で、子供たちはキリスト教の教えに触れる機会が奪われていると、強く非難します。
キリストが処女から生まれたという信仰こそ誤った考えだと告げ、島の歴史を語るサマーアイル卿。
かつてサマーアイル島にも教会があり、皆はキリスト教を信仰していました。しかし住民は長らく貧しく、飢えに苦しむ生活を送っていました。
1868年にサマーアイル卿の祖父は、この不毛の島を購入します。ビクトリア朝時代の科学者にして農学者、自由思想家で慈悲深い人物だった祖父は、この島で新たに果実の栽培を始めます。
そして人々が無関心から立ち上がり、目的を持って働けるように古代の宗教、ケルト神話に基づく自然崇拝の教えを広めます。新たな領主の指導の元、目的を与えられ働き始めた住民の力で、島は豊かな土地に変わりました。
新たな信仰が広まるとキリスト教の聖職者は去り、二度と島には戻りませんでした。父も祖父の後を継ぎ、自分に古代宗教の儀式を教え、指導者に導いてくれたと説明するサマーアイル卿。
それがあなたを異教徒に仕立て上げた、とハウイーは叫びます。ハウイーはキリスト教に従って作られた、現在のイギリス国家の法に従い、ローワン・モリソンの遺体の調査させてもらうと宣言します。
その夜ハウイーは、墓の管理人と共に少女の墓を掘り返します。しかし棺の中にあったのは、ウサギの死骸だけでした…。
映画『ウィッカーマン final cut』の感想と評価
参考映像:『The Wicker Tree』(2011)
冒頭でご紹介した通り、映画『ウィッカーマン』には幾つかのバージョンが存在します。普及している公開版もシンプルで馴染みやすく、エクステンデッド版は一番長くfinal cut版に無いシーンも存在しており、見比べるのも一興です。
公開版と比較すると、冒頭にハウイーが教会の礼拝に参列するシーンが加えられたと気付くでしょう。最初に彼がパブに現れた際の、客の歌にも追加もあります。また追加だけでなく、エクステンデッド版と比較すると編集で順序を変えたシーンも存在します。
最も大きく異なるのは、サマーアイル卿がウィローに若い男を紹介し、彼女の元に送るシーンでしょうか。サマーアイル卿が自然崇拝に従い、住民の愛を取り持つ人物であると、その性格がより明らかにされています。
追加シーンがエクステンデッド版から拝借した、という素材の違いが影響したのか、公開版に付け加えられたシーンは画質が異なり区別し易いのは、ご愛敬といったところでしょうか。
final cut版を見ると、ロビン・ハーディ監督の本作に対する、執念と拘りが伝わってきます。そして3部作化を夢見て製作した『The Wicker Tree』には、同様に本作を愛したクリストファー・リーも出演しています。
残念ながら3部作化は監督の死により達成されませんでしたが、キリスト教により抹殺され、邪教とされた古代宗教がカルト的共同体として現代に復活する姿は、後の作品に大きな影響を与えます。
2020年に日本公開されたアリ・アスター監督の『ミッドサマー』(2019)は、将に『ウィッカーマン』と同じ題材の作品です。アスター監督も『ウィッカーマン』の大ファンでした。
『ウィッカーマン』の、特にラストシーンを踏まえて『ミッドサマー』を見ると、その違いと両作の監督が意図したものが、明確に見えてくるでしょう。
時代に受け入れられたカルト集団の姿
1973年の公開当時、不遇な扱いを受け、クリストファー・リー出演作としても、小さな規模でしか公開されなかった本作。日本での最初の劇場公開は25年後の1998年でした。
しかし本作は無視された、忌み嫌われた訳ではありません。イギリスでの興行はそれなりの成績を残し、映画評論家やホラー映画ファンの評判は常に高く、イギリスだけでなく世界の映画産業衰退期に作られた事こそ、本作の不幸と言うべきでしょう。
そして世にビデオが普及し始めると、『ウィッカーマン』は見るべきカルト映画の1本として、世界中で存在感を高めて行きました。
本作が公開時保守的な方、特にキリスト教の信仰する方の怒りを買ったのは、想像に難しくありません。しかしこの作品は、受け入れられる環境が整った時代に現れたとも言えます。
1960年代、反体制運動の高まりと共に、保守的な従来の文化的慣習に反する文化、カウンターカルチャーが力をを持ち出します。
従来の秩序に反する新たな思想・行動は、全て世界を変える力となり得ると、一部では楽天的に信じられていました。
1967年夏にアメリカで起きた社会現象「サマー・オブ・ラブ」は世界を席巻し、他者との共同生活(コミューン)や自由恋愛(フリー・セックス)が、新たな秩序と平和を作り出すとも考えられていました。
しかしその幻想は破綻します。『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』(2019)に登場した、1969年のマンソン・ファミリーによるシャロン・テート殺害事件は、時代の変化の示す象徴的出来事でした。
結局共同生活や自由恋愛も社会を変革する力とはなり得ず、閉鎖的な環境で支配・被支配の関係を生み出す、社会から孤立したカルト集団の誕生は、様々な問題を引き起こします。
そんな時期に企画された『ウィッカーマン』は、従来のキリスト教的価値観に一石を投じながらも、一方でカルト集団の危険性をエンターテインメントに昇華する、時代に即した恐怖を描き、幅広い支持を集めました。
この後1978年にカルト教団”人民寺院”が引き起こした集団自殺事件は、世界に衝撃を与えます。そんな時代の空気を、この映画は確かに掴み取っていたのです。
なるほど怪優が演じたくなる映画です
参考映像:『ウィッカーマン』(2006)
