映画『ナポリの隣人』は、2019年2月9日(土)より、岩波ホールほか全国順次公開。
「もうやめてくれ」、そう呟きたくなるほどの絶望と孤独。
人間と社会の闇がリアルに描かれた「21世紀のネオリアリズモ」と称される本作。
しかし、名匠ジャンニ・アメリオ監督が、観客を導いたのは後味の悪い最後ではなかった…。
今回はジャンニ・アメリオ監督のヒューマンフドラマ映画『ナポリの隣人』のあらすじと感想をご紹介します。
CONTENTS
映画『ナポリの隣人』の作品情報
【公開】
2019年(イタリア映画)
【原題】
La tenerezza
【監督】
ジャンニ・アメリオ
【キャスト】
レナート・カルペンティエリ、ジョバンナ・メッツォジョルノ、ミカエラ・ラマゾッティ、エリオ・ジョルマーノ、グレタ・スカッキ、アルトゥーロ・ムセッリ、ジョゼッペ・ジーノ、マリア・ナツィオナーレ、レナート・カルペンティエーリ・Jr.、ビアンカ・パニッチ、ジョバンニ・エスポジート
【作品概要】
今作の監督を務めたのはイタリアの名匠ジャンニ・アメリオ。
かつて、ネオリアリズモの巨匠ヴィットリオ・デ・シーカの元で修行し、1998年作の『いつか来た道』でヴェネチア映画祭金獅子を受賞。
そんな名匠は今も昔も変わらず、人間の本質をその落ち着いた目で見つめ続け、本作で描かれたのは、破綻した家族の愛を巡ったとてもシンプルでリアルで、残酷な物語です。
映画『ナポリの隣人』のあらすじとネタバレ
大量の移民が流入している港町、ナポリ。
南イタリアに位置するその都市でアラビア語の法定翻訳を仕事にしているエレナは、心筋梗塞に倒れた父が入院する病院へ向かっていました。
横になっていた父ロレンツォ。エレナが容態を尋ねますが、返答はありません。
さらに、裁判所での仕事の話をしますが、返事がない。彼女は悲しみ、その場を立ち去ります。
ロレンツォは寝ていたわけではありませんでした。一方に背を向けて、終始無視を決め込んでいました。
退院し、帰宅したロレンツォは向かいの部屋の前で座り込んでいる女性に気づきます。
「夫が鍵を持ったままでかけちゃったの」、彼女の名前はミケーラ。お隣のロレンツォの入院中、子供と夫と一緒に同じアパートに越してきていたのです。
仕方なく自室に招き入るロレンツォ。実はその家族の部屋と彼の部屋はバルコニーで繋がっていました。かつては、その2つとも彼の持ち家でした。
そんな経緯から、スペアキーを持っていたロレンツォは彼女をバルコニーから通してあげました。
頑固でエゴイストの老人にとっても、彼女の素朴で気取らない雰囲気はとても気持ちの良いものでした。
元弁護士のロレンツォ。現在住んでいるアパートには妻と子供達が住んでいました。
しかし、数年前に妻がなくなり、険悪な関係のまま大人になった子供達とは一緒に住むどころか口もきいてくれない状況。
生涯ナポリから一度も出たことのない老人は、非常に孤独な日々を過ごしていました。そんな悲しい老人にとって、ミケーラは救いでした。
何度か交流を深めつつ、良い友人関係を築いていきました。
ある日、昼寝をしているロレンツォの寝室に2人の子供が入ってきました。彼らは向かいの部屋へ逃げていきます。
ロレンツォは無邪気な子供を見て、いつも険しかった顔が少し緩みます。すると、ミケーラの夫フォビオが彼の前に現れました。
明るい家族を築いてきた気さくな一家の主人。しかし、彼はこのナポリという町に全く馴染めず、生活に息苦しさを感じていました。
「最初は誰でもそうだ」、ロレンツォは彼に何気なく言いました。
ロレンツォの娘エレナには1人の息子がいます。
ロレンツォは度々、彼を学校から連れ出し、一緒に散歩に行かせたり好きなことをさせたりしていました。
ただ、孫は彼のことを毛嫌いし、いつも学校に戻りたいと嘆いていました。
