舞台は大銀行(メガバンク)!裏の顔も、裏の金も全部暴け!
ある一支店で起こった現金紛失事件から露わになるメガバンクの不祥事、そして“金”という契約に翻弄される人々を描いた映画『シャイロックの子供たち』。
2022年にはドラマ化もされた池井戸潤のベストセラー小説を、同じく池井戸の小説が原作の映画『空飛ぶタイヤ』を手がけた本木克英監督が映画化しました。
『死刑にいたる病』では連続殺人鬼・榛村を怪演した阿部サダヲを主演に迎え、小説版・ドラマ版とも異なる映画版オリジナル展開が繰り広げられる本作。
本記事では映画『シャイロックの子供たち』のネタバレあらすじ紹介ともに、作中に盛り込まれた戯曲『ヴェニスの商人』の喜劇性/悲劇性、“清算”の物語という映画オリジナル展開、そして結末の真意を考察・解説していきます。
CONTENTS
映画『シャイロックの子供たち』の作品情報
【公開】
2023年(日本映画)
【監督】
本木克英
【脚本】
ツバキミチオ
【キャスト】
阿部サダヲ、上戸彩、玉森裕太、柳葉敏郎、杉本哲太、佐藤隆太、渡辺いっけい、忍成修吾、近藤公園、木南晴夏、酒井若菜、西村直人、中井千聖、森口瑤子、安井順平、徳井優、斎藤汰鷹、吉見一豊、吉田久美、柄本明、橋爪功、佐々木蔵之介
【作品概要】
2022年にはWOWOWでもドラマ化された池井戸潤のベストセラー小説を、同じく池井戸の小説が原作の映画『空飛ぶタイヤ』を手がけた本木克英監督が映画化。
ある一支店で起こった現金紛失事件から露わになるメガバンクの不祥事、そして“金”という契約に翻弄される人々の物語を、小説版・ドラマ版とも異なる映画版オリジナル展開で描く。
損な役回りをしがちなお人好しの銀行員・西木役を阿部サダヲが演じる他、上戸彩、玉森裕太、柳葉敏郎、杉本哲太、佐藤隆太、柄本明、橋爪功、佐々木蔵之介などが出演する。
映画『シャイロックの子供たち』のあらすじとネタバレ
東京第一銀行・検査部の次長を務める黒田(佐々木蔵之介)は、シェイクスピアの戯曲『ヴェニスの商人』の観劇を終えた後、自身の過去を回顧していました。
かつて、勤めていた支店のキャッシュボックスから多額の現金を抜き取っては、それを資金に当てて競馬で勝負し、荒稼ぎした金をまたボックスへ戻すを繰り返していた黒田。
しかしながら、現金をボックスを戻すところを検査部の人間に見られ、危うく罪を知られそうになったことで競馬から足を洗ったのでした……。
一方、東京第一銀行・長原支店の営業課で課長代理を務める銀行員・西木(阿部サダヲ)はいつも通り勤務していると、以前居酒屋で知り合った老人・沢崎(柄本明)が窓口が現れました。
病身により老い先短い沢崎と、不動産相続に関する相談を約束をしていた西木。
しかし沢崎が所有する不動産は、事故物件をはじめとするワケあり物件ばかり。中でも20億円で建てたものの、設計士による耐震偽装のせいで3分の1以下の価値になってしまった貸しビルには、優しくお人好しな西木ですらも苦笑し呆れてしまいました。
一方、長原支店のお客様一課で課長代理を務め、別支店からの転勤後瞬く間に課のエースとして活躍している滝野(佐藤隆太)は、以前赤坂支店に勤めていた際の顧客・石本(橋爪功)に住宅メーカー会社「江島エステート」の事務所へと呼び出されます。
石本は江島とともに住宅販売の大規模なプロジェクトを共同で進めていましたが、江島は住宅建設を開始した時点で夜逃げ。石本の手元には、黒字倒産ながらも書類上ではまだ企業として残っている江島エステートの実印と事務所だけが残ったのです。
住宅販売プロジェクトの再立ち上げする運営資金として、10億円を新たに融資してほしいと頼む石本。偽装した江島の印鑑登録証明書と宅地開発リストも準備し、恐らく死んだと思われる江島には自分自身がなりすますと語りました。
