連載コラム「未体験ゾーンの映画たち2020【延長戦】見破録」第1回
映画ファンには毎年恒例のイベント、令和初となる劇場発の映画祭「未体験ゾーンの映画たち2020」は、新型コロナウイルス感染症の影響に翻弄されながらも、全作品の上映が無事終了しました。
その後緊急事態宣言を受け、全国の映画館は休業しました。あらゆる業種で働く人々が苦しい状況に追い込まれる中、映画製作・配給・興行に関わる方々にも、厳しい状況が続いております。
それでも緊急事態宣言の解除を受け、様々な対策を行った上で、映画館での作品上映が再開されました。今回の事態で多くの作品が公開延期された状況で、埋もれかねない傑作・怪作映画を応援すべく、「未体験ゾーンの映画たち」の延長戦実施が発表されました。
その23作品を応援すべく、見破した上で愛情を持って、ご紹介させて頂きます。
CONTENTS
名匠フィリップ・ノイス監督が描く映画『エージェント・スミス』
第1回で紹介するのは、実在の事件を基にしたサスペンス・スリラー映画『エージェント・スミス』。スパイ・サスペンス映画の名匠フィリップ・ノイス監督の作品です。
『ターミネーター: 新起動/ジェニシス』(2015)や『ハン・ソロ/スター・ウォーズ・ストーリー』(2018)、そしてTVドラマ「ゲーム・オブ・スローンズ」(2011~)で世界的に有名な、エミリア・クラークが実在の人物である悪女を熱演しました。
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映画『エージェント・スミス』の作品情報
【日本公開】
2020年(アメリカ映画)
【原題】
Above Suspicion
【監督】
フィリップ・ノイス
【キャスト】
エミリア・クラーク、ジャック・ヒューストン、ソフィー・ロウ、ジョニー・ノックスビル、ソーラ・バーチ、カール・グルスマン、ケビン・ダン、クリス・マルケイ
【作品概要】
ニューヨーク・タイムスのコラムニストであった、ジョー・シャーキーが著したノンフィクションを映画化した、犯罪サスペンス映画です。脚本は『ミシシッピー・バーニング』(1988)を執筆し、『ロシア52人虐殺犯 チカチーロ』(1995)は脚本だけでなく、監督したクリス・ジェロルモが手がけています。
悪女に翻弄され破滅するFBI捜査官を、マーティン・スコセッシ製作のドラマ「ボードウォーク・エンパイア 欲望の街」(2010~)に出演し、『アイリッシュマン』(2019)でロバート・ケネディ司法長官役を務めた、ジャック・ヒューストンが演じました。
『アメリカン・ビューティー』(1999)や『ゴーストワールド』(2001)のソーラ・バーチや、MTVで2000年より放送され、映画化もされたお騒がせ番組、「ジャッカス」シリーズでお馴染みの、ジョニー・ノックスビルらが脇を固めた作品です。
映画『エージェント・スミス』のあらすじとネタバレ
事実に基づくこの物語は、森林の中で、白骨化した遺体が見つかる場面から始まります…。
事件を振り返る主人公のスーザン・スミス(エミリア・クラーク)は、自分を地元で生まれ育った、平凡な女の子だと紹介しました。
しかし彼女の住む町、ケンタッキー州のパスクビルは、鉱山が閉山し会社も倒産し、多くの住民が職を失います。1988年当時、パスクビルの人々は荒んだ暮らしをしていました。
彼女は夫キャッシュ(ジョニー・ノックスビル)との間に、2人の子をもうけました。しかし薬の売買や詐欺行為で稼ぐ夫と離婚します。
スーザンは離婚後も子供たちと共に、キャッシュと同居していました。キャッシュは家でゴロゴロし、子供たちはゲーム漬けの生活です。だらしない元夫に声を荒げるスーザン。
家には刑務所から出たばかりのジョー・B(カール・グルスマン)が転がり込み、女と共に居候していました。
そんな日々に嫌気が差し、キャッシュの商品である薬に手を出し、とがめられるスーザン。彼女も問題を抱えた薬物中毒者でした。
パスクビルに残された仕事と言えば葬儀屋か、薬の売人だけ。自分の仕事は前者にしておけば良かった、と彼女は振り返ります。