本作の製作はクリストファー・リーが、脚本家のアンソニー・シェーファーと出会った事からスタートします。
リーの新たな役柄を模索する映画の製作に、後に製作者のピーター・スネル、映画監督のロビン・ハーディも加わりました。
やがてシェーファーとハーディは、古代宗教をテーマにしたホラー映画の製作を企画します。その際参考にしたのが、デイヴィッド・ピナーが1967年に発表した小説「Ritual(儀式)」です。
この小説に映画化権を支払い、脚色して映画化を試みますが上手くいかず断念。その基本的プロットを利用し、シェーファーが脚本を執筆したのが『ウィッカーマン』でした。
映画の製作環境は厳しく、クリストファー・リーは無償で撮影に参加したと言われています。
一方で歌唱活動もしていたリー(後にヘヴィメタバンドのシンガーとして参加する人物です)は本作で歌を披露、古代宗教のカリスマ指導者を嬉々として演じ、多才なパフォーマンスを披露しています。
そして主人公のを演じたエドワード・ウッドワード。彼は後にアメリカのドラマ『ザ・シークレット・ハンター』(1985~1989)に主演し、世界的スターになる人物です。
彼はエドガー・ライト監督の、『ホット・ファズ 俺たちスーパーポリスメン!』(2007)に出演しています。
映画オタクのライト監督、『ウィッカーマン』に主演し、イギリスを代表する犯罪ドラマのスターである、エドワード・ウッドワードに敬意を払い、『ホットファズ』に起用しました。
『ホットファズ』でのエドワード・ウッドワードの役どころは、田舎町の平和を守る近隣監視同盟の1人。しかしその実態は、過激な手段で邪魔者に制裁を加える、年寄りたちで構成された闇のカルト集団という、『ウィッカーマン』とは真逆の役柄です。
『ホットファズ』の都会の生真面目な警官が、カルト集団の支配する寒村に現れ、その村の中で事件解決に奔走する姿は将に『ウィッカーマン』。セリフにもそれを意識したものがあります。
刑事物映画のパロディとして、映画ファンに大ウケした映画『ホットファズ』。『ウィッカーマン』を踏まえて改めてご覧になってはいかがでしょうか。エドワード・ウッドワードは、『ホットファズ』公開の2年後に亡くなりました。
さて、『ウィッカーマン』は2006年にハリウッドでリメイクされました。主演はあのニコラス・ケイジ。彼はエドワード・ウッドワードが演じた主人公を演じています。
古代宗教を信じるカルト集団は、このリメイク版では女性が支配する邪教集団に変えられました。
その結果クリストファー・リー演じた役は『ウィッカーマン』と同じ年に公開された、『エクソシスト』(1973)に出演したエレン・バースティンが演じることになります。
ニコラス・ケイジはカルト集団のカリスマリーダーより、狂信者の女たちに翻弄される役を演じたかったのでしょう。
しかしこのリメイク版、大げさに走り回り、何かと力技に訴える主人公の姿が、オリジナル版が持つ雰囲気をぶち壊したと、実に評判がよくありません。
おかげでゴールデンラズベリー賞に5部門ノミネート、と散々な評価になっています。
しかしそれは、オリジナルと比較してのお話。主人公のドタバタぶりは、怪優ニコラス・ケイジの演技を愛する人には見逃せません。これもまた愛おしい映画としてお楽しみ下さい。
まとめ
伝説のカルト映画の最終形『ウィッカーマン final cut』、お楽しみ頂けたでしょうか。時代を感じさせる作風、監督や俳優の思い入れ、様々な熱気が伝わってくる作品です。
映画はラストで「正義」は「悪」に負かされます。否、正しくは「キリスト教的価値観」が、より「原始的な宗教」に完膚なきまでに打ちのめされる姿が、当時衝撃的に受け止められました。
古い信仰が邪教として現代まで脈々と受け継がれている、という設定を持ち出されると何か嘘臭く感じられます。
しかし『ウィッカーマン』はビクトリア朝時代に、従来の価値観に囚われない開明的な人物、サマーアイル卿の祖父が復活させたという設定になっています。
これは本作の重要なポイントです。設定にリアリティを与えるだけでなく、知的で誠実で愛情深い人物と、その信奉者こそが、集団を誤った道に突き進ませる怖さを描いたと言えるでしょう。
さて。最後に無事5月祭を終えたサマーアイル卿。翌年の収穫が不作だったらどうなるのでしょうか。
本作のクリストファー・リーの自信に満ちた態度なら、自らが次の5月祭の生贄を引き受けるのかもしれません。
我々は『ウィッカーマン』公開以降、様々なカルト集団の姿を目撃しました。
存亡の危機ともいえる事件や失態に遭遇した時、カルト集団は瓦解するどころか、かえって結束・先鋭化する危険性を学びました。
もし現在『ウィッカーマン』の続編、それはロビン・ハーディ監督が夢見た、3部作最後の作品でしょうか。それが誕生すればどの様な作品になるでしょうか。
その映画はオリジナルの持つ牧歌性や、クリストファー・リーやエドワード・ウッドワードが見せた、信仰に対する誠実さを感じさせる作品では無いような気がします。
新たな『ウィッカーマン』が作られた場合、より奇怪で醜悪で、絶望のさらなる果てを描く作品になるのかもしれません。
きっとそれが『ウィッカーマン』と、新たに生まれた映画『ミッドサマー』の違いとして現れたのでしょう。
次回の「奇想天外映画祭アンダーグラウンドコレクション2020②」は…
次回の第2回はスナッフ・ムービーを題材にした、闇に葬られた元祖サイコスリラー『血を吸うカメラ』を紹介いたします。お楽しみに。
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