カナダ映画『きみへの距離、1万キロ』の原題は『Eye on Juliet』。
“ジュリエットの瞳”とは、文字通りイギりスの劇作家シェークスピアの『ロミオとジュリエット』から得た引用です。
しかも、本作品は古典的な恋愛物語ではあり得ない、現代的な方法で出会った男女と、その遠距離の片思いを描いた唯一無二と言ってもよいラブ・ストーリー。
彼女にフラれ失恋をしたばかりのゴードンは、デトロイトにある職場から遠く離れた北アフリカにある石油輸送のパイプラインの監視作業を行なっていました。
ある日、ゴードンが操作するクモ型ロボット(Juliet)が写し出した異国の地の映像に、いつものような石油泥棒ではなく、アユーシャという寂しげな瞳を持つ女性を見つけますが…。
CONTENTS
映画『きみへの距離、1万キロ』の作品情報
【公開】
2018年(カナダ映画)
【原題】
Eye on Juliet
【脚本・監督】
キム・グエン
【キャスト】
ジョー・コール、リナ・エル・アラビ、フェイサル・ジグラット、ムハンマド・サヒー、ハーティム・スィディキー、マンスール・バドリ、アレクシア・ファスト、アイーシャ・イッサ、ラルフ・プロスペール、ケリー・クレイグ
【作品概要】
キム・グエンが脚本と監督を務めた作品で、デトロイトから遠く離れた北アフリカの石油パイプラインの監視員として働く男と、異国で暮らす女の子が監視ロボットを通じて出会うラブ・ストーリー。
キム監督は『魔女と呼ばれた少女』で第85回アカデミー外国語映画賞にノミネートされています。
映画『きみへの距離、1万キロ』のあらすじとネタバレ
クラブにいたゴードンは自分を裏切って、他の男になびいてしまったジャニーンに詰め寄りますが、そのシツコさゆえに店員からクラブの外につまみ出されます。
そんなゴードンが働いている職場は、アメリカのデトロイトから6本足のクモ型ロボットを遠隔操作して、北アフリカの砂漠地帯にある石油パイプラインを石油泥棒などから監視するオペレーターでした。
“運命の人”と信じきっていた恋人ジャニーンを失ったことで、意気消沈しているゴードン。彼は別れで深く傷ついたことが原因で、誰のことも信じられずにいました。
そんな様子を見かねた職場の上司であるピーターは、出会い系のアプリを強引に薦めます。
ゴードンは気が進まないなか、3人の女性とコンタクトをしますが、それすらもピーターの押しがあってのことで、ピンとくるような出会いはありませんでした。
そんなある日、ゴードンは監視ロボットを通して、遠い地にいたどこか寂しそうな女性アユーシャと出会います。
映画『きみへの距離、1万キロ』の感想と評価
キム流の映像方程式「映画=窃視=純愛」
本作品は第74回ヴェネツィア国際映画祭のヴェネツィア・デイズ部門おいて、フェデオラ賞を受賞し、ヨーロッパの批評家たちから高い評価を得た作品です。
監督を務めたのは1974年のカナダ・モントリオールで生まれたキム・グエン。
2012年に公開されたキム監督先品の『魔女と呼ばれた少女』は、25か国以上で公開され、第85回アカデミー賞で外国語映画賞にノミネート
されたほか、第62回ベルリン国際映画祭では銀熊賞(主演女優賞)を受賞。また、ニューヨークで開催される第11回トライベッカ映画祭では作品賞と主演女優賞を受賞したほどの才能ある映像作家です。
キム監督は『きみへの距離、1万キロ』の物語を極力シンプルにしていくことに努めたようです。
そのなかでアメリカのデトロイトに住むゴードンが、女性との関係の築き方について、さまざまに自問自答しながら他者とのコミュニケーションのあり方、あるいは他者理解ができる成長を描きたかったのでしょう。
もちろん、ゴードンが監視ロボットで石油パイプラインの管理や監視作業を行うなかで、アユーシャという異国の女性を窃視を通して片思いして行ったことが、その中心になります。
なので、これまでの恋愛映画にあるような一方的な窃視やストーキング行為も、今回は6本足のクモ型ロボットのジュリエットが行うというのが、ポイントになっています。
「窃視」というのは文字通り「覗き」のことなので、一歩間違えれば犯罪行為でもあのですが、ロボットの動きが可愛いだけにそのように感じられないのもまたミソといったところでしょう。
映画の物語で当然そうなのですが、実際に現実であったとしても、“純愛”がストーキングであるのは、あなたもご承知の通りなので…。
ゴードンはロボコップ?