そんな折、パスクビルのFBI支局に新たに赴任した、マーク・パットナム(ジャック・ヒューストン)と、乳児を抱く妻キャシー(ソフィー・ロウ)の姿を目撃するスーザン。
マークはこの地で多発する、銀行強盗の犯人を追っていました。夫婦は事件解決を手柄にして栄転し、さらに出世することを望んでいました。
パクスビルから8㎞ほど離れた銀行の前に、張り込んでいた保安官ランディの前に、ナンバープレートを外した怪しい車が現れます。
覆面をした男が降りようとする姿を目撃し、保安官が銃を向けて叫ぶと、男は慌てて車に乗り込み、走り去って行きました。
その通報を受けマークは現場に向かいます。FBI支局の同僚で、やる気のないトッド(クリス・マルケイ)は追っても無駄と、捜査しようともしません。
マークは地元の保安官一家で育った男、ランディに協力を求めます。2人はランディが知る、車の持主の家に向かいます。
そこに例の車が現れますが、容疑者は車を捨て逃亡します。危険を顧みず犯人を追うマークを、将に英雄になりたがっている男だ、と振り返るスーザン。
そんな折、パクスビルの酒場でスーザンの弟ボーンズが、喧嘩騒ぎで銃を持ち出し、相手を負傷させます。
事件をランディ保安官から聞いたマークは、2人でスーザンとキャッシュの家を張り込みます。すると見込み通りボーンズが現れました。
保安官と家に踏み込んだマークは、ボーンズを逮捕し、キャッシュが所持していた薬物を発見します。弟だけでなく、元夫も逮捕されかねない状況に、取引をもちかけるスーザン。
FBI捜査官のマークも、パクスビルの裏事情に通じる人間を必要としていました。後日スーザンとキャッシュは、町から離れた場所で彼と保安官に密会します。
家族を守るためスーザンは電話で、美容院を経営する姉のジョリーン(ソーラ・バーチ)とも相談します。マークは彼女と2人きりになった時に、取引に応じ情報提供者になれと迫ります。
それに応じたスーザンですが、弟の罪を軽くし、元夫を逮捕から守る目的以外に、既にマークに魅かれていたから、この取引に応じたのかもしれません。
こうしてFBI捜査官マークの情報提供者、”エージェント・スミス”が誕生しました。報酬と引き換えに、パクスビルの裏社会の情報の提供を行うスーザン。
周囲は犯罪に絡んだ者ばかりの環境で暮らす彼女に、いつまでもこんな生活を続けるべきではない、とマークは語り掛けます。
彼女は自分が生まれ育ち、家族がこれからも暮らすパクスビルから、離れて暮らすことなど出来ないと答えます。スーザンは狭い世界に縛られるように生きていました。
そんな彼女にとって、マークとの出会いは救いであり、同時に希望でした。しかし後に、これは悪魔との出会いであった、と振り返るスーザン。
マークは連続強盗犯に関する情報を求めます。しかし互いを知る者たちが暮らす、パクスビルの内情を詳細に語ることは、彼女にはリスクの大きいものでした。
よそ者のマークにとって、信頼できる事情に通じた地元住民は彼女だけでした。彼はスーザンを励まし、報酬と身の安全を約束して情報を求めます。
ある日、スーザンは自宅にやってきたジョニー・Bが眠っている隙に、彼のバックの中身を密かに調べます。中には強盗が使用していたショットガンなどの、銃が入っていました。
スーザンは見た物をマークに報告します。いよいよ彼女が強盗事件の核心に近づいた知り、身の危険を訴える彼女に、更に詳細な情報を求めるマーク。
彼女はマークが家族思いだと知っていました。しかし自分なら上流階級出身の妻キャシーより、あなたに様々なことが出来ると、スーザンは思わせぶりな態度を見せます。
マークはその誘いには乗らず、彼女に裏社会の情報をさらに収集できるように、この街で一番重用な人物であるかのように、堂々と振る舞えとアドバイスしました。
自分の家族の安全を気にしつつ、情報を求めた彼女は、強盗犯はジョニー・Bだと確信しマークに伝えます。核心に近づき喜ぶマークに、思わずキスをしたスーザン。
そんな折、またも銀行強盗が発生します。犯行は成功したかに見えましたが、奪った金に行員がしかけたペイント弾が破裂し、金と犯人はペイントまみれになりました。
