こんにちは「Cinemarche」のシネマダイバー、金田まこちゃです。
このコラムでは、毎回サスペンス映画を1本取り上げて、作品の面白さや手法について考察していきます。
今回ご紹介する作品は、ウィルスの拡散が収束した後の世界を舞台に、忌々しい記憶に苦悩する主人公を描いたスリラー『CURED』です。
人間を凶暴化させる、新種の病原体による壊滅状態に陥ったアイルランドを舞台に、「回復者」と呼ばれる存在になったセナンが遭遇する、人間の恐ろしさを描いたスリラー。
回復者となった青年セナンを、ロン・ハワード監督の『白鯨との闘い』など、多くの映像作品に出演している、サム・キーリー。
セナンの理解者となる義姉アビーを、映画『JUNO/ジュノ』で、アカデミー賞主演女優賞、ゴールデン・グローブ賞女優賞などにノミネートされた、エレン・ペイジ。
アイルランドの注目新人監督、デビッド・フレインが、監督と脚本を務めています。
CONTENTS
映画『CURED』のあらすじ
感染した人間は凶暴化してしまう新種の病原体「メイズ・ウィルス」。
ヨーロッパ全域に拡散された「メイズ・ウィルス」は、特にアイルランドへ壊滅的な被害をもたらします。
ですが、「メイズ・ウィルス」の治療法が発見された事で、世界は秩序を取り戻し始めました。
「メイズ・ウィルス」の拡散から6年後、感染者のうちの、75%は正常に戻り「回復者」と呼ばれ社会に復帰しますが、残りの25%は、軍が管理する施設に収容されていました。
回復者の1人であるセナンは、施設で友人になったコナーと共に、社会復帰しますが、かつて人を襲っていた回復者を、社会は怪物扱いし、受け入れようとしません。
セナンは、義理の姉でジャーナリストの、アビーの家に同居する事になります。
セナンの兄で、アビーの夫だったルークは、「メイズ・ウィルス」の感染者に襲われ命を落としています。
アビーはセナンを好意的に迎え入れ、残された息子のキリアンと対面させ、3人は家族のように過ごし始めます。
セナンは新たな仕事として、「メイズ・ウィルス」の感染者が収容されている、軍の収容所で働き始めます。
収容所には、感染者を1人でも回復させて救おうとする、ライアンズ博士が研究を続けており、セナンは助手として雇われます。
収容所の感染者は、セナンを襲おうとせず、ライアンズ博士から「回復者はウィルスが体に残っており、仲間と判断される為、感染者に襲われない」と聞かされます。
また、収容所の地下には、多くの感染者が収容されており、「これ以上の救済は不可能」と考えた軍は、安楽死を計画していました。
さらに、「メイズ・ウィルス」の回復者は、感染して人を襲っていた時の記憶が残っており、セナンはルークの死に関する、断片的な記憶に悩まされていました。
一方、セナンと共に社会へ復帰したコナーですが、感染前は選挙に出馬するほどのエリートだった事から、自身に与えられた、清掃員の仕事に不満を抱えていました。
社会への反抗的な態度から、軍の上層部にも目を付けられたコナーは、回復者に対する世間の差別に対抗する為、回復者だけの反乱組織を結成します。
コナーは、友人のセナンにも、反乱組織に入るよう誘います。
セナンは、収容所にいた時に世話になった、コナーの誘いに一度は乗りますが、その活動は犠牲者も出してしまう程の、危険な内容でした。
コナーの危険な思想に、恐怖を抱いたセナンは、コナーを軍の上層部に引き渡そうとします。
ですが、コナーは軍を振り切って逃走、回復者による反乱の、最終計画を実行します。
サスペンスを構築する要素①「ウィルス終焉後の絶望的な世界」
正体不明の病原体により、凶暴化した人間がもたらした、絶望的な世界を描いた『CURED』。
いわゆる「ゾンビパニック」映画ですが、本作の特徴は、凶暴化した感染者を鎮静化させ、騒ぎがある程度収束した世界を舞台にしているという事です。
「メイズ・ウィルス」によるパニックで、荒廃した街並みに住む人達は、明らかな疑心暗鬼に陥っているなど、騒ぎが収束したはずの世界からは、絶望的な雰囲気しか感じません。
さらに、街全体を軍が統括しており、一般市民は逆らう事を許されない、独裁的な空気に支配されています。
