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Entry 2019/11/14
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【ヘザー・レンズ監督インタビュー】映画『草間彌生∞INFINITY』水玉の奥から草間彌生を発見したアメリカ人女性監督

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  • Cinemarche編集部

映画『草間彌生∞INFINITY』は2019年11月22日(金)より、渋谷PARCO8F WHITE CINE QUINTOほか全国ロードショー!

70年以上に渡り、水玉を用いた独自の絵画、彫刻、パフォーマンスなどの表現に挑み続けてきた前衛芸術家・草間彌生。2016年のTIME誌の「世界で最も影響ある100人」にも選出され、アート・ワールドを代表する1人となりました。

そんな草間彌生ですが、今まであまり知られてこなかったアート活動や、渡米した草間が受けた差別や不平等に、当時大学生であったアメリカ人のヘザー・レンズ監督が注目しました


(C)Cinemarche

今回、草間映画を構想から『草間彌生∞INFINITY』の完成に至るまで、約14年の歳月を掛けたヘザー・レンズ監督に取材を行いました

前衛芸術家草間彌生の魅力にはじまり、ヘザー監督自身の状況の変化で見えてきた彼女への思いや、活動の根幹にある監督自身の衝動まで、多岐にわたり語っていただきました。

草間彌生を知るきっかけ


SONG OF A MANHATTAN SUICIDE ADDICT, 2010-present. Image(C)Yayoi Kusama. Courtesy David Zwirner, New York; Ota Fine Arts,Tokyo/Singapore/Shanghai; Victoria Miro, London/Venice; YAYOI KUSAMA Inc.

──大学時代、草間彌生の作品に出会った経緯についてお聞かせください。

ヘザー・レンズ監督(以下、ヘザー):私は大学で美術史と彫刻を専攻していました。当時の美術史の教科書は非常に分厚い書物だったのですが、その本の中で取り上げられていた女性のアーティストはほとんどおらず、合わせても僅か5名だけでした。もちろんその中に草間彌生さんは入っていませんでした。

彫刻の講義で初めて彼女の作品に出会いました。椅子の彫刻の作品(1965)の写真です。観た瞬間に強烈なインパクトを受けました。その当時、アメリカで草間さんの作品カタログは1冊しか出版されていませんでしたが、幸運にも地元オハイオ州の美術館で作品カタログを手にすることができたのです。そこから草間彌生の生い立ち、アメリカに渡ってからの作品や彼女の人生を知り、非常に感銘を受けました。


(C)Cinemarche

ヘザー:しかし、当時のアメリカのアート界は彼女のアート界への貢献を認識していませんでした。私は正しく理解されるべきだという強い感情が沸き起こり、今回の制作のモチベーションになりました。

2004年から映画化の企画に着手し、14年の時を経てようやく2018年に完成にこぎつけました。その間に、まさか草間彌生というアーティストがこれほどまで再評価されるとは思ってもいませんでした。

映画製作の経緯


(C)2018 TOKYO LEE PRODUCTIONS, INC. ALL RIGHTS RESERVED.

──この映画を制作するにあたってまず初めにどのようなアプローチをしましたか?

ヘザー:最初は草間彌生さんに私の創作の意志を伝えるため、彼女の電話番号を入手することからはじめました。幸運にも手に入れることができたのです。そして日本の友人に、電話をしてもらいました。

友人にまず自分のアイデアと野心について伝えました。私は当たり前のように彼らも自分と同じ位ワクワクしてくれるかと思ったんですが、とても事務的な感じで「それはテレビか何かのものなのか?」「どこの事務所の委託なのか」などと言われました。
ああ、こういったインディペンデントな物作りー自分の情熱によって作りたいというコンセプト自体を、彼らに理解してもらわないといけないのか。これはもしかしたらとても複雑な作業になるのではないかと感じました。

2004年から情報を収集し、その後オーロラ奨学金基金から助成金を受け、日本に行くというドリームプロジェクトを立ち上げ、彼女に会うことができました。

──その時に初めて草間さんにお会いしたんですね。

ヘザー:そうです。私は彼女に会うときに備えて、日本語と挨拶の方法を学んでいきました。ところがアトリエに初めて行った時に、彼女は自ら扉を開けて、とても自然にアメリカ風の挨拶で緊張している私を受け入れてくれました。この日を楽しみにしていた私は彼女と話している間ずっと喜びに満ちていました。

最後に、草間さんに「とても幸せな日でした」と伝えたら、「私もよ」と言ってくださったのを覚えています。

草間さんは体調によっては予定をキャンセルするかもしれないと言われました。私は本人に会えるかもしれないという興奮と共に、もしも会えなかったら…と不安でした。

これはインディペンデントな企画だし、奨学金の残高も無くなっているし…。

当時は今ほど存在が知られていたわけではなかったから、彼女の情報についてはあまり出回っていませんでした。だから本人に会い、直接インタビューできたのは大変素晴らしい体験でした。

