住所、氏名、電話番号、メールアドレス、勤務先、個人情報はもちろん、彼女、元カノ、浮気、趣味嗜好すべてがばれます。ただ、スマホを落としただけで。
作家の五十嵐貴久が、小説の解説にて「予言しておく。本書によって、日本のミステリーは劇的に変わる」と宣言したほど、ミステリー界に新たな新風を巻き起こした作品。
志駕晃の『スマホを落としただけなのに』が、実写映画化されました。
監督は『リング』の中田秀夫監督。ホラー映画の巨匠、中田秀夫監督が、現代ミステリーの恐怖をどのように演出するのか。
原作との違いを分析し、映画『スマホを落としただけなのに』の魅力に迫ります。
CONTENTS
映画『スマホを落としただけなのに』の作品情報
【公開】
2018年(日本映画)
【監督】
中田秀夫
【原作】
志駕晃の同名小説
【キャスト】
北川景子、千葉雄大、成田凌、田中圭、原田泰造、バカリズム、要潤、高橋メアリージュン、酒井健太、筧美和子、桜井ユキ、北村匠海
【作品概要】
2017年「このミステリーがすごい!」大賞で受賞は逃すも、隠し玉作品(ベストセラーになる可能性を秘めた作品)に選ばれた、志駕晃の『スマホを落としただけなのに』を、『リング』の中田秀夫監督が実写映画化。
主人公・麻美役に北川景子、麻美の彼氏・富田役に田中圭、また刑事役の原田泰造、千葉雄大、セキュリティ会社社員役の成田凌、と豪華キャストが勢ぞろい。
映画『スマホを落としただけなのに』のあらすじとネタバレ
麻美の彼氏の富田が携帯を落とした。
麻美はそのことを知らず、富田に電話をかけます。その電話に出たのは、聞き覚えのない男の声でした。
落ちていたスマホを拾ったという男は、「指定のカフェに預けておくから取りに行って下さい」と、麻美に提案。麻美は何の疑いもなく、カフェに富田のスマホを取りに行きます。
無事、スマホを取り戻した麻美でしたが、その日から次々と不可解な出来事が起こり始めます。
女友達・加奈子(高橋メアリージュン)の誘いでSNSを更新した麻美に、しつこく付きまとうネットストーキング男の出現。身に覚えのないクレジットカードの請求。浮気現場の写真がメールで送られてきたり、SNSのログインを変更する案内が届いたり、麻美と富田はお互いを信じられない状況に追いこまれます。
時を同じくして、山の中で次々と女性の遺体が見つかります。すべての女性の遺体は下腹部をめった刺しにされ、長い黒髪を切り取られていました。事件を担当する刑事、毒島(原田泰造)と加賀谷(千葉雄大)は、ネット犯罪の闇へと捜査を進めます。
そんな中、富田のスマホが、ランサムウェアというコンピューターウィルスにかかります。麻美は、SNSで知り合いだったネットセキュリティ会社の人を通じて、浦野(成田凌)を紹介してもらいます。
浦野によってウィルスは削除され、安心する麻美と富田。しかし、その夜さらなる事件が麻美に襲い掛かります。
『スマホを落としただけなのに』映画と原作の違い
原作の本質を崩さず、なおかつ映像で分かりやすく、キーになる場面がギュッとまとめられています。
原作では、3つの視点でストーリーが進んでいきます。スマホを拾った男、稲葉麻美のまわり、そして犯人を追う刑事の視点です。
ゆえに麻美と富田が、自分のスマホに異変が起き始め、まわりに疑心暗鬼になっていく様が、丁寧に細かく描写されています。
また同様に、スマホを拾った男の「なりすまし」の巧妙な手口や、山の中で死体を発見する刑事の捜査の苦難も、原作を読んでいると知ることができます。
その他にも、原作と映画の違いをいくつかご紹介します。
音があるかないかの違い
なんと言っても、小説と映画の大きな違いは「音」があるかないか。
小説の文字だけの世界でどっぷりハマった後、映画を観ると音楽が新鮮に聞こえます。BGMや主題歌には物語の世界を広げる効果があります。
映画『スマホを落としただけなのに』の音楽効果には、いい意味で裏切られました。
ホラーの巨匠、中田秀夫監督だけあって、恐怖をあおる演出はさすがです。
スマホを拾った男が、殺した女性の部屋でのうのうと暮らし、次のターゲットのスマホを解読していく狂気じみたシーンに、ハワイアンのBGM。
南国のさわやかな風は、いっさい感じられません。ただただ、そのギャップが怖い。
また、スマホの着信音に注目です。
メロディーが流れる着信音ではなく無機質なアラーム音は、スマホの存在をより強いものにしています。突然鳴り響く着信音。聞きなれているはずなのに、恐怖の音に聞こえてきます。
