厚き信仰は、真実の行く手を阻むのか?
巨匠ヒッチコック、異色の宗教サスペンス!
『私は告白する』は、『裏窓』(1954)『サイコ』(1960)の巨匠アルフレッド・ヒッチコックがポール・アンセルムの戯曲をもとに、宗教の戒律を背景に描いた異色サスペンス。
『陽のあたる場所』(1952)のモンゴメリー・クリフトと『イヴの総て』(1951)のアン・バクスターが主演を務めた本作。
敬虔なクリスチャンであるがゆえに無実の罪を着せられてしまう神父を通して、「信仰心を持つ」という重み、人間の強さと弱さを浮き彫りにした作品です。
映画『私は告白する』の作品情報
【公開】
1953年(アメリカ映画)
【原作】
ポール・アンセルメ
【脚本】
ジョージ・タボリ、ウィリアム・アーチボルド
【監督】
アルフレッド・ヒッチコック
【キャスト】
モンゴメリー・クリフト、アン・バクスター、カール・マルデン、ブライアン・エイハーン、O・E・ハッセ、ロジャー・ダン
【作品概要】
『裏窓』(1954)『サイコ』(1960)など数々の名作を生み出したサスペンスの巨匠アルフレッド・ヒッチコックの監督作。
ポール・アンセルムの戯曲を原作に、敬虔な神父が告白者を守るために無実の罪を着せられる様を緊迫感あふれる描写で描き出します。
主演は『陽のあたる場所』(1952)のモンゴメリー・クリフトと、『イヴの総て』(1951)のアン・バクスター。また『欲望という名の電車』(1952)のカール・マルデン、ブライアン・エイハーン、O・E・ハッセらが共演しています。
映画『私は告白する』のあらすじとネタバレ
カナダのケベック。弁護士のヴィレットが金を盗られて殴り殺され、その場を司祭服姿の男が立ち去っていきました。
聖マリー教会の神父マイケル・ローガンは、男が教会へと入ってくるのを窓から見て、聖堂に降りていきました。
聖堂内では、神父館で働いているケラーがひとりで祈っていました。亡命者のケラーは、これまでマイケルが家も仕事も友情もくれたことに礼を伝えたのち「あなたに告白する」と言って懺悔室に入ります。
ケラーは妻アルマの苦労を見かね、ヴィレットを金目的で殺したと懺悔室で告白します。司祭服で変装して入ったが、見つかって警察を呼ばれそうになったので殺してしまったのだと。
ケラーから経緯を聞かされた妻は、神父は警察に話すだろうと言いますが、ケラーは「告白はだれにも漏らせない」と自信をもって答えます。
毎週水曜にヴィレット宅の庭仕事をしていたケラーは、いつも通りに向かいます。
マイケルもヴィレットの家の方に向かうと、大変な人だかりとなっていました。「被害者と約束していた」と言って中に入った彼は、刑事からケラーが死体を発見したことを聞かされます。
その後、ヴィレットの死をルースという名の女性に伝えるマイケル。彼女は「よかった、私たちは自由ね」と答えます。ルースは国会議員グランドフォートの妻でした。
そんなふたりの様子を、ラルー警視が窓越しに見ていました。
教会の部屋のペンキを塗っていたマイケルにケラーは近寄り「死刑になるから自首はできない」と泣きつきます。
その後、ある少女が「夜11時にヴィレット宅から神父が出てきた」と証言したため、マイケルはラルー警視に呼ばれました。一方ケラーは、アルマに司祭服を洗わないでおくように言います。
ラルーはヴィレット宅の前で会っていた女性は誰なのかと問いますが、マイケルは答えませんでした。またマイケルは「事件の夜は歩いていたが、一緒にいた人の名は言えない」と話します。
マイケルを帰したラルー警視は、ロバートソン検事に電話し状況を伝えました。検事のために隣でスコッチを用意していたルースは、神父が犯人と聞かされて驚きながらもその気持ちを隠します。
検事が出て行った後、夫のグランドフォートは渋い顔で妻ルースを見て「今でも愛してるのか」と尋ねます。
「そのとおりよ。別れる?」「あなたを愛したことはないわ」……きつい妻の言葉に、「そう思いたくなかった」と答えるグランドフォート。
やがてルースはマイケルに電話をかけ、9時のフェリーで待ち合わせる約束をします。
映画『私は告白する』の感想と評価
巨匠ヒッチコックの傑作心理サスペンス
