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Entry 2019/07/17
Update

【エリック・クー監督インタビュー】斎藤工との友情の映画制作とアジア発の若き映画作家たちの育成に努めたい

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  • Cinemarche編集部

特集上映「東南アジア映画の巨匠たち」

東南アジアの地域を越えて世界に挑戦し、映画ファンを魅了し続ける映画作家の原点から最新作、注目の若手監督の意欲作を一挙特集上映した「東南アジア映画の巨匠たち」

2019年10月での閉館が決定している由緒ある映画館・有楽町スバル座にて、7月4日から10日の7日間にかけて、プログラムの全作品が上映されました。


©︎Cinemarche

そこで『痛み』『ミーポック・マン』『一緒にいて』の3作品が上映され、シンガポールひいてはアジア映画界を代表する映画監督が、今回のイベントに向けて来日したエリック・クー監督です。

今回の来日に際し、エリック・クー監督へのインタビューを行いました。

最新作から初期作品の制作にまつわる秘話や映画監督となったきっかけ、シンガポールひいてはアジア映画界への思いなど、貴重なお話を伺いました。

“食”と人生のつながり

エリック・クー監督、斎藤工主演『家族のレシピ』(2019年日本公開)

──今回エリック監督が来日されたのには、本特集上映への出席のみならず他にも目的があったためとお聞きしました。その目的とは何でしょうか。

エリック・クー監督(以下、エリック):実は今、HBOアジアが制作するオリジナルドラマ『Foodlore(原題)』の一編であり、私の監督作『家族のレシピ』で主演を務められた俳優・斎藤工さんが監督する作品が群馬県・高崎市で撮影中なんです。

この映画はアジアで活動する監督たちが一編ずつエピソードを担当するオムニバス作品なんですが、テーマは「食」。特に齊藤工さんは「駅弁」をテーマを映画を撮っています。

かつてご一緒させていただいた工さんとのご縁もあり、その現場を見るためにも今回来日することを決めました。

参考映像:「Passion Made Possible エリック・クー×斎藤工」
映画監督としても活動する齊藤工はシンガポール観光大使を務めている

──2019年に日本で公開された『家族のレシピ』をはじめ、エリック監督の作品では度々シンガポールの料理や食文化が題材として取り上げられています。監督はそれらについてどのような思いを抱かれていますか。

エリック:自身が育つ中で形成されてゆく思い出において、“食”にまつわるものは誰しも持っていると私は考えています。食べるために生きる、生きるために食べる…それ程までに、“食”と人生の間には深いつながりが存在します。

それに僕自身、食べることが大好きなんです。シンガポールの料理では、特にミーシアムがお気に入りですね。麺料理の一つなんですが、前述のオムニバスドラマにて私が監督した一編では、この料理を取り上げています。

いわゆる麺料理の一つなんですが、子どもの頃からずっと慣れ親しんできた、シンガポールのどこの屋台でも食べられる料理であり、シンガポールでしか食べられない料理の一つです。

私が監督した一編は、シンガポールの高級料理店で働くフランスから来た女性が主人公なんです。しかし彼女はミーシアムを知ってしまい、その料理に恋してしまう。そしてミーシアムを作っているマレー系の男性と知り合うというラブストーリーなんです。

屋台ではミーシアムが250円程度で食べられる一方で、ミシュランにも認定されているような高級料理店では一食につき3万円程度かかる。それ程までに国内での“食”の格差は存在します。

けれども、ミーシアムを含めいわゆるソウルフードと呼ばれるものは、大抵が安価で、地元でしか食べられないものなんです。そしてその主人公の女性もまた、その魅力に取り憑かれるものの、ミーシアムを何度も味わっても、その味の作り方が分からないわけです。

私は文化に興味があるのですが、“食”もまたその文化の一つです。日本食もまたそうであるように、“食”が人と人をどう繋ぐのかに興味があります。

母なくして“エリック・クー監督”は生まれなかった


©︎Cinemarche

──国内の映画産業ひいては映画業界が決して活発ではなかったシンガポールにおいて、エリック監督はいつ、どのようにして映画の魅力に触れられたのでしょうか。

エリック:“私”という人間を作ってくれたのは母だと思っています。母は熱心なシネフィルで、映画館に私や姉たちをよく連れて行ってくれたんです。

また料理も上手で、映画『家族のレシピ』に登場する料理は母がよく作っていた料理ばかりなんです。

母は私に画材などを惜しみなく買い与えてくれて、「どんどん描きなさい」「どんどん作りなさい」と常に言ってくれた人でした。

やがて、私は彼女が持っていたキャノンのスーパー8カメラを見つけて遊び始め、8歳の時にはもうサイレントの短編映画を撮っていたんです。

母の存在なくして、今の私はないでしょう。そういった意味でも、母には感謝の気持ちでいっぱいです。

──今回の特集にて上映された作品の一つ『痛み』をはじめ、エリック監督の一連の作品からはサイレント映画を想起せる手法や俳優の表情が多々見られました。その頃の映画制作が深く関わっているのですね。

