ホロコーストの加害者側から描かれる“日常”
A24製作、ジョナサン・グレイザー監督で贈る、第96回アカデミー賞で2冠に輝いた『関心領域』。
第2次世界大戦下、ナチスのホロコースト政策のもとユダヤ人をはじめ多くの人々を死に追いやったアウシュビッツ強制収容所。本作はその収容所の隣で、平和な生活を送る所長とその家族の日常を映し出します。
なお「関心領域(The Zone of Interest)」とは、ナチス親衛隊がポーランド・オシフィエンチム郊外にあるアウシュビッツ強制収容所群を取り囲む、40平方キロメートルの地域を指すために使用していた言葉です。
関心領域で、人々は何を感じ、何を考えていたのか。衝撃の一作『関心領域』を、ネタバレ有りで解説いたします。
映画『関心領域』の作品情報
【日本公開】
2024年(アメリカ・イギリス・ポーランド合作映画)
【原題】
The Zone of Interest
【原作】
マーティン・エイミス『関心領域』(早川書房刊)
【監督・脚本】
ジョナサン・グレイザー
【製作】
ジェームズ・ウィルソン、エバ・プシュチンスカ
【製作総指揮】
レノ・アントニアデス、レン・ブラバトニック、ダニー・コーエン、テッサ・ロス、オリー・マッデン
【撮影】
ウカシュ・ジャル
【編集】
ポール・ワッツ
【キャスト】
クリスティアン・フリーデル、ザンドラ・ヒュラー、ラルフ・ハーフォース、マックス・ベック
【作品概要】
レディオヘッド、ジャミロクワイのMV監督として名を上げ、映画『アンダー・ザ・スキン 種の捕食』(2013)で注目されたジョナサン・グレイザー監督作。第二次世界大戦時のポーランド・アウシュビッツ強制収容所の隣で暮らす所長ルドルフ・フェルディナント・ヘスとその一家の日常を描きます。
主な出演に『白いリボン』(2009)『ヒトラー暗殺、13分の誤算』(2015)のクリスティアン・フリーデル、『落下の解剖学』(2024)でアカデミー賞主演女優賞にノミネートされたザンドラ・ヒュラー。
2023年度の第76回カンヌ国際映画祭コンペティション部門でグランプリ、第96回アカデミー賞で国際長編映画賞と音響賞を受賞しています。
映画『関心領域』のあらすじとネタバレ
1943年、第2次世界大戦時のポーランド・オシフィエンチム郊外にあるアウシュビッツ強制収容所。その壁一枚を隔てた屋敷に、収容所の所長ルドルフ・ヘスと妻ヘートヴィヒ、そして5人の子どもたちが暮らしていました。
ルドルフが仕事に勤しむ間、ヘートヴィヒは家事全般を屋敷外に住む使用人に任せて、届けられた衣服や貴金属を身に付け、主婦の友たちと優雅な日々を過ごしています。
そんな中、ヘートヴィヒの実母が数日間滞在することに。久々に娘や孫たちと会えてうれしいながらも、家事や屋敷の庭を手入れする使用人たちの存在を気にします。
夜、畑からリンゴを盗み、土に埋めているポーランド人の少女がいました。
ある日、ルドルフにドイツ・ベルリン北部にあるオラニエンブルクへの転属命令が。同地にはナチスの親衛隊(SS)髑髏部隊の本部があり、形式上は栄転となります。
しかし、アウシュビッツでの暮らしを手放したくないヘートヴィヒは、一家で転居することに反対。そのあまりの強い意志に、単身赴任できるようかけ合ってみるとしか言えない夫。
「戦争が終わったら農業をやりましょう」という妻の言葉を背に、結局ルドルフはオラニエンブルクに単身赴任することとなります。
隣の収容所から毎日のように聞こえる音に嫌気が差した実母が、置き手紙を残して屋敷を出て行ってしまったことに不満のヘートヴィヒは、使用人にもより辛辣になるのでした。
『関心領域』の感想と評価
無関心を際立たせる「音」と「闇」
第2次大戦時のナチス・ドイツ側の視点から描いた作品は過去にもいくつか作られており、本作『関心領域』の情報をまったく知らずにあらすじだけを読めば、アウシュビッツ強制収容所所長ルドルフ・フェルディナント・ヘスとその家族の何気ない日常を描いた作品です。
カメラも終始、登場人物たちと一定の距離をとって撮影されており、「家族の生活を“観察”する感覚で撮った」と監督のジョナサン・グレイザーが語るように、ヘス家の生活を“覗き見”しているような感覚に陥るでしょう。
しかし本作が重要なのは、そんなヘス家の何気ない日常を描きつつ、隣にある収容所で行われている出来事を、「音」で描いている点でしょう。
