ちむぐりさ、肝苦りさ。
あなたが悲しいと、私も悲しい。
石川県から那覇市の学校にやってきた15歳の少女・坂本菜の花さん。彼女の目を通して、沖縄の明るさの向こう側にある、辛い歴史や、今もなお続く米軍基地問題を提示するドキュメンタリー映画です。
彼女は、北陸中日新聞で『菜の花の沖縄日記』を連載。沖縄での暮らしや出会った人々との交流、そして沖縄の直面している問題について約3年間、書き続けました。
「なぜ、この声が届かないの?」。彼女の心の内に宿った静かな炎が、ふつふつと燃え上がります。知らないこと、無関心なことは残酷なこと。そう、15歳の少女に教えられました。
映画『ちむぐりさ 菜の花の沖縄日記』の作品情報
【公開】
2020年(日本映画)
【監督】
平良いずみ
【キャスト】
坂本菜の花
【作品概要】
石川県から那覇市の学校へやってきた15歳の少女の目を通して、今もなお続く沖縄の戦争を描き出すドキュメンタリー映画。
沖縄テレビ放送の開局60周年を記念して製作された作品で、監督の平良いずみは同局のキャスターも務めています。第38回「地方の時代」映像祭グランプリ、2018年日本民間放送連盟賞、報道番組部門で最優秀賞を受賞しています。
映画『ちむぐりさ 菜の花の沖縄日記』のあらすじとネタバレ
沖縄の町に夕陽が沈もうとしています。同じ夕陽でも美しいと思うか寂しいと思うかは人それぞれでしょう。
そんな沖縄に、石川県から15歳の少女がひとり、やってきました。坂本菜の花さんです。
彼女が沖縄に来た理由は、「珊瑚舎スコーレ」という、子供からお年寄りまでが通うフリースクールに入学するためです。
初めての沖縄の印象は、誰もが陽気で楽しくキラキラ輝いて見えたそうです。
実際に沖縄に住み、フリースクールでの交流を通して、菜の花さんは気付きます。沖縄の明るさの裏には、辛い歴史を乗り越え、今もなお戦い続ける厳しい現実があるということを。
そんな日々の暮らしの中で感じたことを、菜の花さんは日記にしたためました。その日記は、菜の花さんの故郷の北陸中日新聞で『菜の花の沖縄日記』として掲載されることになります。
第1回目のタイトルは「おじぃ なぜ明るいの?」です。疑問から始めった日記は、彼女が卒業するまで続きます。
菜の花さんが通う「珊瑚舎スコーレ」は、既存の教育の枠に捉われない個性的な教育が特徴です。お年寄りも通う夜間学校もあります。
沖縄の言葉を習ったり、ドラマの台本を書いたり、みんなでミュージカルをしたり、生徒たちはまるで家族のように過ごしています。
菜の花さんは、夜間学校のおじぃ、おばぁとも仲良しです。勉強を教える代わりに、三線や唄を習います。
なぜ、歳をとってまで学校で勉強を習うのか。その理由は、子どもの頃、戦争で学校へ通えなかったから。
6月23日、沖縄慰霊の日。日本の終戦記念日とは違うこの日。1945年、第二次世界大戦の沖縄戦において、日本軍による組織的戦争が終結したことにちなみ制定された日です。
おじぃは言います。「忘れたいけど忘れたらあかん。いまも基地はあるのさ」。
戦後、沖縄をはじめ日本国土に置かれている米軍基地。これまで、基地設置場所をめぐり、本土でも反対運動が繰り返されてきました。
菜の花さんの故郷、石川県でも反対運動が起こった事実がありました。「どこにも置きたくない米軍基地を、沖縄県に押し付けてしまっていたのか」。菜の花さんの心は痛みます。
2015年に参加した、沖縄県民大会での翁長県知事のスピーチが忘れられません。「ウチナーンチュ、ウシェーティナイビランドー!」。
菜の花さんは、今も続く沖縄の戦争について、辺野古新基地問題について、実際にウチナーンチュに会い、話を聞いて行きます。
米兵による女性暴行事件、米軍戦闘機落下と相次ぐ事件事故。空を横切る戦闘機の爆音、そして空から落ちてくる飛行機の備品の数々。
ウチナーンチュは、叫び続けてきました。米軍基地撤退と辺野古新基地反対を。それは、未来ある子供たちを守るためでもあります。