エリック:実は、次回作はサイレント映画なんです(笑)。

初めに使用していた8ミリカメラでは、同時録音ができませんでした。サイレントでの制作は、「音を録れないなかでどのようにしてストーリーを伝えるか?」という条件があることで、ショットの画作りを行っていくことを通じて、その腕が磨かれていきます。

そう考えると、その頃にサイレント映画を制作し続けたことはのちの映画制作にも大きな影響を与えているのでしょう。

短編『痛み』の製作経緯

エリック・クー監督『痛み』(1994年製作)

──エリック監督の初期作品『痛み』について、もう少しお聞きいたします。今回の特集でともに上映された『ミーポック・マン』『一緒にいて』などと比べても、『痛み』はエリック監督の作品の中で“異色さ”を放っています。監督は『痛み』という作品でどのような制作意図があったのでしょう。

エリック:私はこの『痛み』という作品のおかげでトロント国際映画祭へも行きましたし、「ルイス・ブニュエル的だ」と高い評価もいただけました。

では、『痛み』という作品で何を描きたかったのかというと、それは制度化された暴力、すなわち警官です。また本作の主人公像も、自傷行為を繰り返していた自分の友人から着想を得ています。

そして主人公を演じたナシル・フセインについては、若者たちを対象とする絵画指導の仕事をしていた僕が当時受け持っていたクラスの生徒だったんです。彼が絵を描いている姿を見て、「彼が映画の主人公に相応しい」と感じたんです。

『痛み』は3日間のうちに撮影を敢行しました。また映像の編集に関しては、8mmカメラの中で全て行なっているんです。いったん撮影した後にマガジン内でフィルムを巻き戻し、二重露光という形でオーバーラップ撮影する。無駄なショットは一度も撮っていません。そのためにも、当時は絵コンテを完璧に書き上げてから撮影に臨みました。

映画を“観た”オーストラリア留学


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──エリック監督はやがてオーストラリアのシティ・アート・インスティテュート(現ニューサウスウェールズ大学アート&デザイン学部)に留学し、映画製作を学ばれました。留学先にオーストラリアという場所を選んだ理由は何でしょうか。

エリック:その理由はとてもシンプルで、シンガポールから一番近く、一番費用が安く済んだからです。

実は、映画学校で学んだことはあまりなかったのかもしれません。あくまで私は、映画そのものから様々なことを学びました。

なぜなら、当時のオーストラリアにはいわゆるアートシアターが沢山あり、特に巨匠たちのレトロスペクティヴを中心に上映されていたため、日本やヨーロッパなど世界各地の作品を観ることができたためです。

当時のシンガポールには厳しい検閲が存在し、そのために鑑賞できない作品が多々ありました。また映画館で上映される作品も、香港映画やハリウッド映画が多かったため、オーストラリアでは友だちの働くビデオ店やアートシアターに通い、とにかく多くの作品を観続けました。それが私にとっての学びになりましたね。

その頃に観た『真夜中のカウボーイ』などのアメリカン・ニューシネマの作品は、今でもよく覚えています。

シンガポール帰国後の映画製作

エリック・クー監督『ミーポック・マン』(1995年製作)

──オーストラリアへの留学後、エリック監督は再びシンガポールに戻り映画製作を開始します。オーストラリアに留まることなく、シンガポールに戻られた理由は一体何でしょうか。

エリック:シンガポールに帰国したのは、兵役義務を果たさなくてはならなかったという理由もあります。兵役中の2年間はとても退屈でしたが、唯一の救いはそこで良い友人に出会えたことです。のちに兵役中に出会ったその友人とは、ともに短編を撮ったりしました。

当時は誰も国内で映画を作っていない時代だったため、帰国した私が最初に手がけた仕事は、コマーシャルの制作でした。ちなみに、マクドナルドのコマーシャルが最初に手がけた作品です(笑)。

だからこそ、シンガポール国際映画祭が非常に大きな役割を果たしました。その映画祭において短編コンペ部門が作られたことで、私は短編映画を撮ってはそこに応募するようになりました。『痛み』もまた、その映画祭に応募した作品の一つであり、賞をいただいた作品の一つです。

受賞前、私は『痛み』を母に観せました。母は作品を観終えた後「これ、上映禁止になるわよ」と言いましたが、その言葉通り、『痛み』は国内での上映が禁止されてしまいました。

ですが幸いにも、審査員が外国人であるという事情から、『痛み』はコンペに残り続けると映画祭関係者からの電話で知らされました。そしてその後、『痛み』は同じく電話を通じて伝えられていた「新しく創設された賞」、特別功労賞を受賞しました。

受賞後、そもそも「特別功労賞」とは何なのかを尋ねるため、私はバックステージに向かいました。そしてチェン・カイコー監督をはじめとする審査員たちに尋ねてみたところ、「皆が『痛み』という作品を大変気に入っており、全ての賞を与えたいところではあったものの、他作品も紹介したいという事情から賞を振り分けることにした」と聞かされました。

