映画の中で会話劇というと、どんな作品を思い出しますか?
今年2016年に公開された、クエンティン・タランティーノ監督の『ヘイトフル・エイト』も傑作でしたね。
しかし、日本映画の中に同年に公開された映画『セトウツミ』も、なかなか洒落たセンスの作品。
今回は、大森立嗣監督の『セトウツミ』の深〜い意味をご紹介いたします。
映画『セトウツミ』の作品情報
【公開】
2016年(日本)
【監督】
大森立嗣
【キャスト】
池松壮亮、菅田将暉、中条あやみ、鈴木卓爾、成田瑛基、岡山天音、奥村勲、笠久美、牧口元美、宇野祥平
【作品概要】
W主演を務めたのは、現在人気と実力のある池松壮亮と菅田将暉。また、漫画家の此元和津也の人気コミック『セトウツミ』を完全実写映画化。
関西弁の高校2年生が、放課後にまったりと無駄な会話を楽しむだけで、繰り広げるシニカルな人生問答の様を描きます。監督は、『まほろ駅前多田便利軒』『さよなら渓谷』の大森立嗣監督です。
映画『セトウツミ』のあらすじとネタバレ
学校帰りの放課後、お決まりの川べりで高校2年生の内海想と瀬戸小吉は、たわいもない会話をしながら今日も過ごします。
性格の異なる内海と瀬戸だが、くだらない言葉遊びで盛り上がったり、瀬戸が片思いする樫村へ送るメールで悩んだり、時には深い話も語り合ったりします。
内海と瀬戸の2人の会話には、全く中身がなく、だらだらと話をするだけなのです。
そこに、ヤンキーの先輩鳴山が通りかかったり、大道芸人のバルーンアーティストとも、少しばかりの会話をすることもありますが、特に大きな事件は起こりません。
まったりと流れる時間だけが、そこにあり移り行く季節と共に、瀬戸と内海の無意味な会話は止まりません。
映画『セトウツミ』の感想と評価
この作品は、コミカルな会話劇を楽しむ映画です。
では、たわいもない会話劇に、何が隠されているのでしょうか?
高校2年生の内海想と瀬戸小吉の“放課後の暇つぶし”の会話には、どんな意味があるのか。
少し視点を変えてみると“死の匂い”という闇を感じさせる映画になっていることに気がつきます。
例えば、自死しそうな遠い目をしたオッサン(鳴山の父)、余命宣告された瀬戸の愛猫ミーにゃん、フランダースの犬のネロとパトラッシュ(抱き合いながら死んだ名シーンの再現)、「もうアカン」と嘆く瀬戸の父親など、挙げればいとまがありません。
他にも、寺、食虫植物、オバケ、幽霊、川に投げ捨てられる子ども、太宰治(自死といえばお決まり)など、そうです。
なぜ、このようなキーワードを散りばめたのか?それは、
思春期に特有にある“世界の何もかもが虚しく見えてしまう空虚さ”。
“無駄に時間だけが過ぎ大人になっていく不安”を、映画の世界観として具体化させて見せようとしたからでしょう。
すでにお気づきとは思いますが、内海と瀬戸が眺めている舞台となった川べりとは、三途の川なの象徴なのです。
このような点に気がつくと、「この映画どこが面白いの?」と思ったあなたも、一層映画に流れる川(諸行無常)の深みにはまっていきませんか。
まとめ
この作品は、思春期の抱えた不安を人生に重ね合わせることで、内海と瀬戸の会話が禅問答に見えるように試みた点が、大森立嗣監督の仕掛けた巧みな演出なのです。
これは、クールでインテリな内海想の「想」は、僧侶の「僧」であり、おバカでお調子者の瀬戸小吉が、小坊主と考えれば、理解しやすいのではないでしょうか。
仏教用語の「四苦八苦」は、 苦の意味は、俗にいう苦しみのことではなく、思うようにならない様を指します。
誰でもが持つ根本の苦とは、「生、老、病、死」の四苦のことです。
瀬戸の誕生日、瀬戸の祖父祖母、愛猫ミーにゃんを見せることで、「生、老、病、死」の全てがこの映画に盛り込まれていますね。
他に「八苦」では、「愛別離苦(愛する者と別離)」では、「愛猫の死、樫村の恋、鳴山親子」など見せ、
「怨憎会苦(怨み憎んでいる人に会う)」では、「先輩鳴山」を配置、
「求不得苦(求める物が得られない)」では、「誕生日プレゼントのガチャポン、夏休み最後のパラシュート花火の不発、瀬戸の片思いの樫村、樫村からの内海への恋心」など物語に入れ混んでいます。
さらに、「五蘊盛苦(人間の肉体と精神が思うがままにならない)」では、「思春期の憂鬱」の多々な描写を盛り込んだことで、「四苦八苦」を描いたのです。
ちょっと難しくなりましたが、単純に面白い作品。
クスッと笑っちゃって観るのが一番な映画。
でも、このシンプルでありながらも、この深さは、ちょっと邦画には見当たらない秀作ですよ。
ぜひ、『セトウツミ』をご覧くださいね。