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Entry 2020/10/16
Update

【片桐裕司監督インタビュー】映画『ゲヘナ』ハリウッド特殊メイクと“造形”によって人々の“好き”を後押ししたい

  • Writer :
  • Cinemarche編集部

ホラー映画『ゲヘナ〜死の生ける場所〜』監督・片桐裕司インタビュー

2019年に日本国内で劇場公開を迎え、日本のホラーマニアたちの注目を集め話題となった映画『ゲヘナ〜死の生ける場所〜』。サイパン島のリゾートホテル建設予定現場に訪れた男女が、旧日本軍の地下壕の中で体験する想像を絶する恐怖を描いたパニックホラーです。


photo by 田中舘裕介

本作を手がけたのは、スティーヴン・スピルバーグ監督作をはじめハリウッドで数々の作品の特殊メイクおよび造形を手がけてきた彫刻家・キャラクターデザイナーの片桐裕司監督。

近年では日本の次世代クリエイターの育成を主な目的とした「片桐裕司彫刻セミナー」を開催するなど、後進の指導も精力的に行っている片桐監督にこのたびインタビュー。長年の夢でもあった初の長編監督作『ゲヘナ』の制作経緯やご自身の経歴、片桐監督にとっての「造形」の意味など、貴重なお話を伺いました。

培ってきた強みを発揮できる映画を


(C)2016 GEHENNA FILM COMPANY, LLC.

──はじめに、片桐監督にとって初の長編監督作となった映画『ゲヘナ』の制作経緯を改めてお聞かせ願えませんか?

片桐裕司監督(以下、片桐):実はアメリカに渡ってスタジオで特殊メイクの仕事に携わるようになり、20歳になってとうとう永住権を取得できた頃に「自分は特殊メイク以上に、映画を撮りたかったんだ」と気づいてしまったんです。それ以降「映画を撮りたい」という思いを自分の中で秘めたまま仕事を続けてきたんですが、『ゲヘナ』を通じてようやくそれが実現したわけです。

ただ初の長編監督作ということもあり、やはり予算も時間も限られていますから、クラウドファンディングなどでの資金集めがしやすいし自分の特殊メイクの技術をフル活用できるホラーで、「封鎖された密室の空間」を舞台に設定するのを制作における前提条件としました。また自身の強みだと感じている「アメリカにも作れないし、日本でも作れないもの」「日本とアメリカの魅力を併せ持ったもの」を作れるというところを全面的に表現するためにも、アメリカと日本両方の要素を物語に盛り込んだ作品にしようと考えました。その結果、主人公をアメリカ出身の白人女性に設定した上で、主人公たちが日本にも深く関わっている恐怖へと巻き込まれていくというプロットを組んでいったんです。


(C)2016 GEHENNA FILM COMPANY, LLC.

片桐:ただ脚本については、当初はそうした漠然としたプロットに基づいて一度勢いで書き上げたものの、その後『映画を書くためにあなたがしなくてはならないこと シド・フィールドの脚本術』(2009)を読んだことで「自分は映画について、物語について何も知らなさ過ぎる」と気付かされ、それまでに書いたものを全て書き直したんです。特に物語を成立させる「構造」を練り直し、作中に登場するキャラクターの個性やバックグラウンドといった造形をより深く掘り下げるように努めました。

ちなみに本作の物語の構造は、手塚治虫の『火の鳥 異形編』(1981)の影響を大きく受けています。男として育てられた主人公の女性が憎むべき父の病を治そうとする尼僧・八尾比丘尼を殺すんですが、なぜか寺から出られなくなり、八尾比丘尼に救いを求める人々の治療を亡くなった彼女に代わってするようになる。そしてやがて、恐ろしい真実を突きつけられてしまう……小学校か中学校の頃に読んで物凄く衝撃を受けた作品だったんですが、その物語の構造を『ゲヘナ』の物語の原型として拝借させていただきました。

日本での独学を経てアメリカへ

映画『ゲヘナ』撮影時にて実際に使用されたマスク


photo by 田中舘裕介

──そもそも、片桐監督が特殊メイクという仕事に興味を持たれたきっかけとは何でしょう?

