映画『何者』は、社会に飛び立つ前に感じる不安の正体を抉り出す
映画『何者』は、就活とSNSを題材に、大学生の男女5人が本音と建前を抉り出すヒューマンドラマです。
直木賞を受賞した作家・朝井リョウの同名小説を、『愛の渦』(2014年)や『娼年』(2018年)を手掛けた三浦大輔監督によって映画化されたものです。
主人公の二宮拓人役を佐藤健、ヒロインの田名部瑞月役に有村架純、主人公の友人役には、菅田将暉をはじめ二階堂ふみ、岡田将生、山田孝之と、豪華キャストが勢ぞろいしました。
社会という荒波に飛び込むために就職活動をする物語で、アイデンティティが曖昧になっている若者が感じる辛さや不安が描かれています。
映画『何者』の作品情報
【公開】
2016年
【原作】
朝井リョウ
【脚本・監督】
三浦大輔
【キャスト】
佐藤健、有村架純、菅田将暉、二階堂ふみ、岡田将生、山田孝之
【作品概要】
『愛の渦』で注目を集めた三浦大輔が監督を務めたヒューマンドラマ。原作は『桐島、部活辞めるってよ』や『チア男子!!』の朝井リョウ。
主役の佐藤健や有村架純を始め、菅田将暉、二階堂ふみ、岡田将生、山田孝之など、人気若手俳優も出演しています。就活に奔走し、社会の厳しさに苦しむ大学生の姿をリアルに描いています。
映画『何者』のあらすじとネタバレ
光太郎は、小さなライブハウスで仲間に盛り上げられながら、バンド引退ライブで、歌を歌っていました。そこに、光太郎の友人であり、ルームシェアで生活を共にする拓人が現れます。就活をきっかけに、光太郎は音楽を引退します。
閉塞感のあるライブ会場には、留学から帰った瑞月がいました。大学入学すぐに開かれた飲み会で、光太郎と瑞月、そして拓人の3人は、仲良くなりました。
光太郎は家に帰ると、拓人に就活のアドバイスを求めます。拓人は、光太郎よりも長く就活をしており、光太郎はそれを頼りにします。さらに、やる気モードの光太郎は、金色だった髪も、黒く染めていました。
就活真っ最中の二人の家のドアを、瑞月が叩きました。偶然にも、瑞月の友達である理香が、拓人達と同じマンションに住んでいたのです。
拓人と光太郎は驚き、困惑しつつも、理香の家を訪ねます。理香と瑞月もまた、より良い企業に内定を貰うための就活中でした。
四人は内定という目的のために結束し、情報交換を始めます。理香の部屋には、もう一人、理香の彼氏であり、同棲をしている隆良がいました。隆良は着飾った服を着て、就活という大きな波には飲まれないという、着飾った持論を展開します。
拓人にはかつて、同じサークルで演劇の脚本を共同制作していた仲間がいました。拓人は、就活のために演劇を引退していました。
しかし、かつて仲間だった銀次は、今もなお演劇の脚本に夢中でした。銀次は演劇業界で、まだまだ駆け出しでしたが、売れるために必死にもがいていました。
そんな銀次を、拓人はSNSで監視しています。学生舞台の範疇を脱していない。銀次の演劇には、辛口の評判が集まっていました。拓人は銀次が売れずに、誰からも認められない姿を見て、ほくそ笑みます。
隆良と銀次には、同じような性質、痛さがあると、拓人は分析していました。隆良は、まだ序盤しか読んでいない、小難しい本をSNSにアップロードするなど、周りとは違う自分に酔っていました。いわゆる、意識高い系の男でした。
拓人は隆良を見下していました。バイト先で知り合ったサワ先輩に、隆良の痛く感じるところを共有します。
就活は進みます。面接会場には、就活をしないと豪華した隆良の姿がありました。また、就活には余裕を見せていた理香でしたが、受けると報告していなかった企業の面接のため、全速力で走っていました。それぞれの化けの皮が、見え始めます。
瑞月は、母がヒステリーを起こしたと、拓人に話します。だからこそ瑞月は、ちゃんとした企業に勤め、安定した生活を送らなければなりませんでした。
銀次と拓人が別の道に進んだきっかけは、銀次がブログにて、努力の過程を逐一報告していたことでした。誰々と繋がった。良い物が産まれそうだ。
