俺は悪い病気にかかった。気づかなかったのは症状がなかったから
映画『悪の偶像』が2020年6月26日(金)より、シネマート新宿、シネマート心斎橋他にて全国順次公開されています。
韓国映画界を代表するハン・ソッキュとソル・ギョングという二大俳優が、それぞれひき逃げ事件の加害者の父と被害者の父を演じ、互いの運命が交錯していく様を描くサスペンスノワールです。
監督・脚本は『ハン・ゴンジュ 17歳の涙』(2013)のイ・スジン。『ハン・ゴンジュ 17歳の涙』の主演女優であり『哭声 コクソン』(2016/ナ・ホンジン)で謎の女を演じたチョン・ウヒが凄まじい演技をみせています。
映画『悪の偶像』の作品情報
【日本公開】
2020年(韓国映画)
【原題】
우상 Idol
【監督】
イ・スジン
【キャスト】
ハン・ソッキュ、ソル・ギョング、チョン・ウヒ、ユ・スンモク、ジョー・ビョンギュ、キム・ジェファ、ヒョン・ボンシク、カン・マルグム
【作品概要】
韓国映画界を代表する二大俳優・ハン・ソッキュとソル・ギョングが激突! ある犯罪に巻き込まれたことで人生が一変してしまう人間たちの苦闘を描くサスペンス・ノワール。
監督を務めたのは2013年作品『ハン・ゴジュ 17歳の涙』で長編デビューを飾り、同作品が第43回ロッテルダム国際映画祭タイガー・アワードを受賞し、マーティン・スコセッシ監督から絶賛されたイ・スジン。『ハン・ゴンジュ 17歳の涙』の主演女優であり『哭声 コクソン』(2016/ナ・ホンジン)で謎の女を演じたチョン・ウヒが事件のキーパーソンとなる女を演じています。
第69回ベルリン国際映画祭パノラマ部門出品作品。2019年ファンタジア映画祭で作品賞と男優賞(ハン・ソッキュ、ソル・ギョング)を受賞。第28回釜日映画賞では、主演男優賞にハン・ソッキュがノミネートされました。
映画『悪の偶像』あらすじとネタバレ
市議会議員のク・ミョンフェは、誠実な人柄で、市民から絶大な信頼を集めている政治家です。
ヨーロッパの視察を終え、帰国したミョンフェは、自宅のガレージで恐ろしい光景を見ます。息子のヨハンがミョンフェのBMWを運転し、人を轢いた上、その遺体を家に持ち帰っていたからです。
自宅の監視カメラの映像を見てみると、被害者は、しばらくの間、まだ生きていたことが判明し、ミョンフェは愕然とします。
目撃者はいないことを息子に確認すると彼は苦渋の選択をし、死体遺棄の罪を逃れるため、遺体を現場に戻し、溝に落としました。発見が遅れた理由を作るためです。さらに車を処分したのち息子を自首させました。
小さな工具店を営むユ・ジュンシクは、警察からの連絡を受け、遺体の確認を求められます。見せられた遺体は年をとった男のもので、息子と違うとほっとしたのもつかの間、「溺死体じゃない、交通事故の方だ」と別の遺体を見せられます。それは間違いなくひとり息子のプナンでした。息子だけを生きがいにしていたジュンシクはその場で泣き崩れました。
人気政治家の息子のスキャンダルは世間を騒がすこととなり、ミョンフェは記者会見で、謝罪すると、知事選への出馬を辞退することを表明しました。
ミョンフェがジュンシクのもとに謝罪に訪れた際、ジュンシクが漏らした言葉にミョンフェは驚きます。「それで嫁はどうなりました?」
プナンはリョナという女性と共に新婚旅行に出かけ、その途中で事故に遭ったのですが、一緒にいたはずの嫁の姿がないというのです。一体リョナはどこへ行ってしまったのか?
