2019年7月5日より公開の映画『Diner ダイナー』。
平山夢明の小説『ダイナー』を原作としながら、蜷川実花監督がその色彩感覚で新たな世界を描いた映画『Diner ダイナー』。
本作に登場するキャラクターで、原作から根強いファンを持つ爆弾魔の“スキン”。
蜷川監督自身もスキンのファンであり、脚本の段階から理想の男性像を投影して行ったと語っています。
本記事では窪田正孝が演じたスキンの魅力と、“スキンのスフレ”の謎、そして彼が傷だらけなのはなぜかを読み解いて行きましょう。
※感想と考察の章はネタバレをしていますので、未見の方はご注意ください。※
CONTENTS
映画『Diner ダイナー』の作品情報
【公開】
2019年(日本映画)
【原作】
平山夢明『ダイナー』(ポプラ社刊)
【監督】
蜷川実花
【脚本】
後藤ひろひと、杉山嘉一、蜷川実花
【キャスト】
藤原竜也、玉城ティナ、窪田正孝、本郷奏多、武田真治、斎藤工、佐藤江梨子、金子ノブアキ、小栗旬、土屋アンナ、真矢ミキ、奥田瑛二、川栄李奈、コムアイ、板野友美、木村佳乃、角替和枝、品川徹、内田健司、前田公輝、吉村界人、真琴つばさ、沙央くらま、木村佳乃、宮脇咲良、AMI、AYA、エリイ、中村里砂、マドモアゼル・ユリア、MEGUMI、SHIHO、井出らっきょ
【作品概要】
平山夢明の小説『ダイナー』(ポプラ社刊)を実写映画化。
『人間失格 太宰治と3人の女たち』(2019)公開を控える蜷川実花監督が、極彩色に輝く独特の世界観を作り上げました。
多くの個性的なキャラクターを体現し、「デスノート」「カイジ」シリーズをヒットに導いてきた藤原竜也が、元殺し屋の天才シェフ・ボンベロ役で主演を務めます。
物語の鍵を握る少女オオバカナコ役を玉城ティナが演じるほか、窪田正孝、斎藤工、小栗旬、土屋アンナ、奥田瑛二ら豪華キャスト陣が殺し屋役で出演。
“全員殺し屋”という設定から生まれる予測不能な物語を紡ぎます。
映画『Diner ダイナー』のあらすじ
オオバカナコ(玉城ティナ)は幼いころに両親が離婚し、母に引き取られましたが、その母もカナコを置いて出て行ってしまいました。
それ以来、誰のことも信じられず、料理だけを心の支えにしていました。
ある日、日給30万円の怪しいバイトに手を出し、殺される寸前のところ、自分は料理が出来るから生かして損はさせない、と懇願したため、食堂(ダイナー)へ新人ウェイトレスとして送り込まれることに。
ダイナーの店主・ボンベロ(藤原竜也)は元殺し屋で威圧的な男。カナコのことはすぐに替えのきく道具くらいにしか考えておらず、彼女がミスを犯すとすぐに殺そうとしてきます。
カナコがウェイトレスになって初めて訪れた客は、全身傷だらけの殺し屋・スキン(窪田正孝)。
見た目とは裏腹に穏やかな彼は、カナコの良き理解者となります。
スキンの楽しみはボンベロが作る“スキンのスフレ”を食べること。カナコはスフレを運び、スキンはそれを心待ちにしており喜んで食べますが、カップの底には異物が。
聞けば毎回異物が入っているとのことで、スキンは落胆して帰って行きました。
その後も、体は子どもで中身は大人の殺し屋キッド(本郷奏多)や、店のオーナーである組織の幹部ら、個性的な殺し屋たちが店に集い、命を懸けた“食事”が始まります…。
映画『Diner ダイナー』の感想と考察
スキンの傷と体操袋
全身傷だらけのスキン。耳は欠けていて、顔にも大きな傷がいくつもあります。
監督の蜷川実花は特殊メイクのスタッフに「世界一カッコイイ傷跡にして」と頼んだそうで、窪田正孝の端正な顔を引きたてる見事な出来栄えとなっています。
作中で、初めてスキンの顔を見た瞬間に言葉を失ったため、何を連想しているのかと問い詰められたカナコ。
返答によっては殺されかねない緊迫感の中、カナコは「お母さんの作ってくれた体操袋みたい」だと懐かしげに答えます。
