“いじめっ子”が謎の車に連れ去られた。目撃者の“いじめられっ子”の少女は警察に話すか、見殺しにするか?
スペインの田舎町で暮らすサラは「PIGGY(小豚)」と揶揄され、クラスメートからいじめられていました。
夏休み中、人目を避けてプールに行ったサラはクラスメートに遭遇してしまい、酷いいじめに遭います。家に帰ろうとしたサラは、見知らぬ車に乗せられたクラスメートの姿を目撃します。
そのクラスメートは、血も流していました。自分をいじめていたクラスメートを見殺しにするか、それとも正直に警察に話すか……サラは思い悩みます。
初監督の短編映画『The Blondes』が世界各国の映画祭にて上映されたカルロタ・ペレダ監督が、2018年に制作した自身の短編『Cerdita』を基に長編映画化。
主人公のサラを演じたのは、『テリー・ギリアムのドン・キホーテ』(2020)のラウラ・ガラン。本作でゴヤ賞、最優秀新人女優賞を受賞しました。
映画『PIGGY ピギー』の作品情報
【日本公開】
2023年(スペイン映画)
【原題】
Piggy
【監督、脚本】
カルロタ・ペレダ
【キャスト】
ラウラ・ガラン、カルメン・マチ、リチャード・ホームズ、カルメン・マチ、カミーユ・アギラル、ピラール・カストロ、クラウディア・サラス
【作品概要】
監督を務めたのは、TV業界でキャリアを積んだカルロタ・ペレダ。ゴヤ賞を受賞した『Cerdita』を基に長編映画化しました。本作が初長編映画となります。
主人公のサラ役には、舞台で経験を積み『テリー・ギリアムのドン・キホーテ』(2020)など映画・ドラマと幅広く活躍するラウラ・ガラン。
またサラの母親役を、ペドロ・アルモドバル監督の『トーク・トゥ・ハー』(2002)、『抱擁のかけら』(2009)、『私が生きる肌』(2011)に出演したカルメン・マチが務めました。
映画『PIGGY ピギー』のあらすじとネタバレ
スペインの田舎町。ティーンエイジャーのサラは「PIGGY(小豚)」と揶揄され、クラスメートからいじめられていました。
両親は肉屋を営み、夏休み中のサラは親の店で勉強をしながら手伝いをしてしました。その姿を見つけたクラスメートのマカとロシはその姿を写真に撮り、SNSに@「三匹の小豚」とサラと両親を馬鹿にして投稿します。それを見てしまったサラは、悔しくても何もできずにいました。
ある夏休みの一日、親の目を盗んでサラは一人でプールに向かいます。すると、プールには誰もいません。恐る恐る水着に着替えたサラの前に見知らぬ男が水の中から現れサラは驚きます。
ところが、そこにマカ、ロシ、クラウがやってきてしまいます。見ず知らずの男を見て「恋人でもできたの?」と揶揄います。
その上、泳いで逃げようとするサラに網をかぶせて笑いながら動画を撮り始めます。溺れてしまうとサラが必死にやめてと頼んでも、冗談だからと相手にしません。
サラは泳いで網から抜け出します。すると、マカたちはサラのナップザックと着替えを奪って行ってしまいます。
サラは泣きながら皆を追いかけますが、見失ってしまいます。水着姿で走っているところに一台の車がやってきます。車に乗っていた男たちはサラを見て「ベーコンが走っている」と揶揄ってきます。
サラは泣きながら叫びますが、男たちはその姿を見て更に笑います。男たちから去った後もサラは泣きながらマカたちに奪われた服を探しますが、マカたちの姿はどこにも見当たりません。
その時物音がしてマカが地面に這いつくばって出てきます。怪我をしている様子でした。サラが驚いているとマカは車に乗せられていきます。
車に乗っていたのは、プールにいた見知らぬ男でした。車にはクラウも乗っていましたが、サラは恐怖からその場に立ち尽くし声も出せず失禁してしまいます。
その姿を見た男はその場にタオルを落とします。サラはそれを拾うと男に行くように合図します。男は車を走らせてどこかに行ってしまいました。
サラはタオルを巻いて急いで家に帰ります。途中、交番にいた犬に吠えられ、警官にサラは声をかけられますが、振り切って家に帰ります。
その夜、マカとロシ、クラウが家に帰らず、クラウの母親はサラに何か知らないかと聞きにきます。サラとクラウは幼馴染でかつては仲が良かったのです。
