映画『フィッシュマンの涙』作品情報
【公開】
2015年(韓国)
【原題】
COLLECTIVE INVITATION
【監督】
クォン・オグァン
【キャスト】
イ・チョニ(サンウォン)、イ・グァンス(パク・グ)、パク・ボヨン(ジン)、キム・ヒウォン(キム弁護士)
映画『フィッシュマンの涙』あらすじとネタバレ
魚人間の誕生
社会の真実を追求する、正義の報道記者になるのが夢というサンウォン。テレビ局の面接を受けますが、報道部の部長から「興味深いネタがある。覆面取材で面白い話が取れたら、雇ってやってもいい」と言われ、その場で取材カメラを渡されます。
そのネタとは、ネットの掲示板を騒がせている一人の女性、ジンでした。ジンは「恋人が魚になった」という謎の書き込みをして炎上、ネット民と大喧嘩を繰り広げていたのです。サンウォンは、独り暮らしをするジンの家を訪ねました。
ジンによると、ある日、なりゆきで一夜だけ関係を持った男、パク・グが「助けてほしい」と訪ねてきたとのこと。彼は首から上が魚でした。謝礼30万ウォンという製薬会社の臨床試験に参加して新薬を飲んだところ、魚になってしまったというのです。
サンウォンがパク・グの行方をたずねると、ジンは「製薬会社に電話して、お金と引き換えに彼を売った」としれっと答えます。半信半疑のサンウォン。ジンは「証拠を見せる」と製薬会社にサンウォンを連れて行き、出前業者のふりをして館内に侵入します。
研究室に忍び込んだ二人はパク・グを発見。サンウォンが撮影した“魚人間”の映像はネットで反響を呼び、「製薬会社の監禁事件」として世間の知るところとなりました。
取材の成果が評価され、サンウォンは臨時社員に昇格。パク・グの人生を探る取材を開始します。しかしパク・グは無職なうえに、異常なほどに平凡で何の特徴もない青年だったらしく、学生時代の同級生ですら彼のことをほとんど覚えていません。
臨床試験の責任者・ピョン博士は、世間から激しい追及を受けます。マグロとサケの細胞をES細胞と結合し、体内でタンパク質を作る研究をしていたというピョン博士。成功すれば食料難すら解決できると言いますが、製薬会社もバッシングを受けます。
サンウォンは、ピョン博士の取材を試みますが逃げられます。ジンは、サンウォンに話題提供の謝礼を要求。パク・グの父親も、製薬会社から賠償金をせしめることしか頭にありません。利己的な人間達に囲まれ、サンウォンは嫌気がさしてしまいます。
魚人間の苦悩
迷える魚人間の存在は、就職難に苦しむ韓国の若者達から大きな支持を得ます。街を歩けば人々に囲まれ、サイン攻めにあい、写真を撮られるほどの大人気。果ては魚人間のグッズまで発売されて、その勢いはもはや社会現象と呼べるほどでした。
製薬会社から高額の賠償金をもぎとろうと必死のパク・グの父親のもとに、人権派弁護士の熱い男・キム氏がやって来ました。一方、パク・グの体は日に日に魚化が進み、医師から治療不可との診断を受けます。
製薬会社から、パク・グの裁判に不利になる証拠が提出されます。臨床試験の際、パク・グが看護師に対してセクハラ行為を行ったというのです。パク・グはでっちあげだと否定しますが、この事件で世間の好感度はあっという間に下降します。
世間に嫌われた魚人間など取材するメリットはないと、部長はサンウォンに取材中止を命じます。パク・グは「ぼくがいなくなればいい」と置手紙を残して蒸発しますが行くあてもなく、サンウォンの部屋のバスタブに浸かっているところを見つかります。
「平凡に生きるのが夢だったのに無理だった」と悲しげにつぶやくパク・グに、サンウォンは「俺も、正義の記者になりたかったのになれなかった」と答えます。パク・グの今の夢は、修学旅行で一度だけ行ったという海を見ることでした。
独自に取材を続けるサンウォンは、キム弁護士とピョン博士が密会している現場を目撃します。キム弁護士の裏切り行為に腹を立てて家に帰ると、パク・グが首にヒモをかけ、天井からぶら下がっている姿を発見します。
魚人間のゆくえ
病院で一命をとりとめたパク・グ。首にヒモをかけたものの、エラ呼吸だったので助かったのです。退院したパク・グはジンの家を訪れます。ジンは「私は人を利用しようとするどうしようもない女」と泣きますが、パク・グはジンのことが好きでした。
パク・グは、製薬会社のもとでピョン博士の研究に協力します。それは痛みと恐怖を伴う、非人道的なものばかりでした。新薬は完成しますが、製薬会社は富裕層にしか買えない金額を設定。世界を救いたいという、ピョン博士の夢は打ち砕かれました。
過酷な実験の末、パク・グの命は失われます。パク・グの父親は遺骨を海にまき、全ては終わります。ピョン博士はキム弁護士に訴えられ、7年の実刑を受けます。サンウォンは晴れて正社員になりますが、バラエティ番組の編集作業に回されます。