音楽を担当したミカ・レヴィは語ります。「この作品は目で観る映画ではなく、耳で聞く映画」。観る者は収容されているユダヤ人を撃つナチス兵の銃声、ユダヤ人を焼く焼却炉の音、虐待されるユダヤ人のうめき声などを聞くことで、ヘス家の隣の出来事を知ることとなります。
ルドルフを筆頭とする家族は、隣に関心を寄せず(幼い子どもは事態を完全には把握していない)、平穏に日常を送っている──このコントラストが恐怖を際立たせます。
2024年3月に日本公開された『オッペンハイマー』も音の演出が話題となりましたが、本作での不安・不快・不穏を与える音は、それとはまたベクトルが異なります。『オッペンハイマー』を制してアカデミー音響賞を獲得したのも頷けるでしょう。
もう一つ、本作で効果的に用いられているのは「闇」。まず本編が開始しタイトルが出てから、うめき声に似た合唱や伴奏音とともに暗闇状態が約2分間続きます。
これに関してはレヴィが「音を繊細に聞く耳を整えてほしいという監督の意図から」と説明していますが、同時に観る側に、闇が続くことで不安感を与えます。
「闇」を使った演出は、冒頭以外にも随所に見られます。中盤、真夜中にリンゴを盗んで土に埋めていくポーランド人少女のシーンでは、サーモグラフィで撮影した映像を使うことで、「闇=夜」を強調させています(なお、少女は反ナチスのレジスタンスとして、収容所のユダヤ人のため食べ物を与えていた実在の人物がモデル)。
さらにラストでは、無人のSS本部を出ようとする際に嗚咽をくり返すルドルフが暗闇の廊下で佇むと、突如暗闇となって光が差し、博物館となった現代のアウシュビッツ収容所が映ります。
直前の健診では、身体に異常が診られなかったルドルフ。しかし未来を見たことで良心の呵責に苛まれたのか?それとも殺害されたユダヤ人の怨霊に憑りつかれたのか?嗚咽する彼の姿の解釈はさまざまでしょうが、過去と現在を「闇」が結ぶ演出は、とても興味深いです。
そして迎えるエンドクレジットで流れる「音」もまた、なんとも喩えようのない異様な旋律を奏でます。
『関心領域』特典映像
生活領域に潜むホロコースト
前述したように、あからさまなホロコースト描写が一切ない本作。それはヘス家にとってユダヤ人迫害が日常の生活の一部となっていて関心を示していないということとイコールでもありますが、それを象徴する人物がルドルフの妻ヘートヴィヒです。
序盤、ヘス家に運び込まれた大量の服や貴金属をヘートヴィヒが身に付け、ママ友たちとの団らんでは「ベルリンに住んでいた時にユダヤ人から奪った」と言いながらダイヤの指輪を自慢します。家に届いた装飾品の搬送元がどこかは言うまでもないでしょう。
本作は2014年発表のマーティン・エイミスの同名小説が原作ですが、グレイザー監督はヘス家について独自に調べ、その中で「ヘートヴィヒが夫の転属に合わせてベルリンに戻るのを拒否した」という調査事実が、映画化の決め手になったと語っています。
ベルリンでの生活に不満があったらしいヘートヴィヒは、今のアウシュビッツでの日常に満足しきっています。しかし、遊びに来た彼女の母親は、日々隣から聞こえる銃声や悲鳴に耐え切れず、置き手紙を残して出ていってしまいます。
自分が満足している環境を拒ばれて苛立ち、使用人のユダヤ人女性に「いずれ夫があなたを灰にして辺り一面まき散らすわ」と当たり散らすヘートヴィヒ。その直後に映る庭作業をしている使用人の男性が何者か、そして彼が巻いている灰とは……。
夫はユダヤ人女性、妻は夫の部下を相手に密かに性欲を満たしている(と思われる)。会話は交わすも、どこか空虚感が漂っている夫婦関係。それでも家族としてつながっていたい──見方によっては、現代に生きる家族の在り方と通じる面もあるでしょう。
しかし、ベルリン栄転を祝すパーティーの退屈さに「どうやってここにいる連中を毒ガスで殺そうか」とルドルフが冗談を言えば、ヘートヴィヒが笑みを浮かべる。ホロコーストがいかに2人の生活領域に潜んでいるかを如実に表しているのです。
まとめ
老齢によりホロコースト生存者が年々減少し、その忌まわしき記憶を後世に伝えていく人が消えつつあります。
過去の過ちの記憶が薄れていくと、現生の人々が関心を寄せなくなる。引いてはそれが無関心につながる。人間は無関心になればなるほど、過去の過ちを繰り返す恐れがあります。
いや、アカデミー賞授賞式にてグレイザー監督が現在進行形で起きている世界の紛争についてスピーチしたように、21世紀の今でも繰り返しています。
「この映画で“苦味”を感じてほしい」とコメントを寄せたグレイザー。あなたはどこまで無関心でいられますか?