「クローン」を認めた狂気の世界で起こる悲劇とは?
クローンと“オリジナル”の女性の生き残りをかけた死闘を描く衝撃のSFサスペンス『デュアル』。ライリー・ステアンズが監督・脚本を手がけた本作は、サンダンス映画祭などで上映されました。
「ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー」シリーズや「ジュマンジ」シリーズのカレン・ギランが主演を務めます。
突然余命宣告されたヒロインのサラは、残していく母や恋人の悲しみを癒すためにクローンを作る道を選択します。その思いとは裏腹に、事態がとんでもない方向へと転がり始めます……。
果たしてサラは、どんな人生を辿ることになるのでしょうか。予測不能のストーリー展開で観る者を翻弄する、本作の魅力を紹介します。
映画『デュアル』の作品情報
【日本公開】
2022年(アメリカ映画)
【原題】
Dual
【監督・脚本】
ライリー・ステアンズ
【キャスト】
カレン・ギラン、アーロン・ポール、ビューラ・コアレ、テオ・ジェームズ
【作品概要】
「ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー」シリーズのネビュラ役、「ジュマンジ」シリーズのルビー役で大ブレイクしたカレン・ギランの主演作。
余命宣告された主人公が家族や恋人のためにクローンを残すことを選択したものの、奇跡的に病が治ったことから、クローンと対決しなければならなくなる様をスリリングに描いた本作。シニカルでブラックな視線が異色の味わいを残すSFサスペンスです。
トレーナー役を『ニード・フォー・スピード』(2014)のアーロン・ポールが演じるほか、『ダイバージェント』(2014)のテオ・ジェームズらが脇を固めます。また監督・脚本は『恐怖のセンセイ』(2019)で知られるライリー・ステアンズが手がけました。
映画『デュアル』のあらすじとネタバレ
サラは忙しくしている恋人のピーターとオンライン電話で話しながら、彼に会いたいという思いを募らせていました。
翌朝、悪夢で目が覚めた彼女は、大量の血を吐いていました。
サラは病院で検査を受けますが、手違いでその検査結果はピーターに伝えられ、彼経由で深刻な病状を聞かされます。ピーターは2日前にその事実を聞かされながら、サラにどう話してよいか悩み伝えられずにいたのです。
サラは病院の若い女医から、自分が珍しい病にかかっており、余命わずかであることを告げられます。また医師は、死期の迫った者が遺族を癒すために自身のクローンを作るプログラム「リプレイスメント(継承者)」という選択肢があることを教えました。
サラはクローンを作ることを決心し、リプレイスメントの会社を訪れます。現れたサラの“ダブル”は、瞳の色が異なるだけであとはまったく瓜二つの姿をしていました。
ダブル自身が持つ“エゴ”にとまどいながらも、サラは残された時間を引き継ぎに充てます。
恋人と親しくなっていくクローンを見て、どうしても寂しさを覚えてしまうサラ。また自身の母には、まだ病気のことやクローンのことは伝えていませんでした。
そんな矢先、彼女の病が奇跡的に完治したことが判明します。
サラが母の家を訪れると、ダブルとピーターが来ていました。約束を破って勝手に母と会ったダブルに、サラは怒りをぶつけます。
自分の病気が治ったこと、そしてもうダブルが必要なくなったことをサラが話すと、ピーターとダブルの表情が固まりました。
すでにピーターの心は、“オリジナル”であるはずのサラではなく、ダブルへと移っていました。そしてサラは自分の実家だというのに、ピーターに閉め出されてしまいます。
この世界において「ダブルとの共存」は法律で禁じられています。
その結果、サラは自らのクローンとの“決闘裁判”に挑むことになります。
映画『デュアル』の感想と評価
“狂った世界での決闘”の勝敗を分けたのは?