本作の前半は、凶暴化した感染者が人を襲うという「ゾンビパニック」映画の恐怖は薄れていますが、「ゾンビパニック」映画の多くが描かない、騒動収束後だからこその、絶望的な世界を舞台にしており、中盤以降のエピソードにリアリティを持たせています。
サスペンスを構築する要素②「回復者たちの反乱」
凶暴化した感染者のパニックにより、荒廃した世界を舞台にした映画『CURED』。
本作のもう1つの特徴が、主人公のセナンが、凶暴化した感染者からの、回復者であるという設定です。
回復者は、収容所での治療を終え、社会に復帰する事を許されますが、前述したように、人々が疑心暗鬼に陥っている社会で受け入れられる訳も無く、回復者は徹底した差別を受けます。
セナンを受け入れた、義姉のアビーも、家に嫌がらせを受ける等、回復者に対する差別は深刻なものになっています。
この、回復者に対する差別に対して、全てを受け入れ耐えるセナンに対し、セナンの友人であるコナーは、反乱組織を作り、徹底して戦う姿勢を見せます。
凶暴化するウィルスからの回復者という、自分の意思ではコントロールできない事への差別に対する、セナンとコナーの考え方の違いが、中盤の物語の主軸となります。
セナンを仲間に引き込みたいコナーが、セナンの家族とも言える、アビーとキリアンに近付き揺さぶりをかけるという、サスペンス的な恐怖が強調されます。
本作は中盤まで、恐怖の対象は、回復者への差別であったり、街を支配する軍人であったり、回復者への反乱を企てるコナーであったりと、人間による恐怖となっています。
サスペンスを構築する要素③「セナンを苦しめる記憶の真相とは?」
回復者が抱える恐怖は、徹底した差別だけでなく、自らの記憶にもあります。
回復者は「メイズ・ウィルス」により凶暴化し、人を襲っていた時の記憶が残っており、その記憶に苦しめられる事となります。
セナンは兄であり、アビーの夫であったルークを、凶暴化した際に襲ってしまった記憶に悩まされています。
この記憶には、セナンを襲った感染者はコナーであるという、もう1つの秘密があります。
作中で、軍の上層部は「感染者は何も考えずに人を襲っている訳では無く、誰を襲い仲間に引き込むかを考えている」という台詞があります。
もし、コナーが最初から、セナンを仲間に引き込む為に襲っていたとしたら、その後、収容施設でセナンに親切にしたのは、全て計画的だった事になります。
また、セナンがルークを襲った事実が、アビーと決裂する理由となりますが、セナンとアビーにとって大事な人であったルークを失った絶望が、「メイズ・ウィルス」に感染しながらも、生き続けているキリアンに対する希望に代わるという、素晴らしいラストへ繋げています。
映画『CURED』まとめ
本作で描かれているのは、混乱状況に陥った時の、人間の恐ろしさとなっています。
秩序の安定しない、荒廃した世界だからこそ、人は人を信じられず、回復者への差別に繋がっています。
回復者は「メイズ・ウィルス」に感染し、理性を失わないように戦いながらも、自分ではコントロールできなくなります。
自分ではコントロール不可能な理由から起きる、理不尽な差別。
この点は「人種差別」を連想させ、現在も無くならない人類の汚点を強調した展開となります。
物語の終盤では、収容されていた感染者たちが街に溢れ、「ゾンビパニック」映画ならではの恐怖が描かれていますが、ここでも、恐怖の主軸は、一般市民を力で従わせようとする軍人であったり、自分のプライドから、街を意図的に混乱に陥れた、コナーの傲慢さんであったりと、人間の内面となっています。
ただ「怖いのは人間の内面」というテーマは、『CURED』が特別ではなく、ゾンビ映画の多くは、極限状態で明らかになる、人間の内面の恐怖を描いた作品が多いです。
ですが、ここまで荒廃した世界を作り上げ、「人種差別」と「公民権運動」を絡ませながら、最期は人間の未来が持つ希望を、キッチリと描いた本作の監督、デビッド・フレインの見事な手腕は必見です。
次回のサスペンスの神様の鼓動は…
連続殺人犯に翻弄される刑事が直面する真実を描く、実際の連続殺人事件をモチーフにした、サスペンスミステリー『暗数殺人』をご紹介します。