注目人物の違い
原作と映画では、犯人逮捕までの道のりで活躍する刑事の役が微妙に違っています。
原作では、先輩刑事・毒島(原田泰造)の方がネット犯罪にも詳しく、事件解決の主導権を握っている存在です。しかし、映画では若手刑事・加賀谷(千葉雄大)が率先して活躍します。
しかも、映画の中で加賀谷は犯人と同じ境遇にも関わらず、正義と悪という真逆の立場として登場しています。
ラストでは犯人に「あなたは僕と同じ種類の人間だ」と見透かされる加賀谷の存在は、普通の人間も一歩間違えれば犯罪者になり得るという恐怖を増長させます。
ソーシャルネットワークの名前の違い
映画化ではもろもろの諸事情があるものです。
原作では、LINE、FB、Siriなどソーシャルネットワークの名称がそのまま登場します。しかし映画では、微妙に違う名前になっています。画面も見たことあるような、ないようなといった風です。
最も違和感があったものは、Siriです。麻美が犯人から逃げようと奮闘する場面で、Siri機能を使って電話をかけるシーンがあります。
本来ならば「ヘイ!シリ!」と言いたいところですが、「ヘイ!ネオ!」になっていました。いや十分、伝わります。
麻美の過去の違い
ラストで麻美(実は美奈代)の衝撃的な過去が暴かれますが、原作では美奈代がAV出演の映像をネット流出され、麻美はうつ病でその医療費を支払うために借金をかさね自殺した設定でした。
映画の方では、麻美が株で失敗し美奈代の名義で借金をしてしまい、美奈代への罪を償うために自死した設定になっています。
どちらも、美奈代を死んだことにし、麻美として生きてきたという設定に変わりはないのですが、原作の方が主人公・麻美(実は美奈代)の悪女な面が垣間見えます。
犯人逮捕現場の違い
ラストの犯人逮捕のシーンは、原作だと麻美を監禁した部屋で完結となります。
しかし映画では、さびれた遊園地が舞台となりました。
真っ暗な遊園地にメリーゴーランドだけが楽し気にまわるシーンは、犯人のトラウマの深さや麻美の過去の暗さと対比され印象的でした。
そして原作には全くないセリフ、刑事・加賀谷が犯人に叫ぶ言葉。
「あんたなんか産まなきゃよかった。母親に言われたんだろ」
犯人の幼いころの記憶と加賀谷の記憶とがリンクするシーンは、映画だけの世界観です。
ラストシーンの違い
原作では犯人逮捕後、麻美は病院を出た所で富田からLINEで再度プロポーズを受けます。
映画では、2人の1回目のプロポーズの思い出の場所、プラネタリウムで再会します。より、ロマンチックに描かれた麻美と富田のシーンに事件が無事、解決したのだと安心感が増します。
しかし、2人がプラネタリウムを去った後、後ろにいた若いカップルの男(北村匠海)がイスの下にスマホを落としたまま立ち上がりいってしまいます。
このチョイ役に北村匠海とはなんと贅沢な、続編を期待してしまいます。
このシーンは映画だけのオリジナル。スマホ犯罪は終わらない、次はあなたのスマホが狙われるという注意喚起になっています。
まとめ
『スマホを落としただけなのに』の映画と原作の違いを紹介しました。
原作者のミステリー界の新星・志駕晃は、現在もニッポン放送に勤務しており、ラジオの編集やディレクター、プロデューサーとして多くのラジオ番組を作り上げてきた経歴を持ちます。
ラジオマンが現代の世に警告を放つ。情報を取り扱うプロだからこそ、現代のネット社会の怖さをリアルに描いた作品になっています。
また映画では、原作にはないキャラやシーンを加えることで、ストーリーの本質をより明確にわかりやすく解説してくれています。
スマホを落としただけでこんな事件が起こり得る。むやみにSNSで自分配信している方、あなたの個人情報は大丈夫ですか。
どこまでネット社会の恐ろしさを知っていますか。危険回避能力の低さを自覚しなさいと。
それと同時にこの映画では、スマホでのやり取りだけで生存を疑わない、軽薄すぎる家族関係が浮き彫りになっています。
あなたの一番近くにいて家族や恋人よりも、あなたのすべてを知っている存在、スマホ。ぜひ、大切に扱い、くれぐれも落とさないようにご注意下さい。
原作を読んで犯人を知りながら映画を観るか。
原作を読まずに映画を観て、キャストの演技力で最後の最後まで犯人がわからないという面白さを味わうか。
映画を観てから原作で細かい描写を楽しむか。どこから入っても楽しめる映画です。