大阪出身の骨太映画監督・阪本順治が、全く「らしくない」と言われそうなSF分野に進出?
昭和の名残を引きずる大阪の団地。そこで繰り広げられる、まるでお好み焼ソースのように濃い濃い人間模様。
藤山直美のおばちゃんと、そのダンナに岸部一徳。そして、ひと癖あるにもほどがある団地住民たち。
仰天させられる仕掛けが飛び出す、ぶっとびのストーリーをご紹介します。
映画『団地』の作品情報
【公開】
2016年(日本)
【監督】
阪本順治
【キャスト】
藤山直美(山下ヒナ子)、岸部一徳(山下清治)、大楠道代(行徳君子)、石橋蓮司(行徳正三)、斉藤工(真城)、冨浦智嗣(吉住将太)
【作品概要】
阪本監督が、第24回日本アカデミー賞最優秀監督賞ほかを受賞した『顔』(2000)で起用した主演女優、藤山直美と16年振りに再び組んだ作品です。
監督は、当初から藤山直美をイメージしてオリジナル脚本を書き上げたとか。
石橋蓮司、岸部一徳、大楠道代ら「阪本組」とも呼ばれる、常連の名優陣も共演。可笑しくもどこか哀しい団地に生きる人々を熱演しています。
映画『団地』のあらすじとネタバレ
老舗の漢方薬店を営んでいた、ヒナ子と清治の夫婦。最愛の息子を交通事故で亡くして悲しみにくれる2人は、店を畳んで団地に引っ越し、はや半年。ひっそりと暮らす日々でした。
ヒナ子は、スーパーのレジ係のパート。清治は、近隣の林をぶらぶら散策するのが日課です。そんなある日、漢方薬店の客だった男、真城が2人のもとを訪ねてきました。
「ごぶさたです」のつもりで「五分刈りです」などと言う真城。日本語が不慣れだと言うのです。漢方薬を買いたいと言う真城に清治は、廃業したので無理ですわと答えます。
噂話が生き甲斐の、団地住民たちが集う自治会。次期の自治会長候補にされた清治は、密かに闘志を燃やしていました。しかし結果は落選。「ええ人やけど人望がない」と住民に言われ、ショックのあまり台所床下にある収納庫の中に隠れてしまいます。
一切外に出なくなった清治。住民たちの間に、清治が蒸発したという噂が立ち始めます。自治会長の行徳の妻、君子が様子を見に来ても、清治は床下に隠れたままです。
清治が消えて3カ月。まさかヒナ子が清治を亡き者に…と疑い出した住民たち。一方、再びやって来た真城は、自分の同郷人5千人分の漢方薬を作ってほしいと頼んできます。
5千人分は無理ですわと言う2人に、二週間だけ待つと言う強気な真城。一体あなたは何者?と聞くヒナ子に、真城は「漢方薬を作ってくれたら恩返しをします」と言うのです。
夫婦は、昼夜を徹して漢方薬の調合に励みます。ゴミ出しにでたヒナ子に突然、テレビ局のレポーターがマイクを向けてきました。ご主人が行方不明ではと聞かれ、ヒナ子は大声でえんえん笑い続けます。その不気味な姿が放送され、団地住民の疑惑はますます深まっていきます。
真城が、赤ん坊を抱いた妻と弟をつれてやって来ました。彼らを見た住民は、何かの怪しい組織ではとおののきます。ヒナ子は行徳夫婦を部屋に招き、驚くべき真実を打ち明けるのです。
映画『団地』の感想と評価
阪本順治監督が、まさかのSFオチ。どんでん返しのシャラマンに匹敵する勢いです。
亡くなったはずの家族と再会。映画や小説ではお馴染みの題材です。例えば『異人たちとの夏』(1988)では若き日の両親が、『母と暮せば』(2015)では戦争に行った息子が、ある日突然、元気だった頃と全く同じ姿、同じ笑顔でひょっこりと現れます。
しかし、向こうから自発的にやって来てくれるのではなく、生きている者が無理やり彼らを蘇らせようとしたら?なぜか状況は全く変わってきます。