ナポリ駅のカフェで知人を待っていたロレンツォ。興味のない話をさせられ、あきれる彼の前にフォビオ一家が現れました。
少し遠くの席に座った一家に、アフリカ系移民が近づいてきます。「ライター、ライター、1ユーロ」、カタコトのイタリア語で彼はフォビオに声をかけました。
「今はいらないから大丈夫だよ」と返すファビオ。
「マフラー、マフラー」再び声をかける男。
「本当にいらいないから大丈夫」と返答するフォビオ。
「ライター、ライター…」しつこく繰り返す移民の男。すると、優しく対応をしていたフォビオが豹変します。
「いらないと言ったろ!どうして俺だけなんだ!どうして他の奴のところにいかないんだ!」彼は声を荒げながら、大勢の前でおびえる男を掴み、押し倒しました。
ロレンツォは急いで止めに入り、落ち着かせます。
息を荒げるフォビオは彼に言いました、「どうしていつも俺ばかり…」。
映画『ナポリの隣人』の感想と評価
耐え難い雰囲気の劇場へ
名匠ジャンニ・アメリオ監督の『ナポリの隣人』は、劇場の雰囲気を支配し、最終的に観客を思わぬ場へ導いてしまう異様な力を持った素晴らしい作品です。
映画が始まった当初、ほぼ満員の劇場は若干うわつきのある雰囲気になっていました。
子供の無邪気な行動やちょっとした皮肉に観客の多くが声を出して笑っていました。
しかし、中盤から、主人公ロレンツォの愚かな過去、家族との修復不可能な亀裂などの悲劇的な現実がドンドン浮き彫りになっていきます。
徐々に重く、息苦しい雰囲気に変わった劇場はロレンツォが唯一信頼を寄せていた隣人の絶望的な事件によって、ドン底に落ちてしまいます…。
『ナポリの隣人』ではなく”私の隣人”へ
本作は人間と社会のリアルな深部が精巧に描かれていることから「21世紀のネオリアリズモ(戦後の現状を客観的に映そうと試みた映画流派」と称されています。
残酷な心の闇、救いようのない現実世界を描くオーストリアの巨匠ミハエル・ハネケの作品をも連想させられます。
そして、それらのつながりを一番感じさせるのは、ロレンツォ老人の存在です。
彼はもはやフィクション上の人物ではなく、まるで「隣人」、つまり身近にいるリアルな老人に見えてしまうのです。
その生々しさには、つい息を飲んでしまうほどです。
絶望を味わった観客のみが辿り着ける場所へ
終盤、思わぬ最後によって劇場は妙な場へ変化を遂げます。
やみくもに絶望へ向かっていった一連の物語が、父ロレンツォと娘エレナがお互いの手を強く握る瞬間で終焉します。
ある意味どんでん返しのようなラスト。
この単純すぎるほどわかりやすい表現は、耐えきれないくらい重い雰囲気を感じていた私たちにとって最高の救いとなります。
そして、最後のわずかばかりの希望、その一滴のエッセンスが混ざった異様な空間は、深い余韻とともに、それまで訴えてきた人間同士の関係の希薄さについてを考えさせられる思索の場と化していたのです。
エンドロール後、最前列にいた私が後ろを向くと、多くの人がなにかをじっと考えこんでいる光景が目に入りました。
劇場を支配し、最終的に観客へ託す、その映画の力を証明した『ナポルの隣人』は本当の名作と言えるでしょう。
まとめ
南イタリアのラテン気質を一切感じられないほど暗い映画です。
しかし、ジャンニ・アメリオ監督が今作の最後で作った絶妙な場のおかげで、それまで感じた“重さ”が”心地よい余韻”へと変化しました。
そして、私たちはその余韻を感じながら、前へ向くために考えさせられるのです。
近年4DXや絶叫上映などにより、劇場そして観客達と一体になる非日常な空間を体験ができる機会が増えています。
そこであえて、今作のように、なんのカラクリもない1本の作品が劇場を支配し、観客と静かにゆったりと考えることのできる空間を体感してみるのも良いのではないでしょうか。
映画『ナポリの隣人』は、2019年2月9日(土)より、岩波ホールほか全国順次公開。