近未来を舞台に家族の絆を紡ぐ
映画『コロンバス』(2017)のコゴナダ監督がアレクサンダー・ワインスタインの短編小説「Saying Goodbye to Yang」を映画化したSFドラマ『アフター・ヤン』。
「テクノ」と呼ばれる人型ロボットが、一般家庭まで浸透している未来世界を舞台に、家族や、人間の生き方という深遠なテーマが、これまでにないアプローチで語られます。
独創性豊かな作品を次々と世に送り出している映画会社A24が制作し、坂本龍一がテーマ曲を担当。コリン・ファレルが主演を務めています。
映画『アフター・ヤン』の作品情報
【日本公開】
2022年公開(アメリカ映画)
【原題】
After Yang
【原作】
アレクサンダー・ワインスタイン『Saying Goodbye to Yang』(短編小説集『Children of the New World』所収)
【監督・脚本】
コゴナダ
【キャスト】
コリン・ファレル、ジョディ・ターナー=スミス、ジャスティン・H・ミン、マレア・エマ・チャンドラウィジャヤ、ヘイリー・ルー・リチャードソン
【作品概要】
アレクサンダー・ワインスタインの短編小説『Saying Goodbye to Yang』を『コロンバス』のコゴナダ監督が独創的な映像美で映画化。
主演のジェイク役をコリン・ファレルが扮し、坂本龍一がテーマ曲を担当しています。A24制作作品。
映画『アフター・ヤン』あらすじとネタバレ
人型ロボットが一般家庭にまで普及した近未来。
ジェイクは、小さな茶葉の専門店を営み、妻のカイラ、中国系の幼い養女ミカとともに、慎ましくも幸せな日々を過ごしていました。
この家族にはもう1人、大切な“家族”がいました。‟テクノ”と呼ばれる精巧な家庭用ロボットのヤンです。
ヤンとミカは互いを「グァグァ」(兄)、「メイメイ」(妹)という愛称で呼び合い、本物の兄妹のように仲良く暮らしていました。
ところがある日突然、ヤンが故障で動かなくなってしまいます。ミカはヤンを心配し、ひどく寂しがります。
ジェイクはヤンを修理しようとしますが、中古販売で購入したために製造元のB&S社には持ち込めません。
その販売店も今ではもうなくなっていました。ジェイクは親しい隣人に相談して、彼が勧める修理屋にヤンを預けることにしました。
修理屋が、ヤンを調べたところ、ヤンの体内には、一日あたり数秒間の動画を撮影し記録できる特殊なパーツがはめ込まれていたことがわかります。
家に戻ったジェイクはヤンの記憶の動画ファイルをひとつずつ再生していきます。
そこには、赤ん坊だったミカが成長する過程や、ヤンの目に映った一家を取り巻く美しい環境などが記録されていました。
そんな中、動画の中に、見知らぬ若い女性の姿が現れジェイクを驚かせます。一度ならず何度も登場する彼女。彼女は一体何者なのでしょう? なぜヤンは彼女の姿を追いかけたのでしょうか?
