映画『パラダイス・ネクスト』は、2019年7月27日より新宿武蔵野館ほか全国順次ロードショー!
これまで、ホウ・シャオシェン監督やジャ・ジャンクー監督などアジア映画を代表する巨匠監督の作品の音楽を手がけ、映画音楽の作曲家として世界をまたにかけ活躍する半野喜弘監督。
その才能が遺憾なく発揮された長編デビュー作『雨にゆれる女』(2016)は、その表現力の高さから高い評価を獲得しました。
スタイリッシュな映像美と芸術性の高い描写をスタイルの根底に据え、挑んだ長編監督第二作『パラダイス・ネクスト』について、半野監督が描くダイナミックな音楽・映画世界の不思議な魅力を解き明かしていきます。
CONTENTS
映画『パラダイス・ネクスト』の作品情報
【公開】
2019年( 日本・台湾映画合作)
【監督】
半野喜弘
【キャスト】
妻夫木聡、豊川悦司、ニッキー・シエ、カイザー・チュアン、マイケル・ホアン、大鷹明良
【作品概要】
異国の台湾の地で、孤独な男たちの運命が交錯していく珠玉のサスペンス。
監督は、ホウ・シャオシェン監督やジャ・ジャンクー監督などアジア映画を代表する巨匠監督の作品の音楽を手がけ、世界をまたにかけ活躍する半野喜弘。長編デビュー作『雨にゆれる女』(2016)に続いて長編監督第二作となります。
妻夫木聡と豊川悦司がダブル主演し、他にも、『黒衣の刺客』(2015)でも妻夫木と共演した台湾の人気女優ニッキー・シエや『目撃者 闇の中の瞳』(2017)のカイザー・チュアンなど、豪華共演陣に注目が集まります。
映画『パラダイス・ネクスト』のあらすじ
一年前、ある事件をきっかけに日本から逃げるように台湾にやってきたヤクザの男・島(豊 川悦司)。
島は地元のボスであるガオ(マイケル・ホァン)の庇護のもと、ひっそりと生きていました。
ある夜、台北の屋台で島の前に一人の男が現れます。
「ねえ、俺のこと憶えてない?」と島の名前を呼び、馴れ馴れしく話しかける男は牧野(妻夫木聡)といい、自信たっぷりに「俺はあんたの救世主なんだ」と意味深な発言をします。
得体のしれない男・牧野を訝しがる島でしたが、“あのパーティー会場にいた”という一言で、牧野を完全に無視することができません。
“あのパーティー”とは、一年前にシンルー(ニッキー・シエ)という女性が不審な死を遂げたパーティーのことで、シンルーのボディガードだった島にとって、彼女の死は振り払うことのできない影を落としたままでした。
島は、事件の真相を知っていることをほのめかす牧野を放っておくことができませんでした。
そこへ島をガオに紹介した日本のヤクザ・加藤(大鷹明良)が島を訪ねてきます。
加藤は島に牧野の写真を見せ「探して殺せ」と指示します。
牧野が命を狙われていることを知った島は、牧野を問い詰めますが、一向に答えません。
隠された真実を語らない牧野を連れて、島は海岸沿いを経て台湾東海岸の町・花蓮へと車を走らせます。
見渡す限り続く田園と美しい山と海がある花蓮に着いた二人がバーに立ち寄ると、シャオエン (ニッキー・シエ)という、日本語を話す台湾人の女性と出会います。
その容姿は、一年前に死んだシンルーにそっくりでした。
この偶然の出会いに、牧野は密かに驚き、島は心が砕かれるほどの衝撃を受けます。
運命の悪戯か、牧野と島は、大きな屋敷にたった一人で暮らすシャオエンの家に泊ることになります。
シャオエンも唯一の肉親である母親との問題を抱えていました。
家族でも恋人でもない三人が 共に過ごすことで、不協和音ばかりだった時間が、少しずつ形を変え、それぞれの心を溶かしていきます。
いつも難しい顔をしてばかりいる島に「笑った方がいい」と無邪気に語りかけるシャオエン。
シンルーと同じ顔をしたシャオエンに、笑顔で言われた島の心も動き始めます。
しかし、穏やかな日々は長く続きません。
台北の街中で、路地の片隅で、幾度となく姿を見せるスーツ姿の男・346(カイザー・チュアン)。
現れるたびに死体が増えていく“死神”のような謎の男の影が、いよいよ花蓮にまで迫っていました。
牧野と島の逃亡を助けたガオたちを手にかけ、去っていく 346。
次に命を奪われたのはシャオエンでした。
自分の罪が招いた犠牲に耐えきれず、真実を打ち明ける牧野。
慟哭する牧野に向かって怒りを露わにする島。
はじめて感情をむき出しにした二人が辿り着く場所とは?