本作『私は告白する』は「サスペンスの巨匠」「スリラーの神様」と呼ばれ、『裏窓』(1954)『サイコ』(1960)など数々の名作を残したアルフレッド・ヒッチコックによる上質なサスペンスの一本。なお監督作にカメオ出演することでも知られるヒッチコックは、本作でも冒頭に登場します。
本作が製作されたのは1953年。大手スタジオと契約を結ぶようになったヒッチコックのピーク期にあたります。
翌年の1954年には『ダイヤルMを廻せ!』『裏窓』が生み出され、その後も『めまい』『北北西に進路を取れ』『サイコ』と立て続けに映画史に残る名作が製作されました。
トリックやユーモア、徹底された映像表現が特徴とされる作品が多い中、「懺悔を決して他人に漏らしてはならない」という宗教の戒律を背景に「信仰」という心理にスポットを当てた作品である『私は告白する』。
濡れ衣を着せられ追い詰められていく神父マイケルの心の葛藤とともに、真犯人が人々の前で明らかになるのかどうかわからないままストーリーが展開される中で、信仰者として生きる重み、人の強さと弱さの両面をサスペンスフルに描いています。
神に近づく男と悪魔に魂を売った男
主人公の敬虔な神父マイケル・ローガンを演じるのは、『山河遥かなり』(1948)『陽のあたる場所』(1951)などで数々のアカデミー主演男優賞をとった名優モンゴメリー・クリフト。その美貌で人気を博しましたが、後年は病気やドラッグ、交通事故などで苦労を重ねました。
幼なじみのルースと愛し合っていながらも、出征後に神父となったマイケル。亡命者だったケラー夫妻を神父館に住まわせ仕事も与えましたが、貧しさに負けたケラーは司祭姿に変装して弁護士のヴィレットを殺して金を奪い、その事実を懺悔室でマイケルに告白します。
その後、マイケルは元恋人のルースとの仲をヴィレットに脅迫されていたことが明らかとなり、容疑者にされてしまいます。それでも彼は、「告白を決して人に話してはいけない」という戒律を守り続けるのです。
亡命者として苦労を重ね、金がなくて愛する妻に苦労をかけているという悲しみから、悪魔に魂を売ったケラー。心の弱さゆえに悪に堕ちていく様には胸痛みます。
一方、自分の無実を晴らすためには戒律を破るという「罪」を犯さねばならないマイケルは、自らの命と罪との間でもがき苦しみます。
苦しみながら街をさまよい、やがて教会に入って祈りを捧げるマイケルのまっすぐな瞳は、私たちに強烈な印象を残します。自身の思いが定まったマイケルは、神の方へ向かって進むことを選びました。
口を閉ざしていても、マイケルの瞳はいつもケラーをまっすぐ見つめていました。ケラーは、神に「真実は知っているぞ」と言われているように感じていたに違いありません。
神と悪魔の両方の道に分かれて進み始めたふたりでしたが、事件を捜査するラルー警視は、まさに人間の性(さが)そのものを表しています。
事件解決という自身の仕事のために容赦なくマイケルのプライベートをはぎとり、かたくなな様子を見せる彼に怒るラルーは、とても人間臭いキャラクターです。
最後にやっと、真犯人の告白を聞いたマイケルが戒律を守って黙っていたことがわかります。しかし「自分の命よりも戒律を守る」という選択は、ラルー警視や本作を観る者にとって、とても受け入れがたいものです。そして、それを受け入れられる人間だったからこそ、マイケルは「信仰者」となったのでしょう。
真実を知ったルースは、夫の手を取ってその場を立ち去ります。マイケルがもう昔の彼とは違うことがはっきりわかったからです。
己の信念を守るためには大きな犠牲が必要だということを、マイケルの大きな瞳から教えられます。
まとめ
「信仰」と呼ばれるものの重みを教えられる映画『私は告白する』。
亡命者として様々なことに怯えながら生き続け、ついには悪魔に身を売るしかなかったケラー。そんな夫に殺されてしまったアルマ。
ずっと変わらず強い思いでマイケルを愛し続けてきたルース。そしてそんな妻の思いを知りながらも、すべて受け止めて彼女を愛し続ける夫のグランドフォート。
仕事に真摯だが決して優秀ではない人間臭いラルー警視、お人よしのロバートソン検事。
その中でも、やはりマイケルという人物の特異性は際立ちます。神に仕える彼は、やはり彼らとは違う世界に生きる住人なのかもしれません。
信仰を貫こうとした彼のまっすぐな瞳が、観終えた後も何度も脳裏によみがえってくる一作です。