片桐:小さな頃から映画が大好きで、「映画に関わる仕事をしたい」とずっと抱いていました。また僕が小学校から中学校へと通うようになった1980年代は、『ハウリング』(1981)やマイケル・ジャクソンの「スリラー」MV(1983)などの影響で「特殊メイク」という技術が世間で注目を浴びつつあった時期でもありました。そうした経緯から「特殊メイクの仕事をしたい」と思うようになり、そのためにもアメリカに渡って学ぶ必要があると考えたんです。

そして高校を卒業した後に渡米し、10週間の専門学校へと入学したのですが、その学校は通常のメイクアップが専門だったため、教わることは基本的なビューティメイクや髭やカツラの付け方などが中心。実際に特殊メイクを学べたのは2週間程度でした。それも、マスク制作など自分が日本にいた際に独学で学び練習していたものがほとんどでした。

──日本で独学で学ばれたというマスク制作について、より詳しくお聞きしてもよろしいでしょうか?

片桐:マスク制作では、それを被る人の顔の型を取る必要があるんですが、その型取りにはアルジネートとプラスターバンテージという特殊な素材が不可欠なんです。ネットがない当時では購入どころか、入手先を調べることすらできない状況だったんですが、アルジネートに関してはバイト先にたまたま歯科技工士の専門学校生の方がいて、歯科治療での歯形取りにも使用されているその素材のことを尋ね、何とか入手することができました。高校3年生の時にそれを買った際の「1缶5000円」という値段はいまだに覚えています。

またプラスターバンテージは、骨折などの際にギプスを装着するための石膏素材として使用されていると分かったため、すぐに近所の接骨院を訪ねたんです。アルジネートの時と同様に「なんでそんなもの知っているの?」と不思議がられはしましたが、用途について説明すると快く取り扱っている業者を紹介してくれて、無事に買うことができました。おそらく僕が当時最年少の顧客だったはずです(笑)。そうやって素材を地道に集めながら独学で学んでいきましたが、自分のことながらよくやったものだと感じています。

【片桐裕司監督公式ブログ】片桐監督の独学でのマスク制作エピソードをさらに知りたい方はコチラ→

「自分が好きなこと」を見つめ直す


photo by 田中舘裕介

──アメリカ国内の専門学校を卒業後、片桐監督は紆余曲折を経て現在も携わり続けるハリウッドの撮影スタジオとその現場へ足を踏み入られたわけですね。

片桐:アシスタントとして初めて現場に入ったばかりの頃は、「プロとして活動する周囲の人々に比べて技術がない」「ビザがないから、インターンやボランティアという形でしか働けない」「英語もうまく話せない」というないない尽くしでの仕事でしたが、決して不貞腐れることはなく「映画に関わる仕事ができている」という喜びでいっぱいでした。それに当時は彼らに対して勝る点が一つだけあって、それは「労働時間」でした。映画に関われると思うだけでどんな作業も苦にはならなかったですから、眠る時間以外はほとんど仕事に費やしていました。

──ご自身の中でターニングポイントとなったお仕事などはありますか?

片桐:やはり20歳の頃、アメリカで永住権が取れることになり、インターンやボランティアではない形で仕事ができるようになった頃ですね。アメリカでの仕事の大きな節目だったと思っています。またその次に訪れたもう一つのターニングポイントは、『A.I.』(2001)での仕事です。スタジオに訪れたスティーヴン・スピルバーグ監督が僕の目を見て「Great!」「good job!」と評価してくれたことは鮮明に覚えています。

ただ『A.I.』の仕事を手がける前の時期は、自分自身の才能に限界を感じていた頃でもありました。それは結局、「何をやりたい」という目的よりも「上手くなりたい」という技術のことばかりで頭がいっぱいになってしまっていたのが大きな理由だったんですが、やがて「今の仕事を続けていくために一番大切なのは“技術”ではない」「その技術を磨き続けるための原動力となる“目的”が大切なんだ」と自覚することができました。それが一種の悟りとなり、「自分が好きなこととは何か」「やりたいことは何か」を中心に考えるようになったことで、また仕事を楽しめるようになったんです。そう考えると、映画監督として映画を撮ることができたのも、自分のやりたいことを考え続けた結果だと思います。

「好きなことをやっていいよ」と言ってくれる人間に


photo by 田中舘裕介

──片桐監督は現在、様々な方を対象に「造形力」を指導する彫刻セミナーを継続的に開催されていますが、そのセミナーを始められたきっかけとは何でしょうか?