そして私がいただいた「特別功労賞」とは、次回作の製作に向けての資金援助がもらえる賞だったんです。その話を聞かされた私は、資金援助を担っているスポンサーのところへと向かい、「もう少しだけお金を出してくれませんか。そうすれば長編が作れるんです」と頼み込みました。つまり短編ではなく、長編を作りたかったんです。

その結果、私の長編デビュー作『ミーポック・マン』が製作されたんです。

シンガポール/アジア映画界への思い


©︎Cinemarche

──エリック監督は映画監督としての活動のみならず、プロデューサーとして、新たな映画作家の育成を試みています。監督は今後、映画人としてどのような活動を展開していきたいと考えていますか。

エリック:私は『ミーポック・マン』を製作したのちに『12階』という映画を撮りましたが、それ以降から『一緒にいて』を撮るまでの7年間、私はプロデューサー業に専念してきました。「シンガポール国内で自分以外に映画を撮っている人間がいない」という状況から脱却するため、新たな映画人を育成したいという気持ちを抱いていたことが、そのような活動に取り組もうと思い至った理由です。つまり、映画業界における“仲間”を作りたかったわけです。

現在そして今後の活動についてですが、クリエイティヴな才能を持つ若き映画作家の育成をこれまでのように継続する一方で、その活動の範囲をシンガポール国内のみならず、東南アジア、そしてアジアへと拡大していきたいと考えています。

今はスマートフォンで映画が観られる時代です。特にストリーミングというシステムは、「世界のどこにいても誰もが映画を観られる」という可能性を拡げてくれました。HBOアジアとともに仕事をしているのも、アジアの才能ある人々の作品を世界の誰もが観られるよう、その“プラットホーム”にあたる環境へと運ぶためでもあります。

また映画製作の面においても、今はスマートフォン一台でも映画が撮れる時代となりました。素晴らしいのは、アーティストであればそれ程お金がなくとも作品が撮れるようになったとということ、イマジネーションさえあれば映画を撮れる時代になったということです。そのような時代を迎えられて、私は本当にワクワクしています。

けれども、どれ程お金がかからなくなったと言っても、映画製作にはそれ相応の資金が不可欠です。若手の映画監督が少ない資金の中で活動を続けているアジア映画界の現状を知るからこそ、私は映画監督やプロデューサーとして、アジア映画界で活動を続けてきた一人の映画人として、そのような人々が第一線の場で活躍できるような援助をしたいのです。今回の特集上映「東南アジア映画の巨匠たち」もまた、その一助になってくれることを願っています。

インタビュー/出町光識
撮影・構成/河合のび

エリック・クー監督のプロフィール

『東南アジア映画の巨匠たち』オープニングセレモニーにて


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1965年生まれ、シンガポール出身。数々の国際映画祭で出品を果たした、シンガポールを代表する映画監督です。

オーストラリアのシティ・アート・インスティテュート(現ニューサウスウェールズ大学アート&デザイン学部)で映画製作を学んだのち帰国。廃屋で自傷行為を続ける青年の他者をも巻き込む狂気の様を描いた『痛み』をはじめ、多数の短編を監督します。

1995年、ミーポック(シンガポールの麺料理)売りの青年と娼婦の愛を描いた『ミーポック・マン』で長編デビュー。

さらに1997年には高層マンションに暮らす人々の24時間を描いた長編第2作『12階』がカンヌ国際映画祭・ある視点部門で上映され、以降も『一緒にいて』(2005年製作)『私のマジック』(2008年製作)が上映されるなど、同映画祭の常連となりました。

2011年には劇画の創始者・辰巳ヨシヒロの半生と作品をアニメーションによって描いた『TATSUMI マンガに革命を起こした男』を発表。2019年に日本で公開された最新作『家族のレシピ』は、俳優・斎藤工と歌手・松田聖子の出演で大きな話題となりました。

またプロデューサーとして若き映画人の育成にも取り組んでおり、今後のアジア映画界の発展には欠かせない映画人の一人として活動を続けています。

特集上映『東南アジア映画の巨匠たち』とは?

2014年以降、国際交流基金アジアセンター東京国際映画祭(TIFF)とともに「国際交流基金アジアセンターpresents CROSSCUT ASIA」をはじめ、さまざまな切り口で東南アジア映画を紹介し、映画を軸とした相互交流を深めてきました。

そして、今回その集大成として、東南アジアの地域を越えて世界に挑戦し映画ファンを魅了し続ける巨匠たちの原点から最新作、注目の若手監督の意欲作を一挙上映

それが、特集上映『東南アジア映画の巨匠たち』です。


国際交流基金アジアセンターpresents「CROSSCUT ASIA#06 ファンタスティック!東南アジア」のご紹介

2019年10月28日(月)〜11月5日(火)にかけて開催される第32回東京国際映画祭でも、東南アジア映画を特集する国際交流基金アジアセンターpresents「CROSSCUT ASIA #06 ファンタスティック!東南アジア」を楽しむことができます。

今年のテーマは《ファンタ系》!東南アジアの摩訶不思議ホラーからロマンスまで、様々な作品を一堂に集めて紹介します。

国際交流基金アジアセンター公式ホームページ内の特集ページはコチラから→
東京国際映画祭公式ホームページはコチラから→





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