人生はあの世に堕ちてからはじまった―。
現代によみがえる、地獄巡り幻想奇譚へようこそ。
2022年12月24日(土)より新宿K’s cinemaほかにて全国順次公開される映画『餓鬼が笑う』。
古美術商として活躍する大江戸康が企画・原案を務めた本作は、骨董屋を目指す青年があの世とこの世、現実と夢幻を行き来する「地獄巡り」へと迷い込む様を描いた幻想奇譚です。
主人公の青年・大役の田中俊介、大の運命の女性・佳奈役の山谷花純をはじめ、田中泯(特別出演)、萩原聖人、片岡礼子、川瀬陽太、柳英里紗という多彩なキャスト陣によって、奇妙な物語が紡がれゆく映画『餓鬼が笑う』。
本記事では、映画の重要人物の一人である実在の画家・高島野十郎の解説、そして彼が本作に登場したその意味を中心に、ネタバレなしで映画『餓鬼が笑う』の魅力を紹介いたします。
CONTENTS
映画『餓鬼が笑う』の作品情報
【公開】
2022年(日本映画)
【企画・原案・共同脚本】
大江戸康
【監督・脚本・編集】
平波亘
【キャスト】
田中俊介、山谷花純、片岡礼子、柳英里紗、川瀬陽太、川上なな実、田中泯(特別出演)、萩原聖人
【作品概要】
骨董屋を目指す青年があの世とこの世、現実と夢幻を行き来する地獄巡りへと迷い込む様を描いた幻想奇譚。
主人公にして骨董屋志望の青年・大を演じたのは、内田英治監督、白石晃士監督作品などで存在感を発揮し続ける田中俊介。大の運命の女性・佳奈役を大河ドラマ『鎌倉殿の13人』やシェイクスピア演劇『ヘンリー八世』など活躍の場を広げ注目を集める山谷花純が務める。また世界的なダンサーとして知られる田中泯が特別出演するほか、萩原聖人、片岡礼子、川瀬陽太、柳英里紗らが映画の世界を彩る。
企画・原案は、実際に古美術商として真贋の世界に生きる大江戸康。監督を務めたのは『the believers ビリーバーズ』(2020)ほか多数の作品を監督する傍ら、今泉力哉、市井昌秀、池田千尋など多くの若手監督を助監督として支えてきた実績を持つ平波亘。
映画『餓鬼が笑う』のあらすじ
骨董屋を目指し、四畳半のアパートに住みながら路上で古物を売って暮らす青年・大。
ある日、看護師をしながら夜学に通っている佳奈と古書店ですれ違い一目で恋に落ちる。
人生に新たな意味を見出したかと思った矢先、先輩商人の国男に誘われ山奥で開催されている骨董の競り市場に参加した帰り道で、いつしかこの世の境目を抜け、黄泉の国に迷い込んでしまうことに。
大は、あの世とこの世を行きつ戻りつしながら、自身の人生を生き直し始める。
映画『餓鬼が笑う』の感想と評価
実在する“蝋燭の画家”高島野十郎
「深淵の闇。そこは人間が行き着く最後の未来。何者にもなれなかった男の人生が今終わろうとしている……」と闇の中で語る主人公・大の前に灯された、一本の蝋燭。その光景には誰もが、一世を風靡し続ける大人気歌手・米津玄師が楽曲の題材にしたこともある、落語『死神』で描かれる蝋燭を思い出すはずです。
また「蝋燭」で作中忘れてはならないのは、大の運命の女性・佳奈が勤める病院に入院する謎多き患者にして、大が迷い込んだ列車のホームで出会う老年の画家・高島野十郎。田中泯演じるその老人は、大と出会ったのちに蝋燭の絵だけを遺し姿を消しますが、この画家・高島野十郎は大正〜昭和の時代を生きた実在の洋画家でもあります。
画壇との付き合いを避け、隠遁者のような生活を送る中で、どこまで写実の美を追求し続けた孤高の画家・野十郎。映画序盤の初登場時、看護師である佳奈が病室を訪ねた際に野十郎が描いていたりんごも、彼が『りんごを手にした自画像』『壺とりんご』(ともに1923)といった作品でたびたび描いてきたモチーフでもあります。
その中でも『蝋燭』は、野十郎が絵を描き始めた初期から晩年まで、生涯にわたって描き続けてきた連作の絵画であり、「蝋燭の画家」と自らを称することもあった彼の最も有名な作品といって過言ではないでしょう。
蝋燭の絵を贈る画家、ドクロを贈る破戒僧
