「恋愛」と「創作」を主題にした魅惑溢れる143分。
小説を一作だけ書き、その後はフリーライターをしている男性は、編集者をしている妻の、担当作家との浮気を知ってしまいます。そのことで芽生えた感情は思いもよらぬものでした……。
映画『窓辺にて』は、稲垣吾郎を主演に『愛がなんだ』(2018)、『街の上で』(2021)など豊富な作品で知られる今泉力哉監督が書き下ろしたオリジナルストーリーのヒューマンドラマです。
稲垣の妻役に、中村ゆみ、若い文学賞受賞作家に玉城ティナが扮するほか、今泉作品の常連組、若葉竜也、穂志もえか等が出演しています。
映画『窓辺にて』の作品情報
【日本公開】
2022年公開(日本映画)
【監督・脚本】
今泉力哉
【撮影】
四宮秀俊
【キャスト】
稲垣吾郎、中村ゆり、玉城ティナ、若葉竜也、志田未来、倉悠貴、穂志もえか、佐々木詩音、斎藤陽一郎、松金よね子
【作品概要】
今泉力哉が稲垣吾郎を主演に迎え、オリジナル脚本で撮ったヒューマンドラマ。
主題歌をスカートが、音楽を池永正二(あらかじめ決められた恋人たちへ)が担当している。
第35回東京国際映画祭コンペティション部門、観客賞受賞作品。
映画『窓辺にて』あらすじとネタバレ
フリーライターの市川茂巳は、編集者である妻・紗衣が、担当している売れっ子小説家・荒川円と浮気をしているのを知ってしまいます。
彼が一番驚いたのは、彼がそのことに関して怒りを感じなかったことです。それが酷くショックだったのですが、誰にも相談することができずにいました。
とある文学賞の授賞式で出会った高校生作家・久保留亜から呼び出された市川は、指定場所の喫茶店に出向き、留亜が勝手に頼んだフルールパフエを食べるのに四苦八苦していました。
受賞作「ラ・フランス」の内容に惹かれた市川は、留亜にその小説にはモデルがいるのかと尋ねました。留亜はいると応え、会いたいですか?と尋ねました。会えるのなら会ってみたいかなと応える市川。
市川の友人のプロスポーツ選手の有坂正嗣は、脚の怪我に長年悩まされ、悩んだ末、引退を決意していました。そのことを一番最初に伝えたのは市川でした。また、彼は妻のゆきのと娘がいながら、人気モデルの藤沢なつと不倫をしていて、二番目に伝えたのが、なつでした。
奥さんには伝えられないのに私には伝えるんだ、となつは嬉しいような、悲しいような複雑な感情を覚えました。
しばらくして留亜から連絡があり、市川は小説のモデルに会いに行きました。彼を待っていたのは、留亜の恋人の優二でした。彼は市川が留亜につきまとっている中年だと思い、腹をたてているようでした。
留亜は、モデルは複数の人物だと言い、次に山奥で世捨て人のようにひっそりと生活をしている伯父のカワナベに引き合わせました。彼はかつてはテレビの番組制作をしていたと言います。
市川はふと彼に相談してみたくなり、悩みをうちあけましたが、カワナベからは、私は色恋もきらいだから答えられない、あなたは私に似ている、周りの人を見下しているから誰にも打ち明けられないのだと辛辣な応えが返ってきました。
市川は、有坂夫妻宅を尋ね、悩みを打ち明けました。ところが、ゆきのが別れたほうがいい、奥さんが可愛そうと怒り出し、挙げ句に市川は家から追い出されてしまいます。
しばらくして今度はゆきのが市川家を尋ねてきました。正嗣が浮気しているのだと彼女は言います。しかも彼女は誰が不倫相手かもわかっていました。
別の日、うちに帰ってきた市川に紗衣が荒川の新作についてどう思うか尋ねてきました。自分には必要のない本だったと正直に応え、紗衣は少し驚いて私が作った本だよと言いました。
2人が言葉を重ねていくうちに、市川は紗衣と荒川の不倫のことに言及し、怒りがわかなかったことを告白しました。自分は誰かを心の底から好きになれない人間だって、それがショックだったと。
市川は「別れよう」と紗衣に告げました。私のため?と問う紗衣に、違うよと首をふる市川でしたが、紗衣は私のためじゃんと悲しそうに市川を見つめました。
映画『窓辺にて』解説と評価
稲垣吾郎扮する市川茂巳のキャラクターがユニークです。
彼は自分の妻が、浮気をしているのを知っても悲しいと思えず、そのことにショックを受けています。
