小津安二郎のフィルモグラフィーの中で最も暗く救いのない作品
『早春』(1956)と『彼岸花』(1958)の間に撮られた『東京暮色』は、その深刻な内容から小津作品の中でも最も暗い救いのない作品の一つとして知られています。
当時の評価は「キネマ旬報」誌の1957年ベスト10で19位となるなど、他の作品と比べて芳しくありませんでした。しかし近年再評価され、小津作品の中で最も好きな作品と公言する人も少なくありません。
映画『東京暮色』の作品情報
【公開】
1957年公開(日本映画)
【監督】
小津安二郎
【脚本】
野田高梧、小津安二郎
【キャスト】
笠智衆、有馬稲子、原節子、信欣三、山田五十鈴、高橋貞二,山村聰、杉村春子、藤原釜足、須賀不二男、浦辺粂子、三好栄子、田中春男、山本和子、長岡輝子
【作品概要】
小津安二郎の最後の白黒作品。原節子と有馬稲子が姉妹を演じ、母と娘、夫と妻など愛情の断層に焦点をあてた小津安二郎のフィルモグラフィーの中でも最も深刻な物語のひとつ。
映画『東京暮色』あらすじとネタバレ
銀行監査役の杉山周吉が雑司が谷の家に帰宅すると、大学教員で評論家の沼田康雄に嫁いだ長女の孝子が2歳になる娘、道子を連れて帰っていました。夫の康夫はイライラして酒を飲む事が多く、喧嘩をしては孝子はしばしば実家に戻ってくるのです。
周吉の会社に化粧品会社を経営する妹の重子が訪ねてきました。妹に誘われてうなぎ屋で昼食を共にした周吉は、同居している次女の明子が重子に5000円の借金を頼みに来た話を聞かされます。何に使うか明子は話そうとしなかったので金は貸さなかったと重子は言い、早く明子を結婚させるようにと兄に忠告するのでした。
その頃、明子は恋人の木村憲二を訪ねて彼のアパートに来ていました。留守だったので隣の部屋に住んでいるバーテンダーに憲二がどこにいるのか知らないかと尋ねますが、まともに答えてもらえません。
部屋の中では見知った顔が何人かで麻雀をしていました。そのうちの一人の川口登という男から、五反田の麻雀屋のおかみが明子のことを根堀葉掘り聞いて回っていると聞かされます。しかし明子には心あたりがありません。
明子は憲二を探してあちこち歩き回り、壽荘という麻雀屋を訪れました。そこは川口が語っていた「おかみ」の店でした。おかみの喜久子は、以前、牛込の東五軒町に明子たちが住んでいた時に、自分も近所に住んでいたのだと話しました。
帰宅した明子は姉に喜久子のことを話し、死んだと聞かされていた自分たちの母ではないかと尋ねました。実際のところ、母親は彼女たちが幼いころに男を作り家を出ていたのです。
その日も明子は木村を探し、あちこち歩きまわっていました。「ガーベラ」というバーで木村のことを尋ねていた時、偶然木村が店に入ってきました。
明子が木村の子どもを身ごもっていることを告げると、木村は本当に自分の子どもかと疑い、明子はショックを受けます。夜の9時半に喫茶店の「エトワール」で会おうと言って木村は立ち去りました。
エトワールで木村を待っていた明子は刑事に補導され、孝子がもらい受けにやってきました。父には内緒にしておきたかったのですが、2人が帰ったとき、父は起きていて、明子を問いただしました。いたたまれなくなった孝子は明子をかばい、二階に上がらせるのでした。
孝子は父に母を知らない明子の寂しさを理解してあげてと語りかけますが、周吉は自分は明子を十分大切に育ててきたと主張してききませんでした。
春子が明子の縁談相手の写真を持って家にやってきました。春子は、喜久子と街でばったり会ったことを話し、周吉と孝子を驚かせます。喜久子が五反田で麻雀屋を開いていると聞いて明子の話を思い出した孝子は、喜久子のもとを訪れる決心をしました。
喜久子は孝子との再会を喜びましたが、孝子は、明子に母だとは名乗らないでくれと冷たく言って立ち去りました。
明子は産婦人科の病院を訪ね、違法の堕胎手術を受けました。家に戻ると孝子から春子が持ってきた縁談話を聞かされますが、明子はすぐ2階にあがり、床に伏して涙します。
しばらくして、周吉は、同窓の関口と会い同窓会を開く運びとなりました。帰り際、周吉は関口から明子がやってきて5千円貸したことを聞かされます。
明子は孝子が喜久子を訪ねたことを知り、姉を問い詰めます。事情を知った明子は自分が父の子ではないかもしれないと言い出しました。孝子は強く否定しますが、明子は納得していないようでした。
明子は喜久子を訪ね、「一体私は誰の子なのですか?」と尋ねます。喜久子は周吉の子に間違いないから信じてちょうだいと涙ながらに語り、明子も安心したようでした。しかし喜久子が雀荘で噂になっていた明子の妊娠について触れると、明子は態度を変え、「子どもを生んだとしてもお母さんのように捨てたりはしない」と言い捨て飛び出していきました。
映画『東京暮色』の感想と評価
なぜこの映画はこんなに暗澹としているのでしょうか。この暗さは前作の『早春』にも通じますが、『早春』が、まだ救いのある終わり方をしていたのに比べて、こちらはまったく救いがありません。