余命宣告されたヒロインが、残していく家族を悲しませないためにクローンを作ったことから悲劇に見舞われる様を描いたSFサスペンス『デュアル』。思いもかけない方向へとストーリーが展開していく異色のサスペンスです。
冒頭は、ある男性とその“ダブル”の命がけの決闘という衝撃的な場面から始まります。血なまぐさい展開を想像させる幕開けです。自分と同じ顔をした人間にとどめを刺すのは、どれほど恐ろしいことでしょうか。もしオリジナルがダブルに殺されたなら、その悔しさは計り知れません。
本作は、そんな生死を賭けた決闘を、観客を入れて番組で放送されているという狂気の世界が舞台です。その中で生きている人々もどこか狂っており、非人道的な言動を繰り返します。
対して主人公のサラは社会性がなかったことが幸いしたのか、無表情な中に人間性を強く残した女性です。恋人のピーターにいつも気を遣い「寂しいから側にいてほしい」という本音を言えずにいます。そんな彼女だからこそ、恋人や過干渉な母の悲しみを和らげたいという思いを持ち、ダブルを作ることを選んだといえるでしょう。
サラを取り巻く人間は、実に自分勝手で薄情な人間ばかりです。恋人のピーターは、サラが体調を崩しても会いに来ず、本人より先に医師から悪い結果を知らされても「どうしたらいいかわからなかった」と2日間も彼女と連絡をとりませんでした。また一人娘に過干渉な母は、実の娘からあっさりとダブルに乗りかえます。
保身ばかりを気にするサラの主治医に至ってはひどいもので、無能なうえに「今後は葬儀について考えろ」と話し、リプレイスメントを勧めます。すべての元凶ともいえる彼女の姿は、これでもかというほどシニカルな視線で描かれます。
「クローンの製作費用は、ダブルがローンで負うから大丈夫だ」としれっと説明するリプレイスメントの製作会社。「法的に健康体のオリジナルとクローンは共存を認められない」という理由で決闘を強いる世界。なにもかも狂的で、恐ろしいとしか言いようがありません。
悲しいことに、病が奇跡的に治ったサラを、喜んで受け入れる者は一人もいませんでした。自我の芽生えたダブルの申告により、二人は命を賭けた決闘をすることになります。
決闘するために発生した次の問題が多額の金というのも、皮肉でなんとも現実的です。弁護士への依頼費用、ダブルの生活支援費、リプレイスメント会社へのローン。そして、戦闘訓練トレーナーであるトレントへの謝礼金。
それでもサラは「生き残るわ。私の人生だもの」と苦しい訓練に励みます。しかし、鍛え上げた身体でダブルと対決するかと思いきや、サラはダブルの企みに騙されて、戦うことなく敗れてしまいます。オリジナルの深すぎる心の闇を知り尽くしたダブルが、見事に欺く様に戦慄を覚えます。
戦っていればおそらくサラが勝ち、恋人や母のもとには戻らずに一人で新たな人生に踏み出したことでしょう。しかし一方のダブルは、どんな形にせよ母と恋人から愛され、必要とされていました。
生きるために理解者としてのダブルを選んだ孤独なサラと、生きるためにピーターと母を選んだダブル。はじめからサラは、ダブルに勝てるはずがなかったのです。
欠落だらけのダブルの険しい人生
オリジナルのサラを出し抜き、見事に人生を勝ち取ったダブル。しかし、彼女のこれからの人生はおそろしく険しいと言わざるを得ません。
ダブルは教えられたことは理解できますし、サラの模倣は得意でしたが、それ以外のことは全くできませんでした。この世に現れてからたった1年ほどしか経たないのですから、それは当然であり、ダブルは自我が芽生え始めた子どもとなんら変わりません。
サラの信用を勝ち得て一緒に国境に向かうことになったダブルは、サラの運転する姿を見て、自分は運転できないが簡単そうだと呟きます。しかし、事実はまったく違いました。山奥でサラを殺したダブルは、ひどい運転で車がボコボコになるほどぶつけた末、自身も脚を引きずる大ケガをして決闘場に現れるのです。
これは、彼女のこれからの人生そのものを暗示しています。欠落だらけの彼女は、どんなに不満があろうとも人でなしのピーターに従うしかなく、サラと同じ色のコンタクトを買ってくれる母親のグチやしつこい話にとことん付き合うしか生きていく道はありません。
決闘に“勝ってしまった”者が集うサークルは、本当にダブルにとって必要な場所だったのでしょう。死ぬも地獄、生きるも地獄のダブルの運命に、同情せずにはいられません。
まとめ
オリジナルとクローンの壮絶な戦いを描く異色のSFサスペンス『デュアル』。社会を風刺する鋭い視線と、人の心の繊細さを描く心理劇的側面を持つ一作でもあります。
クローン技術はすでに現実のものとなり得ていますが、人道的な観点から普及には至っていないとされています。その「人道的」な部分が取っ払われ、人間の持つ原始的な醜さを前面に押し出したのが本作と言えるでしょう。
イタリア・コロッセオの時代のように、殺し合いを嬉々として見つめる観衆と、放送するテレビ局。「寂しさはクローンで埋められる」という短絡的な発想と、その果てに生まれた「いらない方は殺してしまえ」という法律。
信じがたい世界でありながら、ちょっと違う方に転んだら現実世界でも同じことが起きるのではないかという空恐ろしさを感じさせます。
虚構なのに、まったくのウソとは言い切れない世界。人の心の闇を透かして見通したかのような『デュアル』。「もしも自分のクローンと殺し合うことになったなら」……そんな想像をしながら、映画を味わってみてください。