“6月0日”……それは、アドルフ・アイヒマンの処刑され、火葬された日。
ナチス親衛隊中佐としてユダヤ人大量虐殺に関与したアドルフ・アイヒマン。終戦後に逃亡しブエノスアイレスに潜伏していましたが、イスラエル諜報特務庁に捕らえられ、1961年12月に有罪判決を受けました。
しかし、宗教的・文化的に火葬の風習がないイスラエルでは、処刑後のアイヒマンの遺体を処理する焼却炉がありません。
本作は、秘密裏に焼却炉の建設へ関わった工場の人々、アイヒマンを担当した刑務官など関わった人々を通して描かれるアイヒマンの最期の日々を描いた作品です。
アイヒマンは処刑され、火葬された後、遺灰はイスラエル海域外に撒かれたことが知られていますが、彼の処刑と火葬を誰がどう行ったのかに関する記録はありません。
グウィネス・パルトロウ監督は調査を進め、少年時代に焼却炉の建設に関わったという人物に出会い、そこから着想を得て本作をトム・ショバルと共同脚本で製作しました。
映画『6月0日 アイヒマンが処刑された日』の作品情報
【日本公開】
2023年公開(イスラエル、アメリカ合作映画)
【原題】
June Zero
【監督】
ジェイク・パルトロウ
【脚本】
トム・ショバル、ジェイク・パルトロウ
【キャスト】
ノアム・オバディア、ツァヒ・グラッド、アミ・スモラチク、ヨアブ・レビ、トム・ハジ、ジョイ・リーガー、ロテム・ケイナン
【作品概要】
監督を務めたのは、グウィネス・パルトロウの弟で『デ・パルマ』(2015)、『マッド・ガンズ』(2014)を手がけたジェイク・パルトロウ。監督とともに脚本を執筆したのは、イスラエル出身で『若さ』(2013)の監督も務めたトム・ショバルです。
少年ダヴィッドを演じたのは、本作が映画初出演となったノアム・オバディア。その他にも『オオカミは嘘をつく』(2014)のツァヒ・グラッドなどが顔をそろえます。
映画『6月0日 アイヒマンが処刑された日』のあらすじとネタバレ
1961年。ナチス・ドイツの戦争犯罪人、アドルフ・アイヒマンに処刑判決が下されました。
リビアから一家でイスラエルに移民してきたダヴィッド(ノアム・オヴァディア)は、ラジオのアイヒマンの処刑のニュースを真剣に聞くクラスメイトを不思議そうに見ています。
ある日、父親がダヴィッドに仕事が見つかったと言い、工場に連れて行きます。社長のゼブコは、炉の掃除をできる体の小さい働き手を探していたのです。
ダヴィッドは、ゼブコの部屋に棚の中に飾られていた懐中時計を、出来心から盗んでしまいます。ゼブコはイスラエルの独立戦争で戦い、その戦利品を棚の中に飾っていたのです。
学校ではクラスメイトが雑誌を買い、見たければお金を払えと言っていました。アラブ人であることから学校に馴染めていないダヴィッドは、お金がほしくて以前から盗みをしていました。
気が咎めたダヴィッドは棚に懐中時計を返そうとしますが、服に引っかかって落としてしまい、懐中時計を割ってしまいます。さらにゼブコが、戦友で刑務官のハイムとともに上がってくる姿が見えます。
ダヴィッドは咄嗟に机の下に隠れます。ダヴィッドがいることも知らないゼブコは、ハイムと秘密裏に、アイヒマンを処刑した後に火葬するための焼却炉を作る話を始めます。
話も終わった頃にゼブコは机の下にいるダヴィッドを見つけてしまいます。ハイムが帰るとダヴィッドはゼブコに殺されると思ってその場から逃げ出し、ゼブコはその後を追いかけます。
必死に逃げるも道に迷ってダヴィッドはゼブコに捕まってしまい、押さえつけられます。殺すのなんて簡単だ、部屋で何をしていたと問い詰められたダヴィッドは、懐中時計を盗んだことを白状します。
しかし、その後もゼブコはダヴィッドをクビにすることなく雇い、収容所の生還者であるヤネクや、いつも鶏の飴を舐めているココリコなど工場の従業員も可愛がってくれたため、ダヴィッドは工場での仕事が楽しくなり始めます。