しかし、その声は本土の国会には届いていないようでした。それは、10代の少女、菜の花さんが知るには、あまりにも辛く、あまりにもやるせない現実でした。
映画『ちむぐりさ 菜の花の沖縄日記』の感想と評価
15歳でひとり沖縄にやってきた坂本菜の花さんが、沖縄の暮らしで感じたことを綴った日記が本になり、映画になりました。
沖縄は明るくて楽しい所と思っていた、菜の花さん。沖縄の明るさの裏にある辛い歴史と今なお続く戦いの現実を目の当たりにしていきます。
戦争がまだ続いているという現実に驚き、何も知らずやってきた自分を責め、沖縄差別問題に自分のことを重ね苦しむ菜の花さんの様子に、胸を締め付けられます。
なぜ沖縄県民の願いは叶わないのか。菜の花さんは自分のことのように悲しみます。そんな彼女を通して、大きなことを教えられます。
知らないことは罪なのだと。同じ日本国土の問題でありながら、どこか無関心な本土の人々。
映画には、菜の花さんが実際に会って話を聞いた沖縄県民の生の声が詰まっています。普天間基地をめぐり相次ぐ事件事故。県民の声は届かず、進む辺野古移設。
脅かされる日常に不安を抱える沖縄の人たち。子供たちの未来のために訴え続けています。
沖縄の米軍基地設置問題は、自分の問題でもあるということを知った菜の花さん。逃げずに向き合う強さは、本当に見習わなければなりません。「菜の花」という名に込められた両親の思いの通り、真っ直ぐすくっと立ち上がる菜の花さんの心の強さに、大人も勇気をもらえるはずです。
映画のタイトル「ちむぐりさ」とは、「肝ぐりさ」と書く沖縄の言葉で、誰かの心の痛みを自分の悲しみとして一緒に胸を痛めるというニュアンスで使われます。
沖縄の言葉には、「悲しい」という言葉はないそうです。相手に寄り添い痛みを共感する、ちむぐりさ。なんと、優しい言葉なのでしょうか。
私にも沖縄で忘れられない思い出があります。友達と少し長めの、お気楽旅行でした。沖縄の島々をめぐり、美味しいものを食べて飲んで、観光を楽しみました。
遊びつくし、地元の映画館に通い、商店街で買い物をし地元の人の生活に溶け込んだころ、「平和祈念公園」を訪ねました。恥ずかしながら、初めて知ることばかりでした。
太平洋戦争末期に、日本で最大の地上戦が繰り広げられた沖縄。県民を巻き込んだ沖縄戦は、地獄そのものです。
沖縄戦で亡くなった人々の名を刻んだ「平和の礎」、鎮魂と永遠の平和を祈る「平和記念像」。看護要員として戦場にいき命を落とした「ひめゆり学徒隊」の慰霊塔「ひめゆりの塔」も拝みました。
何も知らずはしゃいで観光していたバカな自分。楽しい気持ちは一気に悲しみに飲み込まれました。
その帰り道立ち寄った小料理屋の女将さんに、上手く伝えられないけど悲しい気持ちと申し訳ない気持ちを話しました。
女将さんは涙ぐむ私たちに「そんな悲しんでばかりいると、先祖さんも悲しいさぁ。先祖さんのおかげで、今が平和で幸せですってお礼をしないとね。楽しんでいいんだよ」と声をかけてくれました。
その言葉にどれほど救われた気持ちになったことか。沖縄には、悲しみを知ったうえでの優しさと強さがあるのだと、その時感じました。
映画『ちむぐりさ 菜の花の沖縄日記』を観て、当時の思いが蘇りました。
決して他人ごとではない米軍基地設置問題。
自分の住む場所の問題として考え、ちむぐりさと共に胸を痛め、小さくても行動を起こすことが大事なのだと、10代の少女・菜の花さんに教わりました。
まとめ
沖縄テレビ放送のキャスターも務める平良いずみ監督は、映画公開の際コメントを出しています。
「沖縄では、米軍基地周辺で子どもの命を脅かすことが頻発している。もし、自分の子どもや孫が通う学校に、重さ8キロもあるヘリの窓が落ちてきたら……。想像してほしい」。
「映画で描いているのは、ひとりの小さな少女の小さな小さな声。でも、その声が、県境を、国境を越えて、きっと誰かの心に届く。そう、信じています」と。
これは、沖縄の問題なのではなく、私たち日本人ひとりひとりの問題でもあるということ。「ちむぐりさ」なのです。