映画『パラダイス・ネクスト』の感想と評価
半野喜弘監督のビジョン
本作の演出を担当した半野喜弘監督は、ホウ・シャオシェンやジャ・ジャンクーなど世界的巨匠監督の映画音楽を手がけてきた作曲家です。
音楽芸術は純粋な音の表現である以上、映画芸術のように受け手の視覚を直接刺激するような写実的な描写は基本的には出来ません。
しかし半野監督は、音楽表現のそうした“抽象性”に立脚しながらも、映像化にあたって具体的なイメージを膨らませていき、演出家として明確なビジョンを持っています。
冒頭、画面から溢れる「Como Fue」のメロディー。キューバ音楽を代表する歌い手であるイブライム・フェレールの美声が、舞台となる台湾南東部に位置する花蓮(ファーリエン)の高温多湿の雰囲気をもり立てます。
ところが、不思議なことに、画面の奥からはなぜだかひんやりと冷たい空気が運ばれてくるのです。
作曲家ならではの精緻な音響設計によって画面の外から聞こえてくるノイズたちのざわめき。その生々しく、不気味な響きがどこからともなく冷気を導き、作品のトーンと画面の温度を決定付けています。
妻夫木聡と豊川悦司扮する孤独な男たちが、逃避先で知り合った台湾人の女性シャオシェンが無邪気に水色に塗りたくった車でドライブに出かける場面が印象的です。
カラッと晴れた青空の下、車体には木漏れ日が差し、南国の爽やかさがイメージされているにも関わらず、画面からは疾走感がまるで感じられません。
鮮やかな水色が馴染めずに画面上から浮き上がり、三人の楽しげな雰囲気とは裏腹に、停滞感と死の予感がカメラの動きとともに漂い続けています。
効果的なノイズや画面を覆う空気感を、研ぎ澄まされた感覚で演出していく半野監督が脳裏で思い描いているビジョンが、こうして次第に輪郭付けられていくのです。
半野監督の世界観で生きた妻夫木聡
こうした映像と音響の世界では、どこにあるかも定かではない楽園を求めて逃避行を続ける主人公たちも、倦怠と憂鬱を共有しています。
終始無表情を貫く豊川悦司にしても、激しく感情を高ぶらせる妻夫木聡にしても、半野監督の世界観を生き、見事なジレンマを演じています。
特に妻夫木聡はそこで鮮やかな印象を残しています。2001年に『ウォーターボーイズ』で映画初主演を果たして以来、屈託のないチャーミングな笑顔がトレードマークの妻夫木ですが、本作で演じる牧野役では、その笑顔の裏に虚ろな表情を隠しています。
お調子者で、進んで危険な橋を渡る、寄る辺ないキャラクター性は、かつてのレスリー・チャンを想わせ、危うげな色気を放つ役どころです。
いつになく孤独を抱え、感情のこもった演技をみせる妻夫木を見つめる半野監督の眼差しは冷静そのものです。それどころか、自分たちの置かれた状況に絶望し、がむしゃらにもがく主人公たちの姿を、まるで血の気も通っていないかのように切り取っていきます。
妻夫木扮する牧野が豊川演じる島にシャオシェンの死の秘密を告白する車内の場面が決定的です。
妻夫木は、激しく動揺し、感情を露わにするのですが、その姿をみた観客は、妻夫木の演技に釘付けになりながらも、豊川の静かな佇まいも相まって、素直に感情移入することが出来ません。
半野監督の下で、妻夫木は役を生きる俳優としてまるで囚われの身であるようですが、同時にこの世界の住人としての役目を確実に果たしています。
こうした俳優たちへの冷徹な視線が徹底されることで、観客は一旦画面上からは突き放されてしまいますが、その外に広がる未知の音響世界に心の目を開かれていきます。
これはやはり作曲家ならではの手法と言えるでしょう。
映画としてのカタチに
それでも最終的に半野監督が映画の持つ可能性を信じていることが本作の大きな魅力です。
「島さんは、死ぬの怖くない?」「島さんは、楽園があると思う?」と、牧野は絶えず島に問いかけます。
それに対して島は無言を貫きますが、「お前は何がしたい?」と言わんばかりに、静かな視線をじっと向け続けます。それが島の他者への向き合い方であり、優しさでもあります。
こうした視線のやり取りは当然、俳優同士の顔の切り返しによって描写されますが、切り返しという素朴な映画的技法を使ったこの瞬間に、それまで音響空間の中でカタチのないまま漂っていたビジョンが明確に描写されることになります。
俳優への冷徹であり、過酷でもある演出家としての視線が、残酷さへと突き抜けていきながらも、楽園を求め続ける孤独な男二人を突き放してしまうのではなく、希望の途を与えることで、自身のビジョンを見事に完結させているのです。
まとめ
本作では、フラットでありながら、どこか優しげな坂本龍一のテーマ曲も、孤独な男たちの悲壮感を強め、深く印象に残ります。
坂本が作曲家としての才能を認めたのが半野喜弘監督です。
音楽的なイメージにはじまり、それが徐々に具体的な映像として形づくられていく過程を追っていくところに、本作の大きな魅力があります。
半野監督の表現の旅は、台湾でも特に自然豊かで風光明媚な情景が広がる花蓮(ファーリエン)で繰り広げられる男女の逃避行が終わった後も、未だ体験したことのない映像と音響の空間世界へとさらなる飛躍と疾走を続けることでしょう。
映画『パラダイス・ネクスト』は、2019年7月27日より新宿武蔵野館ほか全国順次ロードショー!