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【田中稔彦監督インタビュー】映画『莉の対』を完成させた“挫折が生んだ覚悟”と自身を変えたいと思えた“恩”

  • Writer :
  • 松野貴則

映画『莉の対』は2024年5月31日(金)よりテアトル新宿で1週間限定上映後、全国にて順次公開!

北海道と東京を舞台に繰り広げられる、失聴者の風景写真家と空っぽな人生を送る女性を軸に、人々の生きる葛藤を描いたヒューマンドラマ映画『莉の対』。

俳優・田中稔彦の初監督・脚本作である本作は、ロッテルダム映画祭・タイガーコンペティション部門にて最優秀作品賞(タイガー・アワード)を受賞。日本映画では映画祭史上初の単独受賞という快挙を成し遂げました。

このたびの日本での劇場公開を記念し、映画『莉の対』を手がけ、失聴者の風景写真家・真斗役も自ら演じられた田中稔彦監督にインタビューを敢行。

コロナ禍で経験した挫折から生まれた映画制作に対する覚悟、本作を経て気づくことのできた“成りたい自分”など、貴重なお話をお伺いしました。

コロナ禍の挫折を乗り越えて

──映画『莉の対』のロッテルダム映画祭での最優秀作品賞(タイガー・アワード)受賞おめでとうございます。現在のご心境をお聞かせください。

田中稔彦監督(以下、田中):今回の受賞を、決して無駄にしてはいけないという気持ちが強いです。

『莉の対』をどこまで世界に発信できるか。そして、どれだけ自分と映画に携わってくれたスタッフ・キャストたちの人生を変えられるか。多くの関係者の瀬戸際に立っていると感じているからこそ、立ち止まってはいられないですね。

──初監督・脚本作である本作は、どのような経緯で制作されたのでしょうか。

田中:実はコロナ禍の頃、3・4人程度の本当に小規模なスタッフ・キャストで短編映画の制作していたんです。皆が「コロナ禍で何もできない現状を変えたい」という意志のもと企画に参加してくれていましたが、僕と企画を進めていた相方がコロナに罹り、制作を中止せざるを得なくなりました。

企画に賛同してくれた友人たちに「ごめんなさい、お蔵入りです」と伝えなければいけないのは本当にショックでした。当時の皆の希望や夢を乗せて、作品を完成させられなかったのがずっと心残りだったんです。

だからこそ、この『莉の対』は絶対に完成させると最初に覚悟を決めました。365日「映画を必ず完成させる」と毎朝唱え続け、どんな困難に直面しても、どんな駄作になっても、絶対に完成させると思い続けたんです。

苦しい俳優人生を経験したゆえの“還元”

──映画『莉の対』には、田中監督の観客の皆さん、スタッフ・キャストの皆さん一人一人を大切にしたいという思いも込められているのですね。

田中:僕は俳優として活動を始めた時に「アルバイトはしない」と決めました。そのため食えない時期もあったものの、そうした苦しい経験を積み重ねが、全て今につながっているんです。

全くの無名の状態から一人また一人とファンが増えて、これまでやってこられた。だからこそファンの皆さんは本当に大切な存在で、ファンの方がどれだけ増えたとしても、そのことは決して変わりません。

そして『莉の対』に参加してくれた俳優さんたちにも、この作品をきっかけにより高みへ進んでほしいと考えていました。そのためスポットライトがなるべく全てのキャストに当たるようにし、メインキャストはもちろんサブキャストに至るまで、全員の配役に役名を付けています。

俳優が出演歴を書く時、名前付きの役でないと実績として書きづらいんです。本作に参加してくれた俳優さんたちには、胸を張って名前付きの実績を書いてもらえるようにしました。エキストラとして参加してもらった方たちにも、映画世界の大切な背景として、全員が一瞬でも映るように映像を編集しています。