例えばスティーヴン・キング原作の映画化『ペット・セメタリ―』(1989)。小さな息子を失くした主人公は、禁断の“蘇りの墓地”にその亡骸を埋葬。墓から蘇ったのは、もとの息子ではありません。そしてW・W・ジェイコブズの短編『猿の手』。亡くなった息子を無理やり生き返らせようとする夫婦には、ぞっとする最悪の結末が待っています。
そしてこのヒナ子です。気丈に見えても、ふとしたきっかけで息子を思い出し涙にくれる。コメディとはいえ、「あの子に会いたい」と訴えるヒナ子の姿には胸が痛みます。願いを叶えると言う謎の男、真城に、もしや爆笑版の『猿の手』展開か…と勘ぐってしまいました。
ところが後半、ストーリーはあさっての方向へ。真顔で「効果きしめんです」などとのたまう真城ですが、ギャグが不自由なのではなく日本語が下手。つまり人間ではなくて「宇宙から来た人」だというのですから衝撃です。
意識こそ「核」であると説く真城。ニューエイジか、はたまたマインドフルネスか。あの世とこの世をつなぐのがエイリアン。そして息子と再会するのに必要なアイテムが、あろうことか「へその緒」。え、それってクローン再生と違う?と気弱に突っ込んでみますが、団地から宇宙へと羽ばたいた世界観は、もはやとどまることを知りません。
さらに、肝心のへその緒を玄関に置き忘れるというアンビリーバブルなヒナ子。さすが、ボケを全うする関西人の鏡。こちらも関西人らしく「なにやっとんねんこのスカタン!」とどやしてしまいました。異星人の真城も「ははははは」と笑いながらヒナ子に腹を立てる始末です。
藤山直美と岸部一徳。この最強コンビなら、後半のドンデモ展開がなくとも十分見応えのあるドラマになったとは思います。阪本監督は、この映画を人情劇の名作リストに加える気はなかったのか、ラストも解釈自由な余白たっぷり。それでも、夫婦に幸せが訪れたことだけは間違いないようですから、ああよかったとほっこりしました。
まとめ
ある時は昭和の遺産でありノスタルジーの対象。そしてまたある時はホラーや怪談が生まれる不思議な場所。そんな存在が「団地」です。
高度経済成長期まっただ中の昭和40年代。都市部に続々と建つ団地は、まさに地方民の憧れでした。それも今や、つわものどもが夢の跡。時代や高齢化の波に押され存続の危機を迫られている現実もあり、いつかは消え去る運命かもしれない儚さの象徴にも見えます。
この映画では、そんな団地に根を下ろす人々をとことん逞しく描いています。家庭事情のヒエラルキー、本性むき出しの自治会、ゴミ出しついでの井戸端会議など、狭い世界のしがらみに立ち向かう毎日。真城の故郷が大きな宇宙なら、団地もまた小さな宇宙です。
ベランダから向かいの団地を眺め、「団地ておもろいな。噂のコインロッカーや」とつぶやくヒナ子。都会のマンションのような、住民同士の心理的距離感はなさそうです。しかしヒナ子が感じるのは、親しみよりは「馴れ合い」、親切よりは「干渉」です。
でも、そんなめんどくさい団地という宇宙の中でも、ヒナ子と君子の心の通い合いのような、かすかに瞬く星くずが見つかることもあるのですから、捨てたものではありません。
「そんなことがあり得ないと思うことがあり得るのが団地や!」。石橋蓮司演じるお調子者の自治会長、行徳正三が叫びます。この台詞が全てかもしれません。団地に命を吹き込んでいるのは人であり「なんでもありや!」と笑える人がいる限り団地の魅力は尽きません。
ずっと眺めていたいと思った場面。それは、ヒナ子と清治が漢方薬を作るシーンです。原薬をこね、丸め、小さく切って顆粒にする行程が、手元のアップで丁寧に描かれます。もくもくと作業をする2人。芸術ともいえる手仕事の素晴らしさと、息のあった夫婦の人生を感じさせる、無言の時間。もっとも強く印象に残った映像でした。