リョナが証言すれば、遺体をもとに戻したことがバレる恐れがあるとあわてたミョンフェは探偵を雇い、リョナの居場所を突き止めようとします。ジュンシクの自宅を訪ね、こっそりPCに近づくと、リョナの顔が映った写真をまんまとコピーすることに成功します。
プナンとリョナが泊まった海辺のホテルには、「おめでとう」というメッセージとともに胎児のエコー写真が添えられたカードが残されていました。リョナは妊娠していたのです。
息子が人を轢き殺したにもかかわらず、その後の対応が誠実だと、ミョンフェの人気は落ちるどころかむしろ高まり、知事に立候補するよう求める声が大きくなっていました。
ジュンシクの弁護士は目撃者をみつけ、リョナらしき女性が映っている監視カメラの映像をつきとめます。
目撃者は「すごい音がしたが、あそこは誰も通らない道だから見にはいかなかった。女が誰かから逃げていくように走っていた」と証言しました。足をひきずった男が女を追いかけているように見えたといいます。女はその後、インチョン行きのバスに乗ったことが確認されました。
ミョンフェは、リョナが中国から来た不法滞在者であることを突き止めます。不法滞在者の女性たちは、いつ本国に送還されるかわからないため、偽装結婚をすることも稀ではありませんでした。
一方、ジュンシクはリョナが働いていたマッサージパーラからリョナにイ・スリョンという名の姉がいることを聞き出し、養鶏所に向かいました。リョナの行方を尋ねると、異父姉妹だという姉は、「あの娘とは縁を切った」と応え、顔を覆っていた手ぬぐいをとってみせました。彼女の顔半分には大きなやけどの跡がありました。
「私の方が早く結婚したから、妹はそれが許せなかった。リョナは怪物よ。人間の手には負えない」
ミョンフェのスマホに非通知の電話がかかってきて、ミョンフェが出ると「2000万ウォン送金してくれ。他にも探している人がいる」と男の声がし、ライオンズクラブ2Fという場所を告げました。
ミョンフェが車ではっていると、リョナらしき女が出てきました。女はコンビニに入っていき、缶ビールを飲んでいました。出てきた彼女はつわりなのか、うずくまって吐いているようでした。数秒後、リョナの姿が見えなくなっていました。
リョナが意識を取り戻すと、ガムテープで目も口もふさがれ、ぐるぐる巻きにされていました。
目の見えない彼女は、心当たりのある名前を次々と口にし嘆願を始め、「彼の喉を切ったのはスリョンよ」などと口走りました。しかしすぐにその誰でもないと悟ります。誰かに足を掴まれ「殺さないで」と叫び始めました。
リョナを監禁したのはミョンフェでした。彼はリョナの足に注射針を刺しました。その時、人気のないはずのガソリンスタンドに一台の車がライトを点けて停まっていることに気が付きます。
あわてて外に出て車に近づくと、男が乗っており、それはミョンフェにリョナの居場所を告げた興信所の探偵でした。どうやって彼女を見つけたのかと尋ねると、釜山の店相手にネットで買い物をしていたと男は応えました。
その間にリョナは小屋を抜け出して逃げ出そうとしていました。男は「殺すか?」とミョンフェに尋ね、ミョンフェはうなずきました。
男が車を降り、車のトランクを開けた時、車に乗っていたミョンフェはアクセルを踏み、車をバックさせ、男を何度も轢いて殺害します(のちにこの男は元警官のキム・ヨングであることが判明します)。その間に逃げたリョナは警官にかみついて逮捕されました。
リョナは、事故の時、ブナムを探したが、みつからなかったとジュンシクに語ります。「溝に落ちていたんだ」と彼が応えると、溝も見たがみつからなかったとリョナは言うのでした。
ジュンシクは弁護士とともに、事故のあった道を365日仕事で通るという車をつきとめドライブレコーダーを調べました。すると10月8日には溝から手が見えているのに、7日には見えないことに気が付きます。事故は6日に起こったはずです。