野十郎は『蝋燭』の作品群を展覧会に出すことも売ることもなく、時には「気に入らなければ焚き付けに」とさえ口にしながら周囲の人々に贈っていたとされ、あくまでも私的な作品として蝋燭を描き続けていたことでも知られています。その逸話からは、業に囚われる「餓鬼」と化した人々が数多沸く映画『餓鬼が笑う』に実在の画家・高島野十郎が姿を現した意味が垣間見えてきます。
そもそもなぜ、野十郎は「蝋燭」の絵画を生涯描き続け、人々に無償で贈っていたのか。
その真意を知るには故人に尋ねるほかありませんが、落語『死神』の物語でも描かれた「寿命」の象徴としての蝋燭、野十郎の仏教への信心深さを振り返った時、そこには戦乱の室町時代を生きたとされる臨済宗・大徳寺派の異端の僧・一休宗純が正月、杖の頭へドクロを飾って「ご用心、ご用心」と叫び歩いたという逸話と非常に似たイメージが浮かび上がってきます。
画家・高島野十郎が、大に『蝋燭』の絵画を遺したその真意とは。それは彼が遺したいくつものの『蝋燭』によって、人々の闇に潜む様々な想いが照らし出されるように、映画を観た方それぞれに違う姿が現れるはずです。
月は“闇を覗くための穴”
一方で野十郎は、「月」というモチーフも好んで描いていました。彼はその理由について「月ではなく闇を描きたかった」と説明した上で、「月は闇を覗くために空けた穴だ」と語っています。その逸話もまた、映画作中にて引用されています。
「本当の闇」を描かんとし、それを見つめることを大にも促す野十郎。そこには、写実によって闇に中に潜む「深淵」という世界の根源にたどり着こうとする信念を抱え、その信念がもたらす業も理解した上で地獄を歩み続ける「隠者」の画家の姿が見えてきます。彼が『蝋燭』の絵画を描き続けた理由にも、仏教の言葉にして「無明」という無知の闇を照らすための智慧の光=「灯明」が彼の人生には必要だったことも含まれているかもしれません。
そして、『餓鬼が笑う』の作中でたびたび空に浮かぶ赤い月。その月もまた、野十郎の言葉を借りれば「赤い眼をした何ものかが、主人公・大があの世・この世を迷う様を穴から覗いている姿」といえます。
赤い眼をした何ものかの正体。それは、血で赤く染まった眼を通して見えた世界に狂喜した作中の登場人物……だけではないでしょう。
映画におけるスクリーンは時に「鏡」の象徴にもなり得ること、そしてスクリーンという「覗き穴」を通じて登場人物たちやその世界の様子を観続けようと、赤く充血してしまうほどに眼を凝らし続ける者が存在すること……それらをつなぎ合わせることで、赤い眼をした何ものかの「もう一つの正体」が炙り出せるかもしれません。
まとめ/“物”で凌ぐ餓鬼たち
「生まれたときから散々に染め込まれた思想や習慣を洗ひ落とせば落とす程写実は深くなる。写実の遂及とは何もかも洗ひ落として生まれる前の裸になる事、その事である」と遺した画家・高島野十郎。その言葉とは真逆に、様々な理由から「物」を捨てられず集め続ける「餓鬼」な人々が『餓鬼が笑う』では溢れかえっています。
その因業により、常に飢えと渇きに苦しむ餓鬼。一口に餓鬼と言っても種類は多様で、それぞれに食べるのを許されている物が異なるのですが、共通しているのは「他者に施された物」「他者が残した物」であるといえます。
昔の人々が残した物と、そこに遺された人々の記憶が好きと語る骨董屋志望の主人公・大。しかし、他者が遺した記憶がこもる古物を売ることでしか糊口を凌げない彼の姿もまた、「他者に施された物」「他者が残した物」を食すことでしか飢えと渇きを凌げない餓鬼の姿と重なります。
「物怪」が語る通り、妖怪の類、霊魂といった得体の知れない存在のことも意味する「物」。骨董という物質的な存在のみならず、あらゆる「物」に飲み込まれてゆく餓鬼たちの物語は、まさに「地獄巡り幻想奇譚」という名にふさわしい代物でしょう。
映画『餓鬼が笑う』は2022年12月24日(土)より新宿K’s cinemaほかにて全国順次公開!
ライター:河合のびプロフィール
1995年生まれ、静岡県出身の詩人。
2019年に日本映画大学・理論コースを卒業後、映画情報サイト「Cinemarche」編集部へ加入。主にレビュー記事を執筆する一方で、草彅剛など多数の映画人へのインタビューも手がける(@youzo_kawai)。