事件の後、スーザンはマークに呼び出されます。彼女は彼との密会を、今では心待ちにするようになっています。
マークから事件に関する情報を求められるスーザン。するとキャッシュに電話がかかって来ます。それは奪った金も使えず、逃げ場を失った強盗犯のジョー・Bからのものでした。
キャッシュは相手の連絡先の電話番号を、ペンで自分の手にメモします。それに気付いたスーザンは元夫を誘い、行為の最中にその番号を読み取ります。
情報を得たマークは、FBI捜査官や保安官と共に、ジョー・Bが潜んでいた家に踏み込みます。車の中で見守るスーザンの前で、ジョー・Bは強盗犯として逮捕されました。
ついにマークは大きな手柄を立てました。高揚感に酔う彼に、誘いをかけるスーザン。
2人はFBI捜査官と、情報提供者の関係の一線を越え、ついに肉体関係を持ちます。しかしマークはそれを隠し、妻キャシーに念願の犯人逮捕を報告します。
マークの家にスーザンが電話をかけても、それを取ったキャシーは不審に感じません。彼女はスーザンを、夫の協力者の気の毒な女性としか見ていませんでした。
それどころか移り住んだパクスビルで、誰も友人がいないキャシーを、街から離れた店に誘って話し相手になるスーザン。
キャシーは夫のマークが、実に真面目で正義感の強い男だと彼女に話します。そして一時乱れた生活をしていた自分を、マークが受け入れてくれたと打ち明けます。
そしてこの地で手柄を上げれば、将来はFBIで出世の見込める別の場所に転勤し、2人目の子を作るという夫婦の計画を話すキャシー。
女同士で本音を語り合ったつもりのキャシーは、スーザンも新たな出会いを見つけ、本当の幸せを掴むように勧めます。
そんな会話とは裏腹にスーザンとマークは、今や体目当ての密会を重ねていました。マークは彼女に自分の父の思い出を語り、2人は心も体も許し合う仲になります。
狭いパクスビルの街で、人目を忍ぶ2人の関係は、さらなる深みに墜ちて行きます…。
映画『エージェント・スミス』の感想と評価
実在の殺人事件を被害者視点で描く
スパイ映画のような邦題を持つ作品ですが、本作は紹介した通り1989年に発生し、翌年に発覚した”スーザン・スミス殺人事件”を、資料を読み関係者に取材したジョー・シャーキーが、1993年に発表した書籍「Above Suspicion」を映画化した作品です。
この事件はFBI捜査官が、殺人の容疑で有罪判決を受けた初めての事件として、アメリカ社会に大きな衝撃を与えました。著者は犯人であるマーク・パットナム元捜査官に何度も面会し、様々な調査を終えた上で原作を記しました。
マーク・パットナムは刑期を模範囚として務め、妻を心労で亡くしたものの、子供を育ててくれた妻の両親とは良好な関係を維持したそうです。どうやら彼は、何らかの人を引きつける魅力を持っていたことは確かのようです。
ジョー・シャーキーは彼との面談を繰り返し、証言に矛盾が見いだせなかったことから、彼の言い分を評価した上で本を記しました。寂れた街に現れたFBI捜査官と、彼に初めて紳士的に扱われた荒んだ生活の女が、泥沼の愛憎劇に墜ちた結果の事件だと解釈しています。
しかし犯行現場を目撃した者のいない、実際に何が起きたかは誰にも判らない事件です。映画はスーザン・スミスに焦点を当てた、少し異なる描き方をしていますが、原作者は映画の内容に充分満足しているようです。
本作を見た方は、この事件をどのような物語として受け取ったでしょうか。
公開までに苦労した作品
原作者が映画の内容にも、スタッフや出演者にも充分満足していた本作ですが、完成後日の目を見るまでに、奇妙な経緯をたどっています。
本作は2016年のカンヌ国際映画祭で上映されています。しかし海外からの買い手も決まらず、米国内でも公開が決まらない状態が続きました。
そんな中、どういった事情があったのか2018年トルコで、本作の海賊版のDVDが販売される事態が発生します。オンラインで他国でも見れる状態であり、気付いた者が関係者に知らせ、至急配信を停止させる事態となります。
