映画『人形』は2019年11月10日から23日まで開催のポーランド映画祭にて上映。
今回ピックアップするのは2019年で8回目を迎えるポーランド映画祭の上映作品、奇才ヴォイチェフ・イエジー・ハス監督による壮大なドラマ『人形』です。
時空や国を超えて摩訶不思議な美しさと物悲しさに満ちたハス監督による世界の魅力と、ポーランド近代小説を原作とした本作についてご紹介します。
映画『人形』の作品情報
【製作】
1968年(ポーランド映画)
【原題】
Lalka
【監督】
ヴォイチェフ・イエジー・ハス
【キャスト】
マリューシュ・ドモホフスキー、ベアタ・ティシュキエヴィッチ
【作品概要】
本作の監督はヴォイチェフ・イエジー・ハス。
『Pozegnania 』(1958)でロカルノ国際映画祭で国際映画批評家連盟賞を受賞しポーランド派の映画製作者として知られるようになったハス監督。
『サラゴサの写本』(1965)は現在ではポーランド60年代を代表する映画として知られ、また同国の幻想小説家ブルーノ・シュルツの小説を映像化した『砂時計』(1973)でカンヌ国際映画祭で審査員賞を受賞しています。
本作の原作は19世紀末に書かれたボレスワフ・プルスによる長編小説で、日本では2017年に関口時正氏が初めて翻訳を手がけて読売文学賞を受賞しました。
主演は『ふたりのベロニカ』(1992)などで知られる名匠シシュトフ・キェシロフスキ作品『傷跡』(1976)のマリューシュ・ドモホフスキー。
ヒロインを演じるのはアンジェイ・ワイダ監督作『すべて売り物』(1978)のベアタ・ティシュキエヴィッチです。
映画『人形』のあらすじとネタバレ
19世紀後半、民衆は貧困にあえぐポーランド。政治と経済の悲劇的状況に人々は嘆いていました。
主人公スタニスワフ・ヴォクルスキはウェイターとして働きながら科学者、発明家を目指していましたが政治犯としてシベリア送りにされてしまいます。
数年後帰ってきた彼は,アンティークショップを営む友人レクツキと再会し、商人としてキャリアをスタート。
ある日店にやってきた没落貴族の娘イザベラ・ウェンツカに一目惚れしてしまいます。
商才のあるヴォクルスキは街に立派な店を構え、イザベラと近づくため劇場や貴族のサロンに頻繁に出かけるようになり、伯爵夫人とイザベラに寄付をしたり、競馬レースで彼女の馬を懸命に勝たせたりと、イザベラに失礼な言葉を放った男爵と決闘したりと尽力します。
しかしイゼベラはヴォクルスキをただの商人としか認識していませんでした。
そんなある日イザベラの遠い親族であるスタスキーという男が海外からワルシャワに戻ってきました。スタスキーが英語を交えてイザベラと親しげに話す様子を見てヴォクルスキは気分を害し、パリに旅立ちました。
映画『人形』の感想と評価
ポーランドを代表する映画監督ヴォイチェフ・イエジー・ハス。彼は1950年代に生まれたポーランド派と呼ばれる映画監督たちの一人です。
祖国をドイツに占領され、戦争により青春時代を失った彼らはポーランドの国民性を強調して社会主義リアリズムのガイドラインに反対の声を投げかけ、決して遠い過去ではない戦時中の記憶について映画の形で語り続けました。
代表する監督には、ロンドン亡命政府派の青年の青春と破滅を描きヴェネツィア国際映画祭国際映画批評家連盟賞を獲得した『灰とダイヤモンド』(1959)のアンジェイ・ワイダや、『鉄路の男』(1956)『エロイカ』(1957)のアンジェイ・ムンク、『影』(1956)『尼僧ヨアンナ』(1961)のイェジー・カヴァレロヴィチなどが挙げられます。
ポーランド映画は政治や歴史が作品の人気テーマでしたが、しかしハス監督は政治的な立場に立つことはなく、「同時代にとってのみ意味のある事柄、発送、テーマといったものは受け入れない。同時代にばかりこだわる中では芸術は死んでしまう」と80年代に雑誌『キノ』のインタビューで述べていました。
