2018年はカール・マルクス生誕から200年を迎え、映画『マルクス・エンゲルス』は、岩波ホールほか全国順次公開。
19世紀を代表する革命的な名著『資本論』を著したカール・マルクス。
フリードリッヒ・エンゲルスとの運命的な出会いから、大きな運命のうねりのなか誕生させた二人の共作『共産党宣言』までの深い友情と絆を描いた映画『マルクス・エンゲルス』が公開されました。
CONTENTS
映画『マルクス・エンゲルス』の作品情報
【公開】
2018年 (フランス・ドイツ・ベルギー合作映画)
【原題】
The Young Karl Marx
【監督】
ラゥル・ペック
【キャスト】
アウグスト・ディール、シュテファン・コナル、スケ、ビッキー・クリープス、オリヴィエ・グルメ、ハンナ・スティール、アレキサンダー・シェアー、ハンス=ウーベ・バウアー、ミヒャエル・ブランドナー、イバン・フラネク、ペーター・ベネディクト、ニールス・ブルーノ・シュミット、マリー・マインツェンバッハ
【作品概要】
科学的社会主義を構築したカール・マルクスとフリードリヒ・エンゲルスの若き日の出会いと活躍を描くヒューマンドラマ。
19世紀のヨーロッパでは、産業革命が社会に格差をもたらし、貧困の嵐が吹き荒れた中、20代半ばのカール・マルクスは惨状を目の当たりにし、搾取と不平等な世界に独自の政治批判を展開。その後ドイツを追われフランスに逃亡し、エンゲルスと運命的な出会いを果たし、2人は深い友情で結ばれます。演出は『ルムンバの叫び』のラウル・ペック監督。
映画『マルクス・エンゲルス』のあらすじとネタバレ
「昔森の恵みは、森の民のものであった。今や『木材窃盗取締法』によって森の所有者は、落ちている枝を拾う民さえも窃盗罪で捕える。落ちた枝は誰の所有なのか?それでも民は命をかけてこの窃盗という行為を繰り返すのだ…」
19世紀初頭絶対王政下のプロイセン(現在のドイツ)、多くの貧困と差別があちこちで見られ、森を多くの貧しい人々が逃げ回り、官吏たちが馬に乗って森を駆け巡ります。
女性も子供も容赦なく暴力で打ちのめし、多くの民たちは木々の下で息が絶えていきます。
一方でライン新聞社の部屋では、たくさんの記者が息を上げて、意見を交わしています。
カール・マルクスが書いた『木材窃盗取締法』に対する告発文が槍玉に上がっていました。
当局の怒りを買うだけだというのが、大多数の意見でした。
マルクスの言論の封殺を恐れず、公然と国家を告発する姿勢は当局の取締の対象となり、すでに、階下に多くの官吏がやってきます。
マルクスを筆頭に全員が捕まり、新聞は発禁になります。やがて、彼はドイツを離れ、フランスのパリを目指します。
一方イギリス、マンチェスターの紡績工場主を父に持つフリードリッヒ・エンゲルスは、父の専制的な経営方針に疑問を持ちながらも、代理者として工場を管理する日々を送っていました。
ある日、一人の女工員が居眠りをして機械で指を切断するという事故が起こり、労働者たちと話し合いをする機会に立ち会いました。
工場長は、オーナーの父親に問題を先導する女工員がいることを耳打ちします。
案の定、彼女がリーダーとなって、昼夜働かせて三日三晩寝ていないこの状態を改善してほしいと訴えます。
オーナーは「規律を乱すものは全員出て行け」と言い放ち、その女メアリー1人が出て行きました。
エンゲルスは父親にやりすぎだと告げ、女の後を追いかけます。
メアリーが向かったのは、アイルランド人の住む貧民街でした。
娼婦、お金を乞う子供、酔いつぶれた男。異様な目つきで見られながらも奥のバーに進みます。
そこでメアリーは仲間とお酒を飲んでいました。
「おぼっちゃまが来るところじゃないよ。」と言われながらも、仲間とともにエンゲルスはお酒を組み交わす日々が続き、次第に労働者階級への理解と慈愛を深めていきました。