ジュンシクは収監されているヨハンに面会を求め、その事実を告げると、「これは殺人だ。君と両親で死体を遺棄したのか?」と疑問をぶつけました。
リョナに面会したジュンシクはリョナから拘置所に行きたいと頼まれます。ここにいては強制送還されると必死で訴える彼女。韓国に来るために私は人を殺しさえしたのだと口走ります。そして「ブナムの子を助けて」と訴え、ジュンシクと約束を交わします。
弁護士はミョンフェの車から一滴も血液が発見できなかったのはおかしいと考え、ミョンフェの家にはもう一台、夫人の車があり、それとすり替えたのだと推論します。調べた結果、BMWはすぐに処分に出されましたが、整備士が処分せず、海外へ横流ししたことが判明します。
弁護士はそれがパキスタンにあることをつきとめ、証拠にできると言いますが、なぜかジュンシクは乗り気ではありません。
それよりも別件でリョナを訴えた人がいることをジュンシクは気にしていました。ウェグアン町のオ・ソッキという人物がそうだと聞き、ジュンシクは会いにいきますが、家には別の男たちがいました。
オ・ソッキという男はかなりの年であったにもかかわらず、リョナと結婚したといいます。女にとっては証明書欲しさの偽装結婚だったのだろうが、証明書は発行されず、女は待てずに逃げたのだと近所の男たちは言いました。
オ・ソッキはそれを苦にして崖から飛び降りて死んだのだと聞き、ジュンシクは、ブナンの遺体と間違えて見せられた別の男の遺体を思い出し、リョナの姉の「あの子は怪物よ」という言葉が脳裏を横切りました。オ・ソッキが足が悪かったと聞き、不安は確信に変わりました。
ウェグアン駅でジュンシクはリョナの姉に電話をかけましたが通じません。その頃、養鶏所では、姉夫婦は無残な死体となっていました。
映画『悪の偶像』の感想と評価
冒頭、市議会議員のク・ミョンフェ(ハン・ソッキュ)が空港内を歩いている際、ガラス越しに、背広を着た男たちのうちの一人が蹴りを入れられている姿がちらりと映しだされます。
ミョンフェに連絡を取りたい男たちが、取れないことで彼の部下につめよっていた場面だということが、あとの展開からわかるのですが、このほんのわずかな光景は、本作が思いもよらぬ犯罪と暴力の世界へと突入していくことを示唆する軽いジョブ的な表現といっていいかもしれません。
本作ではしばしばガラス越しに映し出される光景、つまり登場人物がガラス越しに見る光景が登場します。ジュンシク(ソル・ギョング)の電気修理店から眺める、カラオケボックスからの淡い光が舞う向かいの自宅や、リョナ(チョン・ウヒ)を監禁したミョンフェが、外に停車した車の存在に気付くシーンなど、ガラスの向こうの世界は、この物語の主人公たちを静かに誘い続けます。
絶大な人気を博し、次期知事候補としても期待されている市会議員ミョンフェと、名もない電気修理業を営む労働者ジュンシクという本来なら交わるはずもなかった2人が、交通事故の加害家族、被害家族として出逢うことから物語は動き始めます。
ミョンフェは事件を最小限の痛手で済ませるため、息子が持ち帰った遺体を事故現場に戻す工作をしてから息子を自首させます。
世間と被害者の父親にわびを入れることで、ことは収まるかに見えましたが、ジュンシクの死んだ息子が実は新婚旅行中だったこと、新妻が行方不明になっていることがわかり、物語は新たな展開を見せます。
女はなぜ姿を消したのか? 今、どこにいるのか? ミョンフェとジュンシクがそれぞれの立場から彼女を追う過程はミステリアスで、先が読めない不穏さは一級品のクライム・スリラーとして観客を引きずり込みます。伏線の貼り方なども巧みです。
ここで面白いのは、まったく異なる階級に属し、違った人生を送ってきたはずのミョンフェとジュンシクの姿が次第に見分けがつかなくなっていくことです。
というよりは、ミョンフェが匿名性を守るため、ジュンシクに似てくるといったほうがよいかもしれません。ラフな上着とキャップ。暗がりの中で見ると誰かわからなくなる場面もあります。
