映画『ワン・モア・ライフ!』は2021年3月12日(金)よりヒューマントラストシネマ有楽町、新宿武蔵野館ほか全国公開!
家族のことを顧みず、自分勝手に生きてきた中年男性。ある出来事をきっかけに命を失います。ですが、ちょっとしたあの世での計算違いから、ふたたび人生をやり直すことに……しかし彼に残された“人生最後の時間は92分”。
そんな“人生のロスタイム”とも言える時間の中、家族との絆を取り戻そうと奮闘する姿を描いた映画『ワン・モア・ライフ!』。
《写真中央・ダニエーレ・ルケッティ監督》
ダニエーレ・ルケッティ監督は、敬愛するフランチェスコ・ピッコロの2つの短編を原作に、美しい景色が広がるシチリア島のパレルモという街をロケ地に、映画化に挑みました。
軽妙なユーモアを交えながら前向きになれる人生哲学を、ダニエーレ監督はどのような思いで作品に仕立てたのでしょう。
映画『ワン・モア・ライフ!』の日本公開を記念して、ダニエーレ・ルケッティ監督にインタビューを敢行。幼い頃の家庭環境が与えた「物語」との出会い。また「パレルモ」をロケーション撮影の場所に決めた理由、そして映画がもつ“表現の根幹”についても、大いに語っていただきました。
CONTENTS
2冊の本を映画する“試み”
──ダニエーレ・ルケッティ監督の本作『ワン・モア・ライフ!』は、脚本家フランチェスコ・ピッコロが執筆した2つの原作『モメンティ ディ トラスクラビレ フェリチタ(取るに足らない幸せの瞬間)』と、『モメンティ ディ トラスクラビレ インフェリチタ(取るに足らない不幸の瞬間)』を基にされていますが、そこに至る経緯をお聞かせください。
ダニエーレ・ルケッティ監督(以下、ダニエーレ):この映画を制作するにあたり2つの原作を用いたことは、自分自身にとって冒険的な試みでした。原作はいわば短編集の形式で、特にストーリーのような筋もなく、主要な人物もいない。そして物語が引き起こすカタルシスもない。しかし、日常の多くの場面を観察する客観的な視点で描かれており、とても興味深いものでした。
この話を持ってきたのは、プロデューサーのベッペ・カスケットで、珍しく、小説を原作にした映画の提案に心惹かれるものがありました。
──脚本執筆は、フランチェスコ・ピッコロさんとダニエーレ監督の共作ですね。
ダニエーレ:実は原作者のフランチェスコ・ピッコロは、この作品の映画化にあまり興味がないとうかがっていたため、当初は協力してもらえないと考えていました。
その後ピッコロと2回ほど会い、喜ばしいことに映画化にむけた脚本を共同執筆できることになりました。映画化に際して2人で話し合いながら、原作にあるエピソードを基にキャラクター像をより具体的に肉付けしていきました。特にエピソードの中で繰り返し語られていた「人々の嘆き」を掘り起こし、物語を造形していきました。原作1つでも困難な作業なのに、2つの原作を1つにして更にエピソードを抽出し再構築していく……これはとてつもなく困難な作業でした。
その時の窮地を救ってくれたのは、私とピッコロがこれまで観てきた多くの映画作品でした。かつて一世を風靡した古き良きアメリカ映画や、イタリア画家で監督でもあるマリオ・スキファーノの前衛的な作風も手本にしています。