その後米国内での公開は2019年と発表されましたが、その年が明けても、米では公式リリースされていません。しかし2019年に世界に先駆け、中東地域で公開されました。本作の公式予告編にアラビア語字幕が付いているのは、そんな事情があるようです。
これには世界で同時に公開されような大作映画でも、小さな公開から広げていくインディーズ映画でもない、程々の規模をもった本作の様な作品が、配給も公開形式も扱いにくい存在となった、そんな事情が反映した結果と言われています。
映画の公開の方法や市場が多様化・国際化する中、製作者が売り込むのに扱いにくい作品や、望んだ形で公開できない作品も生まれています。そんな作品が思わぬ形で世に出たりするのも、世界の映画界を取り巻く時代の流れの結果でしょうか。
そんな本作が日本では、劇場で公開されたのですから…”様々な理由から日本公開が見送られてしまう傑作・怪作映画を、映画ファンの皆様にスクリーンで体験いただく”という、「未体験ゾーンの映画たち」の謳い文句は、決して伊達ではありません。
汚れたエミリア・クラークの熱演が凄い
「ゲーム・オブ・スローンズ」で人気上昇中の、エミリア・クラークの主演作なら、様々な国のバイヤーが買い付けそうですが、本作の彼女は実にドン引き級の熱演です。
イギリス出身の彼女が、アメリカの貧困層白人を演じるのもチャレンジですが、裏社会に通じた女で薬物中毒、おまけにリンチされるなど、ズタボロ姿で登場します。
無論ベットシーンもありますが、フィリップ・ノイス監督流の、エロチック・サスペンスを期待すると実に控え目です。エミリア・クラークは、別の分野で体を張りました。
撮影は『ヴァンプ』(1986)や『アイ・アム・サム』(2001)など、様々なジャンルを手がけるベテラン、エリオット・デイヴィス。本作では荒廃した街と住人の姿を見事に描いた結果、従来のフィリップ・ノイス作品風の、スタイリッシュさはありません。
「ゲーム・オブ・スローンズ」で、エミリア・クラークのファンになった人が見れば、その姿に絶望的な気分になること必至です。これが中々公開されなかった理由でしょうか。
逆に言えば、アメリカの地方に住む貧困白人層を描いた、生々しい作品です。舞台は80年代末ですが、その貧困と荒廃が現在まで続き、トランプ政権を生んだ原動力だと知れば、現在映画化してこそ、見る者の心に響いてくるものがあります。
原作者ジョー・シャーキーも映画化に際し、かつて事件の取材のために訪問した地を再度訪れ、当時と同じように今だ荒廃したままの街の姿を目撃しました。
そんなアメリカの深刻な現状に注目すると、別のメッセージ性を持ってくる作品です。
まとめ
想像以上にヘビーな気分になる映画、『エージェント・スミス』。実録犯罪映画として、アメリカの負の現代史の一面を描いた映画として、そして汚れたエミリア・クラークを愛でる映画として、どうかお楽しみ下さい。
監督がフィリップ・ノイスだからか、はたまた製作費をかけたおかげか…その結果公開が難しくなったのかも知れませんが…出演者は中々豪華です。下ネタを封印し演技に徹したジョニー・ノックスビル、ベテランのケビン・ダン、クリス・マルケイには注目です。
何といってもソーラ・バーチは見逃せません。フィリップ・ノイス監督作『パトリオット・ゲーム』(1992)と『今そこにある危機』(1994)で、ジャック・ライアン=ハリソン・フォードの娘役を、子役として演じていました。
その後も活躍を続けた彼女ですが、色々あって2012年から2015年までの間、学業に専念するため女優業を休業します。そして復帰間もない時期に、撮影に参加した作品が本作です。
彼女が女優業の再スタートに選んだ作品の1つが、子役時代の彼女を一躍スターにした『パトリオット・ゲーム』の、フィリップ・ノイス作品だと思うと…、何かグッときませんか?
次回の「未体験ゾーンの映画たち2020【延長戦】見破録」は…
次回の第2回は、社会の底辺に生きる男が賞金を目指し、拳を武器に檻の中で戦うアクション映画『デスマッチ 檻の中の拳闘』を紹介いたします。お楽しみに。
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