片桐:彫刻セミナーは元々、日本とアメリカを跨いで開催されたセミナー企画の一つが原型となっています。そして僕はある方からセミナーでの講師を務めてほしいと依頼されたわけですが、その当初からセミナーにおいて「特殊メイクの技術」のみを教えるつもりはありませんでした。

そもそもCGが登場し特殊メイクという業界自体がどうしても先細りしていく中で、特殊メイクの技術のみを教えたとしてもそれを活用できる場は中々訪れません。短い期間の中で自分は何を教えられるのか、伝えられるのかを考えた時に、僕は「技術」以上に物事を創造的に継続していくための「考え方」を伝えるべきだと考えたんです。そのおかげもあってセミナーは幸い好評という結果で終わったんですが、やがて2011年の3月11日に東日本大震災が起こりました。

実は震災が起きた当日は、僕の父がガンの悪化によってとうとう歩けなくなり、入院することになった日でもあったんです。当時もアメリカにいた僕はその報せを受けて日本行きの航空券を買ったんですが、その数時間後に地震が起きた。そのため航空券を買ったのは3月11日の金曜だったんですが、日本に着いたのは翌週の月曜でした。そして日本に着いた僕は、震災直後で混乱する日本の様子を目にすることになったんです。

その後病院の父と会い、しばらくの間は父の様子を見るために日本とアメリカを行き来することを決めました。ただ、そうして父の見舞いによって日本に訪れる機会が生まれたことで、「震災が起こった今の日本で、自分にも何かできないだろうか」「今の日本の状況下で、自分にしかできないこととはないだろうか」と改めて考えさせられました。その中で、「好きなことをやっていいよ」と言ってくれる人間が本当に少なくなっていく社会で、自分自身の経験などを交えてその言葉を多くの方に伝えられないだろうかと思い至ったんです。そうして父の入院と東日本大震災が重なったことで日本国内でのセミナー開催を2013年に新たに企画したんですが、それが人気となって現在まで続いているという形です。

「考え方」を学ぶための彫刻セミナー


photo by 田中舘裕介

──その彫刻セミナーで指導されている「考え方」とは、具体的にはどのようなものなのでしょうか?

片桐:まず、「なぜできないのか」を徹底的に説明するんです。自分自身も「できない」という経験をしている人間ですから、そのことが最初は何よりも重要だと感じています。ただ、その「なぜできないのか」の理由は人それぞれ異なっていることもあり、それを僕が教えてしまうのではなくあくまでも本人に気づかせるようにしています。物事の捉え方や考え方を本人が見つめ直させ、自発的に「できない理由」に気づけるように促していく。そうすることで、本人の意識において「向上心」という本当の変化が生まれるわけです。

また「できない理由」にくわえて、本人にとっての「好き」が何か、その「好き」の理由を探ることもセミナーの目的の一つです。「好き」がわからないままだと、どうしても根気が続きませんから。ただ多くの方は、「好き」を追い求めることに対して心の中でブレーキをかけてしまう。そのブレーキを外してあげることが僕の役目だと思っています。

片桐裕司にとっての「造形」


photo by 田中舘裕介

──多数の名作・話題作での特殊メイクを手がけてきた片桐監督ですが、ご自身にとって「造形」において最も大切なこととは一体何でしょうか?

片桐:やはり、リアリティの問題なんですよね。「ありえないけど、ありえる」という絶妙なバランスの問題です。解剖学に関する学術書や写真資料などを参考にしながらも、どこまでが「ありえる」でどこまでが「ありえない」なのか、その境目を常に意識しています。

例えば「死体」を再現しようとする際、ただ本物の死体を忠実に模したとしてもそこにはリアリティが感じられず逆に「嘘くささ」が見えてしまう。実際、お葬式などで亡くなられた方のご遺体を目にしても、「この人は亡くなった」といまいち実感できなかったという経験をお持ちの方もいるんじゃないでしょうか。ですから、「本物を実際に見ろ」というありがちな言葉は意外と役に立たない場合も多いんです。結局はフィクションとしてのリアリティが大切で、人間の想像力を少し超える程度なら問題ないんですが、それを過剰に超えてしまうと「嘘」と認識されてしまう。あくまで想像力の範疇に寄り添ってアプローチをしなくてはならないんです。