学校にも行かず、工場で焼却炉の製作に夢中になっていました。
映画『6月0日 アイヒマンが処刑された日』の感想と評価
第二次世界大戦下、アドルフ・アイヒマンは「最終解決」において、ユダヤ人を収容所で処刑・絶滅させる計画「ホロコースト」の立案者として知られています。
「最終解決」について議論されたヴァンゼー会議の様子は、『ヒトラーのための虐殺会議』(2023)としても映画化されています。
アイヒマンは敗戦の混乱の中、戦争捕虜収容所を脱走し逃亡。アルゼンチンに潜伏したものの1960年にイスラエル秘密諜報機関に拉致され、極秘でイスラエルに連行されたのちに裁判が行われました。
4ヶ月にわたる裁判の末、処刑が決まったアイヒマン。映画『6月0日 アイヒマンが処刑された日』の物語はそこから始まります。
なお現在イスラエルがある地域は、かつては第一次世界大戦後オスマン帝国から分譲され、1920年からイギリスの委任統治領とされていました。
やがてシオニズムの興隆や、第二次世界大戦下でのナチスの迫害により、ヨーロッパからのユダヤ人の移民が増加。更に志願したユダヤ人らによってユダヤ人旅団が編成され、第二次世界大戦ではイタリア戦線などに参戦していました。
第二次世界大戦終戦後には、イギリスからの独立を求めると同時に、以前からあったアラブ人との衝突が悪化。国連はパレスチナのユダヤ人国家・アラブ人国家分割案を決議し、それによりイギリスが撤退したことで、翌年イスラエルが建国されました。
しかしアラブ側の反発は大きく内戦が勃発。現在は停戦中ですが、今もなおパレスチナ問題は解決の兆しは見えない状況です。本作で描かれている時代は「1960年代」であり、建国して10年余り内戦が停戦状態となって以降のイスラエルが舞台となっています。
リビアから移民してきたアラブ系のダヴィッドは、そのような不安定な情勢のイスラエルを生きていました。
ユダヤ系の人々の中には収容所から生還した人もいれば、それによって家族を失った人も多くいました。だからこそアイヒマンの動向に皆が注目し、彼に対する並々ならぬ思いを抱えた人も多かったのです。
一方で、ゼブコのように独立戦争や内戦を経験した人もいました。「ゼブコは多くのアラブ人を殺したから気をつけろ」とダヴィッドに言う人もいました。
様々な事情を抱えた人々が“アイヒマンの処刑までの日々”を通してまさに“歴史に触れた”瞬間を描く本作は、一つの連携のようなものも感じられます。
秘密裏に行われたアイヒマンの処刑。処刑の執行日を“6月0日”=“1962年5月31日から6月1日の真夜中”としたのも、いつ行われたかも分からないようにするためでした。
しかし、その瞬間を生きて、目にしていた人々は確かにいた。私たちは本作と登場人物たちの姿を通して、歴史に触れることができるのです。
まとめ
アイヒマンの処刑までの最期の日々を描いた映画『6月0日 アイヒマンが処刑された日』の物語は、あくまでも“劇映画”というフィクションとして扱われています。
しかしながら、監督の調査を基に作られた本作が描かれた1960年代のイスラエルの様子は、当時に限りなく近いものでしょう。
監督が本作を製作するきっかけとなったのは、「焼却炉の建設に少年の頃に携わった」という人の証言だったと言います。ラストのダヴィッドとwikiの担当者の会話は、作り手としての想いだったのかもしれません。
事実であると証明できる証拠はなくても、語り継ぐことはできます。
さらに本作は、イスラエルという国に住む、収容所からの生還者や独立戦争、内戦を経験した人など様々な過去を抱えた人々と、未来を生きていく象徴であるダヴィッドを交流させることで、今を生きる私たちをもつなげてくれます。
私たちは、誰もが過去を抱えて今を生きており、語り継がなければ忘れてはいけない歴史の上に立っているのです。