当初は架空融資だと断ろうとしたものの、石本にある“弱み”を握られていた滝野は、石本が提案した融資案件を支店長・九条(柳葉敏郎)と副支店長・古川(杉本哲太)に報告しました。
昨今の不景気も相まって、業績が伸び悩み続けていた長原支店。九条も直接石本に面会したのち根回しも行ったことで銀行内での稟議は着実に進み、江島エステートへの10億円融資の案件は無事通ってしまいました。
滝野は長原支店内での個人業績トップを表彰されます。ところが、融資から3ヶ月でもうプロジェクトの資金繰りが芳しくないと語る石本から、現時点では銀行への100万円の利払いが行えないため、来月中の返済を条件に100万円を立て替えてくれと頼まれてしまいます。
妻子を持つ第二子の妊娠も知ったことで精神的にも追い詰められる滝野。そしてある日、偶然営業課に訪れる機会があった滝野は、大田市場へと受け渡す予定の900万円が入った小包から、他の行員たちがわずかに目を離した瞬間に100万円を抜き取ってしまいます。
現金紛失はたちまち発覚。実際に現金を運んだお客様第二課の田端(玉森裕太)が100万円を落とした可能性も低く、最後には行員たちのロッカーも調べることに。すると営業課の愛理(上戸彩)のロッカー内から、当日付けの刻印がされた帯封が見つかります。
口座履歴での入出金の多さから「金遣いが荒い」と誤解され、今回の現金窃盗を疑われる愛理に対し、苦労人である彼女が兄弟の学費までも賄っていることを知っていた西木はかばいます。
その日の帰路、西木はヤミ金業者に拉致されそうになりますが、偶然通りすがった滝野に助けられます。のちに居酒屋の席で西木は、会社を倒産させた兄のヤミ金での借金の連帯保証人となっていたこと、ヤミ金の取立てに妻を巻き込まないよう、現在は書類上離婚して別居中であることを打ち明けました。
翌日、行員たちは古川から「支店内で100万円が見つかった」と報告を受けましたが、実際に100万円は見つかっておらず、九条や古川、西木を含む数名が自腹で補填していただけでした。
疑いが晴れないままの愛理は、元々不仲であったお客様第二課の麻紀(木南晴夏)にも罵られます。しかしその場に居合わせていた西木と「帯封に残っている指紋を特定すれば犯人はすぐ分かる」と指摘し、その言葉に動揺した麻紀が何かを知っていると見抜きました。
消えた100万円を行員たちが探していた時、麻紀は社食で誰かが落とした例の帯封を拾い、日頃から不仲だった愛理を困らせようと彼女のロッカーに忍び込ませたことを白状。西木は社食で帯封を落としたその人間こそが、現金窃盗の真犯人だと考えました。
事件発生後のある時、田端は偶然不在だった滝野の代わりに、江島エステートの事務所へ書類を届けに行きます。ところが住所に記されていた場所にあったのは、10億円が融資された大企業の事務所があるとは思えない、ただのボロアパートでした。
「新社屋の完成まで間借りしているだけ」という滝野の説明にも納得できず、愛理とともに疑問を抱く田端に、西木は“あるもの”を見せます。
それは、現金紛失時にゴミ袋の中身を調べた際に西木が発見した、江島エステート宛ての「100万円」の振込受付書でした。
映画『シャイロックの子供たち』の感想と評価
『ヴェニスの商人』の喜劇性も悲劇性も盛り込む
「金を返済できなければ、自身の身体から肉1ポンドを与える」という理不尽な契約を巡って、契約を持ちかけた“強欲な金貸し”シャイロックと、結婚する友人バサーニオのためにその契約に応じた“善良な金貸し”アントーニオの裁判の顛末を描いた戯曲『ヴェニスの商人』。
映画冒頭でも言及されているように、同作は当初“喜劇”として受け取られていましたが、シャイロックの身に起こった“悲劇”とも受け取れる作品としても知られています。
