連載コラム『だからドキュメンタリー映画は面白い』第41回
空爆されたシリアの病院で、母は娘を撮り続ける。
今回取り上げるのは、2020年2月29日(土)よりシアター・イメージフォーラムほか全国順次公開の『娘は戦場で生まれた』。
内戦激しいシリアにおいて、一人の現地女性がビデオカメラを手に、連日起こった生と死を克明に記録します。
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映画『娘は戦場で生まれた』の作品情報
【日本公開】
2020年(イギリス・シリア合作映画)
【原題】
For Sama
【監督】
ワアド・アルカティーブ、エドワード・ワッツ
【製作・撮影】
ワアド・アルカティーブ
【製作総指揮】
ベン・デ・ペア、ネバイン・マボーロ、シオバーン・シネルトン、ジョージ・ウォルドラム、ラニー・アロンソン=ラス、ダン・エッジ
【キャスト】
ワアド・アルカティーブ、サマ・アルカティーブ、ハムザ・アルカティーブ
【作品概要】
内戦激しいシリアで、死と隣り合わせの中でカメラを回し続ける女性ワアド・アルカティーブの姿をとらえたドキュメンタリー。
女学生を経て母となったワアドが、娘のために生きた証として残した5年の記録をたどります。
撮影と監督を担当したワアドに加えて、エミー賞受賞、英国アカデミー賞ノミネート経験を持ち、数多くのドキュメンタリー映画を撮ってきたエドワード・ワッツも共同監督として参画。
その衝撃の内容は、ドキュメンタリー監督の第一人者マイケル・ムーアが、「史上最もパワフルで重要なドキュメンタリーの一つ!」と絶賛するほど。
映画賞においても、第92回アカデミー賞の長編ドキュメンタリー賞にノミネートされ、第72回カンヌ国際映画祭の最優秀ドキュメンタリー賞を含む55を超える賞(2019年12月時点)を獲得するなど、世界各国で高い評価を得ました。
映画『娘は戦場で生まれた』のあらすじ
2012年、シリア北部にある都市アレッポ。
民主化を求める市民の抗議運動に端を発した内戦が混迷の一途をたどる中、ジャーナリスト志望のアレッポ大学生のワアド・アルカティーブは、デモ運動への参加をきっかけにスマホで映像を撮り始めます。
しかし、平和を願う彼女の想いとは裏腹に、抗議行動やデモに対するアサド政権による弾圧は激しさを増すばかり。
そんな中、ワアドは医師を目指す友人のハムザと恋に落ち、娘のサマを授かります。
母としてサマの成長をカメラに記録する一方で、ワアドは連日ハムザの病院に運び込まれる空爆の犠牲者たちの惨状も、同時に収めていきます。
それは、彼女が自らに課した運命でもあったのです――。
生を受けた直後に死の危機に晒されるシリア
本作『娘は戦場で生まれた』の冒頭、監督で撮影者であるワアド・アルカティーブが、病院内で生まれて間もない娘のサマの笑顔を映します。
ところがその直後、突然爆音が響き、辺り一面が煙だらけに。
咳き込みながら慌てて地下に逃げていくワアドのカメラには、呼吸器を付けて運ばれていく他の幼児たちの姿が飛び込んできます。
人間としてこの世に生を受けたばかりなのに、いきなり死の危機に晒されてしまう――これはドラマではなく、現実のシリアで起こっていることなのです。
シリアでは、実権を握るアサド政権とそれを支援するロシア軍による空爆が多発。
その爆破ポイントとして集中的に狙われるのが、戦時国際法によって禁じられているはずの、医師や市民がいる病院です。
ワアドの夫で医師のハムザは、同僚たちと廃墟に見立てた仮設病院を作り、日々担ぎ込まれる負傷者の治療にあたります。
一般市民側から見た、不条理に憑りつかれたシリアが映し出されます。
母としてジャーナリストとして
いつ死ぬやもしれぬ状況下にいながら、ワアドのカメラは人間の“生”をとらえます。
遊び場の代わりとして大破したバスにペンキで色を塗って楽しむ子どもたち、食糧難に苦しむ中で「毎日の爆撃は昼ドラみたいなもの。出演するのはお気に入りの爆弾」と冗談を言うワアドの知人女性、そんな彼女に一個の柿をプレゼントする夫…。
そして何よりも、結婚式を挙げてサマを授かったワアドとハムザ夫妻たちも含めた、数々の生きている証が映し出されます。
しかし、そうしたつかの間の安らぎを凌駕するほどの凄惨な光景に、ワアドも観客も直面することに。
次々と起こる死に耐え切れなくなったかのように、サマの愛くるしい笑顔を交互に映すワアド。
爆撃で死んだ親子の存在を知った際に、「子どもを埋葬する前に死んだから」という理由で死んだ母に嫉妬するなど、母親としての思いが強くなりすぎる面も露呈します。
自問自答しながら、それでもワアドは一人のジャーナリストとしての顔を保とうとします。
“沈黙”で殺されたくないから語り続ける
参考動画:『ラッカは静かに虐殺されている』予告
実在した戦場ジャーナリストのメリー・コルヴィンの生涯を描いた、マシュー・ハイネマン監督作の『プライベート・ウォー』(2019)。
この作品でメリーは、シリアの激戦区であるホムスに赴き、地下室に隠れる女性たちの過酷な現状を、危険を顧みず伝えようとします。
元々ドキュメンタリー監督であるハイネマンは、アサド政権軍と武装勢力ISIS(イスラム国)に支配されたシリアの惨状を発信する市民ジャーナリスト集団“RBSS”に密着した『ラッカは静かに虐殺されている』(2017)も発表しています。
ワアドやRBSSのような現地の市民がジャーナリストとなって情報を発信する動きは、スマホやSNSの普及などで一気に広まりました。
シリアで内戦が起こっているということは頭では知っていても、現地で暮らす人々の悲痛な叫びまでは知られていないし、知ろうともしない。
だからこそ、彼ら自身が、ダイレクトに素早く全世界に拡散させるのです。
本作『娘は戦場で生まれた』でも、空爆で亡骸になった子どもを抱えながら、「全部撮ってちょうだい!」とカメラに向かって泣き叫ぶ母親が映ります。
ワアドは、ニューヨーク・タイムズで以下のメッセージを寄せています。
沈黙の中で殺されることが一番辛いと思います。だから私は語り続けます。生き残った女性としてそれが私の義務であり、責任です。
本作の原題は『For Sama(サマのために)』。
ワアドの映像記録は、サマのためでもあり、悲惨な状況を訴えることすらできずに命を落としたシリア市民のためでもあります。
娘の名前「サマ」とは、アラビア語で「空」を意味します。
でも、ワアドがサマに見てほしいと願う「空」とは、ロシアの爆撃機も飛ばずに空爆も起こらない、太陽と雲と鳥だけがある、「空」なのです。
次回の連載コラム『だからドキュメンタリー映画は面白い』もお楽しみに。
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