誰にも相談できず悩んでいたのですが、ふと相談する気になった人からは「色恋はきらい、あなたは人を見下してるから誰にも相談できないのだ」との言葉と共に質問する相手を間違えていると指摘されてしまいます。
では、と、(決して見下していない)友人に相談すると一緒に聞いていた友人の妻が「別れたほうがいい、奥さんが可愛そう」と怒り出し、挙げ句に追い出されてしまいます。
妻に別れようと言ったのも、この友人の妻の言葉の影響があるに違いありません。なんだか主体性のない人物に見えますが、別の見方をすれば素直なのです。人の言葉にちゃんと耳を傾けることが出来る人物だとも言えるでしょう。
本作は人間を断罪しない映画です。
自分の妻が亡くなっても泣けなかった男を主人公にした『永い言い訳』(2016)、『雨の日は会えない、晴れた日は君を想う』(2015)、『ドライブ・マイ・カー』(2021)といった作品は、壊れてしまった自分の再生の物語でしたが、本作はプロットは似ているものの、そもそも主人公に問題があるというスタンスをとっていません。
これはまさに今泉流の恋愛感です。今泉力哉は恋愛群像劇の名手として知られていますが、決して恋愛至上主義者ではありません。
『サッド・ティー』(2013)では出演者のひとり青柳文子が「ちゃんと好きってどういうことなんですか?」と問うています。
人は常に恋愛にうつつを抜かしているけれど、ときめきに満ちた恋愛なんてそうはないんだ、というどこかシニカルな視線がそこにはあります。
更に『パンとバスの2度目のハツコイ』の深川麻衣演じるヒロインは、生きていく中で、寂しさを紛らわせてくれるのは必ずしも恋愛だけではない、として、ひとりで生きていく覚悟を持っていました。
勿論、そうした今泉映画の一端を担うものを取り上げて見たとしても、市川を弁明する理由にはならないかもしれません。
しかし市川が「大切なものを手に入れてもすぐ手放す」という、新人作家賞を取った久保留亜の小説に惹かれたのは、そこに自分自身を見出したからです。
一作だけ小説を書いて、それっきり書かなかったことを人はもったいないと述べたり、なぜ小説を書くのをやめたのかと執拗に尋ねます。
彼にとっては、小説を書くことも、妻との結婚生活も同じようにとても大切なことで、決して嫌になったわけではないのですが、大切だからこそ無理をしてまでも続けるものではなかったのかもしれません。
一種の自制心なのでしょうか? 現に、無理をしたがゆえに潰れてしまった人が劇中に登場しています。
もしも、市川が本当に冷徹な人間なら、なぜ、皆、彼を呼び出し、相談したり、質問したりするのでしょう?
彼は誰かのためになることができるのだろうかと自問していますが、知らず知らずのうちに誰かのためになっているのです。ただし、映画は彼を断罪しないかわりに讃えることもしませんが。
登場人物の一挙手一投足に魅せられながら、こんなふうに思索出来る映画のなんと贅沢なことか。まさに小説のページを一枚、一枚、めくっていくような、知的好奇心に溢れた思いをさせてくれた稲垣吾郎の存在の素晴らしさを改めて感じています。
まとめ
今泉映画常連組の若葉竜也が有名スポーツ選手を演じるというのも意表をついていますが、またこのキャラクターがなんともはやな人物なのです。
有名タレントと不倫していて、不倫相手には離婚を散らつかせている浮気野郎です。うまくやれていると自分では思っていますが、妻にはしっかりバレています。
この問題も結局なんの結論もなく映画は終わります。幸せそのものに見える夫婦。笑顔で子供の相手をする妻をカメラは映し出しますが、四宮秀俊によるカメラは、彼女の姿を少し長めの尺でとらえています。その尋ねるような視線は、観ている私たちの視線そのものです。
環境音や会話が響いている途中、ふっと音が途切れる瞬間も何度かあって、そうした映画のリズムにすっかり乗せられていると、終盤になって、クスっと笑えるシーンが増えていきます。長く、思慮深い展開が、軽妙で愉快なものに転換する心地よさはどうでしょうか。
コップの反射で作る光の指輪。淡くて、抽象的で、儚くも見えますが、その光と影は、人間の日々の生活を象徴しているようでもあります。