シャイロックとアントーニオが交わしたような「身を削る」或いは「身を滅ぼす」契約は、決して“金の貸し借り”のみならず、「見知らぬ他人に自身の命を託す」という理不尽な契約で成り立つ“裁判”や“結婚”もまた同様であるという風刺を描いた、喜劇としての『ヴェニスの商人』。
“強欲な金貸し”は本来“真っ当な金貸し”であり、“善良な金貸し”こそが“狂った金貸し”であるにも関わらず、“人間の命を賭けた契約”という金貸しとして、人間として一線を超えた契約に手を出したが故に自らの身の破滅を招いた男を描いた、悲劇としての『ヴェニスの商人』。
そうした『ヴェニスの商人』が持つ喜劇性/悲劇性に立ち返った時、小説版ともドラマ版とも異なるオリジナル展開を繰り広げる映画『シャイロックの子供たち』は「『ヴェニスの商人』或いは原作小説の喜劇性/悲劇性をどのように切り取ったのか」という視点でも楽しめるはずです。
“ミステリー”から“清算”の物語へ
原作小説及びドラマ版では、物語中盤において「真実を知ったために消された」という疑惑とともに失踪したものの、のちに石本とのつながりが判明し「彼こそが、石本による架空融資の真の黒幕だったのでは」と考えられていた西木。
その結末を含め、ミステリー要素が強い原作小説及びドラマ版に対して、映画は物語序盤から滝野が現金窃盗の犯人であることが明かされ、西木もあくまで“善良な金貸し”として九条・石本を騙そうとするなど、ミステリー要素は多く削られています。
一方で映画は、金と欲望に苛まれ葛藤してきた人々の“清算”の姿を原作小説及びドラマ版とは異なる展開として描いています。
自身が犯した罪を償った滝野が、家族に温かく迎えられる姿。滝野の行動に心を動かされた黒田が過去の罪と向き合い、銀行員の職を辞するのを決意する姿。借金を九条・石本から騙しとった金で完済した西木が、のちに銀行を辞め同僚たちの前から姿を消した姿……。
「金は返せばいいもんじゃない」の通り、金を返すだけでは決して清算できない自身の罪とどう向き合うか。そして、金や欲望に弄ばれない、自分自身の今後の人生を生きるためにも、罪をどう清算するのかに映画は注目し、オリジナル展開として描いたのです。
まとめ/劇場を抜け出したのは“真っ当な金貸し”?
映画結末、田端と『ヴェニスの商人』の観劇に訪れた愛理は劇場ホールへと向かう途中で、エレベーターで降りてゆく西木の姿を目撃しました。
“下へ降りてゆく”という西木の姿に、「借金は完済できたものの、“金を騙し取った”という罪は清算されることなく、西木は今も世界の最下層にあるという“地獄”に向かって落ち続けているのでは」という連想をした方は、決して少なくないはずです。
そもそも西木は、なぜエレベーターに乗っていたのでしょうか。
前述の通り、エレベーターは『ヴェニスの商人』の公演が行われている劇場ホールへと続くものであり、ホールに入ろうとしていた愛理たちが“上り”のエレベーターに乗っていた以上、“下り”のエレベーターに乗っていた西木は劇場ホールから出ていこうとしていたと推測できます。
「世界は舞台だ、誰もが一役演じなくてはならない」……もしかすると西木は、何かの役を演じるために劇場ホール舞台から抜け出し、現実世界という舞台へと向かったのではないでしょうか。
果たして西木が演じる羽目になったのは、“善良な金貸し”アントーニオか。それとも、“強欲な金貸し”シャイロックか。どちらかを演じることになったにせよ、彼はもう“真っ当な金貸し”ではないことだけは確かでしょう。
ライター:河合のびプロフィール
1995年生まれ、静岡県出身の詩人。
2019年に日本映画大学・理論コースを卒業後、映画情報サイト「Cinemarche」編集部へ加入。主にレビュー記事を執筆する一方で、草彅剛など多数の映画人へのインタビューも手がける(@youzo_kawai)。