ある日、ジンがサンウォンを訪ね、一枚の写真を渡して言います。「彼は死んでない」。パク・グの散骨時に撮られた海辺の写真に、パク・グらしき姿が映り込んでいたのです。サンウォンは、事情を知るピョン博士と面会します。博士は事情を語り始めました。
ピョン博士は、パク・グを人間に戻せる方法を知っていました。しかし自分の実験を優先して嘘をついていたのです。夢破れて後悔した博士はパク・グに謝罪し、もとの姿に戻してやると言いますが、パク・グの答えは「魚人間として生きていく」でした。
博士はパク・グを海に連れて行きます。波の間にゆっくりと消えて行くパク・グ。彼は、サンウォンにだけ真実を伝えてほしいと博士に頼んでいました。「彼はきっと真実を知りたがるはず。彼は真の記者だから」と言ったというのです。
パク・グの伝言を聞いたサンウォンは、帰りの車の中で泣き続けます。その後、料理番組の編集に追われるサンウォンの前に、再びジンが現れて一本のビデオテープを渡します。「あなたなら何かできると思う」。
編集室でテープを見たサンウォン。スキューバダイビングをするカップルを撮影した、何の変哲もない海中の映像です。しかし彼らの背後に、気持ちよさそうに泳いでいくパク・グの姿がぼんやりと映っていました。
サンウォンは取材カメラを持って立ち上がります。部長に「ドキュメンタリーを完成させます。首にしてもらっていいです」と言い残し、飛び出して行きました。人間であり魚でもあったパク・グの物語を、今度こそ世間に届けようと誓いながら。
『フィッシュマンの涙』の感想と評価
魚人間。冗談ですよね。などと思いながら鑑賞したところ、まったくもって本気なのがオグァン監督でした。
夢も希望も仕事もない青年が、お金ほしさに飛びついた新薬の人体実験。一体どういう副作用なのか、肩から上だけが完全に魚化するという珍現象が発生します。
この魚部分がリアルなCGではなく、思いっきり被り物というところがミソです。どこのご当地キャラよとツッコミたくなるほど、ユルさ全開。動作も緩慢。乾燥が敵なので大量の水を飲み、しょっちゅう霧吹きで顔をシュッシュしているという奴です。
大きく見開きっぱなしで表情のない目。それなのになぜか悲しげで寂しげで、いつも泣いているように見えます。魚人間になる以前のパク・グの姿は一切出てこないのですが、もしかしたら人間でも魚でも、あまり変わりはないんじゃないかと思わせる。そんな青年がパク・グです。
そしてパク・グが想いを寄せるのがジンです。パク・グをかくまうどころか、製薬会社に売るという冷酷さ。サンウォンにもお金を要求するわ、ネットで暴言をまき散らすわ、喧嘩っ早くて年長者にまで食ってかかるという、取扱い要注意の女性です。
しかしそんなジンも、ネットで他人と喧嘩することしか現実逃避の道がないと泣きます。サンウォンもまた、地方出身でコネなしという理由だけで仕事にあぶれ、都会での居場所はありません。パク・グと同じく、若者達は誰しもみな迷い子です。
ある意味、日本より厳しい面もある韓国の学歴社会や若者の雇用問題。苦しむ若者達の代弁者として、魚人間が救世主のように祭り上げられていく様は、滑稽だけれど笑えない。ブラック企業や失業問題など、今の日本の労働者をめぐる状況と実はさほど変わらないのです。
パク・グの片思いが実るとか、サンウォンとジンが恋におちるとか、そんなハリウッド的な甘い展開などこの作品にはありません。
ただ、もとの自分に戻る選択肢があるにもかかわらず、魚人間として生きる運命を選んだパク・グが、海の中をこれまたユルくふや~んと泳いでいく姿は、自由を勝ち得た喜びに、ほんの少しの哀しさも帯びていて、なんともいえない余韻を残します。
そんな魚人間を撮るために駆けだしていくラストのサンウォンは、本物の記者になる志でキラキラしています。ジンもまた、新たな人生を生き始めています。前を向いた3人の将来はきっと明るいに違いない。そう思える爽やかなラストでした。
まとめ
第66回カンヌ映画祭短編部門パルムドール受賞作『セーフ(原題)』の脚本を手がけた、クォン・オグァン監督による長編映画デビュー作品です。
オグァン監督によると、原題の『COLLECTIVE INVITATION』(共同発明)とは、シュールレアリズムの巨匠、ルネ・マグリットの油彩画のタイトルからつけられたそうです。
マグリットといえば、空、帽子、リンゴなどのモチーフを多用することで有名ですが、上半身が魚で下半身が人間の、まるで「逆人魚」とも呼べる異様な生き物も頻繁に登場します。『共同発明』は、そんな生き物が浜辺に横たわる不思議な作品です。
お伽噺などで見る人魚の姿は美しいですが、この逆人魚はグロテスク。眺めているだけで、じわじわと不安な気持ちが芽生えてきます。浜辺に打ち上げられたのか、逆人魚自身もなんとなく居心地が悪そうです(あくまで想像ですが)。
オグァン監督は、そんなマグリットのモチーフに自国社会の腐敗を重ね見たのでしょうか。ここ日本でもいつの日か、人々の不安が魚人間を作りだすかもしれません。