意味のない途中経過を大事にしている銀次に、拓人は厳しい言葉を投げかけ続けました。その結果、銀次は大学を辞め、劇団を創設しました。
瑞月は、隆良の勧めで、名刺を作りました。隆良もまた、名刺を作っており、それは、銀次の名刺と似ていました。そこにいたサワ先輩ははっきりと、隆良と銀次は別だと言い放ちます。
加えて、銀次はどちらかというと、拓人に似ていると断言します。拓人にはその意味が分かりませんでした。
映画『何者』の感想と評価
就職活動を通して、それぞれの未完成な姿を描いた映画『何者』。裏アカウントで他人を見下さずにはいられない現代人の闇を、思わず苦笑いしてしまうほどリアルに映し出しています。
登場人物の一人一人が、実在する人物ではないかと思ってしまうほど、「こういう人いる!」と共感してしまいます。会話も台詞っぽくなく、出演するキャストの演技が光っております。
また、主人公の拓人が舞台の中にいる演出は、実際に舞台監督も務める三浦大輔ならではの切り口で、不穏な物語に馴染んでいました。
劇中、拓人は常に「銀次みたいな痛い奴ら」をジャンル分けして、疎ましく感じています。しかし、サワ先輩には「銀次と隆良は違う」と、考えを否定されてしまいます。
銀次と隆良の違い、その一つは、行動しているか否かにあります。
銀次は不器用で不出来な舞台でも、何度も何度も講演をすることに、価値を見出しています。また、演劇を作る過程を大事にし、今が人生の途中であることを自覚しています。
一方隆良は同棲をしながらも、格好付けた部屋着を身に纏ったりと、着飾ったまま生きています。そして、自分の考えは成熟しているという、達観したように見える価値観を持っています。
意識ばかりが高くなり、納得できる作品を生み出すことができない。だから外には出さないといった、言い訳が上手なタイプです。
もがき苦しみながらも、周りを見下すことで自分が賢くなったような錯覚。選ぶことを放棄した自意識の痛さは、全くもって違うものです。
拓人は結果は実らずとも、就職活動で努力してもがいています。だからこそ、拓人は銀次に似ているといえるでしょう。
主題である就職活動。それはずばり、大人になるための通過儀礼のようなものです。
自分は何なのか、何をしてきたのか。まだ決まっていないにも関わらず、繰り広げられる面接に対応しなければならない、暴力的な儀礼です。
越えなければ、大人にはなれない。逆にいえば、本作品における大人とは、自分が何者のかを分かっている者となります。
悲劇のヒロインやドラマの主人公と、自分が何者なのかを定義している瑞月や光太郎は、自分を理解しているから就職活動に成功しました。
反対に、等身大の自分で生きることができない、何者でもない拓人や理香は、面接に落ち続けていました。
ただ単に就活やSNSあるあるを描いているだけではなく、何者かになるため、今の自分を乗り越える。そんな過程を細かくリアルに描いているからこそ、就職活動を経験した人もそうでない人も、共感できるのです。
まとめ
まだ子どもだった大学生が、社会の中に入り込んでいくストレスや必死さが、登場人物一人一人の内面にまでスポットライトを当てて、描かれています。
人を見下すことで安心してしまう人。結局、自分とは何なのかが分からなくなってしまった人には、共感するシーンが多いのではないでしょうか。
自分自身をさらけ出すことが恐ろしく、同調圧力の中で生きてきた学校という世界の残酷さや、そこで器用に生きてしまったが故の、社会に飛び込む難しさ。
人生の岐路に立たされた時にこの映画を見ると、自分をさらけ出せる方を選ぶべきだと、微かな勇気を貰えます。
お互いの検索履歴が判明するシーンの、ホラー映画のような緊迫感も、作品に幅を持たせています。緻密に組み立てられた原作小説を、台詞と人物描写、舞台やホラー映画的演出で、エンタメ的に膨らませていました。
人生を舞台に例え、そこでどのような生き方を選び、誰に観てもらうか。日陰でコソコソと誰かを馬鹿にしながら匿名に紛れていると、自分自身を見失うという演出も見事でした。