戦争と私


(C)Cinemarche

──今回の作品の中で、印象に残っていることの一つに「戦争」という視点があります。この点について監督自身がどのような思いで撮影されたのかお聞かせください。

ヘザー:私が夫と出会ったのは、この作品の映画制作中なんですが、結婚も出会いも制作している間の出来事でした。また、草間さんは70年代の前半までアメリカで暮らし、ベトナム戦争に反対するためのアート活動をしていました。当時アメリカのマスコミは彼女のセンセーショナルな部分に焦点を当てていて、彼女のバックグラウンドを全く理解していませんでした。

草間さんは第二次世界大戦中、学業を断念し軍事工場で働くことを余儀なくされたという経験があります。そのことからあらゆる戦争に対して反対の表明をしているのです。

そういった彼女の背景を知らずに鑑賞しても素晴らしさは十分伝わるのですが、彼女の歴史を通じて作品に深く切り込んでいき、その視点から草間自身をより理解してもらいたいという気持ちがあったのです。

第二次世界大戦中、日本に原爆が落とされそれは日本だけでなく世界中でセンセーショナルな大事件でした。そしてそれは過去の出来事ではないのです。今も戦争が起こりうるという事実に対し、私たちはあまりに想像力が欠如しています。

記録映像で原爆を搭載した爆撃機が、広島に向かうのを見ることがあります。私たちはその映像からは爆撃機が及ぼす影響についてイメージしません。

当たり前のことですが、その爆撃機は人を殺すために飛行しており、原爆が投下されるということは、その爆撃機の下で多くの人々が犠牲になるということです。そのことに思いを馳せた時、胸に迫る悲しみが生じました。

私の夫は広島出身の日本人で、彼の祖父は原爆で亡くなっています。彼を通じて、戦争が家族に与える影響は、戦争後も続きます。10年、20年、いや何年経ってもその傷は残ります。彼と出会ったのはこの作品の制作中ですが、そのことが草間彌生の歴史を理解する上で新たな視点を与えてくれました。

草間彌生を消滅させない


Artist Yayoi Kusama drawing in KUSAMA-INFINITY.(C)Tokyo Lee Productions, Inc. Courtesy of Magnolia Pictures.

──草間さんは、水玉によって自己存在を消そうと試みましたが、ヘザー監督は撮影を通じて草間彌生の存在を露わにしていきました。監督自身の目を通して、“露わになった草間彌生という存在”はどのようなものでしたか?

ヘザー:草間さんは、インターナショナルなアーティストの先駆者の1人だと語られます。私は文化的な背景も含めて彼女のことを伝えたかった。草間さんのモチベーションの所在を明らかにしたいという目的で、この映画を撮り始めました。

“草間彌生を正しく理解してもらいたい”と思う過程で、女性だから正しく扱われなかったと言うことに踏み込む必要がありました。撮影を通じて彼女の詳細が明らかになっていく中で、時代の確信をつくアーティストが、与えられるべき注目が与えられず、どれほどの不当に扱われたのかを知ることになったのです。


(C)Cinemarche

ヘザー:私も「女性」監督です。映画界も美術界と同様な部分があります。

それは1950年代に草間彌生が渡米した当時とそれほど変わらない状況があります。男性だったら生じない壁にぶつかります。正直、この映画を編集している時には、自分の怒りとリンクしてしまうのですが、それも伝えるべき重要な情報だと感じました。

それはこれまで語られてきた美術史や書籍とは真逆なこともあったからです。

だからこの作品を上映後、ある美術史の男性教授が私の元に来て「これからは違った形で彼女を伝えたい」と言ってくれたのは嬉しかったですし、若い女性のアジア人の親子が、アジアの女性が力強く描かれていて、とても嬉しかったと感動してくれました。

私の夫は、小さい時にテレビドラマ『スタートレック』の中にアジア人のキャラクター・ミスター加藤がいるだけで勇気づけられたと言っていましたが、それでもまだこの変化は僅かですし、ハリウッドではまだまだだと感じています。

今回の作品が、今後のダイバーシティーに貢献できればと思っています。カメラの中はもちろん、カメラの後ろでも変化していかなければならないのです。

インタビュー・出町光識
写真・河合のび
構成・くぼたなほこ

ヘザー・レンズ監督のプロフィール


(C)Cinemarche

脚本家、映画監督、プロデューサーとして活動し、主に類稀な人生を歩む人々に焦点を当てたドキュメンタリー映画や自伝映画を手がける。

ケント州立大学 美術学部を卒業し、南カリフォルニア大学 映画学部で美術学の修士を取得。自転車発明家に焦点を当てた短編ドキュメンタリー映画『Back to Back』(2001/未公開)は学生アカデミー賞にノミネートされ、世界中の映画祭で上映された。

