連載コラム「電影19XX年への旅」第10回
歴代の巨匠監督たちが映画史に残した名作・傑作の作品を紹介する連載コラム「電影19XX年への旅」。
第10回は、『めまい』や『白い恐怖』など、多くの名作を映画史に残したアルフレッド・ヒッチコック監督作品『裏窓』です。
事故で足を骨折し、身動きの取れなくなったカメラマンのジェフは、暇をつぶすために窓から隣人の様子を見ることに夢中になっていました。
いつものように覗いていると、喧嘩ばかりしている夫婦の妻が姿を消し、その夫は雨の日に何度も家を出入りするのを目撃します。ジェフは殺人事件を疑い、証拠を掴もうとするのですが…
裏窓という限定的な場所で織りなされていく人間模様と殺人事件の真相を追う物語のサスペンス映画です。
映画『裏窓』の作品情報
【公開】
1954年(アメリカ映画)
【原題】
Rear Window
【監督・制作】
アルフレッド・ヒッチコック
【キャスト】
ジェームズ・スチュアート、グレース・ケリー、レイモンド・バー、セルマ・リッター、ウェンデル・コーリイ
【作品概要】
『めまい』(1958)や『白い恐怖』(1945)のアルフレッド・ヒッチコック監督作品。裏窓から隣人の生活を覗いていたカメラマンのジェフが、殺人を思わせる状況を見たことがきっかけで証拠を探すために奔走するサスペンス映画。
『素晴らしき哉、人生!』(1947)のジェームズ・スチュアートと『モガンボ』(1953)のグレース・ケリーが、主演を務めています。
映画『裏窓』のあらすじとネタバレ
世界各地を飛び回るカメラマンのジェフは、レースの撮影をしていたところで、カー同士の接触に巻き込まれ、左足を骨折しました。
骨折した左足にはギプスが巻かれ、ジェフは7週間も身動きが取れません。夏場の暑い室内で、刺激のない日々に退屈しています。
唯一の楽しみといえば、部屋の裏窓から他人の生活をのぞき見ることだけでした。若いバレリーナや才能の無さに悩まされるピアニスト。暑さを凌ぐため、窓を開けっぱなしでそれぞれの生活をしていました。
ジェフはリザという、若く美しい女性を愛していました。リザもまたジェフを愛し、結婚を迫っていました。しかしジェフは、カメラマンとして不安定な人生を送っていることから、結婚を引き延ばしていました。
ジェフの身を世話する看護師のステラは、そんなジェフを責めます。いくらステラに結婚をすればいいと言われても、ジェフは態度を変えません。
モデルとして成功をするリザと、カメラマンとしてまだまだ成功しているといえないジェフの間では、確かに差がありました。
リザは豪勢な料理を持ったシェフを連れて、ジェフの家を訪ねました。何の変哲も無い日なのに、わざわざ盛大に祝うリザに、ジェフは驚きます。
ジェフがファッションのカメラマンをすれば、生活は安定するとリザが勧めます。ジェフはそれも相手にしません。それどころか、鞄一つで過酷に飛び回る生活にリザは耐えられないと話します。
2人は住んでいる世界が、まるで違いました。
リザといても窓の外に夢中なジェフは、リザに窓から見える住人の紹介をしていきます。
誰かと一緒にいる想定をして1人で寂しく酒を飲む女性のミス・ロンリーハート。いつも水着でいる太った女性のミス・グラマー。裕福そうな男性にチヤホヤされている女性の女王蜂。
ジェフは勝手にあだ名まで付けていました。窓から見える住人は他にも、売れないピアニストや夢を追うバレエダンサー。犬を飼う夫婦。引っ越してきたばかりの新婚夫婦や、喧嘩ばかりしているセールスマンの夫とその妻がいました。
セールスマンの妻は病気で、床に伏せていました。
ジェフはますます隣人覗きにハマり、商売道具であるカメラや双眼鏡を使って、より詳細を知ろうとしていました。
リザやステラは、憑かれたように覗きをするジェフを止めます。悪い予感が当たるから占い師になれば良かったと語るステラは、いつかジェフが警察のお世話になると言います。
そして、雨が降る夜のこと。ベランダで眠っていた夫婦は、慌てて室内に飛び込みました。そんな中セールスマンは大きな鞄を持って、何度も外に出ては部屋に戻ってを繰り返していました。
不審に思ったジェフは、セールスマンの監視を始めます。のこぎりを手にするセールスマンや、その日から妻の姿がないことに気付いたジェフは、名前も知らぬ隣人に殺害の疑いをかけます。
映画『裏窓』の感想と評価
ほとんどをジェフの部屋から見た隣人や、ジェフの室内という限定的な箇所で撮影されたカメラワークを駆使した映画『裏窓』。
“覗き”という行為を否定していたステラやリザも、結局は他人の生活を覗き、その快楽が強調されて描かれていました。
断片的な情報で、あれやこれやと人格まで推測する……。現代ではリアリティショーの視聴者も感じている、ある種、神の視点を握ったような全能感を、ジェフやリザは味わっています。
その結果、殺人を起こしたと思われるソーワルドの逮捕に成功しました。しかし劇中では、ソーワルドの殺人を確信できるシーンは映されていません。
もしかするとソーワルドはただ、指輪を返して欲しいとジェフに迫っていただけなのかもしれませんし、またあるいは、本当に妻を殺していたのかもしれません。
このようにジェフの主観性で物語が進むからこそ、確かなものをあえて描かないようにしています。これはさらに、ラストのソーワルドとジェフが対峙するシーンで、絶大な効果を与えています。
ラストまでは窓の外やジェフの部屋しか映していなかったカメラが、逆にソーワルド達隣人の側から、ジェフを映すのです。
ジェフを見る側と決めて進んでいた映画は、そこで型を破りました。だからこそ、手に汗握る緊張感が生まれます。
不安定な日々を過ごすジェフは、他人と代わりたいと望みながら双眼鏡やカメラを覗いていました。
裏窓を通して他人の人生を覗く行為は、我々が劇場で映画を見るようです。映画という存在、ひいては自分の日常を忘れられるという、娯楽の意味自体を描いているような作品です。
まとめ
世界で活躍するモデルのリザを演じたグレース・ケリーの美しさには、つくづく圧倒されます。ヒッチコックはグレース・ケリーの存在感を際立たせるため、衣装も事細かく決めました。
それは、本来交わることなどあり得ない対極であるジェフをも魅了できることが納得できる、本当に息をのむほどの存在感でした。
ジェームズ・ステュアートは、色気や誠実さ、それに怪我をして体を拭かれている時の弱々しさなど、実在する人物のような細部まで徹底された演技を見せています。
舞台を限定させ、主人公の妄想じみた推理からサスペンスを成立させるという、ヒッチコックの名人技が光った素晴らしい映画でした。
次回の『電影19XX年への旅』は…
次回は、ヒッチコック監督作品『ダイヤルMを廻せ』(1954)を紹介します。どうぞ、お楽しみに。