また本作によって僕は自分自身の人生を変えたいと考えていましたが、それは他のスタッフたちも同じ考えでした。コロナで身動きが取れず、一人一人が何かしらの挫折を経験した中で、それでも「新しいことをやりたい」「今を変えたい」と皆がもがき続けていたんです。

本作に携わってくれたスタッフ・キャストが、本作を経験して技術を習得し、人生を謳歌し、次のステップに進めるようにすることは、「田中組」をとりまとめる監督でもあった自分が最も果たすべき責任だと感じていたんです。

脚本執筆における“俳優”の視点

──映画『莉の対』の設定・物語はどのように構想されたのでしょうか。

田中:物語の構想自体は、僕の身の回りの出来事をベースに生み出しています。本作で監督補佐を務めてくれた池田彰夫とは古くからの付き合いなんですが、実は彼は片方だけ耳が聞こえづらくて、彼の存在は無意識的にも、意識的にも本作に影響を与えてくれたと感じています。

他にも僕と池田が過去に制作した自主作品に出演してくれたモデルの女性がいて、その子がある撮影会と、その現場にいたという耳の聴こえないカメラマンの話をしてくれたんです。彼女から聞いたエピソードとインスピレーションを基に、池田とともに構想を固めていきました。

耳の聴こえない写真家、僕の大好きな雪国である北海道。二つのキーワードを基に、主人公と他の登場人物たちの人間像を練っていきました。

また脚本の執筆時には、自分自身が俳優であることからも、とにかく参加してくれる俳優たちのことを考えていました。

役作りする上で、僕はどうしてもその役を生きてほしかった。役として一人の人間を自分の中に作り上げるためには、その人物に関する情報が脚本に描かれている必要がある。主人公やヒロインだけでなく、それ以外の登場人物たちもバックボーンを描き、その役の人生を背負って生きてほしかったんです。

逆に主人公の光莉だけは、透明で何もない人間。そんな空っぽの女性像を浮き上がらせるために、周りの登場人物たちは重い人生を背負わせる。そのコントラストで、主人公の女性が立ち上ってくるように意識して脚本を固めていきました。

“これから成りたい姿”に向かって生きる

第53回ロッテルダム国際映画祭にて
田中稔彦監督と光莉役:鈴木タカラさん

──田中監督は映画、俳優と表現活動をされていますが、そのきっかけは何なのでしょうか。

田中:とてもザックリと言ってしまえば「自己表現をする仕事に憧れがあった」としか言いようがありません。

大学を卒業してから1年間銀行に勤めていましたが、銀行員はお金を貸し、人々をサポートするのが仕事です。僕は大学生の頃から「将来起業したい」と考えてはいましたが、起業するにはノウハウも知識も何もなかったので、まずは一度銀行に就職し、財務面について学びながら人脈を作ろうと思っていました。

ですがその当時、仲の良かった同僚が美術の創作活動もやっていたんです。美術は自身の内と外で感じとったものを表現し他者に伝える仕事であり、僕とは全く違う生き方をしていました。それが当時の何もない僕からしたら、ものすごくカッコ良く見えたんです。

いても立ってもいられなくなり「自分も何かを表現したい」という欲求が高まっていった丁度その頃、高田雅博監督の『ハチミツとクローバー』(2006)という映画を友だちと観に行ったんです。そこで「俳優って、かっこいいな」という憧れを持ってしまった。翌日には会社に辞表を提出していました。

学生の頃は俳優とは全く関係のない人生を歩んできて、憧れたことなどもなかったのに、一人の人間との出会い、一つの映画との出会いで人生が大きく変わったんです。


(C)松野貴則/Cinemarche

田中:僕は自分のことを、どうしようもない人間だと思っています。俳優としての活動においても、個人の技術を磨いて磨いて磨いて、ある意味では「周りにどう思われてもいいから、良い芝居をしたい」と長い間考えていました。

ですが、コロナ禍で舞台も映画もできなくなった時「このままではいけない」と感じた。そして『莉の対』を制作する過程で、自分を変えていきたいと心から思えるきっかけと巡り会いました。それは制作を進める中で自分と関わってくれたスタッフさんや俳優さん、そしてロケ地である北海道・占冠村の皆さんなど、映画を支えてくれた方たちです。