幼き日に、母が色とりどりの布を縫い合わせて作ってくれたパッチワークの体操袋。不器用な母なりに時間をかけて丁寧に縫ってくれた愛の思い出。
それを聞いたスキンは殺意を失い、カナコに心を開きはじめます。
映画内では、スキンが傷だらけな理由は明言されていません。
ですが、この体操袋のエピソードと、原作の中のある一文により、ひとつの答えが導き出されます。
その一文とは、街を牛耳る組織の下請けの殺し屋・スキンが、自分たち下請けの殺し屋について語っている場面の、以下の箇所です。
「望まれて生まれてきたわけでもなく、オヤジの拳骨や気の狂ったおふくろの縫い針や施設に勤める変態の性器で世の中がどういうものかを叩き込まれてきた奴が大半だ」
これがスキン自身の過去かはわかりませんが、原文ではかなりの分量を彼ひとりでしゃべっており、相当な熱量と真意がなければ話せない内容です。
彼曰く「気の狂ったおふくろの縫い針」が彼に傷を負わせ、まるでパッチワークのように縫いあげてしまったんではないかと考えられます。
体操袋と、縫われた顔の傷。どちらも母親が関わっている、皮肉なエピソードです。
スキンのスフレとは
母の思い出の味と寸分たがわないボンベロの作るスフレが大好物のスキン。ですがその中には毎回異物が入っており、スキンは完璧なスフレを食べる事ができません。
同情したカナコが異物を取り除いた完璧なスフレを提供すると、スキンは発狂し、自爆を試みたため、ボンベロに殺されてしまいます。
発狂した時にスキンは、写真の中の母(木村佳乃)に訴えます。母さんの操り人形はこりごりだと。
同時に自分の至らなさを懺悔し、身も心も散り散りに砕けてしまいます。
それもやはり、幼いスキンに“完璧さ”を求め、出来なかったら罰を与えていた母の面影におびえ続けていたからでしょう。
完璧では無い自分は、完璧なスフレを食べてはいけない。
自らに呪いをかけ続けた彼の、哀しい最期でした。
そして、彼は実の母親を殺めたのかもしれないと感じさせる、恐ろしい場面でもありました。
歌『遠き山に日は落ちて』の意味
ウェイトレスとして働き始めたカナコ。最初に訪れ、対応した客がスキンでした。
緊張のあまり無意識に、母が歌ってくれた思い出の曲『遠き山に日は落ちて』を口ずさむカナコに、スキンは興味を抱きます。
彼にとっても『遠き山に日は落ちて』は母親(木村佳乃)との思い出の曲だったからです。
『遠き山に日は落ちて』とは、ドヴォルザーク作曲の交響曲第九番『新世界より』の第2楽章の主題に堀内敬三が詩を付けた唱歌。
歌詞の意味は様々な解釈が出来ますが、一日の仕事を終え家族で団欒する様子や、眠る子どもを見守る母の姿が情景として浮かんできます。
カナコを見捨てた母と、スキンを虐待し縛り付けてきた母。
それによって、自らに「要らない子」と言うレッテルを貼り孤独な道を歩んできたカナコとスキンの、数少ない温かな記憶として『遠き山に日は落ちて』が優しく歌いかけてきます。
発狂したスキンを優しく抱きしめたカナコ。彼女の温かさにより、スキンの心も温かく満たされた、そう信じたいです。
なお、本作では『新世界より』をアレンジした楽曲がクライマックスでも使用されており、非常に格好良い仕上がりとなっていますので必聴です。
参考動画:『遠き山に日は落ちて』
まとめ
ここまでスキンに思いを馳せ、語りたくさせるのは、なんと言っても演じた窪田正孝の魅力ゆえでしょう。
ぼさぼさな髪から覗く、捨てられた子犬のような寂しげな瞳。落ち着いた声色。そして服の下に隠された美しい筋肉。
完璧なスフレを食べて壊れて行くシーンは、なんと監督の指示により、自由演技だったそう。
メイクも小道具も味方に付け、哀しい孤独な殺し屋スキンを演じきった窪田正孝の魅力に、ぜひ浸りきってください。
映画『Dinerダイナー』は2019年7月5日(金)全国ロードショーです。