修理屋はヤンを修理しもう一度再生させるのは難しいと判断します。博物館に勤める研究者が、ヤンのメモリが貴重な研究材料だとし、展示させてほしいと依頼してきました。
カイラもヤンの不在を悲しんでいました。ある日、彼と「終わりのとき」について話したことを思い出します。
終わりを始まりと考えたいカイラに対してヤンは「終わりが無であっても僕は気にしません」と口にしていました。なぜならそうプログラムされているからと。
ジェイクは動画に映っていた女性のことが気になり、隣人を訪ね、彼の娘たちが、この女性を知らないか尋ねてみました。
知っていると答えた娘によれば、この女性はクローンだと言います。動画に映っていた彼女が働いていたカフェに行ってみますが、もう勤めていないとつれない返事が返ってきました。
映画『アフター・ヤン』解説と評価
カイラとヤンが「終わりのとき」について語る場面は、深遠な問答が続きます。ここでの「終わり」と言う言葉には様々な意味が含まれていますが、一番大きな意味は「死」をさしているのは明白です。
コゴナダ監督は、その名前の由来が小津安二郎の片腕ともいえる脚本家・野田高梧に因んだものというほど小津を深く敬愛し、小津の研究者としても著名な人物です。
彼の初の長編映画『コロンバス』は、どちらかといえば作品の中に小津要素を探すのが難しかった作品でしたが、本作では小津の死生観を受けた影響が垣間見られます。
小津の1961年の作品『小早川家の秋』では、葬式の火葬場の煙を見上げながら、近場で農作業をしている夫婦が「死んでも死んでもあとから人が出てくるわ」「うまく出来ているわ」という会話を交わします。
その言葉には人間は誰もがいつか死に、終わりが来るものであるという真理が示されています。
また、小津は『麦秋』(1951)にしても『晩春』(1949)にしても、決して結婚をめでたい幸せなものとしては描きませんでした。むしろ娘を「嫁にやる」ことは、家族の幸せの終わりのように描いた作家と言ってよいでしょう。
「死」と「家族」という小津映画の重要なテーマに今回、コゴナダ監督は果敢に挑んでいます。しかし、それを実に大胆に独特な手法で行っているのに驚かされます。なんといってもユニークなのは、近未来の世界を舞台にしたSF映画であることです。
家族のひとりはロボットで、また、クローン人間が人間と共存している世界です。さらに映画の序盤に、家族で挑戦するダンス大会なるものが行われています。
おそらく、様々な形態での家族が増え、家族であることを確認し、実感するためのイベントが必要な時代というわけなのでしょう。
人間が、ロボット、クローンを見下す現象があることも示唆され、様々な形で共存している未来においても差別や偏見がなくなっていない様子が伺えます。
そんな中、娘とまるで兄妹のように仲良くしていたロボットであるヤンが故障し、修理不可能で再生できなくなってしまいます。
仕事に熱心で帰りが遅く、娘に寂しい思いをさせていたジェイク(コリン・ファレル)は、ヤンの「死」をきっかけに、これまで家族に対して深く考えてこなかったことや、蔑ろにしていた日常について振り返ることになります。
ヤンの残したメモリーの記憶が、ジェイクを突き動かします。ジェイクはその映像をたどりながら、在りし日のヤンをイメージする中で、家族で写真を撮った際のヤンの姿を思い出します。
真っ赤な服を着たヤンがカメラのセットを終えて、家族が並ぶ場所に加わる場面。それはジェイクの記憶の映像です。
ヤンがカイラと「終わりに」についての言葉を交わした際、彼は「終わりが無であっても僕は気にしません」と語っていました。そうプログラミングされているからと。
寂しくないのかとカイラに問われると、「無がなければ存も存在しない」と彼は応えていました。
しかし、ヤンの終わりは決して「無」ではありません。彼の動画に焼き付けられた記憶は、科学の発展への起因になるやもしれません。そして何よりも、ともに過ごした家族の記憶の中に存在し続けるのです。
便利なロボットという存在以上の存在として つまり、かけがえのない家族として、彼はこの世に存在したのであり、彼の「死」はさらに家族の絆を深める力となるのです。
まとめ
本作はオリジナルテーマ曲を坂本龍一が担当しているように、音楽も重要な要素を占めています。
冒頭の家族ダンス大会でかかる軽快なダンスミュージックもかなり強烈な印象を受けましたが、ラスト、幼い娘が突然歌い出す歌声にもはっとさせられます。
エンディングに続いていくその歌は、小林武史作詞作曲のシンガーソングライターMitskiによる『グライド』です。
これは岩井俊二監督の『リリィ・シュシュのすべて』で劇中のアーティスト、リリィシュシュの楽曲として流れた曲です。
また、ジェイクたち家族が暮らしている透明感溢れる家屋も忘れがたいものがあります。その静謐さには思わずヴィルヘルム・ハンマースホイの絵画を連想してしまいました。
映画『アフター・ヤン』は、その深遠なテーマとともに、全編に漂うコゴナダ監督の審美眼にも魅了される一作と言えるでしょう。