赤ん坊の泣き声が響き、ベッドから女性が起きて、子どもを抱きかかえながら朝食の用意を始めると、男が近づいてきました。
その男カールは、パリで妻イェニーと娘とともに慎ましいながらも、幸せな日々を過ごしていました。
イェーニーはかつてプロイセンの男爵令嬢でしたが、本人にとってブルジョアの生活に生きる喜びを見出せないと感じ、カールと人生をともにする思いでパリにやってきました。
ある日、マルクスは革命家の先鋒プルードンの噂を聞き、演説を聴きにいきました。
しかし、プルードンの“所有”についての部分は、抽象的で曖昧な言葉でしか表現しておらず、保身に走っているように思え、マルクスは幻滅し家路に着きます。
自分自身の生活も困窮を極める中、仕方なく郵便局の雑用の仕事に面接に行くも、門前払いを受けました。
マルクスは心身共に追い詰められていました。
やがて、マルクスは革命家の友人に会いに行きます。
何度も原稿を書いているのに、まだ原稿料をもらっていなかったので、妻や子どもを養うためにマルクスは頼みにやって来ました。
部屋には見たことのある顔の男が1人座っていました。マルクスはベルリンで出会ったことを思い出します。
彼の名はフリードリッヒ・エンゲルス。2人は激動の時代のうねりの中で、運命的な再会を果たしました。
映画『マルクス・エンゲルス』の感想と評価
冒頭から引き込まれる作品テーマ
映画の冒頭の農夫たちが森で薪拾いをしている場面では、木材窃盗の罪で管理が襲撃します。
あまりの壮絶さに目を覆ってしまいそうになりますが、幹から落ちた枝は誰のものか?
森は?この貧しい人々は?
森の中で起こる事件の混沌さの中で、作品のテーマである「所有とは何か」の核心に迫っていく、映画の冒頭はとても印象的です。
マルクスとエンゲルスのバックボーン
カール・マルクスは『資本論』を著した共産主義の経済学者という難しい解釈ではなく、本作ではライン新聞社の記者という、ジャーナリストの一面から物語を描いてもいます。
産業革命以後ヨーロッパでは資本家階級と労働者階級の格差が生まれ、貧富の差か拡大していきます。
その現状を目の当たりにしたマルクスは、どんどん激しく論争をぶつけていく姿に心を打たれます。
マルクスの思いが強くなる一方、生活が逼迫していく切ない現実も描かれています。
また、エンゲルスの苦悩も複雑です。
当時のイギリスのマンチェスターの紡績工場のシークエンスが産業革命の賜物です。
大型機械を取り入れて、多くの工員が並んで1日中、糸を紡いでおり、工員のほとんどがアイルランドの移民。
そのオーナーがエンゲルスの父親で専制的な資本家です。
その搾取の上で自分が生きているという矛盾と葛藤がいつまでも彼を苦しめます。
2人ともが20代半ばの高潔な志を持った熱き青年であり、彼らが世界の波に翻弄されながらも、真実を求め、貧苦に喘いでいる人々の心を打たないはずがありません。
歴史的な背景や宗教、思想など難解な言葉や理論が出てきて、ストーリーが分からなくなるのではないかと危惧していましたが、若き純粋な2人の様子を見つめているうちに、新しい時代到来の光が射して行くまでを飽きることなく見せてくれます。
思わず現代に置き換えて、誰もが真摯に受け止めるべき事象や人物を思い浮かべることでしょう。
やはり、生きていくことは一縷の希望を抱いくものだと与えてくれるのが、本作『マルクス・エンゲルス』の素晴らしさと言えます。
まとめ
映画のエンドロールは、ボブ・ディランの名曲『ライク・ア・ローリング・ストーン』にのって、様々な20世紀を代表する人物の映像が映り出されます。
チェ・ゲバラ、ケネディ大統領、ネルソン・マンデラ…等々。
マルクス・エンゲルス亡き後の時代も、世界で続いている不正義とそれを変えようと命を賭けた人たちの闘いの歴史にも思いを馳せます。
どんな世界を求めて、何に向かって生きていくのか?
そう若きマルクスとエンゲルスに問われているような気がしました。