美術学生時代に草間の作品にはじめて触れ、一目見た瞬間から魅了される。彼女について探求していく中で、15年にわたる草間のニューヨークでの創作活動が、アメリカのアート界に及ぼした影響が見落とされていることに気がつく。

ドキュメンタリー映画『草間彌生∞INFINITY』の企画を始めてから約10年。ヘザー監督自身も、草間彌生が世界で最も売れた女性アーティストになるとは思ってもいなかった。

映画『草間彌生∞INFINITY』の作品情報

【公開】
2019年11月22日(金)(アメリカ映画)

【原題】
KUSAMA:INFINITY

【監督・脚本】
ヘザー・レンズ

【出演】
草間彌生ほか

【作品概要】
世界で最も人気のある芸術家のひとりである草間彌生。彼女の美術史に残した軌跡と、今なお活躍する姿を収めたドキュメンタリー映画。

長野県松本市に生まれた草間彌生の少女時代から、まだ海外に出ることが容易ではなかった時代に単身渡米し、アート活動をおこなっていた貴重な姿と共に、多くの証言者によって明かされる、意外な草間彌生に迫ります。

草間の苦難と挫折、不当な扱いと中傷に苦しみながらも、それらを乗り越え、アートワールドから正当な評価を勝ち取り、現在の地位と人気を手にします。孤高な女性の知られざる姿が、今明らかにされます。

映画『草間彌生∞INFINITY』のあらすじ


Yayoi Kusama, Infinity Mirrored Room-Love Forever, 1966/1994. Installation view, YAYOI KUSAMA, Le Consortium, Dijon, France, 2000. Image(C)Yayoi Kusama. Courtesy of David Zwirner, NewYork; Ota Fine Arts, Tokyo/Singapore/Shanghai; Victoria Miro, London; YAYOI KUSAMA Inc.

1929年長野県松本市で、4人兄弟の末っ子として生まれた草間彌生。幼くして幻覚を見て自我を失う体験に遭遇し、その頃から水玉や網目を用いた幻想的な絵画を描き始めます。

地元の名家で育った草間ですが、両親は彼女の創作活動に理解を示しませんでした。この頃の体験が後の彼女の創作活動と人生に、極めて大きな影響を与えます。

アメリカを代表する女流画家ジョージア・オキーフの作品に出会った草間は、彼女に深く傾倒します。また理解者を得て、1952年に地元・松本で初の個展を開きました。

彼女がオキーフに手紙を送ると、嬉しいことに返事が送られてきます。それは彼女に芸術界の中心である、都会での活動を薦めるものでした。

この言葉に力づけられた草間は、アメリカに向かう事を決意します。渡米前に彼女は、向こうで今以上に良い絵が描けるはずだと信じ、書きためた2000枚の絵を河原で焼き捨てます。

1957年に渡米した彼女は、飛行機から目にした太平洋の光景をモチーフに絵画「パシフィック・オーシャン」を創作。それは水玉と並んで草間の代表作となる、“無限の網”が誕生するきっかけとなりました。

ニューヨークで活動を開始した草間ですが、当時の画壇は男性優位の時代、女性は画廊に入る事すら出来ませんでした。そこで彼女は東洋人女性である事をアピールし、パトロンを得ようと行動します。

こうして理解者やパートナーを得た彼女は、1959年にNYで初の個展を開きます。立体作品や空間を使った展示方法、鏡や電飾を使った革新的アート作品を次々と発表する草間。

1960年代後半にはベトナム反戦運動に参加、“裸のハプニング”と呼ばれるパフォーマンスを行います。ヴェネツィアの国際美術展覧会“ヴェネツィア・ビエンナーレ”へのゲリラ参加、映画『草間の自己消滅』の製作・出演など、世間を騒がす前衛芸術家として注目を集めます。

しかし当時は、女性芸術家には余りに厳しい時代でした。草間の作品は他のアーティストの創作に刺激を与えても、作品自体は正当に評価されません。

また彼女の過激なパフォーマンスは、70年代に入り世の中が保守化すると、特に故郷・日本から激しいバッシングを受けます。精神的にも追い詰められた彼女は、自殺未遂を起こします。

1973年、やむなく日本に帰国した草間。しかし日本の美術界に、彼女の居場所はありませんでした。強迫神経症を患った彼女は、自ら入院しそこを活動の拠点とします。

日本では誤解され、ニューヨークでは忘れ去られ、70年代後半から80年代にかけてのアート・シーンから消え去った草間彌生。

しかし、やがて草間彌生を再評価しようとする機運が日米共に高まります。1989年にニューヨークで回顧展「草間彌生」が開かれ、1993年の“ヴェネツィア・ビエンナーレ”に彼女は日本代表として参加します。
そして現在彼女の作品は、あらゆる文化圏の、あらゆる世代に受け入れられているのです。

映画『草間彌生∞INFINITY』は2019年11月22日(金)より、渋谷PARCO8F WHITE CINE QUINTOほか全国ロードショー!



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