映画『ぼくのエリ 200歳の少女』は永遠の12歳エリと孤独なオスカーとの怪しく美しい関係を描く
1920年代から現代まで、ヴァンパイアを題材にした映画は数多く制作されてきました。きっとどの世代の人にもいくつかは思い浮かぶ作品があるのではないでしょうか?
ヴァンパイア映画は圧倒的にアメリカ制作の作品が多いのですが、今回ご紹介するのはその中でも珍しい、北欧スウェーデンの作品『ぼくのエリ 200歳の少女』です。
永遠の少女エリと孤独なオスカーとの怪しく美しい関係を描く、スウェーデンのベストセラー小説『モールス』の映画化した本作。
原作者も監督もスウェーデン人によるもので、原作の舞台となったストックホルムで撮られた本作は、小説の世界観を壊すことなく、主人公のエリとオスカーの中性的でミステリアスな美しさを醸し出します。
「世界価値観調査」での幸福度が常に上位にあるスウェーデンが隠したいネガティブな面を表現しているのでは?とも思わせるストーリーです。
映画『ぼくのエリ 200歳の少女』の作品情報
【公開】
2008年公開(スウェーデン映画)
【原作】
MORSE -モールス-
【脚本】
ヨン・アイビデ・リンドクビスト
【監督】
トーマス・アルフレッドソン
【キャスト】
カーレ・ヘーデブラント、リーナ・レアンデション、 ペール・ラグナル、 ペーテル・カールベリ、イーカ・ノード、カーリン・ベリィクイスト
【作品概要】
『ぼくのエリ 200歳の少女』は「スウェーデンのスティーヴン・キング」の異名をもつ、ヨン・アイビデ・リンドクビストのデビュー作品『MORSE -モールス-』が原作です。日本での公開は2010年7月10日で、2012年には同名にてアメリカハリウッドでリメイク公開されています。
日本での公開に際しては、作中でエリの正体がわかる身体的な描写がモザイク処理されており、それがストーリーの“核心”となる部分だったため、物議もありました。そのエリの謎に関しては小説内に書かれています。
本作品はオースティン映画批評家協会賞で外国語映画賞、サターン賞でインターナショナル映画賞を受賞。また、トーマス・アルフレッドソン監督は2004年の『Fyra nyanser av brunt』と本作で、二度のグールドバッゲン監督賞を受賞しています。
映画『ぼくのエリ 200歳の少女』のあらすじとネタバレ
オスカーは両親が離婚をしたため、母親とストックホルムで2人暮らしをしています。
オスカーは貧弱で内向的な性格のため学校でも虐めっ子の標的となり、毎日鬱々とした生活をおくっていました。
そんなオスカーはイジメにあった夜には、住居の前の中庭に出て護身用に持ち歩いているナイフで、植栽の木を何度も刺し憂さ晴らしをしていました。
家にいれば母親の小言や干渉にうんざりしていて、中庭が唯一ひとりになれる場所だったのです。
雪が降り積もった晩、いつものようにの中庭でオスカーが憂さ晴らしをしていると、背後にひとりの少女が佇んでいました。
少女は真冬の夜に薄着のままという不思議な格好をしています。少女はオスカーの家の隣りに越してきたと言います。
オスカーがなぜ自分の家がわかったのかと訊ねますが、そのことには答えず「悪いけど友達にはなれない」と言います。
そして「君が友達になりたそうな顔をしていたから」と、言い残し家に戻っていきました。
そんな夜、彼らの住む街の周辺では、遺体が逆さまに宙吊りにされ、血液を抜かれるという猟奇的な殺人事件が発生します。
犯人は少女と一緒に暮らすホーガンという男。少女は人の血液を飲んで生きるヴァンパイアで、ホーガンは小児性愛者でした。少女と一緒に暮らすために血液を集めていたのです。
しかし、その晩は散歩中の犬に感づかれ通行人に目撃されそうになり、採取した血液を持ち帰りそびれてしまします。
事件のあった翌日の晩、オスカーが中庭に出て独りで遊んでいると少女が現れます。オスカーは遊んでいたルービックキューブを渡し帰宅しました。
ホーガンが血液を持ち帰らなかったため、少女は血液にありつくことができずに空腹でした。オスカーがいなくなると、通行人を待ち伏せして街の住人を襲ってしまいました。
映画『ぼくのエリ 200歳の少女』の感想と考察
映画の邦題『ぼくのエリ 200歳の少女』の200歳であることと、女の子じゃないと言った意味は、作品中では触れられていませんが、小説の中で真相が述べられています。
エリが“だいたい12歳くらい”と答えたのは、200年前に12歳で成長をカストラートされていたからです。
カストラートとは1650年から1870年ころにかけて、ヨーロッパで教会で唄う声楽隊の男児が変声期を迎える前に、成長ホルモンの分泌を抑制させるために施した去勢の事です。
もともとは教会がボーイソプラノを残す目的で行われていましたが、次第に貧困層の家庭で口減らしのために、男児を去勢し小児性愛者に売り渡すことが行われていたのです。
エリは200年前に親の裏切りで去勢され、売られた少年でした。つまり、エリの下腹部にモザイクが入っていたのは、去勢手術の跡なのです。
今でも幼児や少年少女への性的嗜好や恋愛感情による犯罪は社会問題になってますが、中世ではさらにおぞましいことが行われていたのです。
エリがなぜヴァンパイアになったのかも、小説の中では描かれています。エリはこうして200年もの間を小児性愛者と暮らし性の対象となる代わりに、食事となる血液を集めさせ生き続けてきたのです。
映画のストーリーだけを観ていると、美しい少年2人の純愛にみえるのですが、実際は12歳の少年と200歳の老人という2人であり、エリは次のパトロンを得たようなものなのです。
また、原題の『Let the Right One In』は“正しき者を招き入れよ”と、いう意味で、ヴァンパイアが初めての家を訪ねた時は、家人の招き入れがないと入れないという掟があったのです。エリが全身から血を流したのはオスカーへのジレンマからでした。
最後に街を出る列車の中でオスカーがエリの入った箱に送っていたモールス信号は、「PUSS」というスウェーデン語で“小さなキスの音”という意味です。
この無邪気なやりとりが、以後の残忍な生活が待っていることを忘れさせます。
まとめ
『ぼくのエリ 200歳の少女』は、生きるために子供を去勢までして売る親、生きるためにヴァンパイアになり、生きるために人間と共存し殺人をするという「生きる」ことに執着した物語でした。
現代におきかえれば、ネグレクト、青少年犯罪、「パパ活」といった経済的に余裕のある男性につけ入る10代の少女達のようです。
『ぼくのエリ200歳の少女』は、こうした社会の闇は時代が変わっても起きてしまう問題点を伝えているのではないでしょうか。
そして、自分の心の中に「正しき者を招き入れる」ことがいかに難しいのかを訴えているともいえます。
それをあえて表現したのが幸福度上位国のスウェーデンからで、与える意味の大きさを物語っていると思わせる映画でした。