翌日、プールの底から死体が発見され、大きな事件も起きたことがない田舎町では大変な騒ぎになります。サラの母親も野次馬に混ざりプールの現場に向かいサラは動揺して吐いてしまいます。
プールに行ったというサラの母親の話を聞いて、警察はサラに事情聴取しようとしますが、サラはプールには行っていない、川で泳いだと言います。なぜ嘘をついたと母親に問い詰められ、サラは母に皆にブタと呼ばれいじめられていることを明かします。
その日から母親はサラにいじめられないためには痩せるしかないと、食事も野菜しか出さないようになります。サラは、本当のことを言うべきか悩み、恐怖を感じていました。
映画『PIGGY ピギー』の感想と評価
外見を揶揄され、いじめられてきたサラに迫られる選択。
本作は、単なるリベンジホラーではなく、サラの複雑な心理構造によって、ティーンの成長譚のようでもあり、人が恐怖や同調圧力に打ち勝っていく姿を描くパワフルなエンパワメントでもあり、社会の構造の嫌な部分を描いている映画でもあるのです。
サラは自分に自信がなく、それは外見からくるものだけではありません。抑圧的な母親から役立たずのレッテルを貼られ、自分で選択すること、意思を持つことから逃げています。
抑圧がサラから自信を奪い、鬱屈を抱えさせています。サラはティーンらしく、愛や性に興味を持ち他者から魅力的に見られたいという欲求を抱いています。
サラが犯人を目撃したことを警察に話せなかったのは、自分も顔を見られているという恐怖もありますが、男がサラを意識していることを感じ取り高揚感を覚えていたということもあるのではないでしょうか。
男はサラの外見を揶揄することはなく、揶揄していたクラスメートを拉致した人物です。サラの好物のお菓子を窓から投げ入れたり、サラに対しなぜか犯人の男は優しくします。
しかし、その奥には男の鬱屈した欲求も感じ取れます。男はサラの自己肯定感の低さを利用し、自分の言いなりにさせようとしているのかもしれません。
サラが、男とともにいることを選んだとしても、母親同様サラの意思を奪う存在になったのでないでしょうか。
サラが最後に選んだ選択は、誰にも支配されず、自分自身でいることです。揶揄されても自分で自分のことを恥ずかしいと思う必要はない、自分自身を愛していいという力強さをラストのサラからは感じます。
また、いじめられているサラに対し、罪悪感を抱きながらも自分もサラと同じ目に遭うことに怯えるクラウの姿も印象的です。クラウはサラとお揃いのブレスレットをつけていました。
幼友達であったサラとクラウ。しかし、いじめに加担していなくても見て見ぬふりをするクラウは同罪といえ、クラウ自身はそのことも分かっていました。
クラウの人間らしさ、弱さは私たちにも通じるものがあるのではないでしょうか。正しいことを貫くことは、時に大きな勇気と強さが必要です。誰しもが立ち向かう強さを持ち得ているわけではないのです。
同様にサラ自身も強い人間ではありません。いじめられていても誰にも相談することができずにいる上に、恐怖からクラウが攫われた後お揃いのブレスレットを外しています。
それでも最後にサラは、クラウのように見捨てる選択ではなく、見捨てない選択をするのです。
まとめ
「PIGGY(小豚)」と呼ばれているサラ。日本においても「豚」という言葉にはネガティブなイメージがついているのではないでしょうか。
クラスメイトはサラの外見から揶揄い、自分より低俗だと決めつけ、サラという人間の中身には目を向けようとしません。それはサラの両親もそうです。
母親は小言ばかり、極端なことを言うばかりでサラの悩みや何を思っているかなど全く気にせず、自分一人では何もできないと決めつけています。父親はサラに優しいようで、無関心なだけのように見えます。
積み重なった抑圧からサラ自身も、「どうせ私なんて……」という考えが染み付いてしまっています。このようなサラの自己肯定感の低さは、観客である私たちの中にもあるものかもしれません。
本作は、抑圧により奪われていた自分の意思、尊厳をサラが取り返していく映画でもあり、復讐とは時に奪われたものを取り返し解放されていくことでもあるのです。
そのように取り戻していく姿を「男を喰らう」というシーンで表現するパワフルさと過激さが本作の魅力でもあります。