何もない自分に優しい声をかけてくれて、様々な形で協力してくれた。だからこそ「何かを表現し、伝える」という方法で恩返しをしたいし、そのために生きていきたいと思うようになったんです。

そんな理想の生き方に向かって、今この瞬間も自分を変えようともがき続けています。僕が今言葉にしているのは「成っている姿」ではなく、「これから成りたい姿」なんだと思います。

インタビュー・撮影/松野貴則

田中稔彦監督プロフィール

1983年生まれ 和歌山県出身。大学卒業後に就職するも、のちに俳優を志す。

これまで100以上の舞台作品に出演した他、『抱きしめたい』(2014、塩田明彦監督)『子宮に沈める』(2013、緒方貴臣)などの映画作品にも出演。

俳優としてキャリアを重ねる中で、コロナ禍を機に初の監督・脚本作『莉の対』を制作。同作はロッテルダム映画祭タイガーコンペティション部門にて最優秀作品賞(タイガー・アワード)を受賞し、世界的に注目を集めている。

映画『莉の対』の作品情報

【日本公開】
2024年(日本映画)

【脚本・監督・編集】
田中稔彦

【監督補佐】
池田彰夫

【助監督】
高橋温華、真田大誠、​遠藤圭吾

【撮影】
仲島義侍、新井衣莉果、​空村祐介、池田彰夫、田中稔彦

【録音】
湯浅香奈

【キャスト】
鈴木タカラ、大山真絵子、森山祥伍、池田彰夫、勝又啓太、田野真悠、菅野はな、内田竜次、築山万有美、田中稔彦、結城和子、博田美保、永井なおき、小林泉水、滝佳保子、樹くるみ、清水優華、高橋信二朗、和田修昌、小島颯太、梁瀬泰希、田中大知、市川将太郎、宮脇悠輔、武田佳奈、永井理沙 矢野たけし、庄司浩之、中岡さんた作品、植村祐太 山口かんじ、水野直、すがおゆうじ、月岡鈴、ちあ紀、宇多川宰、倉金春、和木亜央、舘若奈、黒井宏諭

【作品概要】
失聴者の風景写真家・真斗と空っぽの人生を生きる女性・光莉の心の交流を軸に、東京と北海道で生きる人々の孤独と葛藤を描いたヒューマンドラマ映画。

俳優として活動する田中稔彦の初監督・脚本作であり、ロッテルダム映画祭ではタイガーコンペティション部門にて最優秀作品賞(タイガー・アワード)を受賞。日本映画では映画祭史上初の単独受賞という快挙となった。

キャストには確かな実力と経歴を重ねてきた女優・鈴木タカラをはじめ、本作でブエノスアイレス国際映画祭 Feature Film Fiction部門にて最優秀女優賞を獲得した大山真絵子、『JOINT』(2021、小島央大監督)で新藤兼人賞銀賞を受賞した森山祥伍など、演技力が高く評価される俳優陣が本作を彩る。

映画『莉の対』のあらすじ

自分の存在の希薄さを感じながら生きている光莉。

ある日、ふとしたきっかけで1枚の写真に心惹かれた光莉は、その写真を撮った人物に自分のポートレイト写真を撮ってくれないかとメールで依頼する。

光莉の元に返ってきた返信は「人物の写真は撮った事がありません。あと僕は、耳が聴こえません。なので、喋ることもできません。うまくコミュニケーションが取れないと思います。それでもよければ……」

風景写真家である真斗からのメッセージ。真斗は失聴者だった。

光莉と真斗、それぞれを取り巻く人間関係が少しずつ影響を与えあい、そして脆く崩れていく。自然の美しさと対比されるように描かれていく人間模様。

『莉』は単独ではほとんど意味を持たない。

他と結びつくことで初めて意味を持つ。




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