実は、プロデューサーのベッペがこの話を持ってきた時に、主人公には俳優のピフ(*ピフは愛称、本名はピエルフランチェスコ・ディリベルト)を起用したいという思いがありました。そこで脚本制作段階で、主人公であるシチリア人の中年男パオロの造形にピフの持ち味を入れていく。そうピフは一見すると軽い人物のように見えるけれど、実際は思慮深さを持ち合わせています。ピフの姿をパオロとして形作ることで、主人公パオロのユーモラスで軽薄なだけではない、思い悩む中年男性の実像を描くことに成功したし、作品の良いアクセントになったと思っています。
「パレルモ」という街の魅力
ロケ撮影されたパレルモでのメイキングショット
──ロケ地としてシチリア島の街、パレルモを選んだ理由は何でしょうか。ピフ(ピエルフランチェスコ・ディリベルト)の出身地がパレルモだとも伺っています。
ダニエーレ:パレルモの街を選んだ理由はいくつかあります。まず第一に「死」との関係が深い街だからです。我々イタリア人にとっては「死」が身近にある街という心象を抱いています。パレルモにはカプチン派の修道僧や司祭などの宗教関係のミイラ約8000体あまりが、カトコンベ(地下墓地)にあり世界的に有名な観光名所にもなっています。
2つ目の理由は、とても大きな街であるがゆえに、“道に迷う”ことがよくあるんです。ですから、その中で隠れたりしながら恋人たちは愛を育み、彼らのラブストーリーを紡いでいくことが可能なのです。この街ではロマンスに満ち溢れた生活を過ごす人が多く、かつ人情味にもあふれています。その反面マフィアによる犯罪も有名で、そのコントラストが激しい場所です。
また、そのほかにパレルモの大きな特徴は、物価が安いということです。テラス付きのアパートを安く借りられ、海にもすぐ遊びに行ける。海は美しく、食べ物は美味しい。地中海性気候で冬でもあまり寒くはならない、人生を過ごすには最高の街です。ですから主人公のパオロがふたたび与えられた残りわずかの人生を過ごす街には、宗教的な「死」を感じさせつつも、恋愛に開放的な街でもあるパレルモが良いと思ったのです。もちろん、ピフの出身地というのは偶然ですが、なるほどピフ自身がもつ軽妙かつ思慮深いという相反するコントラストはこの街の影響もあるのかもしれませんね。
──確かに、本作『ワン・モア・ライフ!』の冒頭に登場する“海と甘い音楽”にもその特徴を感じますね。撮影中にパレルモの現地の人たちと楽しいエピソードなどはありましたか?
ダニエーレ:映画のロケーション中に、幾度となく人懐っこい地元の人が話しかけてきて、「どんな映画を撮ってるの?」「いつ公開されるの?」など色々聞かれました。その時「マフィア映画じゃないよ」と答えると、彼らは「パレルモでマフィアが出てこない映画がつくれるの⁈」と、たいへん驚いていましたよ(笑)。
そうそう、こんなエピソードもあります。パレルモはマグロ漁が非常に盛んで、ある時私たちが撮影で滞在した際に市場へ食材を買いに行ったときに、「マグロの良いものを日本人には売らないで取っておいたよ」といわれたことがありました。どうやらパレルモでは、良いマグロが獲れるとそれは現地に卸さずに、必ず日本に輸出するんだそうです。そういう意味では、“東京とパレルモ”は距離もおそらく価値観にも隔たりはありますが、実は意外なところで親密な関係がありますね(笑)。
幼少期の“物語”との出会い
──ダニエーレ監督はピッコロの著作に限らず、家族や知人によく小説をプレゼントするそうですが、なぜ、監督は人に「物語」を贈るのでしょう。「物語」に対する特別な思い出があるのでしょうか?