クラクフに設立された青年映画学校で学んだハス監督の長編劇映画第1作目はアルコール中毒の若者の破滅へ向かう1日を描いた『輪結び』(1958)。
1960年代半ばから文学作品に基づく作品を多く撮り始め、ヤン・ポトツキによる幻想小説『サラゴサ手稿』を映像化した『サラゴサの写本』(1965)はシュルレアリストのルイス・ブニュエルから大絶賛を受けました。
ゲシュタポの銃弾に倒れたブルーノ・シュルツの小説『砂時計サナトリウム』を中心としてシュルツの様々な短編を盛り込んだ映画『砂時計』(1973)はカンヌ国際映画祭で審査員賞を受賞。本作『人形』は中間である1968年に制作された作品です。
ハス監督作品の特徴のひとつに超現実的な幻想美があります。
『人形』冒頭で困窮状態にある庶民が暮らす街がゆっくりと映し出されますが、突如鏡が現れ、その向こう側に全く街に似つかわしくない壮麗なドレスをまとった女性が物憂げな表情を浮かべています。
本作は19世紀のポーランドの世界が映し出されアンティークの家具に装飾、貴族の女性たちの麗しいドレスや古めかしい実験器具までフェティッシュな美が隅々にまで存在します。
それでも『砂時計』にも見られるように本作は、灰色の海に彼らの世界ごと沈んでしまったような頽廃に満ち、果物や植物も埃をかぶって爛熟しているような妖しい香気があり、いつ見えている空間が歪み解けて幻想にのみ込まれてしまうか分からない摩訶不思議が揺れ続けるのはハス監督ならではです。
物語はヴォクルスキたち商人の生活とイザベラたち貴族の生活、そして庶民が暮らす風景というふたつの世界が並行して進んでいきますが、ハス監督はその現実に加えて夢や記憶に願望から出現する世界を創り出します。
一目惚れした貴族の女性に愛情を貫き続けるヴォクルスキですが彼の意識は時折夢や記憶へ向かい、過ぎ行く時間と別次元に存在している場所で愛するイザベラとも対話をします。
ロシア一月蜂起失敗後のポーランド社会、ヴォクルスキはじめとする新興資本主義と貴族たちの古いロマン主義、蒸気機関車や飛行実験といった世界の流れを描写しながらもハス監督が焦点を当てるのは本作においても個人のいくつにも折り重なった心理状態です。
本作にはタイトル通り、冒頭から何体もの人形が登場します。
映画はこの時代、美しい“人形”として生きる道を提示されることが普通であった女性たちの物語でもあります。
パーティーで白い衣装に身を包んだ様々な年齢の女性たちが人形のようにじっと動かず椅子に座り続けているシーンは美しく幻想的でですが、客体化されているような冷ややかさを含みます。
そんな中“人形”のような美しさを享受し、したたかに振舞うのが零落した貴族の娘イザベラ。
ヴォクルスキは彼女が自分を尊重していないことを知っていながら一緒にいることを選び続けますが、自我を持たない人形とは違いイザベラは簡単にヴォクルスキに所有されることはなく、「あなたの奴隷でもいい」と語るヴォクルスキもまた彼女に所有され続けることはありません。
そしていつまでも美しい人形のように人間はその風貌も身体も保ち続けられるわけではありません。
愛や幸福、美と醜、美徳や死… 生に付随する苦悩とドラマを扱いながら様々な空間を渡り歩く壮大な物語『人形』は哀しくも美しい終息を持って幕を閉じます。
まとめ
扉や鏡の奥に自分が拡張した別世界があるかもしれない、世界に対するそんな余韻が残るヴォイチェフ・イエジー・ハス監督作品は唯一無二。
目がくらむような幻想と記憶の奔流にぜひ意識を委ねてみてください。
『人形』は2019年11月10日から23日まで東京都写真美術館ホールにて開催のポーランド映画祭で上映です。