一方、ジュンシクは終始見かけは変わらないように見えますが、唯一の目撃者に、「女が誰かから逃げていた。あんたが女を追いかけていた」と言われるシーンがあります。
追っていた男もやはりキャップをかぶり、そして足を引きずっていたと言うのです。ジュンシクも足をひきずっていたため、目撃者はそう証言したのです。
こうして男たちは、皆が同一の格好をして、その素性を見えなくします。どんな立場の人間も、困難にぶつかってそれをなんとかしようともがいている時は同じただの人間にすぎないのだとイ・スジン監督は言っているかのようです。
そんな男たちの前に現れるのがリョナという女です。中国の延辺(エンペン)から来た不法滞在者で、生きるために風俗業に従事し、常に強制送還におびえているという社会の最も底辺での生活を余儀なくされている人物です。
彼女が登場した途端、何もかもが彼女を中心に回り始めます。多くの人間が彼女に近づこうとし、彼女に翻弄されていきます。彼女の前ではどんな人間も肩書など通用しないと言ってもいいでしょう。
リョナという女性のとんでもない個性が徐々に明らかになり、チョン・ウヒが凄まじい演技をみせています。そんな彼女だけが、唯一、「偶像」という欲望から自由なのも示唆的です。彼女は金で物事を解決させようとするミョンフェを嘲りさえします。
「偶像」とは何なのか? それはラストに集約されています。何者かが広いホールを埋め尽くした大勢の聴衆に向かって語りかけています。
顔に火傷のあることからそれがミョンフェだということがわかります。彼はやがてまったくわけのわからない言葉を話し始めますが、聴衆は騒ぐどころが、耳を傾け続け、喝采を送るのです。
人間は常に「偶像」を求め続け、そのイメージに飛びつきたがります。この男が本当にその資格があるのかを問おうとはしません。
一人の神の如き英雄が世界を瞬く前に変えてくれるとばかり盲目的に崇拝するのです。こうした「信仰」に似た感情は決してここだけの特別なものではなく世界中で起こっている「事実」なのです。
この映像と重なって響いてくるジュンシクの「俺は悪い病気にかかった。気づかなかったのは症状がなかったから」という台詞は、大きな意味を持っています。
子どもに対する愛の執着からあるいは自身が「偶像」になろうとしてか、彼は間違った選択をしてしまいました。わかっていたはずなのに、夢を見てしまったのか。
ジュンシクが韓国の英雄であるイ・スンシンの銅像の頭部を爆破した理由は、自ずと明らかでしょう。
まとめ
ハン・ソッキュとソル・ギョングという韓国を代表する二大スターは、これまでにも多くの人生を演じてきましたが、本作でもそれぞれのキャラクターに多様な生命力を吹き込んでいます。
ハン・ソッキュは、ミョンフェの、誠実で信頼できる真面目な人柄の人間という表の顔を見せると同時に、自己保身と権力欲のために犯罪に手を染めていく中、内面から立ち上がってくる冷酷さをのぞかせ、ぞっとさせます。
一方のソル・ギョングも、ジュンシクを純真な罪のない労働者階級の男として演じる一方、ときには暴力も振るっているのではないかと思わせる粗野な部分も垣間見せます。
そんな2人と対峙するリョナを演じたチョン・ウヒは、イ・スジン監督が「このキャラクターを演じられる心身ともにタフで健康な俳優は彼女しかいない」と語ったのも納得の、壮絶な演技を見せています。
降りしきる雨や、霧が立ち込める山道を進む車。水浸しのガレージ、死体が包まれているらしい赤く染まったビニール袋、人の姿がないプラットフォームで鳴り響く携帯電話の呼び出し音など、ディテールを積み上げ、繊細なカメラワークを駆使して不穏なクライム・スリラーとして物語を構築していくイ・スジン監督の手腕は実に鮮やかです。
韓国ノワールとして一級品であるのは勿論のこと、禍々しい社会の闇の部分と、人間の欲望、業の深さを追求した優れた人間ドラマです。