もう一度結婚相手とやり直そうとする原節子の姿もただ痛々しく、笠智衆にいたっては、悲しみにくれる“儀式”すら与えてもらえないように見えます。
複雑な家庭状況と、若い娘が抱えた問題の重さは、小津作品にはあまり登場しないモチーフだけにいささか居心地の悪い感じがしますが、題材自体は寧ろ陳腐で通俗的ともいえます。しかし陳腐で通俗的な物語が小津にかかれば、極めて魅力的な作品となることに改めて驚かされます。
普段は作風の「軽妙さ」の中に隠されていますが、小津は常に「人間は所詮一人である」、「人とは孤独なものである」ということを描き続けてきた作家です。本作はそうした小津の悟りの世界を、「軽妙さ」で包み込まず、直球で突き進めた作品といえるかもしれません。
物語は、雑司が谷の坂道を行ったり来たりする銀行監査役の笠智衆と、夫との不和で実家に戻ってきている長女・原節子を中心に据えながら、主に、次女の有馬稲子が自身のテリトリーを歩きまわることで進んでいきます。恋人の住むアパート、Bar、喫茶店、雀荘などを彼女が歩き回るのは、恋人を捕まえてあることを告げたいからなのですが、恋人は彼女を避けて逃げ回っていて、なかなか会うことが出来ません。
さらにその界隈の人間たちが、これまたいつもの小津映画とは違い、まっとうでない、はみ出し者ばかりなのです。とりわけ、雀荘で、面白おかしく歌にして辛辣に有馬稲子の暴露話を始める高橋貞二などはいつものコミカルな人のいい役柄とは180度異なる役回りで驚かされます。それゆえに、本来なら来るべきでない領域に踏み込んでしまっている有馬稲子の尋常でない転落ぶりがクローズアップされるのです。
「エトワール」という深夜喫茶で恋人を待ち続ける有馬稲子。この喫茶店がまた実にいかがわしく、アンニュイな雰囲気で、奥の壁には、ロバート・ミッチャムの出演映画の大きなポスターが見えています。しかし何より恐ろしいのはマスクをしたトレンチコートの男が映し出される場面です。彼は、青少年科の私服警察なのですが、まるで誘拐犯のようです。そう、この映画の登場人物は誰ひとりとして「らしい」という言葉があてはまりません。これまでの小津映画とは明らかに違っているのです(杉村春子だけはいつものキャラクターですが)。
そんな有馬稲子の足取りを、原節子がなぞることで、物語はさらに深い絶望へと進行して行きます。かつて自分たちを捨てた母親との再会。娘たちに冷酷な言葉の数々をあびせられ、一人ぽつんと取り残される山田五十鈴の姿は悲しくも哀れです。
それでも尚、娘が「さよなら」を言いに来てくれるのではないかと盛んに列車の窓を覗いては期待している母と、じっと家でその時間が過ぎるのを待っている原の姿を観ていると、二人の溝の深さがひしひしと伝わってきます。
ラーメン屋で熱燗を頼んだ有馬のもとに、恋人が偶然入ってきます。心にもないことを言って近づいてくる恋人を有馬は激しくビンタすると、店を飛び出していきます。しばらくすると、外が騒々しくなり、店主が「ちょっと観てきますわ」と飛び出ていき、「あんたの知り合いの娘さんが電車にひかれたらしい。行ってやらんのですか?」と言って戻ってきます。若い恋人は、その椅子から動こうとしません。動けないのです。事故をみせず、カメラは取り残された男の方に向けられるのです。こんななさけない男に惚れてしまって、と観るものは嘆息せずにはいられません。
「やり直したいやり直したい」と一時意識を取り戻して叫んでいた有馬でしたが、次のシーンでは喪服姿の原が現れ、「亡くなったのか」と観客は肩を落とすことになります。
最後に原も夫のもとに戻り、ひとりぼっちになった笠智衆は、いつものように支度をし、坂を降りていくシーンで映画は終わります。
『東京暮色』は取り残された人を描く映画です。自身の行いが直接的であれ、間接的であれ、他者に大きな影響を及ぼして取り残される人々。深い悲しみを持ちながら、尚も生きていかなければいけない人々。それを描いているからこそ、この映画はこんなに暗く哀しいのです。
まとめ
『東京暮色』は小津にとっては自信作でしたが、当時、あまり高い評価を得ることが出来ませんでした。そのため、小津と脚本家の野田高梧コンビは、このあと『彼岸花』(1958)という彼らのある意味お得意の分野に立ち返ります。映画会社からの要請もあったのかもしれません。小津は『彼岸花』を皮切りにカラー作品を発表していきます。
旅芸人の一座を描いた『浮草』(1959)という例外的な作品はありますが、多くは明朗な家族劇で、年頃の娘の縁談話を扱った作品『秋日和』(1960)、『秋刀魚の味』(1962)といった作品を残します。
いずれも評価の高い人気作ですが、『秋日和』や『秋刀魚の味』などを小津は本当に撮りたかったのだろうかとふと考えるときがあります。『早春』『東京暮色』といった作品が小津の本当に撮りたかったものだったのではないでしょうか? その路線を続けていけばどのような傑作が生まれていたでしょうか。