ダニエーレ:人に物語を贈るのは、私にとって物語は幼い時から常に身近に存在し、特別なものでもあります。そしてこの何年かの間、“物語を物語る(ある事柄について話しをする・伝える)”行為に対し、自覚的に問いかけるようになったこともおそらく影響しているのでしょう。物語に対する特別な思いの背景にはおそらく幼少期の思い出に関わりがあるように思います。子供の頃に育った家庭は、典型的な大家族で、祖父、祖母、大叔父、大叔母といった親戚がいつも身近に大勢いる環境で育ちました。皆話しがうまくて、会話が得意。日曜日には昼間から皆で集まって、食べたり飲んだりしながら、おしゃべりに興じていました。
中でも大叔父たちは話しが上手でした。実際の出来事を、虚実を織り交ぜながら大袈裟に、ユーモアいっぱいに話をしてくれました。大叔父たち話は、幼心にとても楽しくて、それが“語り部”の思い出となっていて、大叔父たちのつくる物語に魅了されていたのです。母方の親戚は、日常の些細なことから面白いエッセンスを引き出す力に長けていて、そのことに感銘を受けましたね。一方、父方の親類はもう少し真面目な人たちが多く、小説を読んだり、お互いに読んだ本を交換したりするのは日常的な行為でした。そこで巡り会った純文学作品や娯楽小説などが自分の人格形成に大きな影響を与えました。本を贈ることは、そういった作品との出会いを作ることですからね。
それと当時のイタリアでは、昼食が終わると映画を見に行ったんですね。私の育った地域に映画館がたくさんあったので、叔母にミケランジェロ・アントニオーニやイングマール・ベルイマンなど、観に連れて行ってもらいました。このような二つの幼少期の体験が、物語に対峙する自分自身に非常に影響しています。
──ダニエーレ監督が映画作家として、“物語る”ことの礎は家族にあるのですね。本作でも“家族への語り”が重要でした。
ダニエーレ:そうですね。また、“物語を物語る”ことは、元々意味のない人生に“意味”を与える行為だと思うのです。人生にはフィナーレ(結末)というのはありません。ですが、物語作品には必ず結末がある。結末が提示されることで、物語というものがあたかも“生きることの使命”があるような錯覚をさせる、独特の魅力があるわけです。そのあたりが物語がもつ神秘的で謎めいたところであり、私たちが物語に魅了される所以でもあります。物語、物語る行為は、人生という静かに流れゆく無常さに、意味を与え、人生の物語を語ることで、人を慰める癒しの効果があるわけです。
例えば、本作『ワン・モア・ライフ!』の劇中で主人公のパオロがバイクに乗り、赤信号で止まるか止まらないかという選択から“嘘”が生まれて、人生を大きく変えていくわけですが、その“嘘”とは“物語”そのものなのです。人生には形というものはない。しかし、パオロは、パラディーゾ(天国)の役人と出会ったことで、“物語”が生まれ、これまで生きてきた人生に意味を見つけたのです。
映画に隠された“大切な秘密”
──ダニエーレ監督の今回の映画の時間尺は94分でしたが、それは見やすさという点を意識したものでしょうか。また幼い頃から叔父や叔母と映画をよく観に行っていたとおしゃっていましたが、映画の中で最も大切なものとは何でしょう。
ダニエーレ:私は映画は様々なスタイルがあるからこそ魅力的だと思っています。作品の長さについてもそれぞれに良さがあります。自分はゴーモン映画学校(国立の映画学校)で演技や演出のワークショップを行なっているのですが、学生の制作した作品を講評する際に、大切にしている基準があって、それは短編でも長編でも尺の長さに関係なく、作品の中に「命」が、「生命」が描かれているか、どうかということなのです。
例えば、絵画についても同じことがいえます。学生の描いた絵画と“美術史に残るような本物の画家”が描いた作品の違い何か。やはりその作品の中に、“活き活きとした生命感”が有るのかどうかだと思っています。
90分尺が多いジャンル映画にも、優れた「生命感」を感じる作品が多くあります。これまで叔父や叔母、母親に連れられて観た映画もそうですし、フランチェスコ・ピッコロの“物語”もそうです。歴史の洗礼を受け、それでも残ってきた偉大な作品には共通して、「生命感」があるのです。映画の中で最も大切なこととは、映画の中に「命」が吹き込まれているかということなのです。
インタビュー/出町光識
ダニエーレ・ルケッティ監督プロフィール
