ルーマニアの村を舞台に、人間の生々しい欲を浮き彫りにするサスペンス『おんどりの鳴く前に』!
ルーマニア・モルドヴァ地方の静かな村。鬱屈した日々を送っていた中年の警察官イリエは、果樹園を営むことを夢見ていました。しかし村で殺人事件が起きたことで、村の闇が次々と浮き彫りになっていきます。
イリエがたどり着いた結末とは……。
監督を務めたのは、ルーマニアの新鋭監督パウル・ネゴエスク。ルーマニアのアカデミー賞にあたるGOPO賞で作品賞・監督賞・主演男優賞など6冠に輝きました。
また、イリエの元妻を演じたオアナ・トゥドルが共同脚本も手がけています。
映画『おんどりの鳴く前に』の作品情報
(C)2022 Papillon Film / Tangaj Production / Screening Emotions / Avanpost Production
【日本公開】
2025年(ルーマニア・ブルガリア合作映画)
【原題】
OAMENI DE TREABĂ
【監督】
パウル・ネゴエスク
【脚本】
ラドゥ・ロマニュク、オアナ・トゥドル
【キャスト】
ユリアン・ポステルニク、バシレ・ムラル、アンゲル・ダミアン、ダニエル・ブスイオク、クリナ・セムチウク、オアナ・トゥドル、ビタリエ・ビキル
【作品概要】
ルーマニアの新鋭監督による田舎の村の闇を描いた本作は、ルーマニアのアカデミー賞にあたるGOPO賞で作品賞・監督賞・主演男優賞など6冠に輝きました。
イリエ役に俳優として活躍し、ルーマニアのテレビ番組の脚本家としても活躍するユリアン・ポステルニク。新人警察官・ヴァリ役は『マロナの幻想的な物語り』(2019)のアンカ・ダミアン監督の息子であり、同作の共同脚本も務めたアンゲル・ダミアンが務めました。
映画『おんどりの鳴く前に』のあらすじとネタバレ
(C)2022 Papillon Film / Tangaj Production / Screening Emotions / Avanpost Production
ルーマニア・モルドヴァ地方の静かな村。鬱屈とした日々を送る中年の警察官・イリエは、土地を買って果樹園を営むことをささやかな楽しみにしていました。
お金が必要なイリエは、元妻・モナと共同で所有している物件を売ろうと提案。どちらかが売ろうとしたら手放す約束だったというイリエに、モナは売るのを辞めさせようと説得します。
「お金が必要なの?」と聞くモナに歯切れ悪くイリエは「土地を買って果樹園を営みたい」と言います。「イリエが想定している値段では到底売れない、売ったところで大したお金にはならない」とモナは説明しますが、イリエは折れません。
そこにイリエの兄がやってきます。互いに近況を話しているところに査定の人がやってきます。査定の結果はモナが言った通りで、イリエが求めていた金額ではありませんでした。
倉庫もあるとイリエは食い下がりますが、査定の結果が変わることはありません。当てにしていたお金が得られぬままイリエは村に戻ります。
洪水が襲い、復旧に追われている村では村長と牧師が先頭に立って皆に指示を出していました。イリエも村長に言われるまま、作業を手伝います。村長はイリエを息子ように可愛がり、果樹園のための土地があるとイリエに教えます。
ある日、イリエの元に新人の警察官がやってきます。野心に満ち溢れた青年のヴァリです。
そんな中、田舎の静かな村の生活を一変させる出来事が起きます。美人だと評判のクリスティナの夫が、何者かによって殺されたのです。ヴァリは捜査へ前のめりで書き込み調査をします。
村では、警察官は単独行動は禁止されています。それなのに村の人々に書き込み調査をしているヴァリの姿を見たイリエは、慌てて止めます。
ヴァリは納得できず、誰かに電話しながら「頭の硬い田舎者の上司」とイリエの悪口を言い、イリエはその電話を聞いてしまいます。
その夜、イリエの元に村長と牧師がやってきて「あれは事故だった」と言います。2人の言葉ぶりで、殺人事件の犯人はこの2人であることをイリエは知ってしまいます。
村長は「どうするかは君次第だ」と言いながらも、イリエにお金を渡しうまくことを収めるようプレッシャーをかけます。さらにヴァリを黙らせることと、クリスティナが余計なことを話していないか気にしていることを伝えます。
イリエは動揺しながらも、お金は受け取れないと村長に返します。
映画『おんどりの鳴く前に』の感想と評価
(C)2022 Papillon Film / Tangaj Production / Screening Emotions / Avanpost Production
「おんどりの鳴く前に」と聞いて連想するのは、『新約聖書』の「マタイによる福音書」にて、イエスが弟子ペトロに「あなたは今夜、鶏が鳴く前に、3度わたしのことを知らないと言うだろう」と予言した言葉でしょう。
その通りに、ペテロはイエスの仲間かと問われた際に「知らない」と言ってしまいます。3度言った時、ハッとイエスの予言を思い出すのです。