ただ、あくまで造形に対して特別に強いこだわりを持っているわけではないんです。造形は僕にとって、生活の糧を得るための手段であり武器です。そして何よりも、僕の人生において非常に大切なことである「誰かに何かを伝え、その人の心をより良い形へと変えていく」という現象を実現するための技術でもあるんです。

インタビュー/河合のび、出町光識
撮影/田中舘裕介
構成/河合のび

片桐裕司監督プロフィール


photo by 田中舘裕介

東京都出身。1990年に高校を卒業したのち18歳で渡米、フリーランスで映画・テレビのキャラクター制作に参加する。1998年に人気TVシリーズ「Xファイル」によりエミー賞メイクアップ賞を受賞。その翌年1999年には世界屈指の工房で知られる「スタン・ウィンストン・スタジオ」のメインアーティストに就任。『A.I.』『ジュラシック・パーク3』『宇宙戦争』など数多くの名作・話題作を手がけ、その後もフリーランスとして活躍を続けている。他の主な代表作は、『キャプテンマーベル』『パシフィック・リム』『マン・オブ・スティール』『エイリアン対プレデター レクイエム』『ウルヴァリン X-Men Zero』『パイレーツオブカリビアン 生命の泉』『マンダロリアン』など。

2013年3月からは日本の次世代クリエイターの育成を主な目的とした「片桐裕司彫刻セミナー」を全国各都市(北海道・仙台・富山・東京・大阪・名古屋・福岡)にて開催。その指導は多くの造形家のみならずCG業界・ゲーム業界など様々なクリエイターたちに多大な影響を与えている。

2016年、初の長編監督作『ゲヘナ〜死の生ける場所〜』を制作。2018年にアメリカ、2019年に日本で劇場公開された。また次回監督作の製作も決定している。

「片桐裕司彫刻セミナー」の概要情報

「片桐裕司彫刻セミナー」デモ講義動画

【「片桐裕司彫刻セミナー」公式HP】
セミナーの講義内容や開催情報、参加募集要項・申し込み方法などを掲載。
「片桐裕司彫刻セミナー」公式HPはコチラ→

【片桐裕司監督・彫刻セミナー公式Twitter】
セミナースタッフによる講義風景リポートなどを日々更新中。
片桐裕司さん・彫刻セミナー公式Twitterはコチラ→

映画『ゲヘナ〜死の生ける場所〜』の作品情報


(C)2016 GEHENNA FILM COMPANY, LLC.

【公開】
2016年(アメリカ・日本合作映画)

【原題】
Gehenna: Where Death Lives

【監督】
片桐裕司

【キャスト】
ダグ・ジョーンズ、ランス・ヘンリクセン、エバ・スワン、ジャスティン・ゴードン、サイモン・フィリップス

【作品概要】
サイパン島のリゾートホテル建設予定現場に訪れた男女が、旧日本軍の地下壕の中で体験する想像を絶する恐怖を描いたホラー映画。特殊メイクアーティストとして活躍する片桐裕司の長編監督デビュー作であり、片桐監督を中心にハリウッドのSFXのプロたちが集結して制作された。

『シェイプ・オブ・ウォーター』の半魚人役で知られるダグ・ジョーンズが謎の老人役を怪演した他、ジェームズ・キャメロン作品への出演で知られる名優ランス・ヘンリクセンも主人公たちの上司役として出演している。

映画『ゲヘナ〜死の生ける場所〜』のあらすじ


(C)2016 GEHENNA FILM COMPANY, LLC.

リゾートホテル建設の為、サイパン島を訪れた土地開発会社の社員ポリーナとタイラー。

二人は現地コーディネーターのアランとペペ、カメラマンのデイブと共に候補地であるジャングルへ視察に向かうが、そこで謎の呪術師によって守られた洞穴を見つける。

ポリーナたち一行が中に入っていくと、そこには数体のミイラ化した死体があった。洞穴はかつて、米軍も把握していなかった旧日本軍の秘密の地下壕だったのだ。

さらに奥へ進んでいくと、一行は突然ゾンビのような不気味な老人に襲われ、驚いたアランは老人を突き飛ばし誤って殺してしまう。その瞬間、謎の爆発が起こり一行は地面に叩きつけられて気絶してしまった。

5人が目を覚ますと、地面に転がっていたはずミイラたちと不気味な老人はいなくなっていた。入口も塞がり閉じ込められてしまった5人は、やがて太古から続く呪いとそれがもたらす恐怖の運命に翻弄されていく……。




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