1960年7月25日、ローマ生まれ。友人のナンニ・モレッティが監督した『僕のビアンカ』(1983)にエキストラ出演後、同監督のベルリン国際映画祭審査員グランプリ受賞作『ジュリオの当惑』(1985)では助監督を務める。モレッティ作品には『赤いシュート』(1989)にも再び俳優として登場。
まだ映画デビュー間もないマルゲリータ・ブイを起用した長編デビュー作『イタリア不思議旅』(1988)でイタリアのアカデミー賞にあたるダヴィッド・ディ・ドナテッロ賞の最優秀新人監督賞を受賞、第41回カンヌ映画祭<ある視点>部門ノミネート。
ナンニ・モレッティを主役の一人に起用した長編3作目『Il portaborse』(1991)では、ドナテッロ賞の最優秀脚本賞を受賞、第44回カンヌ映画祭コンペティション部門にノミネート。マルゲリータ・ブイと再タッグを組み興行的にも成功をおさめた『Arriva la bufera』(1993)、『La scuola』(1995)、ステファノ・アコルシを抜擢した『I piccolo maestri』(1998)と長編作品を発表した後、一時期は現代美術を題材にしたドキュメンタリーなどを手がけている。
再び長編作品を撮り始めると『マイ・ブラザー』(2007・第20回東京国際映画祭ワールド・シネマ部門にて上映)で第60回カンヌ映画祭<ある視点>部門出品。『我らの生活』(2010)で第63回カンヌ国際映画祭コンペティション部門出品、主演のエリオ・ジェルマーノに男優賞をもたらした。同作はドナテッロ賞で8部門にノミネートされ、監督賞など3部門で受賞を果たした。さらには教皇フランシスコの知られざる激動の半生を、事実に基づいて描いていた『ローマ法王になる日まで』(2017)は日本でも公開され好評を得る。
映画『ワン・モア・ライフ!』の作品情報
【公開】
2021年(イタリア映画)
【原題】
Momenti di trascurabile felicita
【監督・脚本】
ダニエーレ・ルケッティ
【キャスト】
ピエルフランチェスコ・ディリベルト(ピフ)、トニー・エドゥアルト、レナート・カルペンティエーリ、アンジェリカ・アッレルッツォ、フランチェスコ・ジャンマンコ
【作品概要】
事故に遭遇し天国へ送られた男が、92分間だけ蘇る事を許され、最後に家族の絆を取り戻そうと奮闘するハートウォーミング人生コメディ。
主演は、イタリアで俳優だけでなく、脚本家、監督、テレビ司会者、放送作家、ラジオ司会者など、多才ぶりを見せており、ピフの愛称で親しまれているピエルフランチェスコ・ディリベルト。自分勝手な性格なのに、どこか憎めない主人公のパオロを、愛嬌たっぷりに演じています。
パオロの妻アガタを、歌手として活躍しながら、女優としてもイタリア最高の名誉とされる賞「ダヴィド・ディ・ドナテッロ最優秀主演女優賞」にノミネートされた実績のある、トニー・エドゥアルト。パオロを監視する天国の役人を、イタリア国内主要映画賞で主演男優賞三冠を達成した、ベテラン俳優のレナート・カルペンティエーリが演じています。
映画『ワン・モア・ライフ!』のあらすじ
イタリアのシチリア島、パレルモ港で技師として働く中年のパオロ。彼の楽しみは赤信号の交差点を、猛スピードですり抜けることでした。
仕事帰りのパオロは、いつものように、赤信号の交差点をスクーターですり抜けようとスピードを上げますが、信号無視をしたバンに衝突され即死してしまいます。
人生最後の瞬間にパオロが思い出すのは、家族の事ではなく、過去に恋人から伝えられた意味深な言葉であったり、タクシーの順番待ちへの不満だったり、冷蔵庫に対する疑問であったりと、くだらないことばかりでした。
天国の入り口に送られたパオロは、自身の死が早すぎることに不満を抱き、天国の役人に抗議します。
天国の役人は「計算に問題は無い」と、当初はパオロの主張を退けようとしますが、パオロが健康の為に、ジンジャー入りのスムージーを飲んでいたことが発覚します。
再計算の結果、ジンジャー入りのスムージーを飲んでいた分だけ、地上に戻ることが許されますが、その時間は僅か92分でした。
天国の役人が見張り役となる為、2人で地上に戻ったパオロは、妻のアガタ、息子のフィリッポ、娘のアウロラと、家族の時間を過ごそうとします。
ですが、アガタは仕事や家事に忙しく、フィリッポやアウロラは、パオロを煙たがり、相手にしようとしません。家族の時間が過ごせないことに不満を抱えるパオロですが、家族がパオロに冷たく接するのには理由がありました。
人生最後の時間を共に過ごす為、家族の絆を取り戻そうとするパオロの92分間の奮闘が始まります。