本作の原題『OAMENI DE TREABĂ』は、ルーマニア語で「善良な人々」を指します。
村人を助け、善行を行う村長と牧師は一見すると善人のように見えます。しかし、都合良く人々を言いくるめて密輸という犯罪に加担し、言うことを聞かない村人の存在を排除しようとします。
ルーマニアの田舎の村で、本作のように村長や牧師が犯罪を犯し、権力を濫用しているといったケースに近い状況は起きており、派遣された警察官も「郷に入っては郷に従え」とでもいうかのように、そのような犯罪行為に目をつぶっているという場合もあります。
本作でも、村の出身者ではない警察官のイリエは、村長と牧師がよくないことをしていることを薄々勘付いていても、波風立てずに村で警察官を続けるために掘り起こそうとはしません。
そんなイリエは、野心に満ち溢れ殺人事件の真相を解明しようとしていた新人警察官ヴァリに余計なことはするなと諭します。しかし、ヴァリはその忠告を聞かず、村の者によって半殺しにされてしまいます。
さらに、元妻モナとの会話によって、かつてイリエも野心に満ち溢れた警察官であったことが語られています。詳しくは描かれませんが、村の圧力を前に屈したのでしょう。そうして今の鬱屈した日々を送ることになったのです。
ささやかな望みは果樹園を営むこと……そんなイリエが再び正義感と保身に揺れ動いていきます。ここで興味深いのは、ヴァリ、クリスティナと村長と牧師の言う通りにしなかった2人が暴行を受けていることです。
イリエが行動を起こしたのは、2人の犠牲の後、つまり3度目の犠牲が出る前ということです。結果的にイリエは斧を突きつけられ命を落とします。イリエが3人目の犠牲とも言えますが、「3度見て見ぬふりをする」という選択をしなかったのです。
“おんどりの鳴く前に”3度目は訪れなかったとも言えるのではないでしょうか。邦題は『おんどりの鳴く前に』ですが、先に述べたように原題にはその要素は入っていません。そのため、監督が『新約聖書』の一節を意識していたかは断定できません。
同様に、監督が意識したわけではないでしょうが、鶏を通してもう一つ「雌鶏歌えば家滅ぶ」という諺が思い浮かんだ人もいるのではないでしょうか。それは中国の故事成語“牝鶏晨す”からきた諺です。
「雌鶏が雄鶏に先んじて鳴くのは不吉な兆しであることから、妻が夫を出し抜いて権威を振るう家はうまくいかず滅びる」という例えです。今考えると偏見への憤りを感じ得ない諺ではありますが、家父長制が当たり前だったかつての価値観が反映されている諺です。
韓国映画『コンクリート・ユートピア』でも、狂気を帯びていくヨンタク(イ・ビョンホン)が自身の正体を明かそうとするミョンファに対し、この諺を口にしています。
この諺に表されるような縮図は、まさに村長と牧師のクリスティナに対する態度に現れているのではないでしょうか。そもそも殺人の発端は、美人のクリスティナに対する村長の執着にあります。
クリスティナの夫を殺した上に、夫の借金を理由にクリスティナの言うことを聞かせようとしますが、クリスティナは言いなりになりません。しかし暴行を受けたクリスティナは、村を離れます。
女性の立場の弱さ、隠蔽気質の村。様々な闇が浮き彫りになっていく中で、村長と牧師を逮捕しようとしたイリエは失っていた正義感に従い抗おうとします。そんなイリエが亡くなるという展開に、この映画のブラックな部分が現れていると言えるでしょう。
しかし、イリエが「悪くない」と言うことによってそこにユーモアが生まれます。
スリリングかつ人間の嫌な部分を炙り出す、笑えるようで笑えないような、絶妙な映画になっています。
まとめ
(C)2022 Papillon Film / Tangaj Production / Screening Emotions / Avanpost Production
社会風刺の効いたブラックな映画『おんどりの鳴く前に』。
「鶏」にまつわる説話と諺を紹介しましたが、それは監督の意図したこととは別に、そのような言葉に象徴されるようなテーマが描かれているという意味合いでした。
では、そもそもなぜ「鶏」を登場させたのでしょうか。それは、欲に溺れた醜い人間たちに対する滑稽さをより強調させるためだったのではないでしょうか。
『悪なき殺人』(2021)の原題は『Only the Animals』であり、滑稽な人間たちを俯瞰して見つめ、殺人の真相を見ていたのは“動物だけ”ということを痛烈かつコミカルに映し出しています。
『悪なき殺人』における動物たちと近い存在が鶏なのでしょう。そしてそれは“神のみぞ知る”、“神は常に見ている”と言った人間の良心の根底にいる概念にもつながるのではないでしょうか。
滑稽さを強調させる、そして悪事をしたものは誰かが見ていて、自分に返ってくるといった普遍的なテーマが、現代のルーマニアの問題とともに映し出されているのです。