参考映像:『ロボコップ』(1987)
キム・グエン監督は主人公のゴードンを「現代社会、アメリカ社会、アメリカ的価値観」のメタフォーとして描いたそうです。
しかし、そのゴードンがそんな社会に馴染めないでいるというのが、この映画の展開を面白く、また実に豊かにしています。
例えば、ゴードンが住んでいるのはデトロイトですよね。あのロボット(サイボーグ)が出てくる映画『ロボコップ』(1987)も舞台はデトロイトの近未来でした。
つまりは、実際の昼間の生活ではジャニーンに捨てられてしまうイケてない男ゴードンですが、夜ともなれば遠い異国を監視警備するガードマンという、スーパーヒーローなのです。
それはゴードンと一体でサイボーグではないですが、“間接的なロボコップのような存在”です。
遠い地から遠隔操作していることで、ゴードンには身の危険はなく不死身。また、クモ型ロボットであるジュリエッタのカメラ・アイは暗視機能付きで、多国籍後も話せ、銃も装備しているという優れものです。
そのようなこともあり、ゴードンは単調なパイプラインの監視作業の中で、自分という人間の在り方、あるいは精神性としてのヒーロー像のようなものを見つけようとしていたのではないでしょうか。
そんな中で異国の地のアユーシャや盲目の老人と会っていたのです。考えてみれば、これは“映画内の映画”という入れ子構造でもあったのだとも気が付きますね。
イケてないダメ男ゴードンは、“アメリカ的価値観”という、スーパーヒーローになるために“真実の愛(正義)”を、異国の地で探していたのかも知れませんね。
キム・グエン監督の思い
キム・グエン監督は、ゴードンとアユーシャという2人のキャラクターに、「様々な理由で文化が隔たれていると感じられる瞬間はあるのだけれど、いつかはお互いが交わるという希望もまたある」という思いを本作に込めたそうです。
その上で、キム監督は次のような映画に込めたメッセージも述べています。
「この映画は空想的な夢想であり、ルイ・アームストロングの歌に登場するような空想とも似ているし、もっと言えば「この素晴らしき世界」のようなものだ。我々を様々な方法で隔てる技術なり正統なものの壁を壊すことについて空想している。また、願わくば、いかに人間がこの一時はとても小さく、時にとても遠く思えるややこしいグローバル・ヴィレッジの中で他人と触れ合い、お互いを理解しようとするかについての現代の物語であってほしい」
キム監督の言葉にあった「グローバル・ヴィレッジ」とは、世界のグローバル化によって、地球全体がひとつの村のように緊密な関係をもつようになったという主張のことで、それがややこしくなったとしても、他者理解をしていくことだと考えているのでしょう。
他者理解とは単に他人の状況を眺めて知るだけを意味するのではなく、他者と共に行動を起こすという共有を意味しているはずです。
また、キム監督はこの映画をエディット・ピアフの「バラ色の人生」のようだとも例えています。
では、映画の原題は『Eye on Juliet』と示しように、恋愛悲劇「ロミオとジュリエット」のようにすれ違いの悲劇で終わず、ラスト・シーンをハッピーエンドにしたのでしょう。
それ締めくくりこそが、「映画は空想的な夢想」という強い映画の役割だと、キム・グエン監督は信じて疑わないからでしょう。
ゴードンのように、“真の自分を見つけ出そうとする”ロマンティストであれば、夢想もそう悪くないのかも知れませんね。
まとめ
本作はキム・グエン監督が贈る今の時代だからこその純愛映画、あるいは、もうひとつの『ロミオとジュリエット』の物語です。
親のみが望む結婚という過酷な状況にいたアユーシャは、一緒に逃走するはずだった恋人カリムを亡くした際に、クモ型ロボット(ジュリエット)を使用して、アユーシャの未来を見出す目となります。
そのことこそが、「アユーシャ=ジュリエット=クモ型ロボットジュリエット(ゴードン)」という、純愛映画としての共犯者(共有化)になったのでしょう。
ゴードンとアユーシャの遠距離関係がわかる『きみへの距離、1万キロ』という邦題も悪くはないのですが、原題『Eye on Juliet』にはキム・グエン監督のロマンティストぶりを感じますね。