映画『ソワレ』は2020年8月28日(金)よりテアトル新宿ほかにて全国ロードショー公開!
映画『ソワレ』は和歌山県を舞台に、暗い過去を持つ若い女性・山下タカラが、ある罪を犯したことで偶然出会った俳優志望の青年・翔太と逃避行へと走る物語です。追われる身となりながらも、二人が共に同じ時間を過ごすことで、次第に生きる意味を見出していきます。
今回は本作を手がけられた外山文治監督にインタビュー。作品を通じて描こうとしたテーマや着想の経緯などについて語っていただきました。
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閉塞感を感じている若者を主人公に
──今作は、若い男女が逃避行をする物語となっていますが、背景にはさまざまな重いテーマが描かれています。こうしたテーマを映画にしようと思ったきっかけは何ですか?
外山文治(以下、外山):もともと自分は、老老介護の話や孤独死など高齢化社会の問題を撮ってきましたので、最初に高齢者施設から逃げる80歳の男女の駆け落ちを思いつきました。高齢者施設を抜け出して生きる意味を模索するという話を考えたのですが、ふと今の若者も閉塞感を強く感じているということを目の当たりにして、むしろモデルとなるべきは若者ではないかと考えました。
若者たちが日常的に持っている傷、例えば虐待を受けている人もいるだろうし、ままならない日常で犯罪まがいのことをさせられた経験がある人もいるかもしれない。あえて重いテーマを撮ろうと思ったわけではなく、そうしたものを自然に撮ったということになります。
──村上虹郎さんが演じる翔太と芋生悠さんが演じるタカラが最初に出会う場所も、高齢者介護施設でしたね。
外山:タカラが勤務する高齢者介護施設に翔太が芝居を教えに来ることで、二人は出会います。高齢者介護施設で芝居を教えるというのは、わりと自然に設定は思いつきました。例えばそれが児童相談所とか、親のいない子どもたちがいる施設に置き換えたとしたら、どうだっただろうと考えた時に、子どもというのは未来に向けた希望があるし、そうした光がにじみ出てくるのではないかと考えました。しかしそうではなく、ひっそりと人生を終える順番を待っているような人たちと共に生きることを選択せざるを得なかったタカラという女の子と、そこで出会う翔太を主人公に設定することがよいと考えたのです。
「ソワレ」にこめられた意味
──タイトルを『ソワレ』にした理由は何でしょうか?
外山:最初は、すべての人が人生の主人公であるということや、自分の人生を演じていくものだという意味が強かったのですが、今このような世界情勢になって、先行きが見えない中、一筋の光を模索している、夜明けを待つ人たちという意味が強くなってきたと思います。今の状況が、タイトルの意味を変えてしまったような気がしますね。最初は閉塞感を伝えたかったのですが、それがより濃いものになってしまいました。作品の中で「傷つくために生まれたんじゃない」というせりふがありますが、誰もがそう思っています。勝者がいない中で、もがいている人たちという意味では、今の時代だからこそ観てほしい作品になりました。
──物語が始まって36分後にようやく『ソワレ』のタイトルロールが登場します。この演出がとても印象的でした。
外山:タイトルロールが出るまでは、ドキュメンタリーを見ている気分になると思います。主人公の二人は特別な存在ではなく、普通に生きている人たちの中の生活者であることを示したかったんです。そして接点があるのかないのか分からない二人が、ある事件をきっかけにグーッと引き寄せられていくことを描くために、36分後にタイトルロールを出す手法を取りました。事件が起きて逃避行が始まってからは、二人の人生が大きく動きますから、その時点で『ソワレ』とタイトルを出すのが一番いいような気がしました。
魔法を使わない普通の生活者を描きたい
──村上さんは芋生さんともに素晴らしい演技を見せていますが、お二人の印象はいかがですか?
外山:前回一緒に映画を撮った時、虹郎くんは10代でしたが、今回は座長ですし、若手と接している気がしなかったです。彼は落ち着いていますし、物事を俯瞰で見ていて全員を引っ張っていく存在として現場にいらっしゃいました。大変優れた表現者だし、今の若者というものを背負ってもらうにはふさわしい人です。
芋生さんは、この作品を通じて知る人も多いのではないかと思います。本当に強い女優さんですから、驚きを持って観てもらえればいいなと思います。
──逃避行を始めて最初の夜、二人の間に距離はあるのにシルエットが近づいていく場面は幻想的でとても素敵でした。
外山:淡い恋心を表現しつつ、タカラは自分の内面の世界で夢を見ながら生きてきたということを明確に提示したいと考えました。望んでも手に入らない喜びを、夢見ることで補ってきた彼女のこれまでの人生を明らかにするシーンでもあるので、一緒に逃げてくれた男の子に対して、影だけで表現する美しいものにしました。
自分もあのシーンが好きですけれど、いろいろ考えて手作りにしようということになりました。影のシーンは合成すると簡単ですが、タカラの素朴な思いを表現するには、手作りの演出がいいのではないかと思いました。実はあのシーンは、二人の隣に別の役者さんがいるんです。その人たちの影を我々は二人の影だと思って見る、とてもアナログな演出となっています。
──本作は和歌山県が舞台となっています。主人公の二人は逃亡を続けますが、なかなか和歌山県から出ることができませんでした。
外山:翔太は作品の中で「かくれんぼが得意だから」というせりふを言いますが、あまりサバイバル術に長けた人間の逃避行を描きたくなかったんです。本人たちは必死なのですが、自転車で逃げる頼りなさ、稚拙な逃げ方でもいいのではないかと思ったのです。徒歩で梅農家を訪れたり、ようやくたどり着いた先も和歌山市内だったり……。それこそが等身大の若者の姿だと思っていますし、魔法を使わない生活者を描いているわけですから、それでいいのだと思っています。
1本1本胸を張れる作品を撮り続けたい
──エンディングでは思いがけない事実が判明しますが、当初から監督の中にエンディングの構想はあったのでしょうか?
外山:映画的な完結ではなく、人生の断片をドンと見せたいという気持ちが大きくありましたから、最初から考えていたエンディングです。突然自分の前からいなくなってしまった人にもきちんと人生があるし、お互いが影響し合っていることもあることを表現するのに一番いいのではないかと思い、翔太とタカラの過去に触れることにしたんです。
映画の本質から外れてしまいますが、タカラが犯した罪がどのぐらいのものなのか、知り合いの弁護士に聞いたら、刑務所を出るまでに長い時間を要すると伺いました。この作品で描いているのは、その数年を生きるための1週間で、それがあるからこそ、このあとずっと生きていけるんだということを表現しています。つまり若い頃の不遇で人生は決まらないのだよという希望を描きたいのです。
──監督は今後、どのような作品を撮りたいですか?
外山:自分は30代で2本長編作品を撮りました。たくさんの数をこなせる作家さんもいますし、20本、30本と映画を撮っている監督さんもいらっしゃいます。でも自分はそういうタイプではなく、人生において、おそらく大量に映画は残せないだろうと思っています。ですから、今後も1本1本胸を張れる作品を撮っていきたいです。
実は自粛期間中に『タレンタイム~優しい歌』(2009)という映画を観ました。すでに亡くなった女性監督の作品ですが、彼女が生涯に撮った作品は6本です。でも亡くなってからもずっと観てもらえる作品を残しているので、1本1本が誰かの心にきちんと届く作家になりたいと思います。
インタビュー/咲田真菜
撮影/田中館裕介
外山文治監督プロフィール
1980年生まれ、福岡県出身。日本映画学校演出ゼミ卒。老老介護の厳しい現実を見つめた短編映画『此の岸のこと』(10)が海外の映画祭で多数上映され、「モナコ国際映画祭2011」で短編部門・最優秀作品賞をはじめ5冠を受賞。その後、シルバー世代の婚活を明るく描いた『燦燦-さんさん-』のプロットで「第六回シネマプロットコンペティション」のグランプリを獲得し、2013年に長編映画監督デビュー。「モントリオール世界映画祭2014」より正式招待を受ける。
また、『わさび』(17)は「ロサンゼルス日本映画祭」最優秀短編映画賞を受賞し、『春なれや』(17)と17年に同時上映された『映画監督外山文治短編作品集』においてユーロスペースの2週間レイトショー観客動員数歴代一位を獲得した。
映画『ソワレ』作品情報
【公開】
2020年(日本映画)
【監督・脚本】
外山文治
【キャスト】
村上虹郎、芋生悠、岡部たかし、塚原大助、康すおん、花王おさむ、江口のりこ、田川可奈美、石橋けい、山本浩司
【作品概要】
豊原功補・小泉今日子・外山文治が立ち上げた映画制作会社「新世界合同会社」による第1弾プロデュース作品。何もかもうまくいかず、苦しい日々を送っていた若い男女が出会い、ある罪を犯したことをきっかけに始まった逃避行。男はそれを「かくれんぼ」と呼び、女は「かけおち」と称したひと夏の出来事を、和歌山の美しい自然を舞台に描きます。
若い男女を演じるのは、類稀なる吸引力で日本映画の台風の目になりつつある村上虹郎と、独特の存在感で鮮やかな印象を残す新星・芋生悠。そして監督をセンシティブな感性で唯一無二の世界観を作り出す新鋭・外山文治が務めます。
映画『ソワレ』のあらすじ
俳優を目指して上京するも結果が出ず、今ではオレオレ詐欺に加担して食い扶持を稼いでいる翔太。ある夏の日、故郷・和歌山の海辺にある高齢者介護施設で演劇を教えることになった翔太は、そこで働くタカラと出会います。
数日後、祭りに誘うためにタカラの家を訪れた翔太は、刑務所帰りの父親から激しい暴行を受けるタカラを目撃します。やがて、翔太は咄嗟に止めに入りましたが、彼を庇おうとしたタカラの手は父親の血で染まりました。
逃げ場のない現実に絶望し佇むタカラを見つめる翔太は、やがてその手を取って夏のざわめきの中に駆け出していきます。こうして、二人の「